サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

政治的に無力なものの「聖性」

 政治的な実権を剥ぎ取られた存在が、それゆえに強大な政治的権威を保持するようになるということは、我が国においては、それほど奇怪な事態ではないように思われる。少なくとも、坂口安吾が「堕落論」の中で指摘しているように、日本古来の「天皇」という制度には、そのような政治的無力化ゆえの「聖性」が絶えず付き纏っている。

 日本では、政治的な権威の頂点と、政治的な実権の中枢との間に、構造的な乖離が生じることは、歴史的な伝統に他ならない。現行の日本国憲法の規定だけを取り上げて、そのように言う訳ではない。江戸時代の幕藩体制、それはまさしく「朝廷」と「幕府」との重層化された政治的秩序ではなかったか? 征夷大将軍と雖も、天皇の威光の前には平伏せざるを得なかった。しかし、日本国の政治的な実権が将軍家の掌中に握られていたことは、明白な事実である。

 もっと時代を遡行してみても、そうした権力の重層性という事態は変わらない。王朝期、つまり武士階級による政治体制が確立される以前の時代においても、政治的な実権を掌握していたのは天皇ではなく、藤原氏を筆頭とする摂関家の公達であった。結局、日本において政治的に対立し、相剋していたのは武家と公家であって、時代の変遷に関わらず、天皇は常に政治的な「威信」としてのみ存在した。例えば江戸時代末期の倒幕運動を経て設立された明治新政府は、将軍を廃する代わりに天皇を国政の頂点に位置付け、権力を集中させようと試みたが、実質的に政府を動かしていたのが薩長土肥藩閥に属する有力者たちであったことは広く知られた事実であろう。鎌倉幕府を打倒し、天皇による「親政」を布いて、朝廷の権威を復興しようと企てた後醍醐天皇建武政権も、束の間の栄華を足利尊氏の造反によって打ち砕かれ、灰燼に帰した。この国では、政治的な権威と実質的な権力との全面的な合致は、常に妨げられ、破産させられるのが歴史的な慣例なのである。

 だが、政治的に無力である象徴的存在が、何故、実質的な権力者たちによって要請され続けるのだろうか? もっと言えば、何故、この国では政治的権力の独裁的な一元化が絶えず瓦解するのだろうか? それはドイツやイタリアで跋扈した所謂ファシズムとは異質な原理に依拠している。或る超越的な権威を掲げ、それを隠れ蓑にして物事を進めるという日本的な伝統は、つまり「権威」と「実権」との分離を絶えず要請する日本の政治的常套は、どのような経緯を踏まえて形成されたのだろうか?

 天皇という絶対的な存在を象徴化すること、或る崇高な超越的存在を信じること、つまり天皇という生身の存在に一種の「神格化」を施すことは、この国では長らく伝統的な統治手法として重んじられてきたし、その過激な強化が近代において昭和軍国主義の破滅的な暴走を招いたことは周知の事実であるにも拘らず、未だに天皇というシステムが廃絶される公算は極めて小さい。それは日本という国家の統治において、天皇そのものが重要であると言うより、天皇という象徴と内閣という政治的実権との乖離が、どうしても必要とされている為であろう。

 言い換えれば、天皇という超越的な存在を措定することによって、私たちの国家の統治者たちは、巨大な政治的利益を獲得しているということなのだ。その利益は、如何なる特質を孕んでいるのだろうか?

 天皇の超越性は、天皇が政治的に無力であることを通じて獲得される。若しも天皇が政治的な実権の掌握に成功すれば、彼は何らかの形で政治的に「偏向」せざるを得ない。そのとき、彼は政治的な闘争の経緯に基づいて、国家の内部に分断を発生させてしまうことになる。言い換えれば、特定の政治的な派閥との間に強固な癒合を形成せざるを得なくなる。それは天皇の政治的な超越性を毀損する事態に他ならない。天皇は如何なる特定の派閥とも結び付いてはならない。特定の派閥との癒合は直ちに、天皇の超越性という社会的な幻想を崩壊させるだろう。

 如何なる政治的な偏向とも無縁の「神聖な存在」としての天皇というイメージは、人民を統治する上で、極めて強力で特権的な威信を発揮する社会的装置である。それは不偏不党の超越性ゆえに、あらゆる種類の存在、たとえそれが卑賤な存在であったとしても、総ての存在に対して開放されている。この無際限な開放の幻想が、あらゆる種類の存在を間接的に結び付けるハブのような機能を、天皇に附与するのだ。そして、その政治的機能の魅惑的な価値に吸い寄せられるように、実務的な政治家たちが蝟集する。

 そうした天皇の崇高な聖性に就いて、もっと深く論じてみたいのだが、生憎、基礎的な勉強が不足している。Amazon網野善彦の『異形の王権』と『無縁・公界・楽』(いずれも平凡社ライブラリー)を注文した。今読み進めているジョン・スチュアート・ミルの『自由論』(光文社古典新訳文庫)を通読したら、読解に着手しようと考えている。

「沖縄」という政治的な場所 5

 今回で連載は五回目である。思いのほか書き終わらず、考究が長引いている。

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 今回は、作品の掉尾に置かれた車椅子の青年の独白の引用から始めたいと思う。

「ときどき僕は夢を見ます」と車椅子の青年は言った。その声は、どこか深い穴の底から這い上ってくるような奇妙な響き方をした。「僕の頭の内側で、記憶の柔らかな肉に、ナイフが斜めに突き刺さっています。とても深く刺さっています。でもべつに痛くはありません。重みもありません。ただ突き刺さっているだけです。僕はそれをどこかべつの場所から、他人事のように眺めています。そして誰かにそのナイフを抜いてもらいたいと望んでいます。でも誰もそんなナイフが僕の頭に刺さっていることを知りません。僕は自分でそれを抜こうと思うのですが、僕は自分の頭の中に手を入れることができません。それは不思議な話です。突き刺すことはできたのに、抜くことはできないんです。やがてそのうちに、いろんなものがだんだん消え失せていきます。僕自身も薄らいで消えていきます。そしてあとにはナイフだけが残ります。ナイフはいつも最後まで残るのです。まるで波打ち際に白く残された古代生物の骨のように……。そういう夢です」

 この記述から、過ぎ去った戦争の日々の禍々しい残響を聴き取るのは、恣意的な解釈に過ぎるだろうか。だが、車椅子の青年が属するシステムを「日本」という国家として解釈するという本稿の前提に立脚するならば、日本にとっての忘れ難い「悪夢」を凄絶な「敗戦の記憶」という風に読み替えるのも決して不当な判断ではあるまい。

 ナイフに関する青年の繰り返される夢想は、どのような意味を秘めているのだろうか。戦争と絡めて考えるなら、それは過去に日本という国家が浴びせられた夥しい惨劇の記憶と結びついていると看做すことが出来る。「突き刺すことはできたのに、抜くことはできない」という述懐から、私が特別に想起するのは「核兵器」の惨禍である。広島と長崎に落とされた原爆の凄まじいダメージ、放射能による汚染の深刻な災厄は、福島原発の悲惨な事故の記憶を生々しく脳裡へ刻みつけている現代の日本人にとっても、決して縁遠い事件ではない。核兵器を使用することは容易いが、その災禍を完全に払拭することは極めて難しい。その不可逆性を、日本という国家が「悪夢」として記憶し続けるのは、必然的な反応であると言えるだろう。

 だが、重要な論点は、それだけではない。少なくとも、この作品において青年は自ら「ハンティング・ナイフ」を求め、実際にそれを手に入れている。彼は自分の「記憶の柔らかな肉に、ナイフが斜めに突き刺さって」いる夢を繰り返し眺めていながら、そのナイフを自ら欲望するのである。これは何を意味しているのだろうか? 報復だろうか? 自分に与えられた癒やし難い痛みを、憎悪を、他者へ向けて反射しようと試みているのだろうか?

 あらゆる事物が消え去った後も、永遠に残存し続ける「ナイフ」のイメージは、核兵器が齎す放射能の災禍を想像させるに相応しい構造的条件である。そして日本は、世界で唯一の被曝国として、核兵器の保持と使用を自らに禁じてきた。「ナイフはいつも最後まで残るのです」という青年の独白は、核兵器の畏怖すべき強烈な威力を指し示しているように聞こえる。その禍々しい痛切な記憶を持っていながら、何故、青年は「ナイフ」を求めるのか? そして実際に、それを手に入れてしまったのか?

「変な風には考えないでください。僕はこれを使って誰かを傷つけたり、あるいは僕自身を傷つけたり、そういうことをするつもりはまったくありません。僕はただある日、何かの加減で、とつぜんどうしても鋭いナイフがほしくなったんです。何かそう思うきっかけがあったのかもしれない。でもそれが何だったか、どうしても思い出せません。ただ、無性にナイフがほしくなった。我慢できないほどほしくなった。それだけです。それで僕は、通信販売を探して、このナイフを注文しました。僕がこのナイフをポケットに入れていつも持ち歩いていることを、誰も知りません。母親も知りません。僕だけの秘密です。今のところ、知っているのはあなただけです」

 ナイフを手に入れること、それを絶えず携帯していることは誰にも言えない「秘密」である。それは何故、誰に対しても伏せられているのか? そして何故、東京からの旅行者である見ず知らずの「僕」に限って、その「秘密」は開示されるのだろうか?

 この問いに対する答えの導き方は恐らく、次のようなものだろう。その「秘密」は、システムの内部に所属する人間に対してのみ黙秘されるべきものであり、部外者に対しては開示しても不都合が生じない性質を備えている、ということだ。言い換えれば、青年が「ナイフ」を手に入れることは、システムの存続に対して不利益を齎しかねない選択なのである。青年がシステムに対して齎し得る「災厄」とは何か? 彼の役割を「政治的に無力であることによって生じる政治性」の行使に求めるのだとすれば、答えは必然的に導出される。即ち、青年が「具体的な政治力」を手に入れ、保持すること、それがシステムの「危機」を招くということである。

 彼が政治的な実権を掌握すれば、システムの象徴的な統合は妨げられ、必然的に「家族」の相互的な結束と円滑な運営は破綻を来す。だから、彼が「ナイフ」を所持していることは厳格に隠匿されねばならない。言い換えれば、彼は決して自ら「ナイフ」を所持しないことによって、システムに対する積極的な貢献を果たしているのだ。これは、如何なる具体的な事態を指し示しているのか? 言うまでもなく、日米同盟における政治的な構造を指しているのである。

 つまり、事態は重層的な解釈を許容しているのだ。象徴天皇制によって代表される「政治的に無力であることの政治性」は、日本国内の「内政」における政治的原理であると同時に、日米同盟という「外交」における政治的原理としても作用している。日本が象徴的権力の原理を手放せば、日米同盟の堅牢な構造は直ちに揺らぎ始めることになるだろう。システムの内部において、政治的に無力な「象徴」として存在することは、自発的な意志=「主体性」の抛棄を通じて何らかの政治的な利得を確保するということであり、その利得は「自らナイフを振り翳す」ことによっては決して得られない種類の「利益」である。あらゆる政治性から切断されているということは、その存在に対して奇怪な「聖性」を宿らせる。それは世俗的なものの超越を意味する。

 政治的に無力であることが「聖性」の顕現を齎す。自分で書きながら、私はこの命題が切り拓く認識の射程の全貌を把握していない。一旦、今回の連載は終了して、別の記事で改めて考察を深めてみたい。

めくらやなぎと眠る女

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「沖縄」という政治的な場所 4

 今回で連載四回目である。

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 前回の記事で、私は車椅子の青年の発言に着目し、彼が「何もしないこと」を自らの役割として担っていることに関して、断片的な省察を積み重ねた。今回の記事では、その点に関して更に考察を進めていきたい。

 「何もしないこと」が単なる禁圧や制限の結果ではなく、積極的な役割として是認されており、そのことによってシステム全体の利益に資する存在、という抽象的な定義から、具体的な存在の様態に関するイメージを導き出すことは容易ではない。敢えて暴論を承知の上で仮説を提示するならば、私は「象徴天皇」という制度を事例に選びたい。

 「象徴天皇制」に関する歴史的な経緯や、その実質的な機能に就いて、私は精確な知識を有していない。従って、飽く迄も私の独善的な見解として、以下の暴論を書き殴ることになるので、その点を念頭に置いて御一読願いたい。

 「何もしないこと」によってシステムの存続に寄与するという特殊な社会的地位の機能に関して、象徴天皇制ほど適切な事例は他に思い浮かばない。何故なら、象徴としての天皇は、日本という国民国家の統合の「旗じるし」という重責を担いながら、その政治的な実権を完全に除去された存在であるからだ。これは、車椅子の青年が作中において観念的な独白を通じて暗示しようとしている曖昧模糊とした存在の形態に、具体的な姿形を与える為の恰好の「現実」ではないだろうか。

 「何もしないこと」を、日本国憲法第四条に規定された「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」ことと同一視すれば、車椅子の青年が強いられている境遇はまさしく「象徴としての天皇」そのものに他ならない。このように考えると、作中で触れられる「家族」という観念を「国家」という観念に置き換えることも、強ち牽強付会とは言えなくなるのではないか。青年は政治的に無力であることを絶対的な存在の条件として刻印されている。だが、それは彼が本当の意味で如何なる政治性とも無縁の存在であることを意味しない。「政治的に無力であることの政治性」の作用を認めなければ、彼がシステムの存続に対して積極的な貢献を為し得る理由が消滅してしまうからだ。

 そう考えるならば、何故、車椅子の青年とその母親が、自発的な意志に基づかない無期限の「休暇」に追い込まれているのか、その背景と経緯を想像することは最早、それほど困難な作業ではない。日本国憲法の改正と象徴天皇制の導入が歴史上、どのような社会的趨勢の中で実行に移されたのか、私たちは誰でも知識として理解している。太平洋戦争に敗北し、アメリカの主導によって運営されたGHQの統治下に置かれる過程で、日本は象徴天皇制の導入を、つまり国家元首としての「天皇」の政治的な無力化のプロセスを受容したのである。青年が「禁じられた存在」として「無際限な休暇」の日々に幽閉されてしまったのは、彼の政治的な権力が空前絶後の惨劇を齎したからである。少なくとも「アメリカ」は、そのように考えていただろう。

 だが、歴史を遡って考えるならば、こうした「象徴天皇制」は古来、日本という国家においては政治的な常套手段であり、社会の基本的な構造として当然の如く容認されていた仕組みではなかっただろうか。軍部による政治への容喙は、鎌倉幕府の設立以来、日本の歴史的な伝統であり、寧ろ天皇自身が強大な政治力を発揮して中央集権的な独裁を維持することが出来た期間は驚くほど短い。鎌倉幕府以前にも、日本の行政の中枢を実質的に支配していたのは藤原氏によって代表される一部の公家であり、彼らが摂政や関白の地位を独占することによって、天皇さえも政治的な道具として傀儡のように操っていたことは、歴史に関する基礎的な知識の範疇に属する。

 坂口安吾は「堕落論」の中で次のように述べている。

 私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的にかつぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦しゃか家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
 すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代藤原氏天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生がたのしければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。(筆者註・引用文は「青空文庫」より転載)

 この指摘は、本稿の眼目にとって重要な省察を豊富に含んでいる。象徴としての天皇、つまり政治的には無力な存在を「象徴」として神輿のように担ぎ上げることで得られる「固有の政治力」を、日本の累代の政治家たちは存分に活用してきた。政治的に無力であることが、固有の政治性を生成するという特異な原理は、少なくとも日本という国家においては磨き上げられた伝統芸能にも等しい、行政の常道なのである。

 従って、車椅子の青年が語る「システム」の原理はそのまま、日本という国家の原理として置換することが可能である。無論、彼は「アメリカ人」として作者の手で具体的に規定されているではないかと、読者諸賢は速やかな反駁を試みるだろう。だが、その点に就いても、解釈は幾つかの種類に枝分かれし得ることを考慮に入れておく必要がある。「ハンティング・ナイフ」の作者は、「日本」という国家が実質的に「アメリカ」の一部と化していることを暗示しているのだと、穿った見解を試みるのも自由な読者の権利なのである。

 車椅子の青年によって体現される「象徴的権力」の入り組んだ政治性が、日本古来の国政の常套手段であることを認めるとしても、私は「ハンティング・ナイフ」の世界を掠める「太平洋戦争」の陰翳を看過することに賛成しようとは思わない。あらゆる政治性から切断されることによって、あらゆる種類の人間と結び付くことが出来る「天皇」の特異な社会性は、それ自体が究極的な権力の源泉である。そうした仕組みの歴史的な「古さ」を言い立てることで、論点を「日本」だけに絞り込むのは近視眼的な措置であろう。何故なら、車椅子の青年は単に「無際限な休暇」への適応の為だけに生存している訳ではなく、この作品の中心的なイメージである「ハンティング・ナイフ」への奇怪な欲望を密かに内包しているからだ。ナイフに対する欲望が、或る暴力的で独裁的な「政治性」への欲望の、危険な比喩であることは論を俟たない。(次回へ続く)

めくらやなぎと眠る女

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「沖縄」という政治的な場所 3

 前回の続きを書く。

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 前回の記事では、車椅子の青年が位置付けられている文学的な役割に関して、一つの問いを設けた。つまり、車椅子に乗らなければ自力で移動することの難しいアメリカ人の青年の形象を通じて、私は「何もしないことを命じられる存在とは何者なのか」という命題を抽出した訳である。

 「何もしない」ということを命じられるということは、どのような存在であると考えられるだろうか。第一に思い浮かぶのは、社会や他人に何らかの害悪を及ぼすような「危険な存在」である。「危険な存在」であり、尚且つ制御することが不可能であるような存在に対しては、人や社会は拘禁などの制限を加えることで、想定される不幸や損害を減殺しようと試みるのが普通であろう。

 だとしたら、車椅子の青年とその母親は、危険な存在なのだろうか? 例えば青年の母親の「病」に就いて、次のような記述が、この作品には登場する。

「母の場合は、神経が立ってくると、顔の左半分がこわばりついてくるんです。目や口が動かなくなる。左側から見ると、割れかけの花瓶みたいに見えます。見た目はかなり異様ですが、それが何か致命的なものにつながることはありません。一晩眠れば、もとに戻ります」

 こうした症状の包摂している「意味」に就いて考えるのも一興だが、ここでは深入りしない。代わりに着目しておきたいのは、彼女は決して車椅子の青年の「附き添い」でも「保護者」でもなく、寧ろ彼女自身が息子と同じく「禁じられた存在」としての待遇を受けているという点である。

 彼らが自らの意志に基づかない「休暇」を強いられているのは、つまり「自発的な行動を起こさないこと」を命じられているのは、彼らが何らかの意味で「危険な存在」であるからだ、という仮説は、それほど強引な理路に則っている訳ではないと思う。彼らは、その見た目の身体的な条件とは裏腹に、何らかの危険な要素を、その存在の内側に潜在させている。だからこそ、彼らは超越的な他者、或いは相対的な強者としての「健康な人間」たちの判断に基づいて、その居場所を定められ、主体的な判断を下す権能を剥奪されているのである。

 だが、彼らは何故、危険な存在であると目されているのだろうか? その内容に関する具体的な記述を、この作品の内部に求めることは出来ない。何故なら、私が言っていることは抽象的で象徴的な解釈であり、端的に言って「私的な暴論」に過ぎないからだ。しかし、そのような「暴論」を通じて、作品の世界に立体的な解釈の余地を切り拓くことは、決して無益な作業ではない。

 彼らの危険性を直接的に立証するようなものはない。だが、例えば母親の「病気」に関して言えば、その危険性の「残響」のようなものを嗅ぎ取ることは、少なくとも不可能ではない。

「神経の病気というのは、千差万別なんです。原因は同じでも、結果は無数です。地震と同じですね。エネルギーは同じでも、作用する場所によって生じる現象は異なってきます。島がひとつ消えてしまうこともあれば、島がひとつ生まれることもある」

 ここから何らかの情緒的な「爆発」のようなものの痕跡を読み取るのは、思い込みが強過ぎるだろうか。それが具体的にどのような「爆発」であったのかを明示的に語る為の根拠を、私は自分の掌中に収めていない。しかし、前段で述べた「危険な存在として封じられた母子」という仮説との整合性を考慮するならば、恐らくそれは「家族というシステム」を破綻へ導きかねない「危険な現象」であったに違いないと推測される。

 「危険な存在」であるがゆえに「自発的な意志に基づかない休暇」の状況へ拘禁された車椅子の青年は、語り手の「僕」との対話において「システム」に関する言及を行なう。

「さっき分業システムと言いましたが」と彼は続けた。「分業というからには、僕らにも僕らなりの役割みたいなものがあります。ただ与えられるだけの一方的な関係ではない。何と言えばいいのかな、僕らは、何もしないことによって、彼らの過剰さを補完しています。バランスをとっているんです。彼らの過剰さが生み出すものを、言うなれば、癒しているわけです。それが僕らの側の存在理由です。僕の言っていることがわかりますか?」

 この記述に関して、私は過去に幾度も解釈を試みたことがある。しかし、この青年の発する観念的な科白から、明確な意図を汲み出すことに成功した例はない。懲りずに、粘り強く考察を重ねていきたいと思う。

 危険な存在でありながら、彼らはいわば「飼い殺し」の状態に置かれている。言うまでもないことだが、単に彼らが危険で害悪を齎す存在であるのならば、それを支配し得る権力の持ち主たちは「抹殺」という強硬な手段を選択しても構わない筈である。しかし、そのような残虐な措置が敢えて選択されないのは、青年の言葉を信じるならば、彼らが「役割」を持ち、「存在理由」を持っているからである。彼ら母子は「何もしないことによって、彼らの過剰さを補完」する存在として位置付けられている。そうであるならば、彼らの機能の停止は、システムの円滑な機能の為には必要な条件であるということになる。

 この場合の「システム」という単語が「家族」を意味していることは、青年の発言を踏まえる限り、明白であると言えるだろう。

「家族というのは不思議なものですね」と彼は言った。「家族というのは、それ自体が前提でなくてはならないんです。そうじゃないと、システムとしてうまく機能しない。そういう意味では、僕の動かない脚は、僕の家族にとってのひとつの旗じるしのようになっています。多くのものごとが、僕の死んだ脚を中心にして動いています」

 「家族というのは、それ自体が前提でなくてはならない」という青年の科白は一体、何を意味しているのだろうか。それは「家族」というシステムが、何らかの明確な目標に向かって組織化された一種の「プロジェクト」のようなものではなく、それ自体の「存続」の為に活動するウロボロスのような循環的時間性を備えているという意味だろうか? その観点から考えるならば、彼ら母子は「健康な人間」=「効率的な人間」たちが生み出す「過剰さ」を軽減する役割を担うことで、システムの再帰的な存続に貢献しているということになる。

 或いは、彼の「旗じるし」という言葉を考慮に入れるなら、青年の役割は「家族」というシステムの象徴的な統合に存すると看做すことも可能であろう。それは、そのままでは瓦解してしまいかねないシステムの「過剰さ」を解消することによって、システムの存続に寄与するということである。(次回へ続く)

めくらやなぎと眠る女

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「沖縄」という政治的な場所 2

 先日の記事の続きを書く。

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 前回の記事で、私は村上春樹の「ハンティング・ナイフ」という小説を読解するに当たって、作中に登場するアメリカ人の車椅子の青年を、どのように位置付けるのかという問題が、重要な鍵を握っているという見方を示した。今回の記事では、先ず彼に関する描写の一つ一つを蒐集し、吟味を加える作業を通じて、青年の造形の核心に迫ってみたいと思う。

 コッテージの一棟は四部屋に分かれていた。一階に二部屋、二階に二部屋。我々の隣の部屋にはアメリカ人の母子が宿泊していた。彼ら二人は、我々がやってくる前からずっとそこに滞在していたようだった。母親はたぶん六十歳前後、息子の方は僕らと同じ年代、二十八か二十九というところだった。二人とも顔がほっそりとしていて、額が広く、いつもまっすぐに口を結んでいた。これほどよく似た風貌の母子を、僕はそれまで見たことがなかった。母親はその年代の女性にしては驚くほど背が高く、背筋がまっすぐに伸びて、手足の動きもきびきびしていた。

 息子の方も身体のかっこうから推測すると、母親同様、背が高そうだったが、実際にどれほどの身長なのか、僕にはわからなかった。彼は車椅子に座ったきり、一度も立ち上がらなかったからだ。彼の後ろには常に母親がいて、車椅子を押していた。

(筆者註・本稿における「ハンティング・ナイフ」の引用は、新潮社発行の「めくらやなぎと眠る女」に収録されたバージョンに基づいている)

 この記述から導き出される何らかの明快な答えを性急に求めるのは差し控えて、先ずは如何なる種類の「問い」が抽出され得るのかを考える必要がある。

 最初に生み出される最も単純で素朴な問いは、この母子は何者なのか、ということであり、そもそも如何なる目的でこのコッテージに滞在しているのか、という点であるだろう。彼らはアメリカ人であり、母親はきびきびした所作の女性であり、息子は車椅子に乗っていて、恐らくは自力で歩行することの困難な状態に置かれている。

 このとき、私たちが注意しなければならないのは、この作品がフィクションであり、如何なる具体的な事実にも即していないという根本的な条件を失念しないことである。私たちは何処かに秘められている客観的な「事実」に到達する為の探索を行なうのではなく、何故そのように「書かれているのか」という作為=虚構の次元において「理由」を求めなければならない。この微妙な差異に充分に着目しなかった場合、私たちの探索が不毛な曠野を彷徨し続けることになるのは自明の理である。

 言い換えれば私たちは、何故、彼ら母子が「アメリカ人」なのか、という次元から探索の旅程へ踏み出さなければならないのである。何故、彼らが「アメリカ人」であり、「母子」であり、そして「車椅子」に乗っているのか、ということが文学的な探究においては重要な意義を帯びるのだ。

 この土地が「沖縄」であるという仮説を前提として踏まえた上で、議論を進めたいと思う。車椅子の母子は、語り手の「僕」同様に旅行者であり、この土地においては「異邦人」として定義されている。彼らは何らかの理由でアメリカを離れ、この異国の静かな海辺に滞在している。何故、彼らは異国の静かな海へ、母子二人で長期に亘って滞在しているのか。もっと言えば、何故「滞在しなければならないのか」。その理由に就いて、車椅子の青年自身が語っている部分を引用しよう。

「みんなが決めるわけです。あそこに一ヵ月いなさい、こっちに一ヵ月いなさいってね。そんなわけで、僕はまるで雨降りみたいに、あっちに行ったり、こっちに来たりしています。正確に言うと、僕と母は、ということですが」

 彼は家族の命令によって、様々な土地を転々と移動し続けている。それが如何なる理由に基づいているのか、作中において明確な理由が語られることはない。だが、彼が「雨降り」のように絶えず移動し続ける存在であることは、この「ハンティング・ナイフ」という小説においては不可欠の要素であると考えねばならない。彼らは常に移動を命じられ、しかもそれは自分の意志に基づくものではない。言い換えれば、彼らは一種の難民であり、流氓であるのだ。

 自分の意志に基づく行動の自由を持たないという母子の条件は、車椅子というアイコンによっても間接的に表象されていると私は思う。何故、彼が車椅子に乗る必要があるのか、それは無論、彼が自力で歩行出来ない肉体の持ち主であるからだ。しかし、文学的な解釈として眺めれば、そのような理由は厳密な妥当性を持たない。重要なのは、アメリカ人の青年から「自分の意志に基づいて行動する自由」を剥奪する為に、車椅子という虚構の条件が要請されたのだという具合に、いわば事物を反転させて捉えることなのである。

 自由を奪われ、決定権を奪われた存在としての母子は、際限のない「休暇」の日々を過ごすことを家族によって強いられている。彼らは無力であり、「不健康な人間」として定義された存在であるから、「休暇」以外に果たすべき責務が何もないのだと解釈することは充分に可能である。しかし、そのような解釈も、前述の理由に基づいて考えるならば、妥当性を欠いていることは直ぐに判明するだろう。彼らは何故、果てしない「休暇」を送ることを強いられているのか。その問いを反転的に捉えるならば、私たちは次のように命題を組み立て直さねばならない。自由を奪われ、無気力な休暇を送ることこそ、彼らに課せられた重要な役割なのである、と。

「さっき分業システムと言いましたが」と彼は続けた。「分業というからには、僕らにも僕らなりの役割みたいなものがあります。ただ与えられるだけの一方的な関係ではない。何と言えばいいのかな、僕らは、何もしないことによって、彼らの過剰さを補完しています。バランスをとっているんです。彼らの過剰さが生み出すものを、言うなれば、癒しているわけです。それが僕らの側の存在理由です。僕の言っていることがわかりますか?」

 自由を奪われた難民、自らの意志で行動する権利を剥奪され、永遠の「休暇」の日々に閉じ込められた人間という立場が、単なる「結果」ではなく、一つの明確な「役割」であることが、ここでは観念的な表現を通じて強調されている。重要なのは「何もしないこと」であり、それこそが彼らに課せられた使命なのである。だが、それは奇異な話ではないだろうか? 私たちが他者に何かを望み、求めるとき、敢えて「何もしないこと」を命じるような場面はそれほど多くない。「何もしないこと」が明確な役割として求められる立場、それは一体、何だろうか? (次回へ続く)

めくらやなぎと眠る女

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「沖縄」という政治的な場所 1

 在日米軍普天間基地移設に伴う措置の一環として、沖縄県名護市辺野古の埋め立て工事が再開され、沖縄県知事の翁長氏、名護市長の稲嶺氏を中心に反発が強まっているという報道に接した。

 私は人生で一度も沖縄へ足を踏み入れた経験がなく、沖縄という土地が辿ってきた複雑な歴史に関しても概ね無知であると言い切って差し支えない。沖縄という土地を呪縛し続けている様々な政治的軋轢の堪え難い痛みに就いても、鋭敏な想像力を働かせることさえ出来ない愚物である。それでも、個人的に考えたことを広大な情報空間の片隅に小刀で刻むように書きつけておきたい。

 沖縄という土地が、日本とアメリカの複雑な関係性を集約し、象徴的に拡大する特殊な政治的領域であるという私の認識は、それほど的外れなものではないと思う。沖縄は、太平洋戦争において唯一、苛烈な地上戦が展開され、民間人を含む夥しい数の戦死者を計上した土地であり、戦後はアメリカの占領統治下に置かれ、1972年の「沖縄返還」に至るまで、その施政権は日本政府の掌中から奪われ続けていた。日頃、私たちはアメリカとの政治的な関係性に就いて濃密な意識を持つことは少ない。だが、沖縄の人々は在日米軍基地の問題を巡って、絶えず巨大な政治的存在としてのアメリカの影に直面し続けている。本土に暮らす日本人の大半が敢えて見凝めようとしなくても済んでいる「歴史的遺産」の暗部を、沖縄という土地は今でも背負い続けることを強いられているのだ。

 沖縄という土地に就いて考えるとき、私は村上春樹の「ハンティング・ナイフ」という短い小説のことを思い出すのが常である。以前にも、このブログで「ハンティング・ナイフ」に就いては取り上げたことがある。改めて読み返してみても、何となくすっきりとしない、謎めいた小説である。尤も、それはこの短い作品が複雑であったり難解であったりするからではない。文章自体は、村上春樹らしい率直で明快な表現力を隅々まで行き渡らせているから、意味が分からないということも、読解が進捗しないということもない。彼の文章はカフカのように明晰であり、少しも抽象的で俯瞰的な観念によって汚染されていない。そこには訳知り顔で文学的な解釈を加えたがる私のような卑しい愚者に好都合な手懸りが殆ど存在しないか、若しくは注意深く隠蔽されていて、安易な図式化に根底から抗っている。

 だから、私が「ハンティング・ナイフ」に日米関係の複雑な構造の象徴的な表現を見出した積りになって舞い上がるのは、作品に対して無礼でもあり、不躾でもあり、無神経でもあると思う。しかし、私の内なる性癖は、そのような傲岸不遜の振舞いに敢えて踏み切ろうとする欲望を制御することが不得手である。

 ブイの上空は米軍基地に向かう軍用ヘリコプターの通り道になっていた。彼らは沖合からやってきて、ふたつのブイの真ん中あたりを通過し、椰子の木の上を越えて内陸の方へと飛び去っていった。パイロットの表情まで見えそうなほどの低空飛行だった。緑色の鼻先からは、昆虫の触手のようなアンテナがまっすぐ前方に突き出していた。でも軍用ヘリコプターの行き来をべつにすれば、そこは今にも眠り込んでしまいそうな、静かで平和な海岸だった。誰にも邪魔されず、のんびりと休暇を過ごすには、うってつけの場所だ。

(筆者註・本稿における「ハンティング・ナイフ」の引用は、新潮社発行の「めくらやなぎと眠る女」に収録されているバージョンに基づいている)

 語り手の「僕」が訪れた、この穏やかなリゾート地が「沖縄」であると明示されている訳ではないが、わざわざ「米軍基地に向かう軍用ヘリコプター」という記述が採用されている点を考慮すれば、この作品の舞台が「沖縄」であるという推測を組み立てることは、それほど不当な判断ではないだろう。そして、旅行者として設定されている「僕」の視点の位置や角度が、本土から訪れた部外者の微温的な性格を強調するように仕立てられていると解釈するのも、荒唐無稽の考え方ではないと私は信じる。

 「軍用ヘリコプターの行き来をべつにすれば」という「僕」の意図的な註釈は、沖縄の置かれている政治的な現実の危険な側面を捨象することに他ならない。「僕」は軍用ヘリコプターの存在に着目しても、そこに特別な意味を読み取ろうとはしないし、その背景に秘められている無数の「経緯」に特別な注意を払うこともない。彼は飽く迄も一介の旅行者として、東京から来た観光客として、この「今にも眠り込んでしまいそうな、静かで平和な海岸」を訪問し、貴重な休暇を堪能しているに過ぎない。そうした眼差しの性質が、沖縄に対する「本土」の視線の比喩であると強弁するのは暴論に聞こえるだろうが、総ての読者に認められた崇高な権利として、私の手前勝手な「誤読」を許してもらいたい。

 ブイの上には思いがけなく先客がいた。ブロンドの髪の、見事に太ったアメリカ人の女だ。ビーチから見たときにはブイの上には誰もいないように見えたのだが、たぶん僕が泳いでるあいだに、彼女はやってきてそこにあがったのだろう。女は小さなビキニの水着を身につけて、うつぶせになっていた。よく畑に立っている「農薬散布注意」の旗を連想させるような、ひらひらした赤い水着だった。彼女はほんとうにまるまると太っていたので、その水着は実際以上に小さく見えた。彼女の肌はまだ白く、ほとんど日焼けしていなかった。ここに来て間がないのだろう。

 言うまでもなく、沖縄及び日本にとって「アメリカ」という国家が有する意味は、特権的な水準に位置付けられているが、戦後七十年を閲した今、本土と沖縄との間には「アメリカ」に対する意識の隔たりが根深く介在しているように思われる。今回の辺野古移設に伴う工事の執行に対して、名護市の稲嶺市長は「日本政府は沖縄県民を日本国民として扱っていない」と言い、憤怒を露わにしている。それは薩摩藩の圧政から、明治政府の琉球処分を経て、太平洋戦争における惨たらしい本土決戦の災禍に至るまで、沖縄という土地が日本政府から受けてきた陰惨な仕打ちに対する、蓄積された被害感情の発露であると同時に、今も猶、戦勝国アメリカに対する「生贄」として「沖縄」を差別し続ける日本政府のエゴイズムに対する「宿怨」の表明でもあるだろう。

 言い換えれば、沖縄という土地には、日本という国家がアメリカとの関係を通じて、歴史的な暗がりの奥底へ封じ込めてきた「戦争」の記憶が今も、生々しい現実として宿り、様々な事件を通じて絶えず喚起され続けているのである。本土においては余り意識されず、記憶が薄らいでいるようなことも、沖縄においては切迫した現実として感受されている可能性は決して小さくない。

 僕は海岸にまた目をやった。車椅子の母子の姿はやはり見えなかった。兵隊たちはまだビーチ・バレーボールを続けていた。ライフガードが、監視台の上から大きな双眼鏡で何かを熱心に見ていた。やがて沖合から二機の軍用ヘリコプターが姿を現し、まるで不吉な手紙を運ぶギリシャ悲劇の特使のように、重々しく我々の頭上を轟音とともに通り過ぎ、内陸に向けて消えていった。そのあいだ我々は黙って、そのオリーブグリーンの飛行体を見上げていた。

 海軍の将校を兄に持ち、海軍上がりの航空機のパイロットと離婚した経歴を持つ、アメリカ人の女性と会話する間、「僕」の眼に映じる風景の中には、米軍を想起させる断片が幾つも埋め込まれている。それは一見すると何気ない叙景に過ぎないが、こうした描写が「意図的ではない」と考えなければならない特別な理由は存在しない。繰り返し強調するように書き込まれる「アメリカ」と「兵隊」に関する記述は、単なる作品の彩りでも飾りでもなく、或る「使命」や「役割」を背負ったものとして解釈されるべきだと私は思う。

 そして改めて強調するまでもなく、この短い小説において最も重要な意義を担っていると考えられるのは、語り手の「僕」がたびたび見掛ける車椅子に乗ったアメリカ人の青年である。彼の素性に就いて、私たち読者が明確に知り得る事実は限られている。因みに私は、今回「ハンティング・ナイフ」を再読するまで、彼が「アメリカ人」であると明記されていることを見落としていた。

 彼が何者なのかを考え、推測し、何らかの仮定的な答えを導き出そうと努めることは、この作品に嵌め込まれた様々な「意味の萌芽」を掴む上では、不可避の作業である。だが、彼の正体を見極めることは少しも容易ではない。具体的な記述を一つずつ拾い集めて、見通しの良い展望を少しずつ手作業で拵えていく以外に方途はない。

 だいぶ長くなったので、続きは次回に引き継ぐことにする。

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女

 

 

「存在しないものだけが美しい」という理念 2

 「存在しないものだけが美しい」という理念は、あらゆる倫理と対立する、若しくは倫理的なものと無関係に存在する命題である。存在しないものであるからこそ、美しく感じられるという精神的な構造には、絶えず死臭が染み込んでいる。

 無論、あらゆる「美しさ」が必ず倫理的な価値観に背反するなどと暴論を吐きたい訳ではない。重要なのは「存在しないものだけが美しい」と感じる精神的な機制が存在すること、そうした特異な(同時に一般的でもある)精神的機制の特質に就いて考察を重ねることである。

 存在しないものだけを特別に美しく感じる種類の精神的機制が、眼の前の具体的な「存在」に対する嫌悪や絶望から分泌されていることは言うまでもない。三島由紀夫の「金閣寺」の場合には、吃音によって外界から隔てられた「私」の内面において、外在的な「現実」は、どうしようもなく接続の困難な領域である。人が具体的且つ外在的な現実に対する己の「無力」を切実に痛感するとき、それが外界への積極的な介入に帰結するか、それとも内界への退却と逼塞に帰結するかは、各人の精神的条件に応じて異なるのが普通である。

 現実との積極的な交渉が困難であるような個人にとって、その困難の理由が如何なる条件に基づいているかということに関わりなく、秘められた欲望が空想的な領域へ接近していくのは特殊な現象ではない。金閣寺への放火は特異な事件であろうが、そのような事件の勃発を準備した個人の内的な機制は少しも特異ではない。「現実の金閣」よりも「心象の金閣」を美しいと感じ、その精神的な現象に固着する人間の生存の形式は、私たちの暮らす社会では寧ろ凡庸なほどに有り触れている。

 例えば「欣求浄土・厭離穢土」という言葉に象徴される仏教的な救済の観念は、現実に対する蔑視を含むと同時に「存在しないものへの強固な憧憬」によって裏打ちされていると言える。キリスト教イスラム教も含めて、死後の世界に関する種々の想念を有する宗教的な体系は、こうした「存在しないものの美しさ」に対する強烈な欲望によって駆動し、成立しているのである。言い換えれば、それは「彼岸に対する欲望」であり、その内実を客観的に眺めるならば「死に対する欲望」ということになるだろう。

 死ぬことが齎す幸福な幻想、それが宗教に限らず、人間の精神の様々な局面において登場する根強い欲望の形式であることは論を俟たない。「金閣寺」の語り手は「彼岸」の象徴である金閣を焼き亡ぼすことによって「生きること」への倫理的な回帰を試みた。新海誠監督の「君の名は。」においては、それは瀧と三葉の現実における邂逅によって置き換えられる。若しも瀧と三葉の相互的な恋情が「存在しないものへの欲望」に留まり、固執し続けるのであれば、彼らはあのような形で再会するより、黄昏の一瞬の邂逅を追憶の頂点に据えた上で、永遠に「出逢わない二人」として生き続けるべきであった。しかし、彼らは現実的な邂逅を通じて「存在しないものへの欲望」を「存在するものへの欲望」に、半ば強制的に転換させられることになる。そこから始まる「結婚」のフェーズは、彼らに「現実への蔑視」を棄却することを命じるに違いない。どんなに醜悪な現実も受け容れ、決して「邂逅することの許されない二人」という悲劇的な関係性に安住することなく生き続けること、それは虚無的な美しさの象徴としての「金閣寺」を焼き払うことと、倫理的な意味においては等価であると私は思う。

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