サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

愛憎十句

一  此間は ご馳走様と 恋敵

ニ  五月雨や 小野妹子の 墓探す

三  墓前には 菊花聖書と 賀茂泉

四  さようなら 雨降り小径 青蛙

五  淫乱な 夜更けが迫る 塩含嗽

六  樹皮を剥ぎ 生成りの肌に 辞世の句

七  もう二度と 逢わないはずだ 靴を履く

八  新聞に 嘘つきが載る 長州の

九  総州に 驟雨近づき 早帰り

十  しわしわの 離婚届が 宙を舞う

サラダ坊主の推薦図書5選(批評篇)

 今回の記事の趣旨は、表題の言葉に尽きている。私の個人的な推薦図書を五冊、称讃の為に羅列したいということである。少なくとも、読んで後悔することはないだろうと思われる選書の積りである。

坂口安吾堕落論」(角川文庫) 

堕落論 (角川文庫)

堕落論 (角川文庫)

 

  坂口安吾という作家の魅力は、その自由闊達で機敏な思索の破壊力に存すると思う。あらゆる固定観念や因習を振り払い、叩き壊そうとする鋭利な舌鋒は、厭味がなく、自己の短所を棚上げすることもなく、実に爽快で明朗だ。

 彼は小説家であると同時に、優れた批評家でもあった。寧ろ、小説家である以上に批評家であったと言うべきなのかも知れない。彼の眼力は常に明晰に事物の本質を穿ち、しかも右へ左へ徘徊する臆病な論理的停滞とは無縁である。別の言い方をすれば、彼の作家としての力量は必ずしも「小説」という近代的な様式に拘束される必要のないものなのだ。

 彼の批評的な随筆の類を読んでいるときの異様な爽快感は、何に由来するのだろうか。様々な事柄を次から次へ忙しなく取り上げる手つきは何とも移り気で、壮麗な伽藍を営々と築き上げていく体系的な学者の仕事とは対蹠的な性質を備えている。彼は作家なので、書かれたものの中身も文学的な話柄に関連する場合が多いが、必ずしも彼の眼力の対象は「文学的なもの」だけに留まらない。つまり、彼は文学者という古臭い肩書に囚われる偏狭さとは無縁なのだ。小説家だから、小説のことだけを考えていればいいという寡黙な職人を思わせる方針とは、全く相容れない人物である。無論、こういう問題は、いわば楯の両面のような話であり、裏返せば坂口安吾という作家は、創造者という観点から眺めれば余りに観念的な饒舌を好み過ぎる傾向があったのではないかと思われる。「堕落論」や「日本文化私観」といった代表的なエッセーに比較すると、彼の小説的な実作に対する評価は、相対的に低いのではないだろうか。「夜長姫と耳男」のように特権的な高評価を受けている作品もあるが、今更「風博士」や「白痴」を夢中になって耽読するということは難しいように思う。

 「堕落論」(角川文庫)には、坂口安吾の代表的なエッセーが網羅的に収録されているので、彼の著作に触れたことのない方々には好適の入口であると私は思う。「論」という言葉が表題に添えられているので、小難しい理窟に付き合わされるのではないかと身構え、ページを捲る前から辟易する早合点の読者もおられるかも知れないが、それは大いなる謬見である。坂口安吾が何かを論じるときの書きっぷりは、決して堅苦しく言い訳がましい、防禦的なものではない。自己の経験と見識に対する素朴な自信に裏打ちされた、清々しい断定が次々に提示され、読み替えられ、乗り超えられていく。恐らく彼の思索は慎重な論証よりも、軽快な舞踊を好んでいるのだ。もっと言えば、彼は単なる評論家を気取っているのではなく、従って論破されたり揚げ足を取られたりすることにも躊躇しない。だから、慎重な歩行によって少しずつ明確な体系を築き上げていくという誠実な、そして退屈な作業とは相容れない。彼には良くも悪くも「鈍重さ」が足りない。無論、それは彼の美質と切り離し難い人間的要素である。

 何かを論じるということは、必ずしも万人に認められる正解だけを語るということではない。重要なのは自分自身の経験と見識に就いて、力強く表明することである。坂口安吾の観念的な饒舌には熱い血潮が通っている。彼の論理は手榴弾のように爆発的で、破壊的で、そして断片的である。

 

寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」(角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 寺山修司という多面的な表現者には、何故かいつも得体の知れない胡散臭さのようなものが付き纏っている。短歌や俳句といった短詩型文学の強烈な新人として出発し、晩年には劇団「天井桟敷」を主宰する表現者として、その短くも華やかな経歴を築き上げた寺山の生涯には、異様な疾走感と共に、底知れぬ不透明さが絶えず伴走している。

 現行の「書を捨てよ、町へ出よう」(角川文庫)に収録された文章が、私の手許にある旧版と同じ内容であるか確認していないのだが、この一冊に纏められたエッセイの猥雑な多様性は、寺山修司という人物の驚嘆すべき多様性の反映であると思われる。彼には若者を煽動する情熱的な宣教師のような側面があり、その思想的な広がりは、彼が単なる芸術家ではないことを明確に立証している。

 坂口安吾にも言えることだが、寺山修司という人物は一貫して「自由」という理念に向かって、思索と行動の総体を練り上げていたように思われる。坂口も寺山も共に「家庭」という理念に対する反発と攻撃を、自らの人生における重要な「規矩」の一つに計上している。その意味で、彼らは頗る典型的な近代主義者であったと言えるだろう。彼らは個人の「自由」を束縛するものの弊害に就いて熟慮を怠らない、筋金入りの「跳ねっ返り」であった。その反骨精神が、彼らの文章に清々しい疾風の手触りを齎している。

 寺山修司の文章には、絶えず抽象的な観念と具体的な個物との間を往還し、それらを同時に稼働させているような感覚が備わっている。その「往還」のダイナミズムが、寺山の文章に漲る刺激的な魅力の源泉なのだろうと私は思う。具体的なものと抽象的なもの、これらの取扱に関して人間の適性は分裂することが多いと思うが、寺山修司の強靭な知性は何れかに偏向することを自らに許容しない。

 尤も、その根源的な資質が極めて言語的なもの、観念的なもの、ロジカルなものによって構成されていることは厳然たる事実であろう。だからこそ、彼は演劇的なもの、肉体的なものの跋扈する世界への移行に、己の後半生を捧げたのではないだろうか。こうした点も、坂口安吾に類似していると言えなくはない。或いは三島由紀夫も。徹底的に「言語」に憑依された抽象的な人間であるからこそ、反動のように「肉体」と「非言語」と「感受性」の世界に強烈な憧憬を懐いてしまう。そうした振幅が、彼らの思想を否応なしに膨張させ、尖鋭化させたのである。

 

三島由紀夫三島由紀夫文学論集」(講談社文芸文庫

三島由紀夫文学論集 I (講談社文芸文庫)

三島由紀夫文学論集 I (講談社文芸文庫)

 

 三島由紀夫は、小説、戯曲、評論と、極めて多面的な才能を発揮した戦後日本最大の作家の一人である。何より、その犀利な知性が紡ぎ出す鋭利な省察の数々を鏤めた種々の評論文は、彼が職人的な物語作者の範疇に留まらない傑物であったことを、今も燦然と立証している。尤も、その鋭利な頭脳ゆえに、小説の出来栄えの技巧的な臭気を批判されることが多かったのは、避け難い事態であろう。

 旺盛な創作活動の絢爛たる連峰に比べれば、批評家としての三島由紀夫の才能が巷間に充分膾炙しているかどうかは心許ない。だが、ここに掲げた文学評論の集成を繙けば、その刺激的な思索の冴えと躍動感に、誰しも知的な興奮を掻き立てられるに違いない。市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた右翼の狂人、という不名誉な偏見に縛られて、その優れた巨大な才能を黙殺するのは実に勿体ない話である。実際、三島由紀夫の文業と人柄に関する毀誉褒貶の劇しさは眩暈を覚えるほどで、人によって様々に好悪の分かれる作家であることは疑いを容れない。だが、その余りに卓越した明晰な頭脳が紡ぎ出す文章には、行き届いた機智が活発なトビウオの群れのように躍動している。文学や芸術に関して、或いはモラリスト的な「人間の省察」に関して、これほど魅惑的で滋味のある言葉の列なりを生み出せるということは、尋常ならざる才能である。

 

柄谷行人「意味という病」(講談社文芸文庫

意味という病 (講談社文芸文庫)

意味という病 (講談社文芸文庫)

 

 柄谷行人は、戦後日本で最も精力的な活動を持続してきた健筆の批評家の一人である。老境を迎えた今も猶、憲法に関する著作を世に問うて話題を集めるなど、現役を退く気配すら窺わせていない。

 「文学」に愛想を尽かした旨の発言を繰り返すようになって既に久しいが、氏の華麗なる批評家遍歴の出発点は、夏目漱石に就いて書かれた「意識と自然」という鋭利で独創的な論文であった。その文章は極めて観念的な主題を取り扱っているにも拘らず、センシュアルな魅力を湛えており、尚且つ異様な疾走感に満ちている。私個人は、政治や経済、哲学に関する後年の厖大な言説よりも、初期の柄谷氏が知性の躍動に導かれるままに書き綴っていた文芸評論の類を愛する。小説という、或る意味では不透明で奇怪な生物から、極めて明晰で硬質な論理の鎖を巧みな奇術のように引き摺り出す、その神憑りめいた手腕には過去、多くの読者が圧倒されてきただろうし、そして今後も変わらずに圧倒され続けるだろう。

 評論集の表題に選ばれた「意味という病」は、シェイクスピアの悲劇「マクベス」に就いて書かれた論文である。私はシェイクスピアの戯曲を読んだことも、芝居を観覧したこともない。にも拘らず、この「意味という病」が私にとって、極めて刺激的な知性の格闘として感じられたのは、改めて考えてみれば奇怪な現象である。それは柄谷行人の文章が単なる「マクベス」の註釈に留まるものではないからだろう。彼は文学作品を通じて、様々な事柄に就いて実存的な思索を展開し、それを自らの生きる糧に変えている。そうでなければ、批評など退屈な観念的児戯に過ぎない。日本語で考える以上、柄谷行人の著作に指一本触れないという選択は容認されないだろう。

 

江藤淳「作家は行動する」(講談社文芸文庫

作家は行動する (講談社文芸文庫)

作家は行動する (講談社文芸文庫)

 

 江藤淳の文章には、独特の「侠気」が宿っている。柄谷行人と同じく、夏目漱石という明治期の偉大な文豪から薫陶を受け、重大な影響を蒙った彼の批評は、侍を思わせる端正で力強い措辞に濫れている。

 「作家は行動する」という一冊の稀有な書物が、体系的な理論書であると言うよりも、若人の奔騰する情熱によって綴られた鮮烈な信仰告白に感じられることは、実証的な学問の観点から眺めれば深刻な瑕疵であろうが、一般の読者にとっては必ずしも不満の原因とはならない。あらゆる文学作品と作家の実存的な特質を、紡ぎ出された「文体」の次元から捉えようとする彼の試みが、主観的な印象批評の範疇を確実に超越していると弁護し得る根拠は乏しい。だが、それゆえに彼の磨き抜かれた眼力の鋭さと柔軟さが却って際立つのだと、言えるのではないだろうか。徹底的に「文体」の次元から、文学の本質に遡行しようとする若々しい企ては、体系的な理論には昇華され得ないが、だからこそ縦横無尽に動き回る「批評」のセンシュアルな手触りが随所に漲るのである。

 江藤淳は、韻文的な感傷を好まぬ人であった。或いは、ミラン・クンデラのように小説という近代的な芸術の価値を「反抒情的な詩」という性格に見出している人であった。恐らく、その堅固なストイシズムが、彼の文章に侍の風格を附与しているのだろう。彼の鋭利な筆鋒を味わうことは、己の惰弱を断ち切ることに類似している。

勤人十句

一  終電の 光を浴びる 瓶麦酒

二  昨夜から 下痢のとまらぬ 失業者

三  函入りの 娘が家を 出て十年

四  保険屋に 脅され屋根の 修理する

五  陰惨な 記憶と共に 夏の月

六  淋しいと 言われて肩を 叩かれて

七  作業着に 口紅ひとつ 闇ふたつ

八  落雷の 間際の駅に 折り返す

九  東京の 端に暮らして 君は死ぬ

十  持ち家の 夏の蛾が這う 磨り硝子

「勇気」に就いて

 勇気を持つことは、誰にとっても簡単な行為ではない。勇敢であること、様々な艱難を懼れないこと、不安や絶望に呑み込まれないこと、あらゆる先入観を信じないこと、これらの崇高な資質は、万人によってその意義を承認されながらも、実践の現場においては様々な艱難によって打ち砕かれ、その全面的な発揮を妨げられている。

 勇気というものは、不透明なものに対する挑戦の気概である。従ってそれは、直ちに無軌道な蛮勇へ堕落する危険を孕んでいる。だが、考えてばかりいることが、つまり何も行動を起こさずに観念的な妄想に似た推論ばかりに日月を費やすことが、蛮勇よりも正当であり、健全であると言えるだろうか? 実際に行動して確かめてみること、不安定で陰惨な未来図を覆せるかどうか、具体的な実践を通じて、生身の肉体を用いて探究すること、それは無意味な思索の何倍も稔り豊かな選択である。行動を忌避する人間に限って、尤もらしい、聞き齧っただけの半可通のロジックで、何もかもを見通した預言者の如く振舞いたがるものだ。言い訳、釈明、自己弁護の為に用いられる、退屈で意味の通らない、泡沫のような論理の群れ。真実を掘削する為ではなく、寧ろ真実を積極的に糊塗し、恣意的な虚飾によって蔽い隠す為に組み立てられる、馬鹿げた言葉の伽藍。そういうものを蹴散らすことが出来るのは、単純な真実に直面することを辞さない「勇気」だけである。勇気とは即ち、真実を懼れないこと、偽りを真実と混同しないことなのだ。

芸術と「quality」

 芸術というジャンルが特殊であるのは、それが如何なる意味でも「クオリティ」(quality)が総てであるという苛烈な構造的条件に貫かれているからではないかと、私は思う。

 芸術という人間にとって根源的な営為が、商業的な原理に巻き込まれることが何ら珍しくない現代の状況において、高踏的な芸術というものの価値は限界まで下落しているように見える。その理由は簡単で、端的に分かり難いものや敷居が高いものは「売れない」からである。売れないものは当然のことながら然るべき利潤を確保し得ないので、資本主義社会の泥沼においては評価されない。こうした考え方は、私たちの精神に深々と陥入して既に久しい。

 だが、本来ならば「芸術」というのは、その完成度やクオリティが至高の、そして唯一の価値を孕む領域である筈だ。そこに「採算」や「生産性」や「効率」といった概念が関与する余地はない。どれだけコストが低くても、下らないものに価値はない。コストがどれだけ見合わないほど厖大であっても、その価値さえ特権的な高みに到達しているのならば、あらゆる損失は無条件に免罪される。それが芸術の本懐であるべきだ。

 芸術作品はプロダクトではなく、その価値は売上や利益といった商業的な規矩によっては判定され得ない。だが、現代的な産業の現場においては、売上や利益といった指標が総ての価値に優先する。それは当たり前の話で、金儲けにおいて利潤が重要な意義を担うこと自体は少しも不当な現象ではない。商業の現場において、利潤を確保しないことは明確な罪悪であり、利潤を生み出さない総ての行為は不毛な害悪として排斥されるに決まっている。問題は、そうした領域に「芸術」という奇怪な営為を接続することの妥当性に存する。

 現代の一般的な企業の現場に属する限り、生産性の向上は絶対的な理念であり、不合理な営為は悉く排除されねばならない。利益に寄与しない不毛な行為を省略し、放逐することは、健全な改善と看做される。それは商業を支え、資本主義を支える根源的な摂理である。私自身、そうした風潮には随分と深く埋没してしまっている。そういう人間にとって、つまり産業化された人間にとって、利益を増大させる為の総ての合理化は称讃されるべき正義なのだ。そうした考え方を正しく理解せずに漫然と業務に取り組んでも、望ましい結果が齎される可能性は乏しい。

 だが、実業家的な考え方に囚われた人間は、芸術というものの本質と常に疎遠な場所に立っていることになる。芸術は、産み出された価値が総てであり、しかもその価値は金銭によっては置き換えられない、測定不能の性質を有している。芸術は常に「究極的な価値」を志向し、その境地へ達する為ならば、如何なる浪費も迂回も容認される。実業家は、そのような「究極的価値」への絶対的な希求とは関わりを持たない。実業家が探し求めるのは、価値とコストの均衡であり、その最も適切な関係性である。価値さえ得られれば、如何なるコストも容認されるというのは、健全な実業家の方針とは相容れない。素晴らしい作品も、それが採算に合わないのなら、商業的な観点から眺めれば無価値である。問題は、こうした二つの異質な基準を安易に混同してしまうことだ。これらの異質な基準は軽率に混ぜ合わされることによって、奇妙で醜悪な腐敗を喚起することになる。

 温厚で鷹揚なパトロンの庇護下に置かれ、誰に気兼ねすることもなく、純粋に至高の価値を探究するという往古の芸術家の境遇は今日、絶滅の危機に瀕している。芸術を生み出す為の営為が、金銭的な支援を受けない限り成立しないのであれば、誰しも多かれ少なかれ、芸術を換金する為の資本主義的な錬金術に色目を遣わない訳にはいかない。だが本来、芸術という営為は、裕福な生活とは直接的な関連を持たない筈ではないか。それが標準的な状態であることを閑却させるという点で、芸術における臆面もない商業主義は強力な毒性を孕んでいると言える。

中上健次の文業

 私は中上健次の熱心な愛読者という訳ではないが、その独特な文学世界には昔から持続的な関心を懐き続けてきた。彼の作品に就いては、柄谷行人を筆頭に、既に多くの言論が蓄積されている。それら怒涛のような論評の嵐に触れれば、中上健次の文学的時空の奥深さは直ぐに肌身で理解されるだろう。

 だが、そういった種々の観念的な論説が、中上の作品に与えている異様な磁場のようなものの弊害を、全く見過ごすというのは正当な態度ではないと私は思う。論じることは、事物に関する見通しを良くする為の営為であり、その過程で多かれ少なかれ、何らかの観念的な図式化の手続きが介入するのは避け難い成り行きである。だが、或る種の完成された強力な磁場のような論説に阻まれて、却って見えなくなる要素が存在するということは、予め心得ておくべき項目であろう。一つの立場、一つの図式が排除する細部に敢えて意図的に着目することで、異なる見え方が成立するということは、有り触れた話だ。

 柄谷行人の批評は、彼が生前の中上と深い、特別な親交を結んだ人物であったという歴史的な事実も相俟って、段違いの説得力を備えて読者の鼓膜に語り掛ける。勿論、それが一つの有効な視座であることは疑いを容れないが、そのような論説が絶えず前書きのように中上健次の文学に付き纏うのであれば、それは作品にとって必ずしも望ましい事態であるとは言い切れないだろう。

 中上健次の文学を、その具体的な読書経験の内容を反芻して、そこに何らかの理窟を、体系を、合理を樹立しようと試みる。無論、それは作品に刻み込まれた「意味」を理解し、作品そのものの構造を把握しようと試みる上で必要な行為だが、そうやって自分なりに手を尽くして拙劣な理路を築き上げようと企てる片端から、零れ落ちていく別様の「意味」の塊が存在することに意識を奪われずにはいられない。作品を所謂「大意」に還元しようとする学校教育的な文学解釈の方法に対する批判は、既に世上に氾濫しているが、私が言いたいのも結局はそういう陳腐な話である。つまり、作品を図式化することによって視野から除外されてしまう「豊饒な細部」が存在するという批評のクリシェである。

 それは確かに時に、論じることの救い難い不毛さを喚起し、論じる者を深刻な絶望の最果てへ導いていく。柄谷行人が「意味という病」(講談社文芸文庫)の後書きで、評論を草することの「抽象的な貧しさ」に就いて触れていたように、論者は絶えず図式化に附随する御都合主義に直面し続けることを強いられた、不幸な生き物なのだ。論じることは、創造することに比べれば遥かに貧相な営為であるという一種のドグマは、私たちの属する社会では強烈な説得力を孕んで息衝いている。実際、私は中上健次の作品に象嵌された数々の解釈し難い「細部」を恣意的に捨象することで初めて、何らかの図式を作り上げることに成功するのだ(それが「成功」という表現に値するかどうかは別の問題である)。そうやって何かを語った積りになっている瞬間に、私は大事な何かを見落としているかも知れない。「水の信心」が何を意味するのか、「ヨシ兄」の重要な存在感を如何なる理由に基づいているのか、そういった細部の問題を捨象しなければ、あの長大な「地の果て 至上の時」を何らかの枠組みへ還元することなど出来ない。だが、そもそも図式に還元することに、本質的な価値が備わっているのだろうか。無論、それは作品を深く理解する為である。だが「深く理解する」とは一体、どういうことなのだろうか?

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

 

 

意味という病 (講談社文芸文庫)

意味という病 (講談社文芸文庫)

 

 

「苦悩」に就いて

 幼い頃、私は真面目な優等生というタイプの人間であった。幼稚園に上がるか上がらないかという頃から、公文式へ通わされていた御蔭で、小学校に上がってから暫くの間は、勉強に躓くということがなかった。テストは満点を取るのが当たり前で、先生や級友の保護者から称讃を浴び、未だ素直な級友たちから尊敬の眼差しを向けられることに慣れ切っていた。

 そのままの調子でずっと歩んでいけたのならば、私はもっと優秀で、絵に描いたような社会的栄達に辿り着いていたかも知れない。或いは、それでも結局、何処かで致命的な挫折を味わって、平々凡々たる境遇に落ち着くことになったかも知れない。無論、存在しない未来に就いて彼是と論議を尽くしても馬鹿馬鹿しいだけで、良くも悪くも、自分の選んだ道筋だけが、自分の人生の結果なのだという現世の真理に、異論を唱える積りは微塵もない。

 要するに私が自分自身の半生(たかだか三十一歳の身空で「半生」などとは大仰極まる話だが)を振り返って言いたいのは、人生というのは全く予想もつかない方向へ逸れていくものなのではないか、ということだ。事前の想定を裏切るということが、人生という難儀な営為の本質なのではないか、と考えたくなる。幼い頃の私は、馬鹿馬鹿しいくらい真面目な優等生の衣裳を纏っていた。しかし、中学生くらいから己の「優等生という自己定義」に不愉快な、屈折した感情を懐くようになり、寧ろ私は進んで「逸脱」を求めるような、奇妙な「変節」に搦め捕られるようになった。尤も、そのことを私は聊かも悔やんでいない。昔から私は、過去を思い出して後悔するという精神的な習慣と無縁の男である。起きてしまった現実に就いては、逃げも隠れもせずに対峙するというのが、私の自然な信条なのである。

 大学を中退し、離婚歴のある子持ちの女性と二十歳で結婚し、会社を幾度も変え、時には職場放棄に踏み切って大騒ぎになったこともある。周囲の反対を押し切って結婚に踏み切ったのに、たった五年半で離婚した。こういった経歴は余り褒められたものではない。特に、小さい頃の真面目な優等生としての自分を顧みると、二十代の季節に私が潜り抜けてきた修羅場の数々(大した修羅場ではないと感じる人も少なくないだろうが、当事者にとっては、それなりに苛酷な経験の連続だったのだ)は、全く突拍子もない「逸脱」に感じられる。今になって三十一年間の半生を思い返すと、何と言えばいいのか、当初の予定とは全く異なる方角へ、只管に押し流されてきたような気分になるのだ。繰り返すが、私は現在の境遇に不満を述べている訳でも、自分の過去の選択を悔やんでいる訳でもない。巧く言葉に置き換えられないのだが、私はずっと私なのに、何時の間にか、全く知らない自分に生まれ変わってしまったような感覚に囚われることがあるのだ。

 元々私は、非常に小心者である。だが、私は何となく漠然とした感想として、自分は逆境に強い人間なのではないかと、考えることがある。或いは、逆境に強くなったと言うべきか。いや、若しかすると、小心者であることと、逆境に強いことは、必ずしも矛盾しないのではないか。

 起こってしまった出来事に就いて、私はそれを否認しようとは思わない。それが如何に苛酷な現実であったとしても、その現実に手酷く痛めつけられたとしても、私はその現実を否認しようとは考えない。或いは、否認したところで、どうにもならないような現実ばかりを踏み越えるうちに、そのような価値観や信条が培われたのかも知れない。例えば離婚したとき、或いは離婚の話が持ち上がったとき、私は非常に苦しんだ。余りにも苦しくて、夜も眠れなかったり、職場で吐き気を催したりしたこともあった。自分は「無価値な人間」なのだと、本気で思い詰めたこともあった。だが、私は完全に潰れることなく、生き延びてきた。その理由は、何なのか。自分自身の精神的な傾向から、その原因の手懸りを探り出すとするならば、それは私が「悩みの状態に留まる持久力」を持っているからだと思う。無論、これは飽く迄も根拠の曖昧な、主観的な自己認識に過ぎない。

 私は元来、考え込むタイプなので、それこそ「離婚」のような典型的危難に逢着すると、徹底的に悩み抜いてしまう。行住坐臥、如何なる瞬間にも、その問題に脳味噌の中身を吸い込まれてしまうのだ。しかし、それによって精神的に破綻した例がない。仕事で思い悩み、剰え職場から逃亡した経験もある私が、精神的に破綻していなかったのかと問われれば、若干疑わしい部分もあるが、少なくともそのとき、私は職場に戻って、大嫌いな上司の下で再び働くことに同意したのである。

 過度に悩むことで精神的な破綻に至る人は少なくない。しかし、私はどれだけ思い悩んでも、必ずその先へ光を見出して、辛うじて生き長らえてきた。その意味では、私は馬鹿馬鹿しいほど根源的なオプティミストである。

 若しかすると、私は彼是と思い悩むことが好きなのかも知れない。徹底的に脳味噌を酷使して、埒の明かない問題に就いて思索を巡らせることが好きなのかも知れない。そうでなければ、こんな雑記だらけのブログを営々と更新する理由が見当たらない。だから、深刻な「苦悩」の状態に閉じ込められても、最終的には、その息苦しい洞窟を踏破することが出来るのだろう。悩み続けるうちに、合理的な解決策を見出せずとも、大抵の問題は、時間の経過に伴う環境の変化や、心理的な変化によって自ずと解消されていくものだ。或いは「問題が問題であることを止めてしまう」と表現した方が、より適切であるかも知れない。考え抜くうちに、徐々にその問題の無意味さや、根源的な抗い難さが視界に映じるようになる。そこまで進むと、苦悩は自然に燃え尽きてしまう。その繰り返しが、私を精神的な破綻から救済してきたのだろう。