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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「まず読んでみる」という蛮勇に就いて

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 最近、岩波文庫に収められたハーマン・メルヴィルの「白鯨」を読んでいます。最初に「白鯨」という作品に触れたのは恐らく小学生の頃で、両親が同じ団地の知り合いから譲り受けた大判の「世界文学全集」(確か講談社の発…

異様な饒舌と「逸脱」への熱量 ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 1

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 アメリカの作家ハーマン・メルヴィルの有名な長篇小説「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)の上巻を読み終えたので、感想の断片を書き遺しておきたいと思います。実は昨年の春にも、この「白鯨」という難攻不落の叙事詩に挑…

「小説」と「人事」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 偶には趣向と気分を変えて、敬体の文章で記事を書いてみたいと思います。 特に深い意味はありません。単なる気分の揺らぎの問題です。 気持ちとしては、演壇に登って一席弁じているような感覚です。 御覧の通り、「小説…

サラダ坊主風土記 「佐倉」

此間の土曜日に、家族と共に佐倉ふるさと広場で開催中のチューリップフェスタというイベントに出掛けてきた。 本当は千葉市の猪鼻城(「亥鼻」とも書くらしい)へ桜でも見に行こうかと、幕張から千葉へ向かう京成電車に乗り込んだのだが、中吊りの広告でチュ…

抽象と断罪 三島由紀夫「午後の曳航」

三島由紀夫の「午後の曳航」(新潮文庫)を読了した。 この作品に限らず、三島文学の普遍的な特質と言える要素なのかも知れないが、今回「午後の曳航」を通読して改めて感じたのは、その文体や構成の根本的な「明晰さ」である。様式美と言い換えてもいい。三…

「ツバメたちの黄昏」 四十二 南蛮の潮風

冴え渡るような純白の砂浜が、飢渇に追い詰められた憐れな船乗りたちの乱暴な着岸を黙って受け容れてくれた。有難いことに、三日三晩の漂流の末に漸く遭遇することの出来た陸地へ縋るような想いで漕ぎ着けるまでの間、私たちの隠避船の行く手を妨害する不愉…

書くことで癒やされるものがあるのならば

今、僕は語ろうと思う。 もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。(…

方法と主題

文学作品を論じるに当たって、表題に掲げた「方法」と「主題」は相互に対立する観念として峻別されることがある。無論、一つ一つの作品が何らかの「方法」と「主題」の複雑なアマルガムとして形成されていることは明白な事実なのだが、何れの観念を重視する…

「少年性」をめぐる惨禍 大江健三郎「飼育」を読んで

大江健三郎の芥川賞受賞作である短篇小説「飼育」を読み終えた。 作家の初期の傑作長編小説として名高い「芽むしり仔撃ち」にも通底する独特の空気を湛えた、この美しい小説は、独自の文体を駆使して、無垢であると同時に淫らで狂暴でもある「少年」の心理と…

サラダ坊主日記 500記事達成記念の辞

昨日の村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」に関する拙劣な感想文を以て、このブログの記事投稿数が500件に到達した。 無論、記事の数など幾らでも水増しが可能であり、実際にこのブログにアップされている記事は玉石混淆、或いは石ころばかりというのが実情…

境界線の彼方へ 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)を読了した。 この錯綜した筋書きを持つ長大な物語の概要を、何かしらの理論的な構図の中に縮約して織り込めるという自信は、少なくとも現在の私の持ち物ではない。敢えて私見を述べるならば「未整…

二〇一七年四月の端書(銭金の亡者)

読むことに熱心でいると、次第に書くことが疎かになるのは、難しい問題であるとも言えるし、当然の問題であるとも言える。読むことと書くこと、何れが劈頭を飾るべき要素であるか、わざわざ小難しく考えずとも、読むことが先決であるに決まっている。生まれ…

「書く」という営為は、一様ではない

チェコに生まれ、後にフランスへ亡命したミラン・クンデラは、「小説の技法」(岩波文庫)という極めて刺激的な文学論の集成に収められた「六十九語」という興味深いエッセイの中で、小説家と呼ばれる人種の厳密な定義を試みている。この定義はそのまま、ク…

経験的現実の解体 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第2部 予言する鳥編)

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(第2部 予言する鳥編)を読み終えた。 読後の印象としては、長い物語が漸く具体的に、本格的に動き出したという感じである。一巻を通じて緻密に、慎重に、丁寧に整えられていった物語の基盤が、語り手の妻であるクミコ…

間もなく、春が来る

何処の世界でも似たり寄ったりだろうが、三月から四月にかけての季節というのは、出会いと別れが目紛しく混じり合う時期で、何だか頭の中が遽しく煮え立つような心持がする。私の勤め先でも大幅な人事異動の辞令が日夜飛び交う頃合いで、一年間同じ店舗で一…

日常性を蝕むもの 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第1部 泥棒かささぎ編)

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」という長篇小説の第一巻「泥棒かささぎ編」を読了したので、感想の断片を書き留めておく。 尤も、この「泥棒かささぎ編」を通読したのは、今回が初めてではない。遡ること十数年前、私が未だ中学三年生だった頃の、高校進…

一歳児のための、記憶の里程標

三月十五日に、娘が一歳の誕生日を迎えた。 saladboze.hatenablog.com 上記の文章を、落ち着かない、ふわふわとした心境の中で一人、自宅の居間でパソコンに向かって打ち込んでから、一瀉千里に、一年間という歳月が流れ去った訳だ。そして生まれたばかりの…

視線の政治学 安部公房「他人の顔」に関する試論

安部公房の「他人の顔」(新潮文庫)を、十余年越しに読み終えた。 大学一年生の春に買い求めて途中で投げ出し、それきりずっと私の小さな書棚に埋没を続けていた一冊を、改めてきちんと通読することが出来たのは、ささやかな歓びである。折角の機会なので、…

ただ、そこにある道を往くばかり

ミラン・クンデラの「小説の技法」(岩波文庫)を読み終え、次の書物として安部公房の「他人の顔」(新潮文庫)を読み始めた。通読には未だ時間が要るので、内容に関する覚書などは差し控えておくが、滅法面白い。十年以上前、大学に進んだばかりの生温かい…

近代化の原理 2 (ミラン・クンデラ「小説の技法」に導かれて)

ミラン・クンデラの「小説の技法」(岩波文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 現代文学の最も重要な牽引役の一人に計えられ、フランツ・カフカの熱心で雄弁な擁護者としても名高いチェコの亡命作家ミラン・クンデラの手で綴られた、このカラフルで…

「絶望の螺旋」を突破せよ 乾石智子「魔道師の月」

乾石智子の「魔道師の月」(創元推理文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 前作の「夜の写本師」(創元推理文庫)にも共通して指摘し得ることだが、乾石智子という作家がファンタジーの体裁と様式を借りて執拗に追究している主題は、象徴的な言葉と…

「愚昧な子供」としての私

読まなければならない、或いは端的に「読んでみたい」と思う本は幾らでもあるのに、いざ取り掛かると案外頭に入らなくて投げ出してしまったり、一冊の読書に長い日月を費やし過ぎて飽きてしまったり、といった経験は日常茶飯事である。昔は、つまり十代の頃…

網野善彦「無縁・公界・楽」に関する覚書

網野善彦の「無縁・公界・楽」(平凡社ライブラリー)を読了したので、徒然なるままに感想を書き留めておく。 日本史に関する知識の薄弱な私には、難解な語句や意味の把握し辛い表現なども散見したが、基本的には愉しんで読み進めることが出来た。 主には「…

近代化の原理(再び「燃えつきた地図」について)

安部公房という作家は、「都市」と「沙漠」の双方に強い関心を有していた作家である。批評家の柄谷行人は「都市」と「沙漠」が共に「共同体の間」に存在する領域であることを、確か「言葉と悲劇」に収められた講演録の中で指摘していたように記憶するが、実…

多様性と画一性

ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(光文社古典新訳文庫)を漸く読了した。 この書物は「自由」という哲学的な観念を理論的に位置付ける為に書かれたものではなく、著者の視線は極めて実践的な次元に立脚しているように感じられる。体系的な論文である…

サラダ坊主風土記 「丸の内」

今日は弟の結婚式に出席してきた。丸の内の、皇居の近くにある瀟洒なホテルで盛大に挙行された華燭の典は、天候にも恵まれ、新郎新婦の晴れやかな門出に相応しい一日であったように思う。 我が家には一歳に満たぬ幼い娘が一人あり、妻は親族ゆえに留袖の着付…

「死者の眼差し」に潜む「明晰」

大岡昇平の「野火」は不穏な小説である。その不穏さは、題材の異様さ、つまり敗色濃厚な南方戦線への従軍経験という、誰の身にも平等に降り掛かるとは言い難い経験の異様さに基づいていると言えるが、無論それだけではない。語り手のメンタリティの異様さが…

人間本来無一物

車谷長吉の「赤目四十八瀧心中未遂」は、今まで読んだ中では屈指の精神的衝撃を、私の心に齎した異様な小説であった。作者の数奇な人生遍歴が彼方此方に投影されているらしいが、彼が「私小説」という文学的理念に強烈な執着を示すことで知られた作家だから…

「神なき世界」と、条理の否定(死んだのは「ママン」ではなく「神」だったのだろうか?)

アルベール・カミュの「異邦人」(新潮文庫)は、世界的にも日本国内においても非常に有名な小説だが、実際にどれくらいの数の人々が、あの決して長大でもない薄い一冊の小説を読み通して、その内容を熟読玩味しているのか、心許ないような気がする。あの有…

書斎と機械人形

縁があって「本が好き!」という書評サイトに、過去にこのブログでアップした読書感想文の類を幾つか転載し始めている。 www.honzuki.jp 古びた書棚から、暫く手つかずのまま放置していた本を引っ張り出して埃を払うように、こうして過去の記事を漁って転載…

戦後の焼け野原を疾駆する「バケモノ」の思想 坂口安吾「堕落論」について

今日は坂口安吾の「堕落論」に就いて書くことにする。 このブログでは、過去にも幾度か「堕落論」に言及したことがある。中学生時代に初めて手に取り、茹だるような夏の退屈な午後に繙いた「堕落論」の衝撃は、今も私の胸底から、その轟くような残響を掻き消…

「自由主義」という見果てぬ夢

ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(光文社古典新訳文庫)を少しずつ読んでいる。マルクスの「共産主義者宣言」(平凡社ライブラリー)と一緒にAmazonへ注文したのに、他の本を読むことに時日を費やして、居間へ店晒しにしていたのを漸く繙き始…

政治的に無力なものの「聖性」

政治的な実権を剥ぎ取られた存在が、それゆえに強大な政治的権威を保持するようになるということは、我が国においては、それほど奇怪な事態ではないように思われる。少なくとも、坂口安吾が「堕落論」の中で指摘しているように、日本古来の「天皇」という制…

「沖縄」という政治的な場所 5

今回で連載は五回目である。思いのほか書き終わらず、考究が長引いている。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 今回は、作品の掉尾に置かれた車椅子の青年の独白の引用から始めたいと思…

「沖縄」という政治的な場所 4

今回で連載四回目である。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 前回の記事で、私は車椅子の青年の発言に着目し、彼が「何もしないこと」を自らの役割として担っていることに関して、断片的な省察を積み重ねた。今…

「沖縄」という政治的な場所 3

前回の続きを書く。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 前回の記事では、車椅子の青年が位置付けられている文学的な役割に関して、一つの問いを設けた。つまり、車椅子に乗らなければ自力で移動することの難しいアメリカ人の青年の形象を通…

「沖縄」という政治的な場所 2

先日の記事の続きを書く。 saladboze.hatenablog.com 前回の記事で、私は村上春樹の「ハンティング・ナイフ」という小説を読解するに当たって、作中に登場するアメリカ人の車椅子の青年を、どのように位置付けるのかという問題が、重要な鍵を握っているとい…

「沖縄」という政治的な場所 1

在日米軍の普天間基地移設に伴う措置の一環として、沖縄県名護市辺野古の埋め立て工事が再開され、沖縄県知事の翁長氏、名護市長の稲嶺氏を中心に反発が強まっているという報道に接した。 私は人生で一度も沖縄へ足を踏み入れた経験がなく、沖縄という土地が…

「存在しないものだけが美しい」という理念 2

「存在しないものだけが美しい」という理念は、あらゆる倫理と対立する、若しくは倫理的なものと無関係に存在する命題である。存在しないものであるからこそ、美しく感じられるという精神的な構造には、絶えず死臭が染み込んでいる。 無論、あらゆる「美しさ…

グローバリズムとコミュニズム

先々週くらいから、乾石智子の「魔道師の月」(創元推理文庫)を読むことに飽きて、居間に積み上げたまま店晒しにしていた「共産主義者宣言」(平凡社ライブラリー)を鞄に入れて持ち歩き始めた。 私は共産主義という思想の意味を少しも理解していない。私の…

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の四

今回の記事で連載は最後になる(予定)。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 鴨川シーワールドは、少なくとも関東地方ではそれなりに名前の知られたレジャー施設であり、名物のシャチのパフォーマンスも観覧した…

肉声と省察(それは誰が語っているのか?)

世の中には定説として認められている考え方や、或いは一般的な常識として流布している思想信条などが無数に存在する。だが、それらの多くは主語を欠いていて、誰の発案したものなのか、明確に見定めることが難しい。 だが、どんな考え方にも、具体的な生身の…

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の三

再び紀行文の続きを書く。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 総武線快速列車の直通運転の終着駅であり、一つの重要な「境界」である上総一ノ宮駅を出発すると、次第に車窓越しの景観は仄かな南国の雰囲気を知らぬ間に纏い始めた。その薄ら…

「検索不能」という価値

世の中、誰でも何でも分からないことはパソコンやスマホで手軽に「検索」して調べるのが当たり前になっている現代社会において、相対的に「検索出来ない情報」の価値が増大していくのは、考えてみれば至極必然的な成り行きである。誰かが「情報化」したもの…

「出生」と社会的合意

典拠が何だったか、具体的に思い出せないまま書くが、先日、2016年の日本における嬰児の出生数が遂に百万人を割り込んだという報道に接した。 少子高齢化が、成熟した、古びた国家である日本の「宿命」だという論調は長い間、私たちの社会における共通の…

人工知能は、書くことの秘儀を駆逐してしまうのか?

文章作成を主務とした人工知能(AI)が実用化され、色々な方面で活躍しているという。その記事作成能力は恐るべきもので、既定のテンプレートに厖大な情報を紐づけることで、客観的な事実を伝達する為の文章を瞬く間に書き上げてしまうらしい。文法的に精…

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の二

先日の記事の続きを書く。 saladboze.hatenablog.com 前置きばかり長くなって恐縮だが、自分の好きなように書かせてもらいたいと思う。海浜幕張駅から、京葉線を経由して外房線に乗り入れる特急「わかしお」に乗り込み、私たち家族は房総半島の南東部に位置…

サラダ坊主風土記 「安房鴨川」 其の一

会社から勤続十周年の御褒美に、公休とは別に十日間の連休を貰ったので、一月下旬から二月の頭まで働かずに過ごしている。こういう機会は滅多にあるものではないので、本当ならば一週間くらい遠くへ出掛けたいところだが、一歳未満の娘がいるので、そうした…

「存在しないものだけが美しい」という理念 1

「存在しないものだけが美しい」という理念の形態に就いて書いておきたい。 予め注意を促しておくが、この「存在しないものだけが美しい」という命題は万人に公認され、あらゆる場面に普く該当するものではない。広範な領域において確認し得る強力な思想の様…

「恋愛」の危険で純粋な形象 新海誠監督「君の名は。」をめぐる断想

幕張新都心のイオンシネマで、今更ながら「君の名は。」(新海誠監督)を観賞してきた。実に印象深く心に残った作品であったので、今更ながら感想を書き留めておきたい。 この作品は日本のみならず、国境を飛び越えて海外でも幅広く公開され、好評を博してい…