読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

創作「ツバメたちの黄昏」

「ツバメたちの黄昏」 四十二 南蛮の潮風

冴え渡るような純白の砂浜が、飢渇に追い詰められた憐れな船乗りたちの乱暴な着岸を黙って受け容れてくれた。有難いことに、三日三晩の漂流の末に漸く遭遇することの出来た陸地へ縋るような想いで漕ぎ着けるまでの間、私たちの隠避船の行く手を妨害する不愉…

「ツバメたちの黄昏」 四十一 マロカ島の砂浜

四日目の明け方、すっかり体力の衰えた私は瞼を開く労力さえ頑迷に惜しんで、船艙の暗がりに薄汚い砂色の毛布と共に身を横たえ、懶惰な眠りの深淵を彷徨していた。 乏しい食糧と真水の備蓄は、公平な管理とは無縁の荒くれ者たちの手で恣意的に取り扱われてお…

「ツバメたちの黄昏」 四十 シュタージの尻尾に導かれて

それから、漂流は三日三晩続いた。 不機嫌極まりないマジャール・ピント氏の御託宣の通り、人力で櫂を漕いで乗り超えるには、錦繍海峡を抜けた先の海域は潮の流れが余りに劇しく手強かった。ウェルゲリア大陸南岸と、ラカテリア亜大陸東北部のセヴァン半島に…

「ツバメたちの黄昏」 三十九 漂流の引鉄

クラッツェルの度肝を抜くような爆発的な一撃を喰らってからの、フクロウたちの動顛と混迷は思わず哄笑したくなるほどに深刻で、滑稽に感じられた。自分たちは性悪な十字鉤を山ほど発射して獲物の航行の自由を奪い去ることに御執心でありながら、自分たちが…

「ツバメたちの黄昏」 三十八 銛撃ちクラッツェルの渾身の投擲

「だが、構うことはないとも言えるな。何れにせよ、フクロウどもの餌食になるのは真っ平御免だ」 ジグレル・クラッツェルの良識的な懸念に対して、小隊長クラム・バエットが導き出した答えの中身は随分と粗略で大雑把なものであった。最早、それは一つの組織…

「ツバメたちの黄昏」 三十七 「風花号」の悪戦苦闘

純情だが余り頭の回らない部下を抱えて業務に精励するということは、数多くの艱難を抱え込むことに他ならない。無論、部下やバエットの前で己の小さな器を悟られたくないという一心から安易な感情の虚飾に走った私の浅薄な考え方が、真っ先に批判されるべき…

「ツバメたちの黄昏」 三十六 パドマ・ルヘラン氏の分不相応な矜持

当時も今も、フェレーン皇国の界隈では帆船が主流で、崇高なフェレノ王家の威光と版図を護衛する為に国庫から潤沢な支援を受けている軍艦に限っては、油を燃やして外輪を回す最新鋭の機構が据え付けられているものもあるが、それも海軍においてさえ主流派と…

「ツバメたちの黄昏」 三十五 暗い海原を渡る「フクロウ」たち

誰でも承知していることだろうが、広大な海洋は彼方此方に人目の行き届かない未知の領域を宿しているもので、深い森や猛々しく険阻な山岳と同じく、或いはそれ以上に、公権力の緻密な支配というものから無限に解き放たれている。それは一面では政治的な圧力…

「ツバメたちの黄昏」 三十四 洋上の夜襲、艱難の調べ

遽しい出立の準備の涯に乗り出したヘルガンタの沖合の海原には、月明かりと星屑の照り返しが美しく繊細な綾を描き、吹き抜ける潮風に総身を嬲られながら、私は自分がすっかり海の男の同胞へ転身したような気がして、慣れ親しんだ凡庸な現実との隔絶に眩暈を…

「ツバメたちの黄昏」 三十三 遽しい船出

頑迷であることと、信念に忠実であること、見た目は同じようでも、実際の働きようは随分と異なる訳で、一概に良いとも悪いとも決めかねるのが、私たちの暮らす浮世の厄介な側面である。クラム・バエットが、己の信念と決断に対して頗る忠実であり、その精神…

「ツバメたちの黄昏」 三十二 狐色の頭巾の男

「結論から言えば、船は用立ててくれるんだな?」 痺れを切らしたバエットの眉間には三日月のような皺が幾つも縦に列なって見えた。頑迷極まりない性格のアルガフェラと向かい合って彼是と不毛な議論に時を費やすのは、彼の主義にも方針にも反する選択であっ…

「ツバメたちの黄昏」 三十一 アルガフェラ氏の談話

背丈が余り高くなく、髭や体毛が濃く密生していて、がっしりと逞しい骨格を有するのは、昔ながらのビアール人たちの肉体的な特徴であり、私たちの眼前で偉そうに紙巻の莨を燃やし続ける密航屋メージェン・アルガフェラ氏の風貌も、その古き良き伝統に真直ぐ…

「ツバメたちの黄昏」 三十 黄昏の密会

昼間訪れたときとは百八十度異なり、花街の場末に溝鼠のように息を潜めていた海猫亭の軒先には、鮮やかな燈光が閃いていた。中へ入ると、狭苦しい店内には肩を寄せ合って男たちが鈴生りに並び、縁の欠けた器で芳醇な醸造酒や火傷しそうな蒸留酒を次々と呷り…

「ツバメたちの黄昏」 二十九 伝統と軋轢

黄昏までの長過ぎる時間、その緊張と退屈の絶えざる繰り返しのような時間の経過の中で、私は自分が流れ着いた国境の街の風物に、虚無的な眼差しを注ぎながら過ごした。ヘルガンタは私が商館員として長く暮らしてきたスファーノ湾の港町ジャルーアと、様々な…

「ツバメたちの黄昏」 二十八 「ヤミツバメ」の穴倉

今になって思い返せば、海猫亭での一幕が、私にとっては初めて「ヤミツバメ」と称される人々の存在に触れた記念すべき瞬間であったということになる。無論、国法から逸脱して海原を秘密裡に横切ろうと試みる一種の悪党たち(それが極端に強調された表現であ…

「ツバメたちの黄昏」 二十七 不埒なる隠避船の伝統

「ダドリアの状況を知らねえ訳じゃあるめえ」 如何にも突慳貪な口調でバエットの顔を睨み据えながら、男は流し場の縁に凭れて皺の寄った紙巻の莨へ火を点けた。その眉間は深い憂愁を感じさせる皺が幾重にも刻まれ、濫れ出る紫煙に抗うように顰めっ面は、彼が…

「ツバメたちの黄昏」 二十六 巷間の抜け道に関する知識

国内、国外を問わず、極めて広範な地域から多種多様な民族と積荷が集まり、遽しく通過していく国境の商都ヘルガンタには、あらゆる港町の通例に準じて、埠頭から少し離れた界隈に賑やかで淫猥な花街の伝統を有していた。商売人の情熱を存分に発揮して、利益…

「ツバメたちの黄昏」 二十五 裏通りの密航屋「海猫亭」

舗装された埠頭の石畳を踏み躙るような荒々しい足取りで突き進むバエットの異様な健脚に、事務作業に慣れ切って肉体の鍛錬を怠っている私とポルジャー君は、息も絶え絶えに追い縋るだけで精一杯であった。急き立てられるように前進を維持するバエットの後ろ…

「ツバメたちの黄昏」 二十四 税関総局の鉄壁

「流石にハイジェリー商会の重役は一筋縄ではいかない難物でしたね。我々も改めて、今後の方針を考え直さなければならないようだ」 柔らかな午前の光が繊細に泡立っている港の明るい石畳を、私たちは複雑な心境で連れ立って歩いていた。同業者の誼を買い被っ…

「ツバメたちの黄昏」 二十三 商売敵との対峙

それは息詰まるような蒼白の沈黙に貫かれた、忌まわしい時間であった。ラクヴェル氏の冷淡で蔑みの感情に満ちた顔を、私は今でも克明に、生々しく想い起こすことが出来る。その邪悪な商館長と正面から向かい合って対峙したバエットの不敵な面構えも、未だに…

「ツバメたちの黄昏」 二十二 辺境に住まう州侯家の思惑

丁寧に撫でつけられ、櫛を入れられた白髪は綿毛のように軽やかな光沢を放ち、消し炭のように色褪せた口髭にも行き届いた手入れの痕跡が残っていた。創業百年を迎える大店の商会で、支店長の重責を任される人物に相応しい貫禄と威厳だと称するべきだろう。堂…

「ツバメたちの黄昏」 二十一 ハイジェリー商会の顔役

入港の翌朝、仕度を早々に済ませて訪れたハイジェリー商会のヘルガンタ支店は、石造りの古びた建物で、罅割れた煉瓦の隙間は暗い緑色に苔生しており、彼らがヘルガンタという街で営んできた商売の歴史の長さと重さを間接的に物語っていた。助手のポルジャー…

「ツバメたちの黄昏」 二十 苦学生エレファン・ポルジャー君の肖像

猛獣ベルトリナスとの劇しい格闘の一件以来、船路は頗る穏やかな、落ち着いた日々によって彩られた。船という洋上の密閉された空間で来る日も来る日も寝食を共にしていると、最初は険しかった新米監督官と荒事に慣れ親しんだ護送小隊の面々との間の隔壁も不…

「ツバメたちの黄昏」 十九 誇り高き炊事番の憤慨

黄昏の洋上で演じられた血腥く騒がしい乱闘の光景は、未だ雛鳥のように頼りなく歩き方も覚束ない新参の監督官の眼には鮮烈に刻み込まれた訳だが、討伐されたベルトリナスの亡骸が、翌日の晩餐の慎ましい食卓に供されることになろうとは流石に予測すらしてい…

「ツバメたちの黄昏」 十八 パーフォーヴェンの異端者

それは一瞬の出来事であったように記憶している。クラッツェルの精悍な横顔に荒々しい水飛沫が押し寄せて、引き摺られるように傾いた甲板の上を金属のバケツが音を立てて転がり、人間のものではない耳障りで不吉な奇声が長閑な夕映えの潮風に入り混じった。…

「ツバメたちの黄昏」 十七 銛撃ちクラッツェルの華々しい登場

それから俄かに船上は遽しく賑わい始め、甲板に鳴り響く囂しい怒号と靴音、それらの厖大な奔流に押し流され呑み込まれながら、私は舷側の手摺に掴まって一連の成り行きを茫然と眺めることしか出来なかった。屈強な肉体に喉笛まで覆い被さる襟の締まったシャ…

「ツバメたちの黄昏」 十六 海神様の御光臨

初夏の空は透き通る瑠璃で造った天蓋のように美しく晴れ渡り、降り注ぐ光は私たち商船員の心に明朗な希望を射し込んでいた。安閑とは言い難い不吉な航海へ乗り出す私たちにとって、その壮麗な青天白日の海原の風景は、間違いなく心の支えであり、癒しと安ら…

「ツバメたちの黄昏」 十五 国境の街ヘルガンタ、ビアムルテ州

そして瞬く間に出立の日は近付き、日頃の様々な雑役から解放された私は、その代わりに「ツバメたちの黄昏」と名付けられたダドリアへの弾薬輸送の密命に関する諸々の準備に忙殺されて、這々の体で旅立ちの当日を迎えた。 書記課事務室の同僚たちは相変わらず…

「ツバメたちの黄昏」 十四 旅立つ者の決意

打ち合わせは日没を過ぎて漸く区切りを迎え、すっかり疲れ果てた私は重たい躰を引き摺るように事務室へ戻った。同僚たちは土気色の顔を携えて現れた私に冷淡な眼差しを向けたものの、朝方のような露骨な敵意を叩きつけようとはしなかった。厭味な先輩メリス…

「ツバメたちの黄昏」 十三 三つ巴の抗争

それから始まった私たちの生命を懸けた重要な打ち合わせが、実に剣呑な雰囲気の中で進められたことは言うまでもない。葉巻を燻らせながら椅子に踏ん反り返って、商館次長による計画の概略の説明を聞き、輸送課長による積荷の詳細や「運び屋」たちの陣容に関…

「ツバメたちの黄昏」 十二 ファルペイア州立護送団の異端児

改めて振り返ってみれば、それは実に運命的で意義深い一日であったと言えるだろう。ダドリアへの弾薬輸送計画、恐らく大抵の商館員は関わり合いになることのない数奇な任務を命ぜられて、それまでの凡庸極まりない生活からは凡そ想像もつかないような日々へ…

「ツバメたちの黄昏」 十一 孤独な昼食、孤独な午後

昼餉の時間も仲間たちは私のことを遠ざけて密やかな陰口を叩くばかりで、私は久々に一人きりで商館の食堂の隅っこで食べ物を黙々と胃袋に押し込む羽目になった。彼らの的外れな嫉視と羨望が、如何に誤解に満ちたものであるかを幾ら懸命に力説したところで、…

「ツバメたちの黄昏」 十 高慢と偏見

翌日の午後、商館長の部屋で州侯殿下御下命の大仕事の打ち合わせが行なわれることになり、私は夜明け前に眼が覚めてしまうほどの緊張を強いられながら、辛うじて己の心を奮い立たせて定刻の午前八時に事務室へ出勤した。 私の暗鬱な心境を物語るように当日は…

「ツバメたちの黄昏」 九 蜘蛛の糸の如く絡み合う因縁

「何故、州侯殿下が私という人間のことを御存知なのですか」 至極尤もな質問を吐き出すと、書記課長は厳めしい眉を少しだけ和らげて、漆黒の珈琲を口へ運んだ。 「この珈琲は苦過ぎるな」 「話を逸らさないで下さい、課長」 無礼を承知の上で、私は敢えて露…

「ツバメたちの黄昏」 八 書記課長ジーレム・アステル氏による面談

商館長の呼び出しを受けた日の夕刻、日の暮れかかった薄暗い事務室で鞄に荷物を纏めている最中に、再び不吉な呼び出しが掛かって、私は暗澹たる気分で背筋を伸ばした。同僚たちは三々五々、仕事終わりの一杯を傾けようと最近流行りの呑み屋へ繰り出す算段を…

「ツバメたちの黄昏」 七 書記課事務室

要するに生贄に選ばれたのだと、館長室を辞去した後の廊下で私は思い当たった。内乱で夥しい数の難民を吐き出すほど秩序の壊れている隣国ダドリアへ、官兵の眼を盗んで弾薬を送り届けるなど、正気の沙汰ではないと一蹴するのが、健全な常識の持ち主には相応…

「ツバメたちの黄昏」 六 哀れなルヘラン氏、一世一代の大役を仰せ付かる

円形劇場の檜舞台で主役を演じる中堅の俳優のような声量で、我が敬愛する商館長閣下は昨今のフェレーン皇国を取り巻く厄介で面倒な政治的情況に就いて、有難い御高説を並べ立てて下さった。以下はその大雑把な要約である。 既に述べたところと重複するが、我…

「ツバメたちの黄昏」 五 「政情」という奇怪な地図

「君には弾薬を運んでもらう。尤も、君自身に荷物の揚げ降ろしを遣れと命じる気はない。弾薬の取扱に慣れた書記官など存在しないからね」 モラドール商館長の意想外な発言に、私は思わず総身を凍らせた。弾薬? そんな積荷をコスター商会が引き受けたことな…

「ツバメたちの黄昏」 四 隣国ダドリアの苦境

「ダドリアへ? 私が?」 思わず素っ頓狂な声で返事をした私の間抜け面を、商館長は大して面白くもなさそうに眺めて頷いた。 「そうだ。君にはダドリアへ行ってもらう」 「モラドールさん。幾ら私が世間知らずだとは言っても、流石にダドリアが内乱状態であ…

「ツバメたちの黄昏」 三 商館長モラドール氏の不吉な呼び出し

コスター商会の本店で三年間、書記官として書類仕事の基礎中の基礎、初歩中の初歩から学び抜いた私は軈て能力を認められ、スファーナレア州の州都ジャルーアの支店への転属を命じられた。鷲鼻の商館長から部屋に呼ばれて、異動の内容を告げられた瞬間の私の…

「ツバメたちの黄昏」 二 港町ジャルーアへ流れ着くまでの前段

それは或る晴れ渡った初夏の一日、すっかり黄ばんで端の曲がり始めた当時の日記を繙いて確かめてみたところ、精確な日付はバレマン暦三六五年五月三日、私は何時ものようにジャルーアの埠頭に程近いコスター商会の事務所へ勤めに出ていた。何時もと同じ、何…

「ツバメたちの黄昏」 一 コスター商会の一等書記官ルヘラン氏の回想

スファーノ湾の穏やかな海原に面した港町ジャルーアは、百年も昔から栄えてきた古色蒼然たる漁業と交易の街で、埠頭に連なる煉瓦造りの重々しい倉庫には、金銀財宝から娼婦の下穿きまで、ありとあらゆる品物が収められていると聞く。実際に倉庫の扉を開け放…