サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

創作「刃皇紀」

「刃皇紀」 第十四章 樹海の社にて 2

「停まれ!」 薄暗い天空へ向かって伸びた木々の梢から、猛禽が風を切って駆け下るように、鋭利な叱声が一行の鼓膜を力強く撃ち貫いた。弾かれたように慌てて手綱を引き、速度を緩めた獣車の鼻先に、敏捷な人影が一陣の旋風の如く舞い降りて立ち開かった。薄…

「刃皇紀」 第十四章 樹海の社にて 1

息詰まるような夜陰に覆われたギラム高地の曠野を、獣車は疾風の如く唸りを上げて、北西へ突き進んでいた。経験を積んだ傲岸不遜の馭者であるサスティオの手綱捌きは荒々しく、鞭の揮い方は残忍なほどに劇しかった。 「アラルファンから帝都へ行くには、街道…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 7

開け放たれた出窓から吹き込む夜風が、血腥い喧噪を運び、総身を包んだ。手摺を掴んで身を乗り出した途端、地鳴りのような砲声が耳を打つ。遥か彼方から、アラルファン軍事局の哨戒塔が巨大な啌気燈を紅く閃かせて、耳障りな警鐘を狂ったように打ち鳴らすの…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 6

掌を通じて、熱い水脈のようなものが徐々に流れを強めつつあるのが明瞭に感じられた。慣れ親しんだ感覚であることは間違いないが、今回は特に念を入れて集中力を高めている。指先から爪先に至るまで、濃密な念気の奔流が行き渡り、呪刀に漲る無数の呪子の波…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 5

狭苦しい居室に、無数の見えない斬撃が走っていた。互いに呪刀を抜き放って構えたまま、一歩も動かずに間合いを測り合う二人の視界には、凡そ考え得る限りの刀剣の軌跡が映じている。荒事に慣れた闇守の兵卒たちが悉く捻じ伏せられたという前評判を信じる限…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 4

開かれた扉の隙間から姿を現した若い女の露わな胸許に、ラシルドは面食らって踵を返しかけた。女の頬には涙の筋が羅(うすもの)の切れ端のように浮かび、その眼差しは見知らぬ闖入者への警戒心を漲らせて鋭く引き締まっている。 「誰なの」 尖った声音に滲…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 3

「ペンブロードの連中か」 窓辺を覆う華美な帷帳の端を捲って戸外の様子を確かめた後、ムジークは直ちに総てを了解した。三年に及んだ長い雌伏と播種の努力が、漸く収穫の季節を迎えたという訳だ。ティリアを攫えば、年老いても情欲の滾り立つ焔を御する力を…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 2

四方八方から白刃の咬み合う鋭利な音響が飛び交い、どすの利いた唸り声が犇めき合う敵手を恫喝する為に次々と鼓膜を突き上げてくる中を、三人は息を殺して俊敏な蜘蛛のように音もなく走り抜けた。誰もが乱闘に夢中で、視界に入り込む積年の宿敵を公然と斬り…

「刃皇紀」 第十三章 矜りと祈り 1

日付の変更を告げる闌刻鐘の暗鬱な響きを合図に、それまで暗がりに身を潜めていた夥しい数の武装した悪漢たちが、洞々たる闇を殺意に揺るがせて走り出した。遅かれ早かれ警事局や軍事局の役人に騒擾を悟られるとしても、当面は成る可く周囲の関心を惹かぬよ…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 8

咆哮と共に、地を這う蛇のような俊敏さで駆け出した二人を、滑らかに動き回る砲身が追い掛ける。マドンの唇に不吉な嘲笑が弧を描き、その指先が発射桿を力強く押し込むと、轟音が広がって砲口が火を噴いた。弾頭は爆発的な速度で虚空を劈き、呪草の生い茂る…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 7

帝領ゲルチェンは、パシニア大陸東岸から広大なセゾルニア洋を隔てて、セゾルニア大陸西部の沿海州に位置する緑邦帝国の属州である。元々は土着のコルメイル人が治めるゲルチェン王国の版図であったが、雷声帝の祖父に当たる秋霜帝ゴーヴァ・グリイスの時代…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 6

「ガーシュくらい吸わせてくれよ。逃げも隠れもしないからさ」 手近な葉叢に腰を埋めて胡坐を掻き、不敵な面構えを二人に向けて、サヴァイムは横柄な要求を口に出した。気の荒い警事官の蟀谷に青筋が立つのを視界の端に捉えたが、今更見苦しい命乞いや奴隷紛…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 5

タイリン平原の南東に位置し、エレドール沙漠の西端に接するラルドー湖は、国内屈指の面積と水量を誇る湖沼である。北東のカネシア山系に発するコルミダ河と、グリシオヌス連峰に発するバルクール河の夥しい支流によって形成され、沙漠化の亢進が著しいエレ…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 4

枯れ枝のような痩躯を引き摺って運びながら、ナイラーミーは静まり返った無人の大路を先に立って歩いた。その緩慢な歩行に付き随いつつ、カゲイロンは行く手に聳え立つ石積みの建物へ視線を投じた。 「大昔、あの場所には、湖畔の民の神殿が置かれておった」…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 3

八軒目の民家で漸く、一行は嗜眠症の禍いを免かれて覚醒を保っている人間と邂逅することが出来た。余りに長い歳月を堪え抜いてきた為に損傷の著しい木製の引き戸を開け放つと、不意の物音に弾かれたように顔を上げて、老齢の痩せ衰えた男が、使い古された鏃…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 2

掖門の鉄扉を押し開けると、腐った蝶番が軋んで金属の欠片が木炭の粉のように細かく散った。大柄なカゲイロンが先頭を切って上体を屈め、掖門を潜り抜けると、静まり返った集落の生温い空気が頬を湿らせるように覆い被さった。 「誰も歩いてねえな。影も形も…

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 1

「分かるか」 接収して間もない雷声宮の一室で、救国の功臣である殉国隊士たちは、春影帝セファド・グリイスの謁見を賜っていた。真新しい錦の帝袍(王族の礼服)を纏った精悍な皇帝は、陣頭に立って軍刀を振り翳し、兵士を鼓舞していた頃の埃っぽい軍服姿と…

「刃皇紀」 第十一章 影蜘蛛 6

ティリアは幼少の砌から、周りの人間に「美しい」と称讃されることに慣れ切っていた。 帝国北部、ジルクラフとの国境に近いミスルカという田舎町から、東の山間へ分け入った傾らかな斜面に、彼女の生まれたトレダ村はあった。山腹を切り拓いて均し、痩せた土…

「刃皇紀」 第十一章 影蜘蛛 5

深沈たる夜気に包まれたアラルファンの街路を、三人は黙々と歩き続けた。疎らな啌気燈に照らされて、漏れ出す吐息が白々と光る。 「後悔はしないな」 低い声で不意に問い掛けられて、フェロシュは鋭い視線をちらりと放った。 「今更、悔やむことなど何もあり…

「刃皇紀」 第十一章 影蜘蛛 4

「凄まじい剣幕だったな」 静まり返った黒い板張りの廊下を別室へ導かれながら、ラシルドは複雑な苦笑を口許に滲ませた。幾らコートフェイドが抗争の忌避を画策したとしても、絶対的な権力を有する家頭が強硬な方針に固執する限り、両家の血塗られた衝突を免…

「刃皇紀」 第十一章 影蜘蛛 3

先に立って歩くコートフェイドの背中を追って、ラシルドとフェロシュは上階へ通じる螺旋階段を登った。大兄の権勢に威圧されて辛うじて暴発を踏み止まったヴィオルたちの敵意に満ちた視線が、背後から幾重にも折り重なって飛んでくる。 「余計な揉め事は避け…

「刃皇紀」 第十一章 影蜘蛛 2

煌々と燈された篝火に、狼の髑髏を模った不吉な紋章が照らし出されていた。界隈に建ち並ぶ豪華な邸宅の数々は総て、ペンブロード家の一門の所有である。その中でも一際大きな屋敷の門前に、間違っても堅気には見えぬ禍々しい気配を纏った男たちが、人影の絶…

「刃皇紀」 第十一章 影蜘蛛 1

闇守の末裔に仕える影蜘蛛たちの栖は地下隧道の中でも一際深く潜った層にあり、水脈に近い所為か、常に濃密な湿気が蟠っている。グルタエに導かれ、ラシルドとフェロシュが足を踏み入れたペンブロード家の蜘蛛孔(くもあな)は、間口の狭さとは裏腹に奥行き…

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 6

幌屋根から路地へ身を躍らせたガルウジアの命脈は、幸運なことに未だ尽きていなかった。肋骨が一本砕けた以外には目立った傷もなく、警事局の医務室へ担ぎ込まれ、ミランサ・リャーグから派遣された医者の手当てを受けているうちに、酷使した肉体の疲弊に攫…

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 5

「早く野次馬どもを下がらせろ!」 胃の腑から突き上げるような大声で、ヴァルクリフは付き随う騎馬保安部の警事官たちを叱咤した。急報を受けて馳せ参じた彼らの行く手には、すっかり頭に血を上らせたファイサ・リャーグの人々が狭い路地に犇めき合って、口…

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 4

「お前はラルダドラドの人間か」 幌屋根の頂から突き出した棟頭(むねがしら)と称する部材に縋りついて、男は懸命に立ち上がった。然し、先刻まで驚異的な脚力を示していた下肢は頼りなく顫え、真直ぐに背筋を伸ばすことさえ難しい様子であった。 「未だ逃…

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 3

ボルワンの屋敷を辞去する頃にはもう、辺りは一面の夜陰に覆われていた。頭上には大振りの湾刀のような灰色の三日月が浮かび、寝静まった路地には人影もない。 「なかなか根深い問題のようだな」 エトルースが呟くように投げ掛けた言葉は、不機嫌な表情で口…

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 2

ミランサ・リャーグの族長であるプルドムの屋敷は、軒の低い幌屋根の家並が目立つドレイナには珍しい複層の堅牢な建物で、太い門柱には紫の奔馬の紋様を染め抜いた幟が掲げられ、草原を渡る夕刻の涼風にゆったりと靡いていた。 「我々はドレイナ警事局から依…

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 1

市域北端の駅舎と南端の警事局を結ぶイレファバン大路を除けば、ドレイナの街並を縦横に走り抜ける道筋に凡そ計画性といった概念は見当たらない。元々、タイリン平原を転々と移り住む遊牧民であったドラン人たちが、牧草の枯れ果てる厳冬の季節を乗り切る為…

「刃皇紀」 第九章 闇守の裔 7

アラルファンで家頭の娘に生まれつくということは、様々な特権に恵まれた高貴な階級の者として生涯を歩むことに他ならない。太祖緑邦帝アルヴァ以来、青雁帝マシヴァ、黄駿帝オルダーリ、黒剣帝クセルーザ、赤蘭帝ヘイルシーと続いた積極的な外征と侵略の時…