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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

書き手の論理・保坂和志のコンセプト・分業社会への苛立ちと警鐘

保坂和志という作家は、様々な文章を通じて、小説を完成された外在的な対象として取り扱う評論家的な態度を批判している。彼のコンセプトは、小説という文学的営為を「書き手の側に取り戻すこと」である。何故、書き手の側に取り戻さなければならないのか、…

「小説」の多様な生態系

話は小説に限らないが、小説ということに的を絞って書かせてもらうと、人間がそれぞれの個性というものを不可避的に備えざるを得ないことと相関するように、小説というのは実に多様な形式を取り得るし、それらは一見すると互いに全く異質な原理によって綴ら…

圧倒的な現実の渦中で忘れ去られるフィクション、或いはその変質

目の前の現実が余りに苛酷で、圧倒的なものである限り、人間の宿している内なるフィクションは窒息し、息絶えてしまう。 様々な物語、様々な空想、それらは現実との間に切り拓かれた距離の効果によって生まれるのであり、従って主観と現実との不可分な近さが…

14号原理主義者の告発

昨夜投稿した記事に関して、妻からクレームが入った。 saladboze.hatenablog.com 表題に「幕張」という文字を入れておきながら、実際には海浜幕張のホテルに関する思い出しか綴られていないが、貴方は何か考え違いをしているようだ、海浜幕張というのは幕張…

要するに「被投性」

私は難しい哲学的語彙など分からない。だが、ドイツの哲学者ハイデガーが「被投性」という特殊な造語を用いたという歴史的な事実については聞き齧った覚えがある。無論、その精確な定義を理解した上で今、この言葉をパソコンの電子的な画面上に出現させた訳…

書き留められた思い出

文章を書くということの目的は、人によって様々だろうが、結局のところ、直ぐに空中へ掻き消えてしまう日常的な会話の数々とは異なり、或る出来事なり考えなりを文字に起こして紙やデータに定着させるということは、大袈裟に言えば、生きた証を樹てるという…

作品をつくるということ

暫くブログの更新を怠っていた。昨年の夏頃から「小説家になろう」に投稿している「刃皇紀」(http://ncode.syosetu.com/n8478cu/)という小説の続きに、久々に力を注いでいた為である。 この小説を最初に書き起こしたのは2006年の夏のこと、今から丁度…

「日本的なもの」とは何か

日本的であるということ、日本という国家、社会、風土に固有の特質を表現するということ、それは日本人であり、日本語で思考することしか出来ない私のような島国の保守派には自明の行為であるように見える。わざわざ意識的な努力を積み重ねずとも、普通に暮…

仏教の中国化(「彼岸」ではなく「此岸」を重んじよ)

引き続き、末木文美士の「仏典をよむ」から触発されたことを書く。あくまでも仏教に関するド素人の私が書き綴る主観的な感想であり雑記なので、学術的な信憑性を満たすことは有り得ないが、その点については御寛恕を願いたい。 インドで発祥した仏陀の教義は…

「想像力の革命」としての仏教

引き続き末木文美士の「仏典をよむ」を少しずつ読んでいる。 私の浅墓な理解に基づいて書くのだが、仏教というのは基本的に「生老病死」に集約されるような「苦」の認識に基づいている。もっと大袈裟に断言してしまえば、私たち人間はこの世界に生きている限…

この世に生きる限り、救済は有り得ないというラディカリズム

連日このブログで、以前に投げ出したクンデラの「存在の耐えられない軽さ」を再び読み始めたと書いておきながら、数ページ読んだだけでまた興が乗らなくなってしまった。個人的な読書は社会の為でも他人の為でもなく、純粋に己の関心に基づいて営まれるのだ…

読みながら考えるということ(カフカの斧)

今年に入ってから、私の身辺はずっと慌ただしい状況が続いている。三月に娘が産まれ、四月には幕張へ建てた新居へ引っ越し、五月には人事異動で勤め先が柏市から千葉市へ移った。それらの忙しく落ち着かない状況の渦中に身を置いていると案外自覚し辛いもの…

ナルシシズムとビジネス

ナルシシズム、つまりは自己陶酔の心的機制は、傍目には極めて醜悪なものであり、多くの場合、それは人格的均衡の破綻若しくは未熟を意味するものとして受け止められる。無論、誰しも多少なりとも自己愛という感情を持ち合わせておかなければ、生きていくこ…

物語の快楽(あるいは、温故知新)

物語は、本質的に無人称的な視野から語られ、表象される。それは特定の主観的な視野から、個人の責任に基づいて紡ぎ出されるのではなく、もっと自由で不可解な視点によって統制される対象である。物語には、便宜的な始まりと終わりが設けられるが、原理的に…

「原罪」の齎す平等性の思想(「宗教的なもの」をめぐって)

私の父方の家は浄土真宗、母方は真言宗で、何れも名目的には仏教徒ということになるが、私自身は信仰心というものがほぼ皆無である。母親は宗教的な事柄には全く無関心で、自分の芸術的な趣味に興じることに専念している。一方、父親は定年退職を迎えてから…

「正しい意見」よりも「自分の意見」を語ることの倫理性

こうしてブログに投稿する記事に限らず、何らかの事物に関して私見を書き綴るとき、決して高慢に思い上がっている訳でもないのに、知らず知らず私は「自分の意見」よりも「正しい意見」を書き連ねようと試みている己に気付くことがある。無論、ブログの記事…

近未来・スチームパンク・異なるものを結び合わせること

所謂「SF」というジャンルに関する私の知識は極めて貧相な代物である。ウェルズ、ブラッドベリ、ハインライン、アシモフ、クラーク、ヴォネガットといった御歴々の輝かしい名声だけは聞き齧ったことがあるが、その実作に触れた経験は殆ど皆無と言って差し支…

「根本的解決」というラディカルな教義

仕事をしていても、或いは世間を騒然とさせる深刻で猟奇的な事件に関しても、この国の行く末を左右しかねない重大な社会的問題に関しても、問題を解決する場合には「抜本的な対策」という魔術めいた代物が要求されるのは、世の習いである。上っ面の部分だけ…

「イノベーション主義」への反発(報われることのない愚痴)

ネットに流布する西洋占星術の断片的な情報を徴する限り、私は太陽が蠍座、月が獅子座で、個人のパーソナリティを構成する最も重要なサインが二つとも「不動宮」(Fixed Sign)に属するという筋金入りの頑固者である。子供の頃から癇が強くて強情な気質であ…

俗悪と権威 (ビートたけし・クレヨンしんちゃん・坂口安吾)

ビートたけしの名前は、日本人ならば恐らく誰でも知っているだろう。今ではコメディアンとしてよりも「映画監督」としての声価の方が世界的に高まっているし、致命的なバイク事故以来の滑舌の悪化で持ち味のマシンガントークが精彩を欠いていることもあり、…

結局のところ、人は誰かの言葉を真似るしかない(「オリジナリティ」という幻想)

仕事を終えて眠る直前の僅かなひと時に、柄谷行人の「坂口安吾と中上健次」(講談社文芸文庫)を漫然と拾い読みしていたら、次のような記述に出喰わした。 この時、中上はもはや子の立場から過去を見ているのではない。自分のやっていることは、それまで嫌悪…

「分かり易さ」の功罪(最大公約数の理解力)

分かり易いということ、理解するのに努力を要さないということ、それらの啓蒙主義的な価値観は、私たちの暮らす世界では、節操を欠くほどに猖獗を極めている。その最たるものは、例えば広告収入を当て込んで製作される民放のテレビ番組で、ちょっとでも視聴…

成熟と愛情(雨降る街で)

先日、妻が産科を退院して、搗き立ての餅のように柔らかな頬の娘と共に家へ帰ってきた。束の間の索然たる独居は終わりを迎え、親子三人の新しい生活が始まった訳だ。慣れない母親業にすっかり疲れた様子の妻を見ていると胸が痛むが、娘の天使のような寝顔を…

新しい環境 新しい思想(春に寄せて)

あと数日経てば、関東のソメイヨシノも開花しそうだと、先ほどNHKのキャスターが笑顔で伝えていた。未だ肌寒い日が続いているが、暖かくなり始めれば一挙に桜が咲いて、冬のことなど忘れてしまうだろう。そうやって何度も何度も、季節は何食わぬ顔で私た…

受け継がれる生命(私的な備忘録)

全くの私事なのだが、備忘録というか、思い出の記録として書き遺しておきたいことがある。誰の身にも降り掛かるという意味では平凡な出来事だが、その当事者にとっては極めて重要な意義を有する出来事が今日、起きたのである。 2016年3月15日、娘が産…

運命論の効用について

物事には必ず原因と結果があり、その関係性を正しく緻密に把握することが出来れば、或る条件を入力することで常に同一の結果を出力することが可能である。 このような自然科学的な発想の形式が、明治以来の慌ただしい近代化を遂げた私たちの国家においても自…

時空を超えて / 「読むこと」の秘蹟をめぐって

大岡昇平の「野火」を読み終えたので、今度は以前に購入して数ページ読んだまま放置していたアルベール・カミュの「異邦人」(新潮文庫・窪田啓作訳)を読み始めた。 本国のフランスで「異邦人」が出版されたのは1942年のことで、アルベール・カミュがこ…

自分勝手に書くこと 「一般論」という陥穽に抗して

私がこのブログを運営するに当たって心掛けていることが一つある。誤解され易い表現であることを承知の上で敢えて言わせてもらえば、それは「自分勝手に書く」ということだ。この「自分勝手」というのは、普遍性のある客観的な明快な言葉で書くのではなく、…

「売ること」と「書くこと」の接続(曖昧な思索)

書くことは何のために行われるのか、という問いは極めて古く、射程も長い。その問いに対する答え方は、答える側の人間が何を重んじているか、或いはどのような視点と角度から、この問いに対峙するかによって、様々な「解」へ導かれることになる。例えば、書…

「物語ること」への奇怪な欲望 身も蓋もない「真実」を遮るために

人間が或る纏まった「物語」を語って聞かせようとする奇妙な欲望に取り憑かれたのは、一体いつ頃からの話なのだろうか? 無論、太古の昔から人間が空想的な物語を、恐らくは現実の事件や記憶を材料に、それを空想的な物語へ置き換えて徐々に筋書きを整備して…

「濫読」の他者志向性と「脚下照顧」の主体性

読書は高尚な趣味で、教育上、奨励されるべき習慣であると広く信じられている。無論、そのような取り澄ました考えにアレルギー反応を示す方々も少なからず存在するだろうが、本を読むのは素晴らしいことだという固定観念は、私たちの社会にかなり深々と食い…

「結婚」の要諦に関する省察

先日、部下の女性社員から妊娠と結婚の報告を受けた。相手は同じ会社の、以前に私の直属の部下であった若い男で、女の方は23歳、男が一つ上の24歳である。何れも新卒で入社してから年数の浅い、つまり安月給の身分で、所謂「できちゃった結婚」という奴…

「才能」という異常値 或いは「適職」という不毛な幻想

先日、中上健次の「枯木灘」を無事に読了したので、新たに大岡昇平の「野火」に着手している。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 暫くの間、中上健次固有の文体のリズムに浸かっていたので、「野火」を読み始めた途端に、がらりと変わった…

「田舎暮らし」への素朴な信仰について

先日来、部下の一人が農業の勉強をやりたいと言って退職を願い出てきている。色々と話し合い、説得も試みたが意志が強固でどうにも覆りそうにない。話を聞いてみると、居候のような立場で月々五万円ほどの金を貰いながら住み込みで農家の仕事を手伝うらしい…

顔が見えないとき、人は幾らでも「残酷」になれる

以前、ナチス・ドイツによるユダヤ人のホロコーストを背景に、日本人外交官の半生を描いた映画について記事を書いたことがある。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com その中で私はユダヤ人哲学者レヴィナスの「顔」という概念について軽く触…

「よそゆき」の言葉 / 「普段着」の言葉 個人的な文体について

昨年の八月下旬にこの「サラダ坊主日記」というブログを開設して以来、私はずっと「ですます調」の文体で記事を書いてきた。特別に深い理由があった訳ではなく、ブログというメディアを生まれて初めて運営するに当たって、見知らぬ人々に語りかけるのに突慳…

ヤン・ウェンリーという生き方

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 小説というものの存在する意義や、それが齎す様々な価値について、漫然と考えを巡らせることがあります。過去にアップした記事の中でも、そのような主題を巡って綴ったものが幾つかあります。 saladboze.hatenablog.com …

「意味」の向こう側 小説は何故「描写」するのか?

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今晩も何の需要があるのか分からない個人的な文章を書き殴ります。 世の中には無数の「小説」と呼ばれる文章の塊が氾濫しており、それは作者の流儀や気質や主義主張などに応じて実に多様な生態系を構築しています。何と…

「正義感」は残酷な享楽の一種ではないのかという仮説(サディズム的欲望について)

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 正月休みも終わり、世間もいよいよ平常営業を再開した印象ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。小売業の私は年の瀬も大晦日まで、年明けも二日から初売りで出勤と、盆も正月もないような日々を送っており、ブログの更…

虚栄心の構造 私たちは自分の本当の欲望を直視することがへたくそだ

どうも御無沙汰しております、サラダ坊主です。 クリスマス商戦に忙殺されて家に帰る暇もないくらいの有様で、ブログの更新も滞っておりました。一息ついたら今度は年末年始の商戦に突入します。成人式を過ぎるころには漸く激務も一区切りとなるので、なんと…

遊離する欲望 わたしたちは「実体のないもの」を愛する

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 以前、私は「物質的幸福」に対する倦怠や不信が蔓延する時代においては、「精神的幸福」とでも称すべき「形のない対象」への欲望が強まる風潮があるというような意味のことを、このブログの記事に書きました。 saladboze…

「胎児」から「対自」へ / 「未生」の脱却について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今夜も抽象的なタイトルの記事を書きます。 以前、こういうエントリーをアップしたことがあります。 saladboze.hatenablog.com この記事の中で私は、人間の特質として「記憶」という機能が爆発的な進化を遂げたこと、記…

小説を書くという特殊な作業 「それは何が語っているのか?」

どうもこんにちは、サラダ坊主です。 今日も何の脈絡もなく、思いついたことを書き記したいと思います。 以前にも何度か触れたことがあるのですが、私は昔から個人的な趣味として小説を書いてきました。殆どまともに完結させたこともなく、流産に流産を重ね…

「正解がない」という自由 / 「古典主義」というイデオロギーの退嬰性について 2

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は昨夜のエントリーの続きを書きます。 saladboze.hatenablog.com 一つの仕事を続けていると、当然のことながら部下や後輩の教育を任される場面というのが徐々に増えてきます。その中には春に大学を卒業したばかりの…

「答えは既に出ている」という幻想 / 「古典主義」というイデオロギーの退嬰性について 1

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今日は何だか堅苦しい表題の下に徒然と言葉を書き連ねようと思います。 物々しいタイトルなので敬遠されるかもしれませんが、中には物好きな方もいらっしゃって、興味を惹かれるかも分かりません。そうでなくとも、少な…

「異界転生」という普遍的な類型について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 ネット上では頻繁に指摘されている事柄ですが、「小説家になろう」という超巨大小説投稿サイトのランキング上位を占めている人気作品の数々は、その大半が「異世界への転生」という物語のフォーマットを採用しています。…

「モノ」と「コト」の幸福論 無常観の反復

どうもこんばんは、毎度おなじみサラダ坊主です。 今回は「天職」という幻想的な概念について書きます。 私は小学生の頃から小説家になりたいと思っていて、三十歳の誕生日を迎えた今もその夢を諦めきれずに、個人的な趣味として創作活動を続けているのです…

「文明」と「文化」の差異について

どうもこんにちは、サラダ坊主です。 本日も抽象的なテーマで徒然と雑文を草します。 日本語には「文明」という単語と「文化」という単語があります。どっちも似たような意味合いに聞こえる一方、本によっては明確な区別をして用いている場合もあります。例…

「洗練」という名の停滞

どうもこんばんは、船橋在住のサラダ坊主です。 今夜も何の結論もないことを徒然と書き綴ります。 どんな領域にも共通して言えることですが、或る新しい分野が誰かの独創的な努力によって開拓されたとき、そこには無限の可能性が広がっていると同時に、無限…

「正義」と「愛情」は相容れない

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 また更新をサボっておりました。 本日は少し抽象的なタイトルの記事となっていますが、起点はわりと下世話です。 皆さんは「喧嘩」ってしたことありますか? 勿論、喧嘩にも様々なパターンがあります。例えば友人との喧…