サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

文学

ファンタジーという言葉

難しく考え始めたら際限がなくなる主題というのは、世の中に幾らでも転がっている訳で、言葉の定義なんかも厳密さを追求し始めたら、それこそウロボロスの如く出口の見えない無限の循環へ呑み込まれる結果に帰着しかねない。 ファンタジー、という言葉には、…

恩田陸「常野物語」

なるべく短く書こうと思っているが、実際に短く書けるかどうかは分からない。 私は恩田陸という作家が余り好みではない。尤も、私が読んだことのある彼女の小説は数えるほどで、恐らく彼女はどちらかと言えば多作の部類に含まれる書き手であろうから、そんな…

淡々とした空想紀行文の余韻 筒井康隆「旅のラゴス」

吉田健一の「金沢」を繙くことに飽きて、新たに筒井康隆の「旅のラゴス」という小説を読み出した。文頭から文末まで縦横に視点が入れ代わり、文意が宙吊りにされ続ける吉田健一の酩酊したような文章と比べると、随分簡潔で読み易いように感じられる。いっそ…

中上健次の「記憶」

先日、NHKで中上健次と「路地」の記憶を巡るドキュメンタリー番組が放映されているのを、切れ切れに眺める時間を持った。 和歌山県新宮市の被差別部落に生まれ育った中上健次の文業が、自身の生まれ育った環境に対する、愛憎の入り混じった執着に染め抜か…

幻覚の「金沢」 古井由吉と吉田健一をめぐって

サン=テグジュペリの「人間の土地」を読み終えたので、今度は吉田健一の「金沢・酒宴」(講談社文芸文庫)を繙くことに決めた。 朝の通勤電車で猛烈な人波に押えつけられながら、ページを捲り始めたのだが、その独特の捩れるような、揺らぐような文体に振り…

「エコロジー」という神話 サン=テグジュペリ「人間の土地」に関する読書メモ 2

テレビの向こう側では、世界の色々な場所で巻き起こった、大小様々な悲劇や災害の風景が、まるで果てしなく縁遠い、対岸の火事の眺望のように入れ代わり立ち代わり映し出され、日常の雑務に追われる私たちの視界を横切っていく。シリアの内戦は泥沼化し、博…

沙漠の景色、その独特な生理 サン=テグジュペリ「人間の土地」に関する読書メモ 1

サン=テグジュペリの「人間の土地」(新潮文庫・堀口大學訳)を少しずつ読んでいる。遅々として進まないが(一挙に読むには、言葉の意味を推し量るのに時間が掛かるのだ)、断片的に覚書を記しておこうと思う。 1939年にフランスで出版された、この稀有…

未知の領域に挑戦するということ

最近、サン=テグジュペリの「人間の土地」(新潮文庫)という随筆集を読んでいる。表紙の挿画は、同じ作者の「夜間飛行」(新潮文庫)も含めて、高名なアニメーション監督である宮崎駿の手になるものである。「人間の土地」の巻末には、宮崎駿が「空のいけ…

遠く掠れた記憶のなかの文学的断想 ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

ジュンパ・ラヒリの「その名にちなんで」を読んだのは、もう何年も昔の話で、細かい描写や具体的な筋書きは殆ど記憶していない。インドという国家・風土にルーツを持つ移民の息子が、アメリカという大地で自分の人生を慎重に、誠実に織り上げていく地味な物…

寺田寅彦の「父性」

最近、断続的に「寺田寅彦セレクション1」(講談社文芸文庫)を読んでいる。著名な物理学者であると同時に、夏目漱石に師事した名文家としても知られる寺田寅彦の文章には、現代の平均的な日本人には綴り得ないであろうと思われる、独特の芳香と滋味が沈潜…

それを「愛」と呼ぶことは難しい 坂口安吾「白痴」

先日、坂口安吾の「白痴」を読み終えた。 古い小説で、太平洋戦争の記憶が明瞭に刻み込まれた小説であると同時に、表題も含めて、現代に書かれたとしたら、色々な方面から批判を浴びそうな仕上がりである。白痴の女性を「豚」と表現する辺り、当時は許容され…

「プラトニズム」と「サディズム」をめぐって 坂口安吾「南風譜」

最近、岩波文庫の一冊として刊行されている坂口安吾の「桜の森の満開の下・白痴 他十二篇」を途切れ途切れに読み進めている。頭から順番に読み始めて、今は坂口安吾の代表作の一つである「白痴」の半ばに差し掛かっている。 中学生の頃に、角川文庫から出て…

誠実と勤勉 村上春樹「職業としての小説家」

先日、村上春樹の「職業としての小説家」(新潮文庫)という自伝的なエッセイの本を読み終えた。近所の書店でも文庫の新刊コーナーに山積みになっているくらいだから、世間的にも話題になっているだろう(ノーベル文学賞の発表の季節でもあることだし。生憎…

「生きよ、堕ちよ」と彼は言った

先日、「霊園」という自作の詩篇を投稿した。 saladboze.hatenablog.com 読んだ方が直ぐに気付かれるかどうか分からないが、この「霊園」という作品は、東日本大震災の惨禍から着想を得て綴ったものである。執筆は、震災の年の十月頃で、私は直接的に罹災し…

「借景」と詩想(言葉の加減乗除)

所謂「短詩型文学」と称される作品の様式、つまり短歌や俳句など、厳しい字数制限を課せられた詩歌の様式は、その構造として「借景」の効用を活かすことが原則である。「借景」という言葉は主に「作庭」の世界で流通する概念であると認識しているが、詩作の…

歌い手のマテリアル

先日から投稿を開始した幾つかの拙い詩作品たちは、2011年10月13日以降に書いたものである。東日本大震災が発生した、良くも悪くも長く記憶に留められるであろうこの年は、私の身辺に様々な変動が起こった一年でもあった。 幾度もこのブログで断片的…

詩歌という経験

これから不定期で、過去に書き溜めてきた詩を少しずつ投稿していこうと思い立った。別に詩人を目指そうという壮大な野心を燃え盛らせているのではない。パソコンのフォルダに突っ込んだまま、電子的な埃を被って死蔵されているデータに、偶には光を当ててや…

愚直の幸福 武者小路実篤「人生論・愛について」(新潮文庫)

中学生の頃、私は自分の人生に就いて、深刻に思い悩む日々を過ごしていた。 今になって顧みれば、何をそんなに重苦しく考え込んでいたのか、その入り組んだ経緯を明晰に想い起こすことは不可能に等しい。今でもこの掌に残っているのは、記憶の漠然とした陰翳…

出世間、超俗、芸術の効果 夏目漱石「草枕」に関する覚書

先日、夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)を読み終えた。 漱石の実質的な処女作である「吾輩は猫である」と比較しても、恐らくは漢籍の表現がベースとなっている措辞が数多く散見して、読み辛さは此方が上である。読者を煙に巻くような、何とも名状し難い流動的…

「草枕」と「真鶴」

昨日から、夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)を読み始めた。古めかしい措辞や単語を正しく理解する為に幾度も註釈のページと本文とを往復しているので、読む速度はなかなか上がらないが、急ぐ理由も特に見当たらないので構わない。 小説というものに、正しく普…

「神話の解体」としての小説・不可避なユーモア

小説の役割は、神話的な超越性とその厳粛な面差しを破壊することに存する。小説が所謂「物語」との間に決定的な断絶を見出すのは、こうした事情に拠っている。「物語」は、神話的な超越性や、その厳粛な外観との間に著しい親和性を有している。 だが、こうい…

今更ながら、達者な語り口 太宰治「津軽」

太宰治の「津軽」という半ば随筆めいた小説、いや、そもそも随筆とか小説といった区分が問題にならぬような領域で書かれた散文体の作品を、遅れ馳せながら、生まれて初めて通読した。昨日の午後、幕張新都心の蔦谷書店で買い求めて、つい先ほど読み終えた。…

「記述する運動」そのものとしてのカフカ

カフカの文章が備えている徹底的なリアリズムの感触は、それが過不足のない巧みな表現力を発揮しているということの結果ではない。私の考えでは、カフカの文章が写実的であるように見えるのは、彼が対象に関する綿密な認識を蓄積しているからではない。例え…

狂気とユーモア・異様に明晰な覚醒・見落とされた違和感・カフカ「変身」

フランツ・カフカの名高い小説「変身」(新潮文庫)を読み終えた。 彼是と文学的な話柄に就いて偉そうなことを書き殴っている割に、カフカの「変身」も読んだことがなかったのかと笑われるかも知れないが、それは仕方のないことである。とりあえず読んだので…

小説を書くという、不自然な営み

小説を書くという行為は、極めて不自然な作為の連続であり、そこに作者のナチュラルな声というものの生起を期待することは出来ない。たとえ現実の出来事を素材に用いていたとしても、小説は本質的にフィクションであり、嘘を塗り重ねる営みである。それは自…

少年は己の半身と対決する ル=グウィン「ゲド戦記」

アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」第一巻「影との戦い」のハードカバーを図書館で借りて読んだのが、幾つの時だったかはもう覚えていない。小学生時代の私は図書館へ通うのが日課のようなもので、ゲド戦記を手に取ったのは恐らく、…

「天冥の標」について再び

「天冥の標」第九巻を読んでいる。最初に本屋で立ち読みしたのは、確か第五巻の「羊と猿と百掬(ひゃっきく)の銀河」で、シリーズ物だと気づいてから「メニー・メメニー・シープ」を読んで惹かれた。私好みの荒唐無稽な妄想が次々と尤もらしく書き綴られる…

「身分」という擬制 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 3

岩波新書の「日本の思想」には、表題の論文以外にも幾つかの文章が収められている。そのうちの一つ「『である』ことと『する』こと」は、丸山が昭和三十三年に行なった講演の記録に基づいて再構成されたもので、ネットで検索してみると、高校の現代文の教科…

「仏教的な時間」への憎悪 三島由紀夫「金閣寺」について

久々に三島由紀夫の「金閣寺」(新潮文庫)について書く。 天から降って来て、われわれの頬に、手に、腹に貼りついて、われわれを埋めてしまう永遠。この呪わしいもの。……そうだ。まわりの山々の蝉の声にも、終戦の日に、私はこの呪詛のような永遠を聴いた。…

「抽象的なもの」への嫌悪 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 2

引き続き、丸山眞男の「日本の思想」(岩波新書)を読み進めている。新書という体裁だが、文体は割合に硬派で、しかも読者が幅広い教養を備えていることを前提として綴られているので、精確に読解することは容易ではない。だが、歯応えのある文章に懸命に縋…

「一神教」的価値観への根本的排撃 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 1

先日、AMAZONで丸山眞男の著作を数冊取り寄せた。その中で一番ページ数が少なく、新書の体裁なので読み易いのではないかと思われた「日本の思想」(岩波新書)に着手している。末木文美士の「仏典をよむ」を読み進めるうちに個人的な懸案の課題となり…

内田樹「日本辺境論」をめぐる随想

引き続き、日本的なものとは何かという主題を巡って考察を積み重ねていきたいと思う。今回取り上げるのは、前回の記事でも僅かに触れた内田樹の「日本辺境論」(新潮新書)である。 2009年に刊行されたこのユニークな日本論は、世間の注目を集めた話題作…

柄谷行人「日本精神分析」をめぐる随想

批評家の柄谷行人は「日本精神分析」(講談社学術文庫)という書物の中で、丸山眞男の文章を引きながら、次のように述べている。 彼は古代からの日本の思想史を考察して、次のようにいっています。そこには、さまざまな個別的思想の座標軸を果たすような原理…

外部を持たない領域 大江健三郎「他人の足」

最近、再び読み始めたミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」について何か書こうと思ったのだが、巧く纏められないので別の書物を巡って雑文を草してみたいと思う。断章風の文章を積み重ねて織り成されるクンデラの小説は、分かり易いカタルシスや劇…

夏目漱石とハーマン・メルヴィル(小説の過剰な「饒舌さ」が抵抗するもの)

最近、19世紀アメリカの作家メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)を少しずつ読んでいる。無学な私は原語では読めないので、精確なことは判断しかねるのだが、この翻訳はとても活き活きしていて、原文の息吹を忠実に、生々しく読者に伝える為に極…

海外文学の異郷性

「異郷性」という言葉は、恐らく世間一般に流通している日本語の辞書の中には記載されていない単語である。何故なら、私がこの文章を著すに当たって適当に拵えた造語であるからだ。造語と呼べるほど画期的な意味の豊かさを備えている訳ではないが、一般的な…

「小説家」という特殊な実存の形態(ル=グウィンの随筆に導かれて)

先日、アメリカの有名な小説家アーシュラ・K・ル=グウィンの随筆集(評論集?)である「夜の言葉」(岩波現代文庫)を読んでいたら、次のような文章と邂逅した。 ところで、ある小説作品中にミセス・ブラウンが存在するかしないかを測るのに、きわめて有効…

ミラン・クンデラという方法(小説の本質的な断片性・交雑性)

久しぶりに記事を書く。 最近、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」(集英社文庫)という長篇小説を少しずつ読んでいる。チェコで生まれ、「プラハの春」を支持した廉で著作の発禁処分を蒙り、国籍を剥奪され、フランスへ亡命したという、激動の「…

「リヴァイアサン」の現代的表象 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 3

伊藤計劃の「虐殺器官」を読み終えたので感想を書き留めておく。 テロリズムと監視社会、という如何にも現代の社会情勢の推移に相応しい主題が鏤められたこの作品を、或る種の時事的な想像力の所産として位置付けることは容易である。高度に情報化された社会…

厳粛なユーモア(大岡昇平をめぐって)

以前にも、このブログで取り上げた大岡昇平の「野火」という小説は、真面目くさって読んだならば紛れもない凄絶な戦争文学であり、そこには神の光すら射し込んでいるが、冷静に文字を追っていくと、どこか不真面目というか、突き放したような自意識の屈折が…

「ポイント社会」と、計数化される世界 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 2

最近、牛歩並みの速度でのろのろと蛇行しながら読み進めている伊藤計劃の「虐殺器官」に、次のような文章が記されていた。 「『その頃、天下の人を戸籍に著かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの総督たりし時に行…

「溶解する社会」と情報化 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 1

四月に幕張へ建てた新居へ越す為に、休日なのに朝から起き出して役所巡りに慌ただしく時を費やした。戸籍でも住民票でも印鑑証明でも、重要な個人情報の数々が電子化されつつある時代とはいえども、様々な届や請求を行う度に新しい書類へ氏名やら生年月日や…

「眼高手低」の孤独(「予言」と「踏破」の二律背反)

先日、Amazonで佐々木中の「戦争と一人の作家」という本を取り寄せて、ぱらぱらと流し読みをした。或いは、そんな言葉が存在するか知らないが「啄読」した。小鳥が芋虫を嘴でするりと捕えて呑み下すような調子で、捲ったページに視線を彷徨わせ、翡翠が清流…

無神論者の供述 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 2

アルベール・カミュの「異邦人」を読み終えたので感想を書き留めておく。 この作品を論じるに当たって、所謂「不条理」という観念が手垢塗れになりながら今でも用いられ続けていることは一般的な事実である。だが、そのとき人は「不条理」という言葉を、どの…

「不条理」という観念をめぐる逍遥 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 1

最近、アルベール・カミュの「異邦人」を少しずつ読み進めているのだが、なかなか面白い。二十世紀のフランス文学を代表する古典的小説の一つであるという大仰な前評判は、時に幼気な読者を恐れ戦かせ、敬遠させるような危うさを孕んでいると思うが、普通に…

死者と記憶 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 3

前回の記事の続きを書く。 比島の女を殺した後、私がその罪の原因と考えた兇器を棄てて以来、私が進んで銃を把ったのは、その時が始めてであった。そして人食い人種永松を殺した後、なお私が銃を棄てていなかったところを見ると、私はその忘却の期間、それを…

任意と必然 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 2

本日、大岡昇平の「野火」(新潮文庫)を読了したので、個人的な感想を書き留めておく。 「野火」という小説が所謂「戦争文学」の一つのユニークな絶巓であることは疑いを容れない。フィリピンのレイテ島を舞台に据え、敗兵となった「私」の、死を覚悟した上…

反復と逸脱 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 1

最近、大岡昇平の「野火」を少しずつ嘗めるように読んでいる。読みながら、眼に留まったところについて覚書を認めておきたい。この数日、連続して記事を書きながら考えている「反復」という主題と関連する(関連させ得る)箇所を発見したので引用しておく。 …

「人間通」の文学 / 「滅亡」という特殊な時間性

引き続き「反復」という主題を巡って妄言を列ねることにする。 三島由紀夫の「金閣寺」に次のような一節がある。 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、…

「人間通」の文学 / 「反復」を拒絶する「思想」

ここ数日『「人間通」の文学』と称して連続的に同一のテーマを取り上げている。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 先日の記事では、私は大岡昇平や坂口安吾の作品を導きの糸として「反復」という概念について考察を加えてみた。本日はその…