サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

文学

歌い手のマテリアル

先日から投稿を開始した幾つかの拙い詩作品たちは、2011年10月13日以降に書いたものである。東日本大震災が発生した、良くも悪くも長く記憶に留められるであろうこの年は、私の身辺に様々な変動が起こった一年でもあった。 幾度もこのブログで断片的…

詩歌という経験

これから不定期で、過去に書き溜めてきた詩を少しずつ投稿していこうと思い立った。別に詩人を目指そうという壮大な野心を燃え盛らせているのではない。パソコンのフォルダに突っ込んだまま、電子的な埃を被って死蔵されているデータに、偶には光を当ててや…

愚直の幸福 武者小路実篤「人生論・愛について」(新潮文庫)

中学生の頃、私は自分の人生に就いて、深刻に思い悩む日々を過ごしていた。 今になって顧みれば、何をそんなに重苦しく考え込んでいたのか、その入り組んだ経緯を明晰に想い起こすことは不可能に等しい。今でもこの掌に残っているのは、記憶の漠然とした陰翳…

出世間、超俗、芸術の効果 夏目漱石「草枕」に関する覚書

先日、夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)を読み終えた。 漱石の実質的な処女作である「吾輩は猫である」と比較しても、恐らくは漢籍の表現がベースとなっている措辞が数多く散見して、読み辛さは此方が上である。読者を煙に巻くような、何とも名状し難い流動的…

「草枕」と「真鶴」

昨日から、夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)を読み始めた。古めかしい措辞や単語を正しく理解する為に幾度も註釈のページと本文とを往復しているので、読む速度はなかなか上がらないが、急ぐ理由も特に見当たらないので構わない。 小説というものに、正しく普…

「神話の解体」としての小説・不可避なユーモア

小説の役割は、神話的な超越性とその厳粛な面差しを破壊することに存する。小説が所謂「物語」との間に決定的な断絶を見出すのは、こうした事情に拠っている。「物語」は、神話的な超越性や、その厳粛な外観との間に著しい親和性を有している。 だが、こうい…

今更ながら、達者な語り口 太宰治「津軽」

太宰治の「津軽」という半ば随筆めいた小説、いや、そもそも随筆とか小説といった区分が問題にならぬような領域で書かれた散文体の作品を、遅れ馳せながら、生まれて初めて通読した。昨日の午後、幕張新都心の蔦谷書店で買い求めて、つい先ほど読み終えた。…

「記述する運動」そのものとしてのカフカ

カフカの文章が備えている徹底的なリアリズムの感触は、それが過不足のない巧みな表現力を発揮しているということの結果ではない。私の考えでは、カフカの文章が写実的であるように見えるのは、彼が対象に関する綿密な認識を蓄積しているからではない。例え…

狂気とユーモア・異様に明晰な覚醒・見落とされた違和感・カフカ「変身」

フランツ・カフカの名高い小説「変身」(新潮文庫)を読み終えた。 彼是と文学的な話柄に就いて偉そうなことを書き殴っている割に、カフカの「変身」も読んだことがなかったのかと笑われるかも知れないが、それは仕方のないことである。とりあえず読んだので…

小説を書くという、不自然な営み

小説を書くという行為は、極めて不自然な作為の連続であり、そこに作者のナチュラルな声というものの生起を期待することは出来ない。たとえ現実の出来事を素材に用いていたとしても、小説は本質的にフィクションであり、嘘を塗り重ねる営みである。それは自…

少年は己の半身と対決する ル=グウィン「ゲド戦記」

アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」第一巻「影との戦い」のハードカバーを図書館で借りて読んだのが、幾つの時だったかはもう覚えていない。小学生時代の私は図書館へ通うのが日課のようなもので、ゲド戦記を手に取ったのは恐らく、…

「天冥の標」について再び

「天冥の標」第九巻を読んでいる。最初に本屋で立ち読みしたのは、確か第五巻の「羊と猿と百掬(ひゃっきく)の銀河」で、シリーズ物だと気づいてから「メニー・メメニー・シープ」を読んで惹かれた。私好みの荒唐無稽な妄想が次々と尤もらしく書き綴られる…

「身分」という擬制 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 3

岩波新書の「日本の思想」には、表題の論文以外にも幾つかの文章が収められている。そのうちの一つ「『である』ことと『する』こと」は、丸山が昭和三十三年に行なった講演の記録に基づいて再構成されたもので、ネットで検索してみると、高校の現代文の教科…

「仏教的な時間」への憎悪 三島由紀夫「金閣寺」について

久々に三島由紀夫の「金閣寺」(新潮文庫)について書く。 天から降って来て、われわれの頬に、手に、腹に貼りついて、われわれを埋めてしまう永遠。この呪わしいもの。……そうだ。まわりの山々の蝉の声にも、終戦の日に、私はこの呪詛のような永遠を聴いた。…

「抽象的なもの」への嫌悪 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 2

引き続き、丸山眞男の「日本の思想」(岩波新書)を読み進めている。新書という体裁だが、文体は割合に硬派で、しかも読者が幅広い教養を備えていることを前提として綴られているので、精確に読解することは容易ではない。だが、歯応えのある文章に懸命に縋…

「一神教」的価値観への根本的排撃 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 1

先日、AMAZONで丸山眞男の著作を数冊取り寄せた。その中で一番ページ数が少なく、新書の体裁なので読み易いのではないかと思われた「日本の思想」(岩波新書)に着手している。末木文美士の「仏典をよむ」を読み進めるうちに個人的な懸案の課題となり…

内田樹「日本辺境論」をめぐる随想

引き続き、日本的なものとは何かという主題を巡って考察を積み重ねていきたいと思う。今回取り上げるのは、前回の記事でも僅かに触れた内田樹の「日本辺境論」(新潮新書)である。 2009年に刊行されたこのユニークな日本論は、世間の注目を集めた話題作…

柄谷行人「日本精神分析」をめぐる随想

批評家の柄谷行人は「日本精神分析」(講談社学術文庫)という書物の中で、丸山眞男の文章を引きながら、次のように述べている。 彼は古代からの日本の思想史を考察して、次のようにいっています。そこには、さまざまな個別的思想の座標軸を果たすような原理…

外部を持たない領域 大江健三郎「他人の足」

最近、再び読み始めたミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」について何か書こうと思ったのだが、巧く纏められないので別の書物を巡って雑文を草してみたいと思う。断章風の文章を積み重ねて織り成されるクンデラの小説は、分かり易いカタルシスや劇…

夏目漱石とハーマン・メルヴィル(小説の過剰な「饒舌さ」が抵抗するもの)

最近、19世紀アメリカの作家メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)を少しずつ読んでいる。無学な私は原語では読めないので、精確なことは判断しかねるのだが、この翻訳はとても活き活きしていて、原文の息吹を忠実に、生々しく読者に伝える為に極…

海外文学の異郷性

「異郷性」という言葉は、恐らく世間一般に流通している日本語の辞書の中には記載されていない単語である。何故なら、私がこの文章を著すに当たって適当に拵えた造語であるからだ。造語と呼べるほど画期的な意味の豊かさを備えている訳ではないが、一般的な…

「小説家」という特殊な実存の形態(ル=グウィンの随筆に導かれて)

先日、アメリカの有名な小説家アーシュラ・K・ル=グウィンの随筆集(評論集?)である「夜の言葉」(岩波現代文庫)を読んでいたら、次のような文章と邂逅した。 ところで、ある小説作品中にミセス・ブラウンが存在するかしないかを測るのに、きわめて有効…

ミラン・クンデラという方法(小説の本質的な断片性・交雑性)

久しぶりに記事を書く。 最近、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」(集英社文庫)という長篇小説を少しずつ読んでいる。チェコで生まれ、「プラハの春」を支持した廉で著作の発禁処分を蒙り、国籍を剥奪され、フランスへ亡命したという、激動の「…

「リヴァイアサン」の現代的表象 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 3

伊藤計劃の「虐殺器官」を読み終えたので感想を書き留めておく。 テロリズムと監視社会、という如何にも現代の社会情勢の推移に相応しい主題が鏤められたこの作品を、或る種の時事的な想像力の所産として位置付けることは容易である。高度に情報化された社会…

厳粛なユーモア(大岡昇平をめぐって)

以前にも、このブログで取り上げた大岡昇平の「野火」という小説は、真面目くさって読んだならば紛れもない凄絶な戦争文学であり、そこには神の光すら射し込んでいるが、冷静に文字を追っていくと、どこか不真面目というか、突き放したような自意識の屈折が…

「ポイント社会」と、計数化される世界 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 2

最近、牛歩並みの速度でのろのろと蛇行しながら読み進めている伊藤計劃の「虐殺器官」に、次のような文章が記されていた。 「『その頃、天下の人を戸籍に著かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの総督たりし時に行…

「溶解する社会」と情報化 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 1

四月に幕張へ建てた新居へ越す為に、休日なのに朝から起き出して役所巡りに慌ただしく時を費やした。戸籍でも住民票でも印鑑証明でも、重要な個人情報の数々が電子化されつつある時代とはいえども、様々な届や請求を行う度に新しい書類へ氏名やら生年月日や…

「眼高手低」の孤独(「予言」と「踏破」の二律背反)

先日、Amazonで佐々木中の「戦争と一人の作家」という本を取り寄せて、ぱらぱらと流し読みをした。或いは、そんな言葉が存在するか知らないが「啄読」した。小鳥が芋虫を嘴でするりと捕えて呑み下すような調子で、捲ったページに視線を彷徨わせ、翡翠が清流…

無神論者の供述 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 2

アルベール・カミュの「異邦人」を読み終えたので感想を書き留めておく。 この作品を論じるに当たって、所謂「不条理」という観念が手垢塗れになりながら今でも用いられ続けていることは一般的な事実である。だが、そのとき人は「不条理」という言葉を、どの…

「不条理」という観念をめぐる逍遥 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 1

最近、アルベール・カミュの「異邦人」を少しずつ読み進めているのだが、なかなか面白い。二十世紀のフランス文学を代表する古典的小説の一つであるという大仰な前評判は、時に幼気な読者を恐れ戦かせ、敬遠させるような危うさを孕んでいると思うが、普通に…

死者と記憶 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 3

前回の記事の続きを書く。 比島の女を殺した後、私がその罪の原因と考えた兇器を棄てて以来、私が進んで銃を把ったのは、その時が始めてであった。そして人食い人種永松を殺した後、なお私が銃を棄てていなかったところを見ると、私はその忘却の期間、それを…

任意と必然 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 2

本日、大岡昇平の「野火」(新潮文庫)を読了したので、個人的な感想を書き留めておく。 「野火」という小説が所謂「戦争文学」の一つのユニークな絶巓であることは疑いを容れない。フィリピンのレイテ島を舞台に据え、敗兵となった「私」の、死を覚悟した上…

反復と逸脱 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 1

最近、大岡昇平の「野火」を少しずつ嘗めるように読んでいる。読みながら、眼に留まったところについて覚書を認めておきたい。この数日、連続して記事を書きながら考えている「反復」という主題と関連する(関連させ得る)箇所を発見したので引用しておく。 …

「人間通」の文学 / 「滅亡」という特殊な時間性

引き続き「反復」という主題を巡って妄言を列ねることにする。 三島由紀夫の「金閣寺」に次のような一節がある。 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、…

「人間通」の文学 / 「反復」を拒絶する「思想」

ここ数日『「人間通」の文学』と称して連続的に同一のテーマを取り上げている。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 先日の記事では、私は大岡昇平や坂口安吾の作品を導きの糸として「反復」という概念について考察を加えてみた。本日はその…

「人間通」の文学 / 反復する「生」をめぐって

先日の記事で取り上げたテーマを引き続き敷衍してみようと思う。 saladboze.hatenablog.com 今日、たまたま立ち寄った市川の有隣堂書店で内田樹の「もういちど村上春樹にご用心」(文春文庫)を買い求め、ぱらぱらと捲りながら読んでいた。その中で内田樹は…

「人間通」の文学 / 「虚無」と「思想」のあわい

坂口安吾が太宰治について書いた有名なエッセイ「不良少年とキリスト」の中に、次のような記述が含まれている。 芥川にしても、太宰にしても、彼らの小説は、心理通、人間通の作品で、思想性は殆どない。 虚無というものは、思想ではないのである。人間その…

「書くように読むこと」で浮かび上がる知見 村上春樹「若い読者のための短編小説案内」

小説を読むことは一つのささやかな個人的趣味であることを免かれない。この命題は、大して特別な意味を持つものではなく、私たちの暮らす社会において至極有り触れた一般的な感覚を指し示しているに過ぎない。小説は今日、一つの文化的な「商品」であり、そ…

呪われた「血」の暴発 中上健次「枯木灘」に関する読書メモ 2

saladboze.hatenablog.com 中上健次の「枯木灘」を読了した。最初に購入した高校時代から考えれば、実に十余年越しでの通読ということになる。読み終えて、こんなに重厚で名状し難い感興に囚われる小説も滅多にないだろうと、素朴な結論に達した。私の乏しい…

言葉について語ることが何故、視野を拓くのか 柄谷行人「畏怖する人間」

「文学」という言葉を聞いてどのようなイメージを浮かべるのかは、人によって意見の分かれるところだろう。堅苦しくて面倒臭そうで近寄りたくない、という印象を持つ人も少なからず存在するだろうし、余り親しげなイメージのある言葉ではないと思う人の方が…

「偏愛」こそ「至上の愛」である 澁澤龍彦「偏愛的作家論」

先日の記事で、学生時代に初めて読んだ作家について書いた。 saladboze.hatenablog.com そのときの回想が残響のように眠っていた記憶を揺り起したのか、久々に思い出した一冊がある。江藤淳と同じく、暇を持て余した大学生の頃に何度も執拗に読み返した、澁…

「文体」に顕れる「思想」 江藤淳「作家は行動する」

私が江藤淳という評論家の名前を初めて知ったのは確か、中学三年生の頃に柄谷行人の「意味という病」という本を偶然父親の書棚から発掘して、恐る恐るページを捲り始めた頃であったと記憶している。それまで一度も聞いたことのなかった江藤淳という作家の書…

「美醜」の階級性 谷崎潤一郎「刺青」

谷崎潤一郎の実質的な処女作「刺青」は、一篇のグロテスクな御伽噺のような風合いを備えている。その印象の所以は、この作品が写実的なリアリズムとは全く無関係な原理に基づいた戯画化を施されている点にある。ここには、自然主義的なリアリズムとは無縁の…

「血縁」の反復と「地縁」の閉塞 中上健次「枯木灘」に関する読書メモ 1

最近、中上健次の有名な長篇小説「枯木灘」を通勤の行き帰りの電車で少しずつ読み返している。とはいえ、手元の文庫本自体は高校時代に買ったもので、途中まで読んで投げ出していたから、殆ど初めて通読するようなものである。とりあえず折り返しを僅かに過…

「戦争の時代」の子供として生まれて 大江健三郎「死者の奢り」

優れた作家であればあるほど、その社会的な名声が広範囲に行き渡っていればいるほど、毀誉褒貶の振幅が劇しくなるのは作家に限らず、あらゆる分野の「著名人」に付き纏う通弊である。だが、作家の場合には、その生み出した作品がそもそも「鑑賞されるもの」…

自由自在に語ること 坂口安吾「私の小説」

私は中学生の頃、退屈な夏休みの最中に思い立って本屋へ出かけた。松戸駅の駅ビルに入っている本屋で、たまたま角川文庫から出ていた「堕落論」を買って帰った。「堕落論」以外にも彼の代表的な文章が幾つも収められた手堅い編輯の一冊で、その一冊に偶然出…

「小説」という束縛よりも根源的な領域 夏目漱石「吾輩は猫である」

私が初めて夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだのは小学生の時で、当時講談社から出ていた青い鳥文庫に収録されていた子供向けのバージョンが、その相手であった。とはいっても、別に内容が原典と異なっていた訳ではなく、子供でも読んで意味を理解出来る…

誰のための「神」なのか? 遠藤周作「沈黙」をめぐる断片的省察

遠藤周作の代表作とされる小説「沈黙」を初めて読んだのは数年前のことで、その作品の名声については、それこそ高校時代の現国の便覧などにも記載があったから耳にはしていたが、実際に繙くまでには随分と長く時間がかかった。キリスト教の信仰を主題に据え…

語り得ないものを語ろうとすること 村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」

村上春樹の短編小説、特に初期の頃の作品群はどれも、具体的で明確な意味に結実することを拒むように、確固たる物語の輪郭から逸れていく性質を持っている。処女作である「風の歌を聴け」などはその典型的な例で、極めて断章的な性格の強い文章の連なりが、…

静寂・抑制・果断 丸山健二「夏の流れ」

「それ」は極めて簡潔で平明な口調によって、あくまでも淡々と、何気ない日常の連なりとして語られ、描写される。 丸山健二の「夏の流れ」という短い小説に通底するのは、このような「語り」の方針である。「それ」は語られるべき対象であり、小説において虚…