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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

夏目漱石とハーマン・メルヴィル(小説の過剰な「饒舌さ」が抵抗するもの)

最近、19世紀アメリカの作家メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)を少しずつ読んでいる。無学な私は原語では読めないので、精確なことは判断しかねるのだが、この翻訳はとても活き活きしていて、原文の息吹を忠実に、生々しく読者に伝える為に極…

海外文学の異郷性

「異郷性」という言葉は、恐らく世間一般に流通している日本語の辞書の中には記載されていない単語である。何故なら、私がこの文章を著すに当たって適当に拵えた造語であるからだ。造語と呼べるほど画期的な意味の豊かさを備えている訳ではないが、一般的な…

「小説家」という特殊な実存の形態(ル=グウィンの随筆に導かれて)

先日、アメリカの有名な小説家アーシュラ・K・ル=グウィンの随筆集(評論集?)である「夜の言葉」(岩波現代文庫)を読んでいたら、次のような文章と邂逅した。 ところで、ある小説作品中にミセス・ブラウンが存在するかしないかを測るのに、きわめて有効…

ミラン・クンデラという方法(小説の本質的な断片性・交雑性)

久しぶりに記事を書く。 最近、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」(集英社文庫)という長篇小説を少しずつ読んでいる。チェコで生まれ、「プラハの春」を支持した廉で著作の発禁処分を蒙り、国籍を剥奪され、フランスへ亡命したという、激動の「…

「リヴァイアサン」の現代的表象 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 3

伊藤計劃の「虐殺器官」を読み終えたので感想を書き留めておく。 テロリズムと監視社会、という如何にも現代の社会情勢の推移に相応しい主題が鏤められたこの作品を、或る種の時事的な想像力の所産として位置付けることは容易である。高度に情報化された社会…

厳粛なユーモア(大岡昇平をめぐって)

以前にも、このブログで取り上げた大岡昇平の「野火」という小説は、真面目くさって読んだならば紛れもない凄絶な戦争文学であり、そこには神の光すら射し込んでいるが、冷静に文字を追っていくと、どこか不真面目というか、突き放したような自意識の屈折が…

「ポイント社会」と、計数化される世界 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 2

最近、牛歩並みの速度でのろのろと蛇行しながら読み進めている伊藤計劃の「虐殺器官」に、次のような文章が記されていた。 「『その頃、天下の人を戸籍に著かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの総督たりし時に行…

「溶解する社会」と情報化 伊藤計劃「虐殺器官」に関する読書メモ 1

四月に幕張へ建てた新居へ越す為に、休日なのに朝から起き出して役所巡りに慌ただしく時を費やした。戸籍でも住民票でも印鑑証明でも、重要な個人情報の数々が電子化されつつある時代とはいえども、様々な届や請求を行う度に新しい書類へ氏名やら生年月日や…

「眼高手低」の孤独(「予言」と「踏破」の二律背反)

先日、Amazonで佐々木中の「戦争と一人の作家」という本を取り寄せて、ぱらぱらと流し読みをした。或いは、そんな言葉が存在するか知らないが「啄読」した。小鳥が芋虫を嘴でするりと捕えて呑み下すような調子で、捲ったページに視線を彷徨わせ、翡翠が清流…

無神論者の供述 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 2

アルベール・カミュの「異邦人」を読み終えたので感想を書き留めておく。 この作品を論じるに当たって、所謂「不条理」という観念が手垢塗れになりながら今でも用いられ続けていることは一般的な事実である。だが、そのとき人は「不条理」という言葉を、どの…

「不条理」という観念をめぐる逍遥 アルベール・カミュ「異邦人」に関する読書メモ 1

最近、アルベール・カミュの「異邦人」を少しずつ読み進めているのだが、なかなか面白い。二十世紀のフランス文学を代表する古典的小説の一つであるという大仰な前評判は、時に幼気な読者を恐れ戦かせ、敬遠させるような危うさを孕んでいると思うが、普通に…

死者と記憶 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 3

前回の記事の続きを書く。 比島の女を殺した後、私がその罪の原因と考えた兇器を棄てて以来、私が進んで銃を把ったのは、その時が始めてであった。そして人食い人種永松を殺した後、なお私が銃を棄てていなかったところを見ると、私はその忘却の期間、それを…

任意と必然 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 2

本日、大岡昇平の「野火」(新潮文庫)を読了したので、個人的な感想を書き留めておく。 「野火」という小説が所謂「戦争文学」の一つのユニークな絶巓であることは疑いを容れない。フィリピンのレイテ島を舞台に据え、敗兵となった「私」の、死を覚悟した上…

反復と逸脱 大岡昇平「野火」に関する読書メモ 1

最近、大岡昇平の「野火」を少しずつ嘗めるように読んでいる。読みながら、眼に留まったところについて覚書を認めておきたい。この数日、連続して記事を書きながら考えている「反復」という主題と関連する(関連させ得る)箇所を発見したので引用しておく。 …

「人間通」の文学 / 「滅亡」という特殊な時間性

引き続き「反復」という主題を巡って妄言を列ねることにする。 三島由紀夫の「金閣寺」に次のような一節がある。 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、…

「人間通」の文学 / 「反復」を拒絶する「思想」

ここ数日『「人間通」の文学』と称して連続的に同一のテーマを取り上げている。 saladboze.hatenablog.com saladboze.hatenablog.com 先日の記事では、私は大岡昇平や坂口安吾の作品を導きの糸として「反復」という概念について考察を加えてみた。本日はその…

「人間通」の文学 / 反復する「生」をめぐって

先日の記事で取り上げたテーマを引き続き敷衍してみようと思う。 saladboze.hatenablog.com 今日、たまたま立ち寄った市川の有隣堂書店で内田樹の「もういちど村上春樹にご用心」(文春文庫)を買い求め、ぱらぱらと捲りながら読んでいた。その中で内田樹は…

「人間通」の文学 / 「虚無」と「思想」のあわい

坂口安吾が太宰治について書いた有名なエッセイ「不良少年とキリスト」の中に、次のような記述が含まれている。 芥川にしても、太宰にしても、彼らの小説は、心理通、人間通の作品で、思想性は殆どない。 虚無というものは、思想ではないのである。人間その…

「書くように読むこと」で浮かび上がる知見 村上春樹「若い読者のための短編小説案内」

小説を読むことは一つのささやかな個人的趣味であることを免かれない。この命題は、大して特別な意味を持つものではなく、私たちの暮らす社会において至極有り触れた一般的な感覚を指し示しているに過ぎない。小説は今日、一つの文化的な「商品」であり、そ…

呪われた「血」の暴発 中上健次「枯木灘」に関する読書メモ 2

saladboze.hatenablog.com 中上健次の「枯木灘」を読了した。最初に購入した高校時代から考えれば、実に十余年越しでの通読ということになる。読み終えて、こんなに重厚で名状し難い感興に囚われる小説も滅多にないだろうと、素朴な結論に達した。私の乏しい…

言葉について語ることが何故、視野を拓くのか 柄谷行人「畏怖する人間」

「文学」という言葉を聞いてどのようなイメージを浮かべるのかは、人によって意見の分かれるところだろう。堅苦しくて面倒臭そうで近寄りたくない、という印象を持つ人も少なからず存在するだろうし、余り親しげなイメージのある言葉ではないと思う人の方が…

「偏愛」こそ「至上の愛」である 澁澤龍彦「偏愛的作家論」

先日の記事で、学生時代に初めて読んだ作家について書いた。 saladboze.hatenablog.com そのときの回想が残響のように眠っていた記憶を揺り起したのか、久々に思い出した一冊がある。江藤淳と同じく、暇を持て余した大学生の頃に何度も執拗に読み返した、澁…

「文体」に顕れる「思想」 江藤淳「作家は行動する」

私が江藤淳という評論家の名前を初めて知ったのは確か、中学三年生の頃に柄谷行人の「意味という病」という本を偶然父親の書棚から発掘して、恐る恐るページを捲り始めた頃であったと記憶している。それまで一度も聞いたことのなかった江藤淳という作家の書…

「美醜」の階級性 谷崎潤一郎「刺青」

谷崎潤一郎の実質的な処女作「刺青」は、一篇のグロテスクな御伽噺のような風合いを備えている。その印象の所以は、この作品が写実的なリアリズムとは全く無関係な原理に基づいた戯画化を施されている点にある。ここには、自然主義的なリアリズムとは無縁の…

「血縁」の反復と「地縁」の閉塞 中上健次「枯木灘」に関する読書メモ 1

最近、中上健次の有名な長篇小説「枯木灘」を通勤の行き帰りの電車で少しずつ読み返している。とはいえ、手元の文庫本自体は高校時代に買ったもので、途中まで読んで投げ出していたから、殆ど初めて通読するようなものである。とりあえず折り返しを僅かに過…

「戦争の時代」の子供として生まれて 大江健三郎「死者の奢り」

優れた作家であればあるほど、その社会的な名声が広範囲に行き渡っていればいるほど、毀誉褒貶の振幅が劇しくなるのは作家に限らず、あらゆる分野の「著名人」に付き纏う通弊である。だが、作家の場合には、その生み出した作品がそもそも「鑑賞されるもの」…

自由自在に語ること 坂口安吾「私の小説」

私は中学生の頃、退屈な夏休みの最中に思い立って本屋へ出かけた。松戸駅の駅ビルに入っている本屋で、たまたま角川文庫から出ていた「堕落論」を買って帰った。「堕落論」以外にも彼の代表的な文章が幾つも収められた手堅い編輯の一冊で、その一冊に偶然出…

「小説」という束縛よりも根源的な領域 夏目漱石「吾輩は猫である」

私が初めて夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだのは小学生の時で、当時講談社から出ていた青い鳥文庫に収録されていた子供向けのバージョンが、その相手であった。とはいっても、別に内容が原典と異なっていた訳ではなく、子供でも読んで意味を理解出来る…

誰のための「神」なのか? 遠藤周作「沈黙」をめぐる断片的省察

遠藤周作の代表作とされる小説「沈黙」を初めて読んだのは数年前のことで、その作品の名声については、それこそ高校時代の現国の便覧などにも記載があったから耳にはしていたが、実際に繙くまでには随分と長く時間がかかった。キリスト教の信仰を主題に据え…

語り得ないものを語ろうとすること 村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」

村上春樹の短編小説、特に初期の頃の作品群はどれも、具体的で明確な意味に結実することを拒むように、確固たる物語の輪郭から逸れていく性質を持っている。処女作である「風の歌を聴け」などはその典型的な例で、極めて断章的な性格の強い文章の連なりが、…

静寂・抑制・果断 丸山健二「夏の流れ」

「それ」は極めて簡潔で平明な口調によって、あくまでも淡々と、何気ない日常の連なりとして語られ、描写される。 丸山健二の「夏の流れ」という短い小説に通底するのは、このような「語り」の方針である。「それ」は語られるべき対象であり、小説において虚…

崇高な児童文学 上橋菜穂子「精霊の守り人」

小学生の頃だったろうか。 私の母親は生協に加入していて、週に一回、決まった曜日に商品の分配が団地の一角で行われる習慣だった。読書の好きな長男坊のために、母はたまに生協を通じて本を買ってくれた。何度もそういう経験はあったように思うが、具体的に…

「世捨て」という欲望の根強さ 坂口安吾と車谷長吉の類縁性について

以前に書いた記事の中でも触れているが、私の好きな作家の好きな小説に共通して見出せる主題に「世捨て」というのがある。文字通り、俗世間との絆を断ち切って無一物の境涯へ至りたいという欲望なのだが、私はそのような欲望が時代を隔ててそれぞれ異質な書…

極めて甘美な「挫折」の寓話 「ブキーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師」をめぐる回想

もう随分昔、勿論それが随分であるかどうかは人によって意見の分かれるところだが、私が十代前半だった頃、書店の所謂ライトノベルと呼ばれるジャンルの棚には、上遠野浩平の「ブギーポップ」シリーズが平積みにされていて、話題を呼んでいた。当時小学生か…

野放図で猥雑な「語り」の力 佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今夜は佐藤亜紀氏の小説「バルタザールの遍歴」について書こうと思います。 元々新潮社から単行本が刊行された後、絶版を経て現在は文春文庫に収録されているこの作品の特徴的な魅力は何と言っても、その独特でシニカル…

「書くこと」の始まり 村上春樹「風の歌を聴け」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 都心では結構な積雪があったようですが、私の暮らす千葉県船橋市の片隅には薄らと霙の混じった雨が劇しく降っただけで済んでしまいました。休日なので暖房の効いた家に引き籠っていたのですが、午下がりにはもう、窓の向…

「宿命」に関する、言葉で編まれた肖像画 沢木耕太郎「若き実力者たち」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は沢木耕太郎さんの「若き実力者たち」というノンフィクションについて書こうと思います。最初に読んだのが自分が幾つの時だったか、もう精確には思い出せないのですが、とにかく夢中になってページを捲った記憶が今…

「極楽の専門家」であること 武田泰淳「異形の者」について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は武田泰淳(1912-1976)の小説「異形の者」について書きます。この奇妙な小説を初めて繙いたのは既に何年も前の話なのですが、何度開いて読んでみてもすっきりと呑み込めない細部が豊富に含まれていて、随…

自然と交わること、俗界と交わること 坂口安吾「風と光と二十の私と」に関する覚書

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今夜は過去にも幾度か触れたことのある坂口安吾という作家について、再び文章を草したいと思います。先日の中上健次に関するエントリーを書いている最中に、もう一度、坂口安吾について書いておきたいという考えが迫り上…

「血」が騒めき、吠え立てる 中上健次「岬」について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は癌で早世した作家、中上健次の出世作「岬」について書こうと思います。 戦後生まれの作家として初めて芥川賞の栄誉に輝いたこの作品は、和歌山県新宮市で生まれ育った中上氏の故郷をモデルとして綴られたもので、…

「自由」よりも「隷属」を欲する 谷崎潤一郎「春琴抄」をめぐって(マゾヒズム的欲望について)

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 昨年の暮れ、安部公房の「砂の女」という小説を巡って下記の記事を綴りました。 saladboze.hatenablog.com 安部公房の代表作である「砂の女」という著名な小説について、「自由」という切り口から漫然と考えてみた訳です…

自由とは一つの残酷な「刑罰」に過ぎない 安部公房「砂の女」をめぐって

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 いよいよ年末も押し迫ってまいりました今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。正月休み、特に遣ることもなくて暇だという方もいらっしゃるかもしれませんね。そんな方々の慰みの一助となるべく、今日は小説の御紹介…

単なる形式としての「推理小説」を越えて アーサー・コナン・ドイル「緋色の研究」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 初めてシャーロック・ホームズという名探偵の名前を聞いたのがいつだったか、もう精確には思い出せませんが、パイプを燻らせ、鹿撃ち帽(deerstalker hat)を被った怜悧な頭脳の持ち主というイメージは、知らぬ間に少年…

再び「芽むしり仔撃ち」について / 「差別」をめぐる断片的考察

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は、以前にも取り上げたことのあるテーマについて、異なった角度から照明を当ててみたいと思います。 saladboze.hatenablog.com 大江健三郎の「芽むしり仔撃ち」という小説について、以前に上記の記事を書いたのです…

「面白さ」とは「理解し難さ」である 乾石智子「夜の写本師」

どうもこんばんは、毎度お馴染みサラダ坊主です。 本日無事に読了しました乾石智子さんの「夜の写本師」というファンタジー小説について書きます。 2011年に発表され、著者の出世作となったこの小説は、巷間に蔓延る凡百の安っぽいファンタジーとは一線…

「文弱」という病 三島由紀夫とともに

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 本日は三島由紀夫について書きたいと思います。 以前、三島の数多い代表作の一つ「金閣寺」について下記のエントリーを書いたのですが、苦労した割に出来栄えが今一つで、どうにも不完全燃焼な気持ちが消えないので、補…

「常世」と「現世」のはざまで生きること 川上弘美「真鶴」

どうもこんにちは、サラダ坊主です。 今日は川上弘美の傑作小説「真鶴」について書きます。 川上さんは、実に独特のポジションに立っている作家だと思います。 その文章は一見すると穏やかで柔らかくて儚げで、圭角のない読み心地ですが、その淡々と綴られる…

「ノベル(小説)」と「ロマンス(物語)」の背反について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今回も随分と抽象的なテーマを扱うことになります。 でも、辛抱してお付き合い頂けると幸いです。 私は個人的な趣味として昔から小説を書いているのですが、当然のことながら「小説」というのは、そう簡単に書けるもので…

「個人」と「制度」の相剋 田中芳樹「銀河英雄伝説」

どうもこんにちは、サラダ坊主です。 本日は私が最も愛する小説の一つ、田中芳樹の「銀河英雄伝説」について書きたいと思います。 過去にはアニメ化もされている、この有名なスペースオペラは、創元文庫で本編10巻、外伝5巻というボリュームの壮大な物語…

自己解体への欲望 古井由吉「雪の下の蟹」

どうもサラダ坊主です。 先日、古井由吉の「雪の下の蟹」という小説を読みました。 作者の金沢時代の体験に題材を取った小品で、取り立ててダイナミックな筋書きがある訳でもない短い小説ですが、独特の読み応えがあり、文章も地味に富んでいます。 金沢とい…