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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

現実と幻想の抽象的接合 「千と千尋の神隠し」をめぐる断想

金曜ロードショーで、久々に宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を再見する機会に恵まれた。改めて見直してみても、やはり「傑作だ」という素朴な感嘆と新鮮な興奮が生まれ、既に知り尽くしている筈の筋書きや一つ一つの場面さえ、少しも退屈な印象を齎さずに…

己の「無明」を悟るべし

新聞記事やテレビの報道番組などでも、よく見かける慣例の一つに、「破綻」という単語を「破たん」と表記する、というものがある。私はあれを眼にする度に何とも歯痒く、情けないような気分に陥ってしまうのだが、無論、あれは当用漢字という国家の指針を遵…

書くこと、紡ぐこと

世間が寝静まった夜に、こうやってパソコンに向かって当て所もなく文字の列なりを打ち込み続けるという奇特な習慣を己に課すのは、我ながら異様な振舞いだと感じない訳ではない。そもそも、黙々と文章を書き連ねるという行為、具体的な誰かに宛てた私信とい…

ファンタジーという言葉 3 (乾石智子という作家に関する覚書)

最近、乾石智子の「魔道師の月」(東京創元社)という小説を読んでいる。 私にとって、乾石智子の作品に触れるのは、彼女の処女作である「夜の写本師」(東京創元社)に続いて未だ二作目に過ぎず、この「魔道師の月」という小説も100ページほどを読み進め…

ファンタジーという言葉 2

或る意味では、どんな種類の文学作品もファンタジーの眷属なのだと強弁することは充分に可能である。どんな文学作品も、それが私たちの住まう外在的な現実の単なる引き写しに過ぎないということは有り得ないし、仮に有り得たとすれば、それは文学「作品」で…

ファンタジーという言葉

難しく考え始めたら際限がなくなる主題というのは、世の中に幾らでも転がっている訳で、言葉の定義なんかも厳密さを追求し始めたら、それこそウロボロスの如く出口の見えない無限の循環へ呑み込まれる結果に帰着しかねない。 ファンタジー、という言葉には、…

恩田陸「常野物語」

なるべく短く書こうと思っているが、実際に短く書けるかどうかは分からない。 私は恩田陸という作家が余り好みではない。尤も、私が読んだことのある彼女の小説は数えるほどで、恐らく彼女はどちらかと言えば多作の部類に含まれる書き手であろうから、そんな…

「ツバメたちの黄昏」 四十一 マロカ島の砂浜

四日目の明け方、すっかり体力の衰えた私は瞼を開く労力さえ頑迷に惜しんで、船艙の暗がりに薄汚い砂色の毛布と共に身を横たえ、懶惰な眠りの深淵を彷徨していた。 乏しい食糧と真水の備蓄は、公平な管理とは無縁の荒くれ者たちの手で恣意的に取り扱われてお…

徒然なるままに

最近、以前に書き始めて暫く放置していた「ツバメたちの黄昏」という小説の続きを書くことに熱中している。いや、熱中と呼ぶには程遠い水準の熱量で書き綴っているのだが、その背景には、当て所もなく寄る辺ない雑文を草するばかりでは満たされない「己の内…

「ツバメたちの黄昏」 四十 シュタージの尻尾に導かれて

それから、漂流は三日三晩続いた。 不機嫌極まりないマジャール・ピント氏の御託宣の通り、人力で櫂を漕いで乗り超えるには、錦繍海峡を抜けた先の海域は潮の流れが余りに劇しく手強かった。ウェルゲリア大陸南岸と、ラカテリア亜大陸東北部のセヴァン半島に…

「ツバメたちの黄昏」 三十九 漂流の引鉄

クラッツェルの度肝を抜くような爆発的な一撃を喰らってからの、フクロウたちの動顛と混迷は思わず哄笑したくなるほどに深刻で、滑稽に感じられた。自分たちは性悪な十字鉤を山ほど発射して獲物の航行の自由を奪い去ることに御執心でありながら、自分たちが…

淡々とした空想紀行文の余韻 筒井康隆「旅のラゴス」

吉田健一の「金沢」を繙くことに飽きて、新たに筒井康隆の「旅のラゴス」という小説を読み出した。文頭から文末まで縦横に視点が入れ代わり、文意が宙吊りにされ続ける吉田健一の酩酊したような文章と比べると、随分簡潔で読み易いように感じられる。いっそ…

サラダ坊主日記 新年の御挨拶(2017年)

新年明けましておめでとうございます。サラダ坊主です。本年も何卒宜しく御願い申し上げます。 クリスマス以来、大晦日、初売りと稼ぎどころの日々が続いて仕事が立て込んだ所為で、すっかり躰がボロボロになってしまった。官公庁は暮れの29日から正月休み…

「ツバメたちの黄昏」 三十八 銛撃ちクラッツェルの渾身の投擲

「だが、構うことはないとも言えるな。何れにせよ、フクロウどもの餌食になるのは真っ平御免だ」 ジグレル・クラッツェルの良識的な懸念に対して、小隊長クラム・バエットが導き出した答えの中身は随分と粗略で大雑把なものであった。最早、それは一つの組織…

年の瀬雑感

年末商戦の山場の一つ、クリスマス商戦が終わった。今年は金土日の三連休という曜日並びの効果で、私が配属されているような百貨店立地の店舗には多くの集客があり、特に24日のクリスマスイブは昨年と比べて、爆発的な売り上げの伸び方であった。 毎日始発…

「ツバメたちの黄昏」 三十七 「風花号」の悪戦苦闘

純情だが余り頭の回らない部下を抱えて業務に精励するということは、数多くの艱難を抱え込むことに他ならない。無論、部下やバエットの前で己の小さな器を悟られたくないという一心から安易な感情の虚飾に走った私の浅薄な考え方が、真っ先に批判されるべき…

「ツバメたちの黄昏」 三十六 パドマ・ルヘラン氏の分不相応な矜持

当時も今も、フェレーン皇国の界隈では帆船が主流で、崇高なフェレノ王家の威光と版図を護衛する為に国庫から潤沢な支援を受けている軍艦に限っては、油を燃やして外輪を回す最新鋭の機構が据え付けられているものもあるが、それも海軍においてさえ主流派と…

「ツバメたちの黄昏」 三十五 暗い海原を渡る「フクロウ」たち

誰でも承知していることだろうが、広大な海洋は彼方此方に人目の行き届かない未知の領域を宿しているもので、深い森や猛々しく険阻な山岳と同じく、或いはそれ以上に、公権力の緻密な支配というものから無限に解き放たれている。それは一面では政治的な圧力…

「ツバメたちの黄昏」 三十四 洋上の夜襲、艱難の調べ

遽しい出立の準備の涯に乗り出したヘルガンタの沖合の海原には、月明かりと星屑の照り返しが美しく繊細な綾を描き、吹き抜ける潮風に総身を嬲られながら、私は自分がすっかり海の男の同胞へ転身したような気がして、慣れ親しんだ凡庸な現実との隔絶に眩暈を…

希望の代名詞としての「こども」

間もなく生後九箇月を迎えようとしている娘の挙動を日々眺めていると、色々な感情や想念が去来する。上機嫌に遊んでいるときの笑顔は格別で、天使のように愛らしく思えるが、機嫌が悪くて、口に銜えたおしゃぶりを寝室に充てている和室の暗がりへ投げ捨てる…

共感する歌は、広く届かないと、彼は言った

先日、NHKの「SWITCH」という興味深い番組で、映画監督の西川美和氏と、「いきものがかり」の水野良樹氏が対談していた。表題の「共感する歌は広く届かない」という発言は、水野氏のものである。 西川氏の「何故、自分たちの音楽活動がマス=大衆に…

「ツバメたちの黄昏」 三十三 遽しい船出

頑迷であることと、信念に忠実であること、見た目は同じようでも、実際の働きようは随分と異なる訳で、一概に良いとも悪いとも決めかねるのが、私たちの暮らす浮世の厄介な側面である。クラム・バエットが、己の信念と決断に対して頗る忠実であり、その精神…

冤罪弁護士

先日、NHKで「冤罪弁護士」として知られる今村核氏に関するドキュメンタリーが放送されていた。番組の優れた出来栄えも然ることながら、何と言っても今村氏の独特なキャラクター、或いは生き方と、日本の刑事裁判が抱えている現状の問題点が興味深く、法…

中上健次の「記憶」

先日、NHKで中上健次と「路地」の記憶を巡るドキュメンタリー番組が放映されているのを、切れ切れに眺める時間を持った。 和歌山県新宮市の被差別部落に生まれ育った中上健次の文業が、自身の生まれ育った環境に対する、愛憎の入り混じった執着に染め抜か…

「ツバメたちの黄昏」 三十二 狐色の頭巾の男

「結論から言えば、船は用立ててくれるんだな?」 痺れを切らしたバエットの眉間には三日月のような皺が幾つも縦に列なって見えた。頑迷極まりない性格のアルガフェラと向かい合って彼是と不毛な議論に時を費やすのは、彼の主義にも方針にも反する選択であっ…

「歴史」は「未来」を証明する

古文書や絵巻物といった歴史的遺産には、当時の人々の暮らしや習俗、思想や信仰が断片的に刻みつけられている。それらの古びた世界の「常識」は、現代に暮らす私たちの信奉する凡庸な「常識」とは随分、隔たっているように見える。同じ土地に住み、同じ人類…

「演歌」のメンタリティ

所謂「演歌」や「歌謡曲」という名称で扱われる邦楽には、男を支え、苦労を堪え忍ぶ健気な「女」というイメージが頻出する。女性の社会進出が叫ばれるようになって久しい昨今、そういうイメージが古臭く感じられるのは止むを得ない。しかも、そうした社会的…

理解されること、記憶されること

芸術の目的、或いは「本望」は、理解されることではなく、記憶されることに存するのではないだろうか。 芸術は何かを説明する為に存在するのでもなく、何らかの論説を述べる為の代替的な手段でもない。それは何かを伝えようとするが、その伝えようとする内容…

ギフトとしてのブログ

ブログを運営し、極めて個人的な文章を世間に向かって垂れ流すことに、何の意味があるだろうか。誰に頼まれた訳でもないのに、誰が関心を寄せるかも分からない、身勝手な主題を選んで、身勝手な文章で書き綴る、というのは、腕の悪いストリート・ミュージシ…

詩を書いても何にもならない

また、思い立って詩を書いている。そういう根拠の不確かな思いつきに衝き動かされるのは、私の人生における根本的な慣習である。 詩なんか書いても仕方ない、という想いは昔からあった。そもそも、詩歌というものには、世間的な需要が殆どない。或いは、そう…

詩作 「帰り道」

秋は深まる 刻一刻 風のなかで冷えていくあなたの頬が 秋の光りに染められて 夕闇は冴え渡って 思わず手を伸ばす 芯から冷えた あなたの頬 子どものように 幼い唇 誰もいない公園に 夕陽が射す 無人のブランコが 木枯らしに揺れる 知らない間に ずいぶん遠く…

二転三転する生き物

長文の記事を書くと宣言しながら、早速その方針に飽きてしまった。 saladboze.hatenablog.com 長文の記事を書くのもいいのだが、そうやって自らのブログの方針として掲げて、自縄自縛の状態に陥ってしまうと、パソコンを開いて一つの記事を仕上げることが無…

幻覚の「金沢」 古井由吉と吉田健一をめぐって

サン=テグジュペリの「人間の土地」を読み終えたので、今度は吉田健一の「金沢・酒宴」(講談社文芸文庫)を繙くことに決めた。 朝の通勤電車で猛烈な人波に押えつけられながら、ページを捲り始めたのだが、その独特の捩れるような、揺らぐような文体に振り…

詩作 「世界の終わり」

地平線が 燃える 火柱を あげるように 夕陽が没する 壮麗な音楽のように 世界が騒ぎだす もうすぐ なにもかも終わってしまうよ なにもかも 更地に戻ってしまうよ わたしたちは 一斉に 耳をふさいだ 聞きたくない音をすべて 拒んできたわたしたちの 罪なので…

詩作 「クランベリー」

懐かしい歌が 窓辺から聞こえる 古びたラジオ 手入れの行き届いた庭 わたしは目を覚ます 朝が来る 幸福な記憶を 手帳のようにめくる 本棚に囲まれた明るい部屋 そこでは静寂だけが暮らしている 時を刻む音に 名前も知らない鳥の声がまじる わたしは歯を磨き …

詩作 「他人の財産」

触れてしまえば 罪になる その危うい境界線を見定める あなたが不意に 翳らせた横顔 その憂いに 指で触れてしまいそう あなたが帰る部屋は 寒空の下で あたたかく燃えている 月明かりは電柱を照らし 走り去るタクシーのヘッドライトが 束の間 真実を暴くよう…

「エコロジー」という神話 サン=テグジュペリ「人間の土地」に関する読書メモ 2

テレビの向こう側では、世界の色々な場所で巻き起こった、大小様々な悲劇や災害の風景が、まるで果てしなく縁遠い、対岸の火事の眺望のように入れ代わり立ち代わり映し出され、日常の雑務に追われる私たちの視界を横切っていく。シリアの内戦は泥沼化し、博…

「自由」の重圧に堪えかねて

私が生まれ育った社宅には、それなりに大きなベージュの本棚があって、それは今も両親が終の栖として定年後に購入した東松戸のマンションの和室に聳え立っている。母親の本は、料理や裁縫に関する書籍や雑誌が大半を占め、他にはフランス語の小さな辞書、そ…

サラダ坊主の施政方針演説 「長文の推進と、独創的価値の蓄積」

九月の末日から十一月も半ばを迎えた現在に至るまでの四十数日、ずっと毎日このブログの更新を続けてきた。それは最初から企図された方針ではなく、一身上の都合に由来するものだと、つまり「成り行き」に過ぎないと言える。九月の頭くらいから私は転職活動…

結局、誰もが「ドナルド・トランプ」ではないのか?

連日、アメリカ大統領選挙の衝撃的な結末に関する報道が、ネットやテレビを賑わしている。傲慢で明け透けな「レイシスト」のドナルド・トランプに、アメリカの良識は屈したのだろうか? バラク・オバマ、ヒラリー・クリントンの描いてみせた「希望」は所詮、…

創作「14号原理主義者の告発」 第一回「JR幕張駅南口、午前二時 第一幕」

花見川区幕張地域は内陸側にあり、JR総武線・京成電鉄千葉線沿線である。美浜区幕張地域は海浜側にある埋立地で、JR京葉線沿線である。これらの地域の地誌は、おおよそ以下の通りである。 習志野市から千葉市西部にかけての東京湾沿い一帯は、下総台地が海岸…

沙漠の景色、その独特な生理 サン=テグジュペリ「人間の土地」に関する読書メモ 1

サン=テグジュペリの「人間の土地」(新潮文庫・堀口大學訳)を少しずつ読んでいる。遅々として進まないが(一挙に読むには、言葉の意味を推し量るのに時間が掛かるのだ)、断片的に覚書を記しておこうと思う。 1939年にフランスで出版された、この稀有…

食べることは、どんどん抽象化されていく

私は仕事でサラダを中心とした所謂「惣菜」を取り扱っている。こういう業種は世間では「中食」と呼ばれていて、レストランなどの「外食」と、家庭で料理を作って食べる「内食」との中間に位置するものとして分類されている。 大昔ならば、家族の食事は家でお…

小説「14号原理主義者の告発」の不定期連載を開始します

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 以前、こんな記事を当ブログにアップしました。 saladboze.hatenablog.com 国道14号線、通称「千葉街道」によって分断されている「幕張」の現実に関する誇張された記事なのですが、今回、これを題材にして、当ブログに…

KDPでの自作小説販売を停止しました

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 先日、KDPで開始した自作小説「刃皇紀」の販売を取り止めることにしました。 saladboze.hatenablog.com 未だ初めて一週間も経っていない段階で何故、急激な方向転換を行なったのかと言えば、自分でも、はっきりとは分…

売上の根底には「信用」が横たわっている

小売業の店長という立場は、日々の売上予算を追い掛けることに仕事の重点が置かれる。サービスの良し悪し、商品の良し悪しは固より大事な要素だが、幾ら壮麗な経営理念を公言してみたところで、実際に数字を出せなければ販売部の任務を成し遂げたことにはな…

「儲からないことをやるのは罪である」という呪縛

私は小売業の店長で、現場で日々、収益の追求に明け暮れている。それは私の所属する組織が「企業」であるからで、この苛酷な資本主義社会においては、利潤の追求は常に至上命題である。別に銭金を儲けることだけを念頭に置いている訳ではなく、大前提として…

赤ん坊の頭の中では何が起きているのか?

相変わらず、風邪気味である。手短に書く。 もう直ぐ生後八箇月が経とうとしている私の愛娘を眺めていると、不思議な感慨に囚われることがある。彼女は生まれてから未だ一年も経っていない、つまり彼女の人生は四季の一巡さえ経験していない段階にあるという…

個性的である為には、「自分」というコンテンツを再発見するしかない

どうやら風邪を引いてしまったらしく、体調が芳しくないので、余り入り組んだ記事は書けそうにもない。思い浮かんだことを漠然と綴って、パソコンの画面に待ち針で縫い留めておきたい。 ブログでも小説でも、或いはもっと日常的な次元で、仕事や家事、諸々の…

詩作 「刺青と口紅」

あなたの顔に 刺青を彫りたい どう足掻いても 消えないように 洗っても擦っても 落ちないように 想いが 痣のようにいつまでも 残りつづけることを 願う針先 破れた皮膚の 裂け目のように あなたの嘘を 彩る口紅 真実から 見捨てられた言葉で 駆け引きにおぼ…