サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

小説「夏と女とチェリーの私と」 5

劇しい蝉時雨が幻聴のように街路樹を濡らし、暑苦しい目映い光の中で総てが溶け合うように息衝いていたあの夏、終戦記念日を過ぎて間も無い或る月曜日に、私は夏期講習の手伝いの為に職場へ赴いた。自転車のチェーンが油切れの所為でぎしぎしと不快な音楽を…

小説「夏と女とチェリーの私と」 4

眠れない夜。堪えられなくなり、訳もなく寝静まった百万遍附近の路地を歩いてみる。夏の生温い夜風が肌を洗い、私はどうにもならない胸底を何処かの工務店に頼んで舗装し直してもらおうかと馬鹿馬鹿しく考えてみるほどに憔悴していた。ボロボロに荒れ果てた…

小説「夏と女とチェリーの私と」 3

「勉強が嫌いな子供たちに、どうやって考えたり、学んだりする歓びを、教えてあげられるか、って、思ったりする?」 不意に投げ付けられた的外れな質問に、唇が自然と乾いて、焦りが血管を駆け巡り、耳障りな音を奏でる。優等生の清々しい香気が隅々まで染み…

小説「夏と女とチェリーの私と」 2

二十歳の私は、蒸し暑く物狂おしい京都の日盛りの道を、黙々と歩いていた。大学を辞めて、空っぽになった身も心も、持て余しながら、耳障りな喧噪、人々の話し声、生温く湿った熱風、熱り立つような陽射し、それら様々な事象の混淆に、打ちのめされるように…

小説「夏と女とチェリーの私と」 1

河原町四条の繁華な通りを、私は黙って歩いていた。夏の日のことである。 塾の講師とは言いながら、要は時給で雇われた使い走りで、何しろ二十歳になったばかりの若造である。鍋底のような、茹だる暑さに全身を苛まれて、とぼとぼと歩きながら、私は無性に闇…

街衢十句

一 春の雪 生まれ変わりは どの赤児 二 夕暮れに 燃え立つ祈り 金閣寺 三 淡墨の 空染み渡る 蝉の庭 四 記録から 貴女の名前 除かれる 五 殷々と 弔鐘の打つ 港町 六 鎹の 積りで生まれ 父なし子 七 親不知 抜き差しならぬ 血の因果 八 空騒ぎ 繰り返しつつ …

ロゴスの不協和音(小説における「調和」)

小説は、単一の論理的な体系による支配に叛逆し、それを巧妙に突き崩す。それは、或る一つのイデオロギーに、別様のイデオロギーを対峙させるという、通常の論駁とは異質な方法意識に基づいている。 或るロゴス(logos)と別のロゴスとの相剋、これは小説に…

「意味」を求めない散文

「小説」とは「意味」を求めない散文であるという妄説を思いついたので、書き留めておく。書き留めておくとは言っても、この妄説の全貌が既に予見されている訳ではない。漠然たる想念の束が、意識の内部を浮遊しているというだけの話である。 小説とは基本的…

暗夜十句

一 野良犬が 虹を眺めて 溝攫い 二 年の差の 数だけ鳩を 撃ち殺す 三 虫の声 眠る私の 膝枕 四 卒塔婆に 似て束ねられ 蛍光管 五 風の坂 駆け下りゆく 夏至の街 六 静けさの 内側に降る 火矢と雪 七 興醒めの 途中で気づく 雪月花 八 お前には 何も言わない …

短詩愚見

最近、下手糞な俳句を捻り出して恥知らずにも投稿している関係で「短詩型文学」というジャンルに就いて、漠然と考えることがあった。 頗る大雑把な前提であることは承知の上で書くが、散文と詩歌とを隔てる一つの重要な分水嶺は、恐らく「理窟を語るかどうか…

房総十句

一 真夏日の 船橋を往く 三輪車 二 亥鼻の 木蔭に犬が ひとやすみ 三 空き缶を 蹴飛ばした音 京成線 四 武蔵野線 途中で不意に 宙返り 五 嘶きが 空を断ち割り 皐月賞 六 海原に 漁火の咲く 鴨川港 七 隣人の 鞄を盗み 松戸駅 八 白々と 冴える金筒 千葉みな…

夏色十句

一 ベランダに 蛍火が飛ぶ 死期を待つ 二 壊れたら 買い替えるだけ 夏の闇 三 簪が 落ちていました 路地裏に 四 三毛猫が 必死に駆ける 警報機 五 踏み切りの 風吹き渡る 通学路 六 紫陽花が 腐れていくよ 登校日 七 純白の 海岸線に 水死体 八 夏休み 午後…

愛憎十句

一 此間は ご馳走様と 恋敵 ニ 五月雨や 小野妹子の 墓探す 三 墓前には 菊花聖書と 賀茂泉 四 さようなら 雨降り小径 青蛙 五 淫乱な 夜更けが迫る 塩含嗽 六 樹皮を剥ぎ 生成りの肌に 辞世の句 七 もう二度と 逢わないはずだ 靴を履く 八 新聞に 嘘つきが…

「刃皇紀」 第十四章 樹海の社にて 2

「停まれ!」 薄暗い天空へ向かって伸びた木々の梢から、猛禽が風を切って駆け下るように、鋭利な叱声が一行の鼓膜を力強く撃ち貫いた。弾かれたように慌てて手綱を引き、速度を緩めた獣車の鼻先に、敏捷な人影が一陣の旋風の如く舞い降りて立ち開かった。薄…

サラダ坊主の推薦図書5選(第一弾)

今回の記事の趣旨は、表題の言葉に尽きている。私の個人的な推薦図書を五冊、称讃の為に羅列したいということである。少なくとも、読んで後悔することはないだろうと思われる選書の積りである。 ①坂口安吾「堕落論」(角川文庫) 堕落論 (角川文庫) 作者: 坂…

勤人十句

一 終電の 光を浴びる 瓶麦酒 二 昨夜から 下痢のとまらぬ 失業者 三 函入りの 娘が家を 出て十年 四 保険屋に 脅され屋根の 修理する 五 陰惨な 記憶と共に 夏の月 六 淋しいと 言われて肩を 叩かれて 七 作業着に 口紅ひとつ 闇ふたつ 八 落雷の 間際の駅…

「勇気」に就いて

勇気を持つことは、誰にとっても簡単な行為ではない。勇敢であること、様々な艱難を懼れないこと、不安や絶望に呑み込まれないこと、あらゆる先入観を信じないこと、これらの崇高な資質は、万人によってその意義を承認されながらも、実践の現場においては様…

芸術と「quality」

芸術というジャンルが特殊であるのは、それが如何なる意味でも「クオリティ」(quality)が総てであるという苛烈な構造的条件に貫かれているからではないかと、私は思う。 芸術という人間にとって根源的な営為が、商業的な原理に巻き込まれることが何ら珍し…

中上健次の文業

私は中上健次の熱心な愛読者という訳ではないが、その独特な文学世界には昔から持続的な関心を懐き続けてきた。彼の作品に就いては、柄谷行人を筆頭に、既に多くの言論が蓄積されている。それら怒涛のような論評の嵐に触れれば、中上健次の文学的時空の奥深…

「刃皇紀」 第十四章 樹海の社にて 1

息詰まるような夜陰に覆われたギラム高地の曠野を、獣車は疾風の如く唸りを上げて、北西へ突き進んでいた。経験を積んだ傲岸不遜の馭者であるサスティオの手綱捌きは荒々しく、鞭の揮い方は残忍なほどに劇しかった。 「アラルファンから帝都へ行くには、街道…

「苦悩」に就いて

幼い頃、私は真面目な優等生というタイプの人間であった。幼稚園に上がるか上がらないかという頃から、公文式へ通わされていた御蔭で、小学校に上がってから暫くの間は、勉強に躓くということがなかった。テストは満点を取るのが当たり前で、先生や級友の保…

「虚言」に就いて

加計学園による獣医学部新設を巡って、第二次安倍内閣の「頽廃」に関する様々な憶測と報道が日夜飛び交っている。太平洋を隔てたアメリカ合衆国では、トランプ大統領の「ロシアゲート疑惑」に関する政治的な混乱が白熱している。北朝鮮では示威的なミサイル…

中上健次「地の果て 至上の時」に就いて 2

中上健次の最高傑作と目され、物語の時系列の上で「地の果て 至上の時」と「岬」の中間に位置付けられている「枯木灘」において、主役である竹原秋幸は、幾度も「土方」という労働が齎す特権的な「幸福」に就いて語っている。 何も考えたくなかった。ただ鳴…

中上健次「地の果て 至上の時」に就いて

一箇月ほどの期間を要して、漸く中上健次の長篇小説「地の果て 至上の時」(新潮文庫)を読了した。 この複雑で長大で奇怪な小説を、短い言葉で簡潔に要約したり評価したりすることは殆ど不可能だが、敢えて一言に約めるならば「傑作」ということに尽きると…

「罪悪」に就いて

何が悪なのか、何が罪なのか、その定義を厳密に見極めようと試みても、視界は一向に晴れようとしない。罪悪という言葉自体は充分に歴史的な手垢に塗れているように見えるが、その内訳は極めて多様で、様々な社会的条件に四方八方から制約されている。つまり…

「個人的な辞書」に就いて

生きることは思い出すことに似ている。生きているだけで人間の頭脳には重油のように記憶が溜まり、時に醗酵し、時に蒸発する。生きることは記憶を積み重ね、その網目を複雑な紋様にまで高めていくことだ。そうやって人間は生きることに慣れ親しんでいき、一…

「孤独」に就いて

世の中には「孤独を懼れるな」という激励に満ちた言説が飛び交っている。実際、孤独そのものを懼れても無益であることは確かな事実であり、多かれ少なかれ、人間が孤独という止むを得ない状況に呑み込まれることは少しも奇態な現実ではないと言うべきだろう…

「プライド」に就いて

「自信を持てない人ほど、プライドが高くなる」というのが私の個人的な見解である。自信というのは文字通り「自分で自分を信じること」を意味するが、自分で自分を信じられない性格の人間は往々にして「他人の評価に基づいて自分自身を信頼する」という迂遠…

「決断」に就いて

決断することは常に難しく、多くの危険を孕んでいるものだ。決断するとき、私たちは綿密な熟考を経ている場合もあるし、単なる素朴な思い付きだけを足掛かりに選んでいる場合もあるが、何れにせよ、決断が困難であることには変わりがない。綿密な検討を積み…

「卑屈」に就いて

自分で自分の人生に責任を持つことを拒むと、人間は必ず「卑屈」になるか、或いは「虚勢」を張るようになる。自分で自分を信頼することが出来ないという精神的状態は、自分の人生に自分自身の判断で責任を取ろうとせず、総てを外在的事象の結果として捉えよ…

「独裁者」に就いて

最近、米国のドナルド・トランプ大統領は、ロシアとの「不適切な関係」を取り沙汰されて、四方八方から攻撃を受けている。ロシアのラブロフ外相に同盟国(イスラエル)から入手した機密情報を流したということで、国内の情報機関からも敵視されているらしい…

「正論」に就いて

「正論」は凶器のようなものである。無論、これは一種の極論に等しい命題だ。如何なる正しさとも無関係に、己の実存を歩み続けることは簡単ではない。如何なる正しさも肯わないままに、自分の人生を切り拓いたり、苛酷な試練に挑戦したりすることは不可能で…

「コミュニケーション」に就いて

現代は「コミュニケーション」という理念が異常に重視され、魔法の言葉として濫用される時代である。多くの人々が「コミュ力」(コミュニケーション力)の多寡を競い合い、自分は「コミュ障」(コミュニケーション障碍)であるという奇怪な卑下を用いて、不…

「悼むこと」に就いて

余り具体的なことを書くと差し障りがあるので、詳細は省くが、今日、勤め先の店舗の固定電話に、常連の御客様(仮に「Sさん」としておこう)から、私宛てに電話が掛かってきた。 最近、余り顔を見なかったので一頻り久闊を叙した後に、Sさんは今度の日曜日…

「書評」に就いて

私は最近、中上健次の分厚い長篇小説「地の果て 至上の時」(新潮文庫)を読んでいる。最初に購入して通勤の往復の電車で読み出し、途中で飽きて投げ出したのが二十代前半の頃だったと曖昧に記憶しているので、それから知らぬ間に随分と月日が過ぎてしまった…

「自信を持つこと」に就いて

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 昨春から約一年間、一緒に働いてきた部下の女性社員が今月で異動になり、後任の女性社員が配属されてきて、三日間の引き継ぎ期間に入っています。 新たに着任した彼女の働きぶりを見ていて、最も強く感じたのは、根本的…

「赦すこと」に就いて

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今日、昔の部下(男性です)と電話で話す機会を持ちました。今は転職して、別の会社で働いているのですが、久々に逢いましょうという連絡が届いたのです。何かあったのかと思い、メールで「そろそろ結婚の報告か?」と冷…

物書きの為の苦い良薬 ショウペンハウエル「読書について」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 ドイツの哲学者ショウペンハウエルの「読書について 他二篇」(岩波文庫・斎藤忍随訳)を読み終えましたので、ここに感想を記しておきます。 とはいえ、この薄い一冊の書物は、一度通読したらそれで済むというものではな…

「鯨」に捧げられた「聖書」のごとく ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 3

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 先日、遂にハーマン・メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)下巻を読み終えましたので、ここに感想の断片を遺しておきたいと思います。 上巻と中巻に関する感想文の記事で触れた内容と重複する部分も出て来るか…

私たちは、誰も答えを知らぬままに生きている

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 世間はゴールデンウィーク真っ盛りですが、小売業の陣頭に立つ私は本日も仕事で、家に帰り着いたのは午後11時近くでした。 昨春の人事異動で、家が幕張、職場が千葉という関係性になって以来、10時過ぎには帰宅する…

高等教育の無償化に関する個人的な懸念(或いは「妄想」)

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 今日、仕事を終えて家に帰り着き、遅い夕食を取りながらテレビの電源を入れて「報道ステーション」を眺めていると、安倍内閣が2020年の憲法改正実現を宣言したというニュースが偶々眼に留まりました。 その報道の中…

shimomurayoshiko氏への応答(私信のようなもの)

以前、私は「ブギーポップ」という小説に就いて、次のような記事を投稿した。 saladboze.hatenablog.com この記事は、私の運営する零細ブログにおいては珍しく、ツイッターを通じて拡散され、幾つかの批判的なコメントを頂戴する仕儀と相成った。 saladboze.…

ドリトル先生の想い出

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 最近、一歳になった娘が、リビングに置いてある数冊の絵本に、以前よりも関心を示すようになりました。 その日の気分で、関心を示す対象となる絵本は異なるのですが、気に入ったものは熱心にページを開いたり閉じたりし…

「畸形」としての物語 ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 2

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 メルヴィルの「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)の中巻を読み終えたので、覚書を認めて読者諸賢の御高覧を賜りたいと思います。 改めて思い知ったことですが、この「白鯨」という小説において、作者のハーマン・メルヴィ…

「まず読んでみる」という蛮勇に就いて

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 最近、岩波文庫に収められたハーマン・メルヴィルの「白鯨」を読んでいます。最初に「白鯨」という作品に触れたのは恐らく小学生の頃で、両親が同じ団地の知り合いから譲り受けた大判の「世界文学全集」(確か講談社の発…

異様な饒舌と「逸脱」への熱量 ハーマン・メルヴィル「白鯨」に関する読書メモ 1

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 アメリカの作家ハーマン・メルヴィルの有名な長篇小説「白鯨」(岩波文庫・八木敏雄訳)の上巻を読み終えたので、感想の断片を書き遺しておきたいと思います。実は昨年の春にも、この「白鯨」という難攻不落の叙事詩に挑…

「小説」と「人事」

どうもこんばんは、サラダ坊主です。 偶には趣向と気分を変えて、敬体の文章で記事を書いてみたいと思います。 特に深い意味はありません。単なる気分の揺らぎの問題です。 気持ちとしては、演壇に登って一席弁じているような感覚です。 御覧の通り、「小説…

サラダ坊主風土記 「佐倉」

此間の土曜日に、家族と共に佐倉ふるさと広場で開催中のチューリップフェスタというイベントに出掛けてきた。 本当は千葉市の猪鼻城(「亥鼻」とも書くらしい)へ桜でも見に行こうかと、幕張から千葉へ向かう京成電車に乗り込んだのだが、中吊りの広告でチュ…

抽象と断罪 三島由紀夫「午後の曳航」

三島由紀夫の「午後の曳航」(新潮文庫)を読了した。 この作品に限らず、三島文学の普遍的な特質と言える要素なのかも知れないが、今回「午後の曳航」を通読して改めて感じたのは、その文体や構成の根本的な「明晰さ」である。様式美と言い換えてもいい。三…

「ツバメたちの黄昏」 四十二 南蛮の潮風

冴え渡るような純白の砂浜が、飢渇に追い詰められた憐れな船乗りたちの乱暴な着岸を黙って受け容れてくれた。有難いことに、三日三晩の漂流の末に漸く遭遇することの出来た陸地へ縋るような想いで漕ぎ着けるまでの間、私たちの隠避船の行く手を妨害する不愉…