サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

強烈なるアジテーションの浸透力 寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」(角川文庫版)

 今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

 どうもサラダ坊主です。

 今週のお題が「人生に影響を与えた1冊」ということに偶然気づきましたので、早速投稿させていただきたいなと思います。

 私は小さいころから読書が好きで、そのわりに濫読と言えるほどの量は読んでいない中途半端ぶりですが、書物から強い影響を受けて考え方を改めた経験も一再ではありません。このブログで既に取り上げた坂口安吾柄谷行人のエッセイは何度も何度も繰り返し読み込みましたし、幼稚園に通うぐらいの幼少期にはヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」を熱心に愛読しました。本を読むという営為には、実人生だけでは間に合わない多種多様な「世界」を疑似的に体験できるという利点があるとともに、実人生に対する解釈の深さや角度を支えてくれる便利でありがたいアプリケーションのような効能もあります。お気に入りの書物、折に触れて読み返せる書物が一冊でもあるということは、本来のんべんだらりとしている平坦な「人生」というものに奥行きを与えてくれます。

 さて前置きはこの辺で切り上げまして、本題に入らせていただきます。今回取り上げますのは寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という評論(エッセイ?)集です。まず例のごとくウィキペディアから作者の経歴を抜粋します。

寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は日本歌人劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。

言葉の錬金術」の異名[1]をとり、上記の他に俳人詩人演出家映画監督小説家作詞家脚本家随筆家評論家俳優写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。メディアの寵児的存在で、新聞雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。

 この人は本当に多芸多才な方で、特定のジャンルに囚われることのない守備範囲の広さは余人の追随を許しません。もともと俳句や短歌などの短詩型文学を主要なフィールドに据えて出発しましたが、後年は演劇や映画などでその豊饒な才能をいかんなく発揮しています。とはいえ、映画に対する造詣が浅く、演劇については無知と言ってよいほどの私には、その巨大で多角的な業績の総体を論評するような知識も資格も備わっておりませんので、しっかりと照準を絞って本エントリーを綴っていきたいと思います。

 「書を捨てよ、町へ出よう」は、実に様々なテーマとモチーフで構成されたエッセイがごった煮となっている書物ですが、その主要な、或いは総合的なコンセプトは恐らく「アジテーション」の一語に尽きていると思います。そして、そのコンセプトの主立ったターゲット、つまり客層は「若者」であり、そこには当時の政治的な時代背景も手伝っているのでしょうが、社会の上層を支配する老年の権力者たちに対する痛烈な揶揄と排撃の言葉が織り込まれています。

 どうして親父たちが速いものを嫌いなのかといえば、それは親父たちが速度と人生とは、いつでも函数関係にあるのだと思いこんでいるからである。

 あらゆる速度は墓場へそそぐ――だからゆっくり行った方がよい。人生では、たとえチサの葉一枚でも多く見ておきたい、というのが速度ぎらいの親父たちの幸福論というわけなのだ。

 

 だが、速度がおそいほど経験が拡張されるという親父の人生観は、まちがった反科学の認識の上に立っている。親父たちが、ぼくらにのこした文化の遺産は、実はきわめて素早いものばかりだった。ヨーロッパではマラトンの走者からロンジュモーの駅馬車をへて、天体ロケットへとたどりついた二六〇〇年の「速度の歴史」が、わが国では文化そのものの形態のなかに妊まれていたのである。

 エジプトの文化のように書簡、壁画、玩具、墓、ありとあらゆる廃品とガラクタを保存し、思い出によって文化の輪郭をえがこうとする死者の文化、凝固と石の世界史観や、インドの文化のように一切を忘れてしまおうとする非歴史的な文化、無とねはんとのリグ・ヴェーダから仏陀までの宗教の有機体にくらべると、わが国の文化は「速度」の文化だといってもいいだろう。

 さくらが咲いてすぐに散るまでの「時」の長さ、一瞬を永遠と感じずにはいられない日本人の、美学の根底をながれる速さへのあこがれは、「一番速くこわれてしまう粗悪輸出商品」から、世界で一ばん速い詩としての俳句にいたるまで、数えきれないほどのこじつけ材料をもっている。 

 この奇怪な説得力の強靭さはどうでしょう。寺山修司の文章には常に「スピード」が満ちていますが、それは簡潔明快な短文を連ねることによって得られるヘミングウェイ的なスピードではありません。余分なものを省いて確保される「速度」ではなく、寧ろ多種多様に増殖と拡張を繰り返し、観念的なものと現実的なもの、崇高なものと卑近なもの、そういった色々な「対比」の隙間を猛烈な勢いで連絡しながらハンドリングしていく「思考のダイナミズム」が、異様な疾走感を伴っているのだと言えます。その視点の移動の甚しい目紛しさはちょっと類例がありません。それは柄谷行人の抽象的な「断言」に満ちたアタックの強さとも違うし、粗野な言葉で固定された観念を食い破ろうとする坂口安吾の「性急さ」とも異質です。寺山の文章は常に恐ろしく観念的で抽象的な領野と、素晴らしく矮小で日常的な事物に関する認識の領野とを、エアホッケーのようにせわしなく高速で往還しながら綴られていくのです。そのワクワクするような知的ドライブ感が、これ以上ない巧みなアジテーションの台詞として読者の心臓をかきむしる訳です。

 それは彼が単なる「評論家」ではなく、あくまでも言語芸術の「鬼才」であることに起因する現象でありましょう。エッセイというのは、エッセイ専門の人間によって綴られるべき高等な技芸ではなく、本質的に「余技」でなければならないと私は思います。ブログなんかもそうですが、エッセイがエッセイとしての性質を失わないためには、それは「作品」として重厚な外観を纏ってはならないのです。エッセイの魅力はそれが「余技」として綴られているゆえに生じる「断片的性格」から分泌されます。

 彼のエッセイには、芸術家として様々なジャンルを颯爽と踏破した経験から滲み出る「認識」が宝石のようにちりばめられています。いかにも社会派の運動家めいた言説から、いかにも洗練された詩人のような随筆まで、本来「余技」であるエッセイの中に多面体のような彼の存在が映し出されているのを味わうのは、他では得難い愉悦であると言えましょう。特にこの本の中で頻出する逆説的な金言、名調子の数々に酔い痴れ、繙読当時、まだ十代後半の少年であった私は、来るべき「大人の世界」に対する挑戦的な気分を募らせたものでした。

 アメリカではライフル少年の犯罪が新聞記事を賑わしている。少年が、ある日突然に自分の幸福な両親に、銃口を向ける恐怖は、そのままアメリカのベトナム政策への批判だという解説もある。

 だが、銃のつめたく重い存在感は一切の比喩をこばむだろう。

 あと十年! と少年は考えている。

 階段に腰かけて、頬杖をついて、昨夜の夢の終ったところから、今日を生きつづけなければいけないのである。

「ああ、早く大人になりたいな」と少年はつぶやく。

 そのつぶやきを背中で聞きながら、父親はまた一人でウイスキーを飲んでいる。

「銃を持てない社会はつまらないが、銃を必要とする社会はもっとつまらない」

 酔いがまわってくると、二十年前の足の古傷がまた痛みだす。

 父親は、終った戦争についてぼんやりと考える。

「俺の足を駄目にしたのもたかが一本の銃だった。

そして、いまおれの息子が欲しがっているのもたかが一本の銃なのだ」と。 

  以上、船橋サラダ坊主でした!

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)