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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

社会的分業について

どうもこんばんは、サラダ坊主です。

今朝、仕事へ行く前に職場の近くの喫茶店で簡単な朝ごはんを食べようと思って並んでいたら、私の前に立っていたおばさんが店員に「紙袋ちょうだい」と言ってました。コーヒー豆とかを纏めて買ってたので、紙袋を要求するのは別に当たり前というか、普通の行為だと思うのですが、「紙袋ちょうだい」と言い終わって直ぐに「時間がないから急いでもらっていい」と言って、最後には品物をひったくるように出ていきました。

別にだからなんだよって話なんですが、こういうお客さんって結構世の中に有り触れています。特に駅ビルとか駅ナカとか、電車やバスの時刻を気にして買い物している方が多い立地では、割と見かけます。その中には、「急いで急いで」って言う割にあれこれ注文が多かったり、まとまった量を買ったりして、どうしたって接客に時間のかかるような買い方をしているのにもかかわらず、自分の都合だけでやたらと急かす人がいます。私も客商売をやっているので、まあ、実際に遭遇したらテキパキやって早々にお帰り頂くように努めていますが、はっきり言って不愉快です。

あの、客商売なんで、お客様の要望に応えるのは当然のことで、対価も貰ってるんだから我慢すればいいだけの話なんですが、それはあくまでも「商売人」としての捉え方で、一個人としては「エゴイスト」としか思えません。

だってそんなに急いでいるなら、あれこれ手間のかかる買い方をしなければいいじゃないですか? 自分の望み通りに買い物が進まないことに苛立つ気持ちは分かりますが、色々と複雑な質問やら細かい要求しておきながら「時間がないから急げ」って何様なのって思いませんか?

世の中には「お客様」という立場に踏ん反り返っている人が少なくありませんが、そもそも金を払うだけでなんでそんなに偉そうなのか、別に馬鹿丁寧に接してもらわなくたって勿論構いませんが、せめて対等の立場でコミュニケーションを取るべきじゃないですか。企業は商品やサービスを提供し、顧客は対価を支払ってそれらを享受する、その関係性が何でこんなに「非対称的」なのかと、私は常々疑問に思っております。

当たり前のことですが、この世界は「分業」で成り立っています。社会の一員として働くことは、社会の中の何らかの「分野」を引き受ける代わりに、その他の「分野」に対しては「お客様」として歓待される資格を得るということで、その循環の媒介として「通貨」が存在します。誰だって或る分野においては「奉仕する側」であり、別の分野においては「奉仕される側」なのであって、そのポジションというのは日夜目紛しく変動するのが普通です。そうなってくると、誰しも「奉仕する側」の感情というのは忖度出来る筈で、それが出来るのなら「手数のかかる要求をしながら同時に早くしろと急かす」というオーダーが「理不尽なもの」であることぐらい、理解出来ると思うのです。それをしないのが意図的なのかどうかはケースバイケースでしょうが、そういう「想像力」を持ち得ないというのは、「顧客の権利」云々以前に人間として未熟である証だと思います。

「むかつく店員」とか「むかつく営業マン」とか「むかつくディーラー」ってのは、誰しも一人や二人ぐらい心当たりがあるのではないかと思いますが、同じように「むかつく客」とか「下品な客」とか「低レベルな客」というのも数多存在します。それって合わせ鏡のような関係であって、誰しも常に「顧客の立場」を独占することなど出来ない筈です。天皇陛下でさえ、海外から国賓を迎える場合には「奉仕する側」に回るのでしょう? たかがコーヒー豆を買ったくらいのことで傲慢な態度を取るのは卑しいことだと思います。

世の中は分業で回っているのだから、互いの気持ちを理解し合わないと駄目じゃないですか? 「顧客の権利」に固執するのは、寛容で快適な社会の形成を阻害する行為ではないでしょうか?

でも、落ち着いて考えてみると、どんな仕事にも必ず「顧客」は存在する筈なのに、「顧客」の存在を生々しく実感しながら業務に励んでいる人って、必ずしも多数派ではないのかもしれませんね。そうだとしたら、知らぬ間に「顧客の立場」へ固着してしまうのも止むを得ないのでしょう。そういう態度が、その人の本業における「顧客の信頼」を勝ち得るのに役立つとは思えませんが。

愚痴っぽくなりました、サラダ坊主でした!