どうもこんばんは、サラダ坊主です。
鬱陶しい秋雨が続きますが皆様いかが御過ごしでしょうか。
本日のお題は小川一水の超巨編SF小説「天冥の標」です。未だ完結しておりませんが、その圧倒的かつ壮大な構想力、扱われるファクターの幅広さ、入り組んだ迷宮のようなストーリーライン、奔放なイマジネーションで一部の人々に(万人受けするとは言い難い性格の作品ですよね)熱狂的な支持を受けています、たぶん。下記にウィキペディアの書誌情報を貼っておきます。
- 天冥の標I メニー・メニーシープ[上] (早川書房 ハヤカワ文庫JA、2009年9月、ISBN 978-4150309688)
- 天冥の標I メニー・メニーシープ[下] (早川書房 ハヤカワ文庫JA、2009年9月、ISBN 978-4150309695)
- 天冥の標II 救世群 (早川書房 ハヤカワ文庫JA、2010年3月、ISBN 978-4150309886)
- 天冥の標III アウレーリア一統 (早川書房 ハヤカワ文庫JA、2010年7月、ISBN 978-4150310035)
- 天冥の標IV 機械じかけの子息たち (早川書房 ハヤカワ文庫JA、2011年5月、ISBN 978-4150310332)
- 天冥の標V 羊と猿と百掬の銀河 (早川書房 ハヤカワ文庫JA、2011年11月、ISBN 978-4150310509)
- 天冥の標VI 宿怨 PART1(早川書房 ハヤカワ文庫JA、2012年5月、ISBN 978-4150310677)
- 天冥の標VI 宿怨 PART2(早川書房 ハヤカワ文庫JA、2012年8月、ISBN 978-4150310806)
- 天冥の標VI 宿怨 PART3(早川書房 ハヤカワ文庫JA、2013年1月、ISBN 978-4150310943)
- 天冥の標VII 新世界ハーブC(早川書房 ハヤカワ文庫JA、2013年12月、ISBN 978-4150311391)
- 天冥の標VIII ジャイアント・アーク PART1(早川書房 ハヤカワ文庫JA、2014年5月、ISBN 978-4150311599)
- 天冥の標VIII ジャイアント・アーク PART2(早川書房 ハヤカワ文庫JA、2014年12月、ISBN 978-4150311698)
この作品はとにかく、その物語の時空の壮大なスケールと、登場する様々なファクターの濃厚な複合性が魅力であると言えましょう。2010年代のパラオで発生した「冥王斑」と呼ばれる毒性も致死率も高い強力な感染症を一つの「導きの糸」として、数千年の時空を経て紡がれる錯綜したストーリーラインは、文学的想像力の限界に挑戦しています。およそ考えられる限りの要素を詰め込みながら、なおも均質なトーンを失わない作者の筆力には脱帽するほかありません。
この作品においては「架空の歴史」が取り扱われています。現代の日本から物語を駆動させている分、読者は現実の歴史が「架空の歴史」へと強靭な膂力で改変され、捏造され、カテドラルのように壮麗な「虚構」へと地続きに昇華されていくプロセスを目の当たりにすることが出来ます。作家にとって「歴史」という長尺のフィクションを作り上げることは、相当な力業であると言えます。現実の世界を舞台に選べば、作者は様々な事柄を事細かに説明する労力を省くことが出来ます。「スマートフォン」や「山手線の駅名」や「自動販売機の仕組み」や「国会議事堂の場所」や「空港の搭乗手続き」や「銀行普通口座開設の手順」といった日常の些末な情報を、現実の日本に依拠することで、自動的に読者と共有することが可能になるからです。しかしその分、フィクショナルな想像力は「現実による制限」を課せられることとなり、現実に有り得ない事柄を読者に「フィクショナルな真実」として嚥下させることの難易度は間違いなく高まります。少なくとも現実の日本と地続きである世界で「アンチ・オックス」のような存在を、例えば浅草の仲見世通りに登場させながら「リアリティ」を保つのは容易な話ではありません。
これほど壮大な物語を一つの「歴史」として(作者は「史乗」という言葉を用いています)描き出すには、言語や通貨や国家や、あらゆる社会的制度や、地域に固有の習俗などについて、虚構的な「リアリティ」を維持する為の「嘘」を拵えねばなりません。それだけでなく、この作品で小川氏は「歴史の多重性」という問題にまで手を染めています。植民地「メニ―・メニ―・シープ」におけるパブリックな「歴史」と隠匿された実際の「歴史」との間には、或る政治的な理由から生み出された「乖離=断層」が存在しています。第一巻「メニ―・メニ―・シープ」で描かれた物語を別の角度から描いた「ジャイアント・アーク」を見れば歴然としている通り、記録された歴史=「史乗」が単一なものではなく、様々な事物の「編集」に基づいているということは、人間にとって永遠の課題です。言い換えればそれは「史乗の政治性」ということになります。
「史乗」が政治的な優位者、つまり権力者によって編集されるものであることは既に今日、自明の事実です。厳密に言えば、「史乗」の内容はそれを編集する主体の「政治性」に応じていかようにも改変され得るということです。このような「史乗の政治性」という主題が、日頃から様々な物語の「編集」に従事している作家の想像力を刺激するのは当然であると言えましょう。
物語もいよいよ大詰めに近づきつつある「天冥の標」のもう一つの主題は、昨日の「るろうに剣心」のエントリーでも取り上げた「憎悪」の問題です(実際にも「天冥の標」の第六巻は「宿怨」と名付けられています)。長大な歴史を貫いて伏流する物語の動因が、プラクティスのジャームレスに対する深刻な「憎悪」にあるということ、これは正しく歴史的な想像力の主題に相応しい問題であると言えます。極限の「憎悪」に凝り固まり、巨大な「タナトス」の権化となったミヒルと、ジャームレスに対する人間的な「憧れ」を捨てられないイサリの確執が、「裁き=赦し」の問題へ接近していくのは確実です。
他にも色々語るべきポイントはあるのですが、今回はここまで。
船橋サラダ坊主でした!
天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)
- 作者: 小川一水
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/09/30
- メディア: 文庫
- 購入: 8人 クリック: 108回
- この商品を含むブログ (119件) を見る
天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)
- 作者: 小川一水
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/09/30
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 31回
- この商品を含むブログ (88件) を見る