サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「個人」と「制度」の相剋 田中芳樹「銀河英雄伝説」

 どうもこんにちは、サラダ坊主です。

 本日は私が最も愛する小説の一つ、田中芳樹の「銀河英雄伝説」について書きたいと思います。

 過去にはアニメ化もされている、この有名なスペースオペラは、創元文庫で本編10巻、外伝5巻というボリュームの壮大な物語ですが、読んでみるとその長さゆえの中弛みみたいなものが全く感じられない秀逸な傑作です。必ずしも物語自体は、手に汗握るサスペンスやドラマツルギーに脳天から爪先まで染め抜かれているという訳ではないのですが、作者の語り口が巧みで、普通に書けば退屈してしまいそうな箇所でも知らぬ間に読まされてしまうのです。

 この作品の内実を知らない読者が「銀河英雄伝説」という余りにも仰々しく身も蓋もない表題を目の当たりにすると、結構拒否反応が出てしまうかもしれないと思うのですが、それは実に勿体ない誤解であると断言出来ます。この作品は確かに大仰な描写(例えばローエングラム公ラインハルトの容貌に関する描写などは、様式的と言えるほど完璧な絶賛に満ちていますよね)や、古典的で手垢に塗れたガジェットを多量に含んでいますが、決して通り一遍の凡庸なスペースオペラではないし、単なる大衆的な娯楽として消費されるだけで命脈の尽きるような安物でもありません。壮大な物語を描きながら、その物語の展開を通じて、ここには絶えず重要な政治的命題への自問自答が伏流しています。簡単に言えばそれは「優秀な君主制国家」と「愚劣な共和制国家」の何れが是とされるべきか、どちらが人類の幸福により多く資するのか、という出口の見えない考察です。言い換えれば優れた個人の資質に総てを委ねるのか、個人の資質が劣等であっても機能する仕組みを作るべきか、何れを望むべきなのか、という設問です。

 この二つの概念のコントラストは、単なる空理空論として語られているのではなく、或る具体的な肉づけを施された二つの陣営、二つのキャラクターに、物語的な形象として埋め込まれています。銀河帝国ラインハルト・フォン・ローエングラムは「優れた専制的統治」の体現者であり、自由惑星同盟ヤン・ウェンリーは、個人として優れた才覚の持ち主であるにもかかわらず、独裁者によって統治されることのない開明的な自由の庇護者であることを、己に課し続けます。言い換えれば、これは政治的=社会的な制度設計の枢軸を「個人の資質」に委ねるべきかどうか、という普遍的な問いかけの小説的な表現なのです。

 端的に言って、この物語自体は、そういう二項対立的な問題に明確な結論を与えることがないまま、完結しています。ヤン・ウェンリーは志半ばで暗殺され、ラインハルトもまた死病の為に幼い世子を遺して夭折します。ローエングラム朝銀河帝国の政治的力量の検証は、皇后ヒルダと重臣ミッターマイヤーたちの手に委ねられ、総てが儚い幻であったかのように、壮大な筋書きは終幕を迎えます。ですから、この問いに答えを出したという意味で「銀河英雄伝説」を賞賛することは出来ません。重要なのは、登場人物たちが抱え込んだ問いの深刻さと、問いに対する誠実さに、私たち読者が「共振」することなのです。

 ラインハルトもヤンも、或いはその他のキャラクターたちも、それぞれが抱え込んでいる問いかけに対して驚くべき真剣さを以て向き合っています。数々の武勲を重ねても、ヤンは決して自由惑星同盟を「独裁者的に」掌握しようとはしません。それは彼の私的な「理念」に反する行為だからです。同様にラインハルトも、旧弊な皇帝と門閥貴族を排撃するという己の「理念」に対して酷薄なほどに誠実であり、その歩みがブレることはありません。

 ですが、それだけでは「銀河英雄伝説」が傑作たりえることはなかったでしょう。彼らが抱え込んでいる個人的な「理念」、即ち「信念」は、彼らが偉大な人物であるから持ち得たものではなく、またその巨大な業績も、彼らが「正義の使徒」であったから切り開けた訳ではないのです。彼らは個人的な信念に殉じようとする傍らで、絶えずその信念を妨礙するものたちと遭遇します。それらの妨礙を、彼らは超越的な力量で退けるのではなく、あくまでも「智略を尽くす」ことで乗り超えていきます。言い換えれば、彼らは対立する相手に対する「理解」に基づいて、艱難を克服していくのです。このプロセスの誠実な描写は「銀河英雄伝説」を凡百のスペースオペラであることから救済していると言えます。

 ラインハルトは絶えず「憎むべき門閥貴族」や「暗愚な皇帝」に対する冷徹な分析を語り、ヤンもまた「デモクラシーの不愉快な暗部」について皮肉な言及を繰り返します。あるいは、捕虜交換式におけるジークフリード・キルヒアイスや、ヤンへの弔問に訪れたナイトハルト・ミュラーのように、互いの陣営や主義主張の違いを越えて、相手を尊重したり畏敬の念を覚えたりすることもあります。愚かな敵は、自国の外側に限って存在する訳でもなく、身内の中に強固な根を生やしている場合もあります。ヴェスターラントの虐殺においては、ラインハルトは本来の信念に反して安易な選択に踏み切り、結果としてキルヒアイスとの関係に齟齬を来します。このように、実に様々な対立、実に様々な宥和、それらの大規模な輻輳が、物語の展開に測り難いほどの深みを与え、豊饒な活力を生み出しているのです。

 互いに理解しようと努めながら、それでもうまく噛み合わず、常に当初の目的から逸脱した方角へ向けて出来事の連なりが捻じれていく。そういう当たり前の光景を通じて、作者もキャラクターも「信じるべき正義とは何か」という重厚な問題に向き合い続けているのです。そういう根源的な問いかけを持たずに綴られれば、こういうタイプの作品は、退屈な艦隊戦と、答えの分かり切った政治的謀略を混ぜ合わせただけの「独活(うど)の大木」で終わってしまっていたでしょう。壮大な物語に「生命」を吹き込む為には、「答えの分からない問い」が不可欠なのだということで、一応の結論とさせて頂きたいと思います。

 以上、船橋からサラダ坊主がお届けしました!

 

銀河英雄伝説 文庫 全10巻 完結セット (創元SF文庫)

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