サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 六 哀れなルヘラン氏、一世一代の大役を仰せ付かる

 円形劇場の檜舞台で主役を演じる中堅の俳優のような声量で、我が敬愛する商館長閣下は昨今のフェレーン皇国を取り巻く厄介で面倒な政治的情況に就いて、有難い御高説を並べ立てて下さった。以下はその大雑把な要約である。

 既に述べたところと重複するが、我慢して御付き合い願いたい。私の暮らす親愛なる母国フェレーンは、フェレノ王家の一族によって支配される君主制国家であり、西部の国境を隔てて領土を接するダドリア王国はフェレノ王家の傍流の家系が開いた、同じく王制の国である。規模に関してはフェレーンの方が圧倒的に大きく、経済や軍事の水準も高い。然しダドリアも決して他人の扶助を当てにしなければ成り立たない弱小な王国という訳ではなく、穏やかなダドリア海に面した南部の沿海州に幾つかの典雅で賑やかな商港を保有して、盛大な貿易で立派に富を蓄えている。但し、いかんせん国土が狭く人口も限られているので国力の増進には自ずと限度があり、しかも昨今は先王シュタフェライの急な病没に端を発した後継者争いに国家の屋台骨はボロボロの有様で、内紛を収拾し得る指導力を備えた強固な勢力も存在していない。船頭を失って難破しかかった小さな船を助ける為に、我が敬愛するフェレノ王家のシアレコス今上陛下は色々と手を尽くしているらしいが、商館長閣下の仰る通り、相互不可侵の協定を締結している手前、思い切った軍事的行動に打って出ることも叶わず、状況は膠着している。

 商館長閣下がちらりと言ったように、懸念すべき問題は相互不可侵協定だけではない。我がフェレーン皇国の北辺に接するレダイラス王国の侵攻に対する危惧も、決して忘れてはならない重要な懸案事項である。彼らレダイラスは昔から領土的な野心が旺盛で、ウェルゲリア大陸でも屈指の老大国であるフェレーンの肥沃な版図を喉から手が出るほど欲しがっている。ダドリアの内乱を収束へ導く為の出兵に踏み切れば当然、北部国境地帯の防備は手薄となり、万一レダイラスに攻め込まれた場合には充分な抗戦が難しくなるだろう。幾らフェレーンが精強な軍事力と豊かな経済力に恵まれた強国であるとは雖も、北と西に同時に派兵するのは容易な業ではないのだ。

 ダドリアの王党派の分裂と共和主義的革命派の勃興、そしてレダイラスの領土的野心の高まり、この二つの災厄に不本意にも挟み込まれてしまった我が国の中枢に位置する御偉方が、彼是と頭を悩ませることは避け難い。

「そこで、我々民間の商会に王家の詔が下ったという訳だ」

 語り終えたモラドール氏の真剣な表情に気圧されて、私は暫くの間何も言えず、間抜けな鯉のように口を何度も開閉することしか出来なかった。

「由緒正しき商人の集まりであるラーヘル商会に、武器弾薬の輸送が命じられた。王党派を支援する為だ。無論、大掛かりな任務となるので、ラーヘル本体だけでは対応し切れない。我々コスター商会も、王家の意向を鑑みて、この重要且つ崇高な使命に全力を挙げて取り組まねばならない」

「その大役を私に? 他に幾らでも適役はいるでしょう」

 単なる書記官に過ぎない私が、輸送の実務に携わる理由はないし、況してや内容が内容だ。万が一にも失敗の許されない重要な業務に、輸送の素人である私が監督官として随行するのは幾らなんでも杜撰な人事であるように思われた。

「そうやって自分を卑下するのは良くない。自ら、評価を得る絶好の機会を取り逃がす積りかね」

「いや、そういうことじゃなくて、私を輸送の実務に充てるのは無謀な話ではないかと」

「そんなことは君自身が悩むべき事柄じゃないだろう。無論、熟練の運び屋と、精鋭のツバメをつけてやる。君はその管理監督だけを遣ればいい」

「簡単に仰いますが、それは」

 運び屋もツバメも、筋骨隆々たる男たちであり、貧弱な肉体の持ち主である書記官の私には到底、扱い切れるような連中ではない。どう考えても人選の誤りとしか思えない。

「考え直して下さい、商館長。私は単なる事務屋なんです。弾薬の輸送なんか」

「逆らうのかね」

 口調は辛うじて穏便だが、明らかに威圧的な表情で商館長は身を乗り出し、葉巻の煙を私の顔へ吹きかけた。弛んだ瞼の下の瞳が、刺すような光をぎらぎらと放っている。

「ルヘラン君。コスター商会が君を雇い入れて、もう随分と長い歳月が過ぎた。君はその間、与えられた俸禄に見合うだけの仕事を果たしてきたかね」

 それは恫喝じゃありませんかという訴えの言葉が喉仏まで迫り上がったが、商館長の峻厳な眼光に射竦められると叱られた仔犬のように胃袋の奥底へ引き返していった。随分と厭味な言種だが、痛いところを衝かれたとも言える。ラーヘル商会の本店から追い出され、このジャルーアのコスター商会に雨宿りのように潜り込んで以来、私は淡々と書記官の仕事を熟すばかりで、それ以上の野心や権力への切実な憧れなども持たずに日月を閲してきた。

「いいかい、ルヘラン君。此れは貴重な機会なんだ。王家の特命を無事に遣り遂げたとなれば、今後の取引にも色々と有難い影響を及ぼすことになるだろう」

「ですから、そんなに重要な任務ならば猶更私なんか」

「皆、夫々の任務に忙しいのだ。手が空いているのは、君ぐらいなんだよ、ルヘラン君」

 冷徹極まりない瞳を間近な距離で見せつけられて、私は劇しい喉の渇きを覚えた。どうやら、逃げ場は何処にもないらしい。商館長閣下は、是が非でも私を弾薬の輸送という危険な業務へ押し込む積りなのだ。その真意が今は明瞭に見えていないにしても、此方には頷く以外の選択肢は与えられていないと思った方がいい。

「此れは商館長からの命令だ。ルヘラン君、ダドリアへの弾薬輸送を君に命ずる。不満があるなら、さっさと退職願を書きたまえ」