サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 十一 孤独な昼食、孤独な午後

 昼餉の時間も仲間たちは私のことを遠ざけて密やかな陰口を叩くばかりで、私は久々に一人きりで商館の食堂の隅っこで食べ物を黙々と胃袋に押し込む羽目になった。彼らの的外れな嫉視と羨望が、如何に誤解に満ちたものであるかを幾ら懸命に力説したところで、感情的になった同僚たちの強張った心を直ちに解きほぐすのは困難であると言わざるを得ない。見苦しい阿諛追従に労力を費やすぐらいなら、今は大人しく見捨てられた寂寥を咬み締めているのが無難だろう。

 正午の休憩が終わり、私は無言で指定された館長室への廊下を静かに歩いて行った。この僅かな数日の間に此れほどまで急激に自分の置かれている環境が変貌するとは思っていなかったので、人気の絶えた薄暗い廊下を歩くのは辛い時間だった。頭の中を色々な想念が駆け巡り、朝方に事務所でメリスタンやその他の書記課員たちが見せた露骨な敵意が浮かび上がって、考えれば考えるほど呼吸が苦しくなるような、五臓六腑へ鉛を鋳込まれたような不快な感情が募った。私がどんな悪事を働いたというのだろう。唐突に呼び出されて、何事か見当もつかずに商館長の話を聞かされるうち、知らぬ間に運命の力強い指先に囚えられて、否応なしにダドリアへの弾薬輸送という奇想天外な計画の監督官に祀り上げられてしまった不幸な被害者である自分を、訳の分からぬ嫉妬で締め上げるのは余りに非道な振舞いではないだろうか。

 だが、幾ら己れの不運を嘆いたところで眼の前の現実が塗り替えられる筈もないし、退職願と引き換えに宛がわれたこの恐ろしく困難で危険な業務から、脇目も振らず逃げ出す決心は未だ固まっていなかった。自分が何も悪いことはしていないのに、この住み慣れたコスター商会ジャルーア商館での暮らしを投げ捨てるのは不満だったし、そもそも冤罪の嫌疑に自らだらしなく屈したようで嫌だったのだ。

 館長室の扉を叩くと、書記課長の応えが聞こえた。手垢に塗れた真鍮の把手を掴んで黒檀の扉を押し開けると、モラドール商館長とアステル書記課長に加えて、商館次長のヴィレム・ホートカンス氏と輸送課長のファンデル・キーダンス氏の姿も視界に入り込んだ。ジャルーア商館を牛耳る錚々たる顔触れの集結に、私の鼓動の高鳴りは益々跳ね上げられた。商館次長のホートカンス氏は口の達者な理論派で、水牛の如く肥えたモラドール氏とは対蹠的に、見捨てられた案山子のように痩せて肌は蒼白い。輸送課長のキーダンス氏は筋骨逞しい現場主義の叩き上げで、小賢しい理窟よりも勇敢な情熱を重んじる人柄、当然のことながら商館次長とは互いに相容れず、並んで同室へ導き入れられたことが不満であるかのように唇を険しく引き結んで腕組みしている。

 そしてもう一人、此れは知らぬ顔だが、三十代半ばくらいと思われる不敵な面構えの男が、館長室の長椅子へ黙って彫像のように座り込んでいた。手入れの行き届いていない頭髪は無造作に刈り込まれ、薄らと透けた地肌に赤黒く引き攣れた傷痕のようなものが仄かに見える。如何にも強情そうな角張った顎の輪郭、日に焼けた肌は浅黒く、纏っている上衣は明らかに商館員が好んで身に着ける、純白の絹を用いた薄手のアンダレールシャツではない。生成色の厚手の開襟シャツで、重たい筋肉に鎧われた胸許や鎖骨が堂々と覗いている。どのように憶測を組み立ててみても、彼がコスター商会に属する堅気の者でないことは歴然としていた。

「どうやら彼に興味が湧いたようだな」

 最初に口火を切ったのは鈍重な巨体を揺すりながら、立派な肱掛け椅子に陣取って机越しに一同を睥睨しているモラドール商館長であった。

「書記官が普段関わり合いになることは珍しい相手だからな。紹介しよう。ファルペイア州立護送団のクラム・バエット小隊長だ」

「どうもバエットです、監督官」

 屈強な肉体をシャツの内側に撓めるように仕舞い込んだクラム・バエット小隊長は、商館の外交員が見せるような愛想笑いとは無縁の無骨な表情で、私の顔を一瞥してから重々しく頭を下げた。

「今回の計画に関しては、ファルペイア州立護送団が全面的な支援を引き受けてくれた。礼を述べたまえ、ルヘラン君」

「有難う御座います」

 その場の流れで訳も分からず謝辞を口にしてしまったが、釈然としない思いは禁じ得なかった。ファルペイア州立護送団は、その立派な名前の通り、ファルペイア州に存在する数多の護送団の中でも飛び切りの名門であり、その源流は嘗てソタルミア家が保有していた近衛連隊であると伝承されている。既に述べた通り、商会が大事な荷物を取引先の許へ輸送するに当たっては「ツバメ」や「ハヤブサ」などの俗称で知られる護送員が隊列を組んで附き添うのが、ウェルゲリア大陸における商業的な慣習である。

 広大なウェルゲリア大陸には様々な政体、様々な民族、様々な言語で織り成された大小様々の国家が割拠しており、古き良き伝統を有するフェレーン皇国の治安は、王家の威光の確かさと行政に携わる役人たちの勤勉な努力の御蔭で、他国と比較すれば割合に安定している。然しそれでも政情が安定しない地域はあり、州侯によって各州の統治を行なわせるという昔ながらの伝統も一歩間違えば、地方の軍閥化を招く温床ともなり得た。国境に近い州では官憲による治安維持が間に合わず、異国の匪賊が山林や河川に紛れて不当にも国境を侵犯し、善良な商館員たちの荷物を強奪した揚句、面白半分に彼らを私刑に処することもあるという。今回、私が赴くように命じられたダドリアなどは内紛の渦中であるから、治安の紊乱は恐ろしく亢進しているに決まっており、ソタルミア卿の肝煎りで立案された弾薬輸送の計画に、格式高い護送団の人員が充てられるのは当然の判断であると言えた。