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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 十二 ファルペイア州立護送団の異端児

創作「ツバメたちの黄昏」

 改めて振り返ってみれば、それは実に運命的で意義深い一日であったと言えるだろう。ダドリアへの弾薬輸送計画、恐らく大抵の商館員は関わり合いになることのない数奇な任務を命ぜられて、それまでの凡庸極まりない生活からは凡そ想像もつかないような日々へ雪崩れ込み、生涯消えることのない濃密な記憶の数々を魂の中枢へ埋め込まれることになった、その始まりの一日であったのだから。

 初めて御対面した護送員のクラム・バエット氏の精悍且つ不敵な風貌は、日頃事務作業に明け暮れて書類の山に埋没するばかりの私のような人間の眼には恐ろしく気高く、近寄り難い神秘的な面差しに思われた。逞しい上腕、胴体、頭の地肌に透けて見える古びた傷痕、鋭利な眼光、薄い唇、赤銅色に焼けた肌、その何れもが、巧みな弁舌と素早い計算と万年筆と判子の取扱だけで飯を食っている我ら商館員の住む世界とは懸け離れた領域の住人であることを堂々と物語る徴のように見えた。引き結んだ唇の奥にどんな独特の言葉を溜め込んでいるのか、想像するだけで気が遠くなりそうだ。

「自己紹介をしたらどうかね。此れから共に手を取り合って、危険な旅路を往く同胞となるのだから」

 商館次長のホートカンス氏が如何にも気を利かせたような口振りで、距離を測りかねている私たちに促したので、止むを得ず過去の来歴を互いに教え合うこととなった。私は自分がファルペイア州の山奥のトレダ村に生を享け、トラダック伯父さんの口利きでラーヘル商会に入り、軈て紆余曲折を経てコスター商会のジャルーア商館に流れ着き、専ら書記官として日陰の生活を送っていることを簡潔に述べた。バエットは黙って軽く俯きながら私の話に真摯に耳を傾けていたが、一度も相槌さえ打たないものだから、果たしてどういう感想を懐いているのか推察することも出来なかった。

「成程、よく分かりました」

 私が語り終えた後で、バエットは漸く重苦しい唇を開いて、精一杯の愛想なのだろうか、極めて簡素な言葉を発して傾聴していたことを改めて示した。そして商館長に目顔で許可を取ってから、今まで見たことがないくらい太い葉巻を静かに鞄から取り出し、勿体振った動作で火を点けた。その一連の挙措を商館次長のホートカンス氏のみならず、輸送課長のキーダンス氏も苦々しげな面持ちで白眼視していることに、程無く私は気付いた。モラドール商館長は相変わらず微笑とも言えない微笑を楯のように浮かべて胸中の心情を秘めており、アステル書記課長は謹厳実直の鑑のような表情で押し黙っている。だが、滲み出る室内の澱んだ空気に何も感じない訳にはいかないし、そもそもその険悪な空気には見覚えがあった。先刻の事務室で私が周囲から浴びせられた容赦ない誹謗の言葉、眼差し、居心地の悪さ、隠然たる侮蔑、嫉妬という人間の醜悪な習慣。若しかして、同類なのだろうか? いや、そんな筈はない。ファルペイア州立護送団はソタルミア州侯家の近衛連隊を濫觴とする古式床しき伝統の護送団であり、その名声は州境を飛び越えて四隣に響き渡っているし、今回の任務は我々コスター商会のみならず、彼らにとっても光栄且つ重要な大役である筈だ。見る限りでは少し偏屈そうな人物だが、命の遣り取りで食い扶持を稼ぐ「ツバメ」の男たちが、四方八方に媚を売るような性格であるべき理由はないだろう。

「私はファルペイア州立護送団、五十六番護送小隊の小隊長クラム・バエット。世間は私のことを、由緒正しき護送団の異端児と呼びます」

「異端児ですか」

「ええ。要するに嫌われ者ということですね」

 極めて平淡な口調と物腰であるというのに、初対面の相手から発せられる言葉としては幾らなんでも扱い辛いというか、刺々しさを帯びた自己紹介の挨拶であった。周りの御偉方も揃って怪訝な表情を浮かべ、眉間に深い皺を寄せて咎めるようにバエットを睨み据えている。特に神経質な商館次長は如何にも忌々しいといった面相で、指先で椅子の肱掛けを規則的に叩いていた。

「それは、何ともまあ」

 我ながら舌先の巡りの鈍さに呆れ返り、何とかこの空間を取り繕おうと巧い科白を探してみるが、生憎妙案は思い浮かばず、平然としているのはバエット本人と水牛のようなモラドール商館長だけだった。

「ダドリアへ送り込まれるのも、私が護送団にとっては荷厄介な人物だからですよ。幾ら腕前に自信があっても、組織に属する以上は、ツバメと雖もそれなりに扱い易い人柄じゃなきゃならない。偏屈で自惚れが強くて口が悪くて冷淡で、そんな危なっかしい男に押し付けるには、戦時下のダドリアというのは絶好の任地だ」

「ダドリアは戦時下じゃない」

 我慢の限界に達したように商館次長が口を開いて、血色の悪い唇を舌先で舐めながら掣肘に入った。

「あれが戦時下じゃないなら、戦争の定義とは何なんです」

「君の物言いは、幾らか礼節を欠いてるんじゃないかね」

 気色ばんで咬み付こうとする商館次長とは反対に、バエットの落ち着き払った態度は異様なほどの静謐を含んでいた。

「礼節ですか。戦場では余り厄介になることもない美徳ですからね。誰しも得意なものと不得意なものがある訳です」

 バエットは商館次長から冷笑的に視線を逸らし、口の端に砂金のように僅かな笑みを滲ませて、両肩を大仰に竦めてみせた。

「互いに大変な難事を背負わされた訳だ。全く同情しますよ、ルヘランさん。私のことは何卒遠慮なく、クラムと呼んで下さい」

 差し出された右手を慌てて握り返しながら、動揺を如実に反映して上擦るばかりの声で、パドマで構いませんと答えると、バエットは深く頷いて「さっさと本題に入りましょう」と商会の重鎮たちに無愛想に言い放った。