サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「同胞」という快楽 「幻想水滸伝Ⅱ」

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 本日は久しぶりにテレビゲームについての記事を書きます。

 コナミから1998年12月に発売されたプレイステーション用RPG「幻想水滸伝Ⅱ」は、私が今まで楽しんできたゲームの中でも五本の指に入る名作です。

 架空の世界を舞台に据え、国家の興亡を描き出すこの作品の特徴は、明朝時代の中国で編纂された伝奇小説「水滸伝」に範を取った「108人の宿星が集結して正義のために共闘する」というシステムにあります。プレイヤーはいわば「宋江」のようなポジションにあり、様々な生い立ちと経歴を有する個性豊かなキャラクターたちを少しずつ仲間に迎え入れることで勢力を拡大し、困難な戦争に勝利を収めるべく苦闘を重ねていきます。この「同胞を集める」というプロセス、そして本拠地を設けて仲間を集め、徐々に設備を更新していくというプロセス、これらのゲーム上の特質は、「幻想水滸伝」という作品に、ファイナルファンタジードラゴンクエストといった国産RPGの「本流」とは異質な魅力を附与しているのです。

 どんなRPGでも、パーティーを組んで共闘するというシステムは必ず採用されていると言っても過言ではないくらい普遍的な構造となっています。仲間と共に力を合わせて戦うという枠組みは、FFでもDQでもブレスオブファイアでもテイルズでもスターオーシャンでも共通して存在しています。しかし幻想水滸伝のように、獲得出来る仲間の数を「108人」という膨大な規模にまで拡大している作品は類例がありません。

 「108人の同胞」という枠組みを採用することは、物語の設計にも重要な影響と変化を及ぼします。それだけ多くの人物が一堂に会して主人公と共に力を合わせて戦いに臨むには、個人的な目標ではなく集合的な「大義名分」が欠かせません。無論、その大義名分自体は個人的な悲劇を礎として昇華されたものなのですが、少なくともそれは構成員全体の「総合的利益」に資するものでなくてはなりません。そのためには「個人的利益の断念」すら要求される局面も厳然と存在するのです。

 例えば本作で、主人公と幼馴染のジョウイは、互いに敵対する陣営に属し、国際的な平和を賭した対決に臨みます。互いを傷つけ、追い詰めることに劇しい痛憤を覚えながらも、全体の利益のために、それぞれの置かれた立場が強いる正義のために、彼らは敢えて干戈を交えます。このような「全体と個人の背馳=相剋」という主題は「勇者が魔王を倒して世界を平和にする」という古典的RPGの単純明快でヒロイックな話型とは、根本的に相容れないものです。無論、魔王を倒せるかどうかは「世界全体の命運」を左右するという意味では充分に「全体的な発想」ですが、勇者=主人公の能力や振る舞い方次第で世界の命運が決するというのは、本来の意味での「全体的な発想」ではなく、恐らくは個人的な幻想の拡張された形態であろうと、私は考えます。

 「幻想水滸伝」において、主人公の本拠地に蝟集する108人の同胞たちが戦う理由は様々であり、中には目的の不明なキャラクターも含まれています。彼らは全面的な相互理解を経て、鋼の紐帯によって結び付けられている訳ではありません。彼らはただ、主人公が数名の仲間と共に築き上げた「場所」に共鳴して集結しているのです。その「場所」は特定の思想に染め抜かれた狂信的な宗団の本拠などではなく、あくまでも緩やかな方向性によってのみ繋がれた人々の「アジール」なのです。実際、主人公は暴威を極めるハイランド皇国への抵抗の砦として、見捨てられた古城を再建し、同胞を集めるのであり、そこには集まった人々に強制的に埋め込まれるような「絶対的信念」は存在していません。彼らにはそれぞれの信念と目的があり、総ての宿星が主人公の方針に賛同している訳でも、不動の忠誠を誓っている訳でもないのです。このような「アジール」を作り上げることの出来るRPGというのは、実に稀少な作品ですし、だからこそ「幻想水滸伝」は星の数ほどもある無数のコンピュータRPGの群れに埋没することなく、高い世評を受けて独特の地位を築き上げることに成功したのでしょう。

 しかし、この「108人の同胞を集めるというシステム」だけが本作の魅力の源泉であるのならば、シリーズの中で「Ⅱ」だけを特別に取り上げて称賛するのは奇妙な態度であるということになります。これはあくまでも私の個人的な感想に過ぎませんが、この「幻想水滸伝Ⅱ」という作品は、その物語の強度において擢んでています。それは恐らく、物語の構造が「108人の同胞を集める」というシステムと溶け合い、互いに高め合っていることの効果ではないかと思います。皇国の侵攻に遭い、命からがら焼け出され、辛うじて生き延びた主人公たちは、偶然知り合った人々の助けを借りて、徐々に勢力を拡大していきます。彼らは故郷から遠く隔てられた哀れな難民に過ぎず、特別な紋章の力を宿しているとはいえ、猛威を振るうハイランドの精強な軍隊の前では、無力な少年少女に過ぎません。彼らは「誰かの力を借りなければ何も出来ない」無力な存在であり、だからこそ他人に助けを求め、尚且つ他人に支えられながら、皇国の打倒のために立ち上がります。そのような物語上の要請とシステムの構成が見事に噛み合っているからこそ、ゲームをプレイすることと壮大な物語を経験することが渾然一体と重なり合い、極上の愉悦をプレイヤーに与えるのです。

 とにかく、一度皆さんもプレイしてみて下さい。熱中すること請け合いです。PSP用のバージョンも発売されているそうですから、是非お試し下さい。

 以上、サラダ坊主でした!

幻想水滸伝2

幻想水滸伝2