サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 序章 月夜の夢告

 それは、いやに明瞭な夢であった。

 群衆の騒めきが、街路を往く彼の鼓膜を聾した。夏の光が洪水のように氾濫し、視界を白く暈かす。人々は、異様な興奮に呑まれている。歓声、怒号、悲鳴、絶叫が入り混じり、勇壮な旋律の歌声が方々から聞こえる。何か大きな事件が起きていることは確かだが、それが何なのかは分からない。当惑しながら、それでも彼は導かれるように歩みを止めなかった。真直ぐに伸びる街路の行く先は、一際明るい光に包まれて見えない。

(ここはどこだ?)

 脳裡に反響する自問の声が報われることはなかった。石と鋼で組み立てられた厳めしい建物が、街路に沿ってどこまでも続いている。彼の生まれ育った村に、そんな整然たる眺望は存在しない。林業の盛んな集落ゆえに、大半の民家は木造で、石組みは竈くらいだ。

(何が起きてるんだ?)

 人波が吸い込まれるように街路の涯へ消えていく。それを追う彼の足取りも、自然と速度を上げた。軈て、一挙に視界が開けた。広場に出たのだ。

(何だ、あれは)

 大勢の人々が、広場の中心に組まれた巨大な櫓を取り囲んで、野蛮な声を投げている。櫓の上には、縛り上げられた壮年の男が跪いている。大ぶりの鉈を抜身で握った男たちが、薄汚れた罪人の傍らに佇んで、時が満ちるのを待っている。

(処刑か)

 実際に見たことはないが、雰囲気から察することは出来た。だが、この異様な熱狂は何なのか。あの哀れな、見窄らしい男が、どんな大罪を犯したと言うのか。好奇心に駆られて、彼は群衆を掻き分け、櫓に近付いた。急拵えなのか、古びた木材と、割られたばかりの白い生木が混じり合っている。

「殺せ! 殺しちまえ!」

 間近から叫ぶ男の罵声に、彼は身を竦めた。総身から放たれる強烈な憎悪に、噎せ返りそうになる。改めて耳を澄ますと、似たような喚声は広場の隅々にまで滾っていた。

(あいつが、何を遣ったっていうんだ?)

 そして広場に、午鐘の音が響き始めた。騒めきが一層高まり、膝を屈していた罪人の腕を、男たちが掴んで抑えつける。熱狂の余り、悲鳴のように聞こえる怒号が、彼の鼓膜を劈いた。胸騒ぎが、躰の内側を冷たく濡らしていく。

(止めてくれ、見たくない)

 そう思いながらも、視線を逸することが出来ない。釘を打たれたように動かない視界の中心で、軍服を纏った男が大鉈を天に掲げた。真昼の光を浴びて、その刀身がぎらりと瞳を射抜いた。

(止めろ)

 然し、彼の祈りは届かなかった。銀色に輝く大鉈が、響き渡る午鐘に耳を澄ますように動きを止める。そして弔鐘を思わせる鐘声が止んだ瞬間、眼にも留まらぬ速さで斜めに走った。絶叫の中で罪人の首が胴を離れ、櫓の床に転がり落ちる。誰かがそれを抱え上げて、空に翳した。死人の顔は双眸を大きく見開いて、絶望の形に凝固していた。