サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

自然と交わること、俗界と交わること 坂口安吾「風と光と二十の私と」に関する覚書

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 今夜は過去にも幾度か触れたことのある坂口安吾という作家について、再び文章を草したいと思います。先日の中上健次に関するエントリーを書いている最中に、もう一度、坂口安吾について書いておきたいという考えが迫り上がってきた結果です。内容が過去の記事と重複する部分も出てくるかとは思いますが、辛抱して御付き合い願えれば幸いです。

 戦前から戦後にかけて、正しく激動と呼ぶに時代の日本を生き抜いた坂口安吾の文業は、小説に限らず評論なども含めると実に膨大なものとなります。私が主に関心を持って読んできたのは批評的な随筆が殆どなので、そういった意味では誠実な読者であるとは言い難いかもしれませんが、それでも私にとって彼が敬愛すべき作家である事実に変わりはありません。振り返れば中学生の頃、松戸駅の書店で偶然手に取った角川文庫版の「堕落論」を読んで圧倒されて以来、坂口安吾という巨大な存在に対する敬意は一貫して私の胸底に宿り続けているのです。

 さて、過去の記事でも取り上げたことのある「風と光と二十の私と」について書きます。この小説は、作者の代用教員時代の生活を回想する形で綴られた、限りなく随筆に近いような構成の短篇小説です。筋書きというほどのものはなく、作者の思い浮かべるままに過ぎ去った日々の記憶が断片的に掘り起こされ、語られていくのですが、読後の印象は実に爽やかで清々しく、同時に色々と考え込まされるような余韻が残ります。

 この小説に関して語りたいポイントは複数存在しますが、別けても特に重要だと思われるのは、下北沢で代用教員として働いていた時代の作者が日々味わっていた独自の「幸福」の正体に関する考察です。当時、未だ二十歳前後の若さであった坂口氏は、近所に住まう悪童たちの指導に明け暮れながら、悟りを開いたような静謐な「幸福」の中に耽溺していました。下記、引用します。

 

 私はそのころ太陽というものに生命を感じていた。私はふりそそぐ陽射しの中に無数の光りかがやく泡、エーテルの波を見ることができたものだ。私は青空と光を眺めるだけで、もう幸福であった。麦畑を渡る風と光の香気の中で、私は至高の歓喜を感じていた。

 雨の日は雨の一粒々々の中にも、嵐の日は狂い叫ぶその音の中にも私はなつかしい命を見つめることができた。樹々の葉にも、鳥にも、虫にも、そしてあの流れる雲にも、私は常に私の心と語り合う親しい命を感じつづけていた。酒を飲まねばならぬ何の理由もなかったので、私は酒を好まなかった。女の先生の幻だけでみたされており、女の肉体も必要ではなかった。夜は疲れて熟睡した。

 

  このような「自然との交歓」に対するプリミティブな願望は、中上健次が「岬」において秋幸に感じさせた「土方」という仕事への充足と同型の構造を有しています。いずれの場合にも、煩わしい俗世間の軋轢や葛藤から隔てられた場所で、大自然の非人間的な性質に融け込み、没入することに憧れている訳です。このような遁世の願望は古代から人間社会に連綿と受け継がれてきた伝統的な欲望ですが、秋幸という人物は、複雑に絡まり合った「血」と「家」の問題に堪え難い鬱屈を覚え、その破壊を目指します。そして土方の労働を通じて、秋幸が味わっていた自然との融合の感覚は、俗世間の事情に振り回されざるを得ない境遇にある彼にとっては紛れもない「恩寵」であったに違いありません。

 ですが、この「風と光と二十の私と」という小説は、そのような「恩寵」の経験を潜り抜けてから随分と時が経った後で綴られた回想であり、当時の生活を振り返っている作者の眼差しは既に「自然という恩寵」からは切り離され、遠ざけられています。それは自然との想像的な一体化によって齎される絶対的な安息の境涯が、坂口安吾の眼に「自己欺瞞」として映じ始めたことの結果でした。

 

 私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。

 だが私は何事によって苦しむべきか知らなかった。私には肉体の慾望も少なかった。苦しむとは、いったい、何が苦しむのだろう。私は不幸を空想した。貧乏、病気、失恋、野心の挫折、老衰、不和、反目、絶望。私は充ち足りているのだ。不幸を手探りしても、その影すらも捉えることはできない。叱責を怖れる悪童の心のせつなさも、私にとってはなつかしい現実であった。不幸とは何物であろうか。

 

 不幸とは何か、実感として理解し難いほどに俗世間の現実から隔てられた「私」の内なる良心は、彼に「苦しむこと」を勧めます。 それは一見すると奇妙な話で、人間は誰しも幸福な境涯に憧れ、絶対の安息を希う生き物であり、それが実際に誰に迷惑を掛ける訳でもなく、自然との交歓という無害で主観的な瞑想によって実現され、体感されているのであれば、それを余人に咎められる筋合などない筈です。しかし坂口氏の内なる良心は、それが表層的な欺瞞であり、砂上の楼閣のように危うく崩れ易い幻想に過ぎないことを密かに知悉していたのでしょう。寧ろ人間の本性というのは「苦しむこと」にあり、苦しんだり思い悩んだり不幸のどん底に突き落とされることこそ、生きることの「証明」であると、そのもう一人の「私」は囁こうとしていたのです。

 やっぱり戦争から帰ってきたばかりの若い詩人と特攻くずれの編輯者がいる。彼等は私の家へ二三日泊まり、ガチャガチャ食事をつくってくれたり、そういう彼等には全く戦陣の影がある。まったく野戦の状態で、野放しにされた荒々しい野性が横溢しているのである。然し彼等の魂にはやはり驚くべき節度があって、つまり彼等はみんな高貴な女先生の面影を胸にだきしめているのだ。この連中も二十二だ。彼等には未だ本当の肉体の生活が始まっていない。彼等の精神が肉体自体に苦しめられる年齢の発育まできていないのだろう。この時期の青年は、四十五十の大人よりも、むしろ老成している。彼等の節度は自然のもので、大人達の節度のように強いて歪められ、つくりあげられたものではない。あらゆる人間がある期間はカンジダなのだと私は思う。それから堕ちるのだ。ところが、肉体の堕ちると共に、魂の純潔まで多くは失うのではないか。 

  この一節は作者の重要な認識を明瞭に告示しています。代用教員時代の若い「私」が超然とした態度を堅持し、いかなる人間的な不幸とも無縁の日々を送れたのは、そして大自然との静謐で平穏な「交歓」に最大の満足を見出して悔やまなかったのは、当時の「私」が単に「本当の肉体の生活」を知らなかったからに過ぎないと、作者ははっきり断言しています。この「本当の肉体の生活」というのは、性的な含意に限らず、恐らくは「現実の生活」ということであり、人間と人間が寄り集まって騒々しく共存している「社会の実相」に踏み込むことであろうと、私は考えています。中上健次の「岬」に置き換えて考えてみるなら、秋幸が抱いている劇しく息苦しい鬱屈の正体は恐らく、このような「本当の肉体の生活」に対する嫌悪なのでしょう。その「本当の肉体の生活」の中には無論「雄と雌」が交わって子を成すという「生殖の原理」も含まれている筈です。その「生殖の原理」が齎した「血族」という擬制が、出口の見えない彼の境遇の濫觴であるがゆえに、彼はそうした「本当の肉体の生活」を憎まずにはいられないのです。

 こういう職業は、もし、たとえば少年達へのお説教というものを、自分自身の生き方として考えるなら、とても空虚で、つづけられるものではない。そのころは、然し私は自信をもっていたものだ。今はとてもこんな風に子供にお説教などはできない。あの頃の私はまったく自然というものの感触に溺れ、太陽の讃歌のようなものが常に魂から唄われ流れでていた。私は臆面もなく老成しきって、そういう老成の実際の空虚というものを、さとらずにいた。さとらずに、いられたのである。

 

 私が教員をやめるときは、ずいぶん迷った。なぜ、やめなければならないのか。私は仏教を勉強して、坊主になろうと思ったのだが、それは「さとり」というものへのあこがれ、その求道のための厳しさに対する郷愁めくものへのあこがれであった。教員という生活に同じものが生かされぬ筈はない。私はそう思ったので、さとりへのあこがれなどというけれども、所詮名誉慾というものがあってのことで、私はそういう自分の卑しさを嘆いたものであった。私は一向希望に燃えていなかった。私のあこがれは「世を捨てる」という形態の上にあったので、そして内心は世を捨てることが不安であり、正しい希望を抛棄している自覚と不安、悔恨と絶望をすでに感じつづけていたのである。まだ足りない。何もかも、すべてを捨てよう。そうしたら、どうにかなるのではないか。私は気違いじみたヤケクソの気持で、捨てる、捨てる、捨てる、何でも構わず、ただひたすらに捨てることを急ごうとしている自分を見つめていた。自殺が生きたい手段の一つであると同様に、捨てるというヤケクソの志向が実は青春の跫音のひとつにすぎないことを、やっぱり感じつづけていた。私は少年時代から小説家になりたかったのだ。だがその才能がないと思いこんでいたので、そういう正しい希望へのてんからの諦めが、底に働いていたこともあったろう。

 「本当の肉体の生活」に対する不安、怒り、憎しみ、絶望などの感情を原動力として、人間は時に「世を捨てる」ことへの切実な願望と衝動に囚われてしまいます。こうした主題は坂口安吾に限らず、様々な文学作品に共通して見出され得る人間の精神的な傾向性の代表例ですが、少なくとも坂口氏に関して言えば、そのような「本当の肉体の生活」からの遁走が正しい意味での「倫理」に値しないことを、信条のように掲げていたのだと思います。それは「老成の実際の空虚」を自覚することもなく、自然との恵まれた交歓に惑溺していた頃の自分に対する批判的な視座として、彼の思想的な骨格を支えています。若さゆえの悟りを開いたかのような静謐な生活が、無知に基づく一つのフィクションに過ぎないこと、そのフィクションに居直っている限りは本当の意味で人間らしい生活を送ることなど不可能であること、それが坂口氏の奉ずる「倫理」であって、例えば「堕落論」などの声高なアジテーションも、そのような文脈から捉えなければ、その重要な本質は把握し難いでしょう。彼が堕落を勧めるのは、上っ面だけの取り澄ました道徳が人間の魂を欺く卑しい罠に過ぎないことを明瞭に見抜いていたからであり、そのような道徳に囚われて綺麗事を並べるくらいならば、さっさと堕落して化けの皮を剥がされた方が余程マシだと信じ込んでいたからではないでしょうか。

 そのような破天荒な誠実さに、私は中学生の頃から三十歳の誕生日を迎えた昨今に至るまで、一貫して魅了され続けてきました。そして「岬」に登場する秋幸もまた、最終的には「本当の肉体の生活」に覆い被さる「家」の道徳に、逆らおうとしたのではないでしょうか。これは単なる思い付きに過ぎませんが、生殖そのものに由来する「血の論理」と、それらの繋がりを原型として組み立てられた「家の論理」とは本来、同列に扱うべき論題ではないのかもしれません。秋幸は「嘘の家など要らない」と言いましたが、それは「家」の論理というものが、しばしば「血」の問題を隠蔽し、粉飾するような性質を備えているからなのかもしれません。「家」は一つの物語に過ぎませんが、「血」は逃れようのない絶対的な「真実」です。これら二つの論理の狭間で苦しみ、何とか希望を切り拓こうとしたのが、中上健次の偏愛した「秋幸」という人物に課せられた重大な文学的使命だったのではないでしょうか。

 考えれば考えるほど、答えの見え辛くなる問題というのもあるものですね。引き続き、これらの問題についても思索を重ね、深めていきたいと思います。

 以上、船橋からサラダ坊主がお届けしました。

 

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風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

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