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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

この世界に「平日」など存在しない

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

 

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 今夜は少し体調が優れないので、余り明確な主題は定めずに気楽に書き流そうと思います。というような導入の文句を冒頭に掲げるのは、読んでくれる方々に対して失礼な発言かも知れませんが、御容赦下さい。

 昨年の十一月五日、私の三十歳の誕生日を祝うために、妻が地元のレストランを予約してくれて、二人で食事をしました。イタリア料理のコースで、いかにも地元密着の小さな店に、平日の夜だというのに次から次へお客さんが入ってきて、こじんまりとした商売だけれども固定客というか根強い支持を得ているんだな、というような印象のところで、料理も非常に美味しく頂きました。

 そうしたら、隣の席に年配のサラリーマン三人組が現れて、楽しそうに食事を始めました。彼らの話を何となく聞いていると、どうやらその中の一番人の良さそうな高橋さんというおじさんが部長に昇進したということで、先輩格らしき二人の偉いおじさん(仕事が出来る自分というセルフイメージを信じて疑わないような、押し出しの強いおじさんたち)が御祝いのために一席設けたというような経緯でした。先輩格らしいおじさんのうち、相対的に若い方の男性はいかにも切れ者というか、自信に満ちた理論家という感じで、奥の席に座っていた相対的に年配の男性は、酸いも甘いも噛み分けた賢者のような構え方で、とにかく三者三様で興味深い取り合わせでした。

 私も当然のことながら会社勤めの身ですから、仕事について色々と考えることはあります。次々にワインのボトルを頼んでグラスを空けながら、夢中で仕事について語り合う三人のおじさんたちは、仕事というものを単なる給料目当ての徒労以上の崇高な何かとして捉えて、そこにあらん限りの情熱を燃やしているように見えました。少なからず仕事の出来るおじさんというのは(仕事が出来ない人でもそうかもしれませんが)、とにかく仕事について持論を滔々と語るのが大好きで、恰かもそれが最も重要な業務であり使命であるかのように振舞うものです。

 やがて不意に店内の灯りが消え、入り口の近くのカウンターで大きな歓声が上がりました。私たちと同じく誕生祝いのお客さんだったらしく、所謂サプライズで店側が花火の刺さったケーキか何かを用意したらしいのです。その間は、熱心に仕事について大声で語り合っていた三人のおじさんたちも、水を差されたように口を噤んで再び灯りが点くのを待っていました。

 こうなれば当然、遅かれ早かれ私の番が巡ってくるのは確実だろうと思いながら、残りの食事を進めていく間にも、おじさんたちは再び活発な議論にのめり込み、組織の中で生き残ること、仕事にビジョンを持つこと、人事絡みの色んな裏話や噂話、それなりの年齢まで育った自身の子供たちの話などを披露し合いながら、どんどんワインを呷って御機嫌に興奮していきました。正直、声が大きいし幾らか傍若無人に見える方々だったので(大体において、仕事が出来るおじさんというのは肩で風を切ろうとするものです)、妻との会話も遮られがちになるし、余り好ましい印象は抱いていなかったのですが、そこへいきなり照明が落ち、私たちのテーブルに花火の聳え立ったドルチェのプレートが運ばれてきました。

 恥ずかしい思いをしながらも、嬉しさを咬み締めていると、周りのお客さんも拍手を始めてくれました。酔っ払っていた三人のおじさんの中で、最年長の賢者的初老男性(斜に構えた椅子の座り方が既に賢者の風格でした)が身を乗り出して、私に向かって何の御祝いですかと訊ねました。私が誕生日なんですと答えると、おじさんは上機嫌に笑って大袈裟に頷いてみせました。

 何の変哲もない平日でも、私たちのように誕生日を祝ったり、同僚の昇進を祝ったりする人々が、千葉県の小都市の小さな個人経営のレストランに居合わせるというのは、何だか不思議なことのように感じられました。私はサラダ屋の店長として働いていて、百貨店や駅ビルなどを定期的な人事異動で渡り歩いているのですが、大体において小売やサービスというのは、大多数の企業が業務を休む週末や祝日などが書き入れ時です。特にデパートなんかは典型的で、平日と土日では売り上げが大きく変わりますし、ゴールデンウィークや盆休み、クリスマスから年末年始にかけてなど、世間が休暇を楽しむときほど、私たちの稼業は忙しくなり、正念場を迎える仕組みになっています。

 若い社員のなかには、朝から晩まで働き、土日もなかなか休めない接客業の厳しい現実に嫌気が差して辞めていく人もいます。体を壊したり、心を病んだりする人も珍しくありません。しかし二十歳の時から、この仕事に就いている私は寧ろ、どこへ行っても混雑している旗日に休みを取るのは余り好みではありません。デパートに入っている店舗に配属されているときは、基本的に休みは平日に取ります。月曜日の朝、雨が降ったり酷く冷え込んでいたりする中、混み合ったバスや電車に揺られて憂鬱そうな顔で仕事へ出かけていく人々をよそに、のんびりと朝寝坊を愉しむのも、優雅な愉しみというものでしょう。ですから、私たちのような稼業は「平日」と「土日」の差に敏感になりますし、連休の季節には前年との曜日の違いを踏まえて仕事の計画を組み立てます。特にクリスマスから年末にかけての時期は、曜日の配列によって日割りの売上が大きく変動しますので、そこの見込みを誤れば業績への深刻な打撃を招きかねないのです。

 だからこそ、私はたとえ何の変哲もない普通の平日(要するに、売れる要素のない単なる一日)の夜であっても、誰かにとっては特別な一日であり、素敵な夜で有り得るのだということを改めて実感して、名状し難い感銘を受けたのでした。

 仕事を選んだ理由というテーマと絡めて結語を書きましょう。私がサラダ屋になったのは、それが好きだったからではなく、二十歳の時に最初の妻が身籠ったので、慌てて仕事を探さねばならなくなったからで、ハローワークで残業代支給の文言を見て比較的待遇が良いのではないかと考えて面接を申し込んだら、奇蹟的に採用されたのでした。しかし当時の私は本当に生粋の馬鹿で、無能で、気の利かない青二才に過ぎず、そこから色々な苦難を堪え抜いて十年持ちこたえてきた訳ですが、今でもこれが天職だなどとは思っていません。それは不幸なセリフのように聞こえるかもしれませんが、寧ろ私は自分を幸福な人間だと信じ込んでいます。何の取り柄もなかった私が、それでも生きていくために働き続けて、そのうちに段々と経験を積み、知識を増やすうちに少しずつ評価され、結果的に十年が経過した今、私の胸には何の後悔もありません。

 学生アルバイトたちは、時期が来れば就活に血道を上げて、売り場から姿を消します。新卒の社員たちは矜りと期待に瞳を爛々と輝かせ、意気揚々と理想を語りますが、一部の人々は仕事の現場というものの時に不合理な力の奔流に押し流され、プライドとメンタルを圧し折られて、静かに退場していきます。私自身、最初の上司との折り合いが悪くて店から無断で逃げ出したこともありました。綺麗事を並べても仕方ないと思うので敢えて言いますが、仕事というのは血も涙もない冷徹な論理で動いているものであり、そして多くの人々に際立った才能というものは皆無です。幾ら自分の関心のある分野で働きたいと願っていても、多くの場合、就活を通じて信じ込んだ「自分の関心」は作り上げられた贋物です。人間は不思議なもので、他人を騙すだけでなく、自分自身に対してさえ平気で嘘を吐く生き物ですから、これに自分は興味があると言い聞かせることで、自己分析と自己アピールの連鎖のような就活の修羅場を潜り抜けようとするのです。その結果、辿り着いた仕事の現実の苛酷さに押し潰されて、逃げ出していく人々が現れるのは、或る程度は避け難い成り行きでしょう。

 勿論、心や体が壊れてしまうくらいなら、逃げ出した方が賢明に決まっています。けれど、どこにも逃げ場なんて存在しないことも事実です。私はそう考えて覚悟を決め、十年やってきました。この十年が、次の十年を何ら保証するものでないことは弁えています。しかし、十年間の蓄積というものが、自分自身への根強い信頼を育んだことは、少なくとも私にとっては疑いようのない「真実」なのです。

 長ったらしい結語になりました。

 何の参考にもならない体験談でごめんなさい。

 船橋から、サラダ坊主がお届けしました!