サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「宿命」に関する、言葉で編まれた肖像画 沢木耕太郎「若き実力者たち」

 どうもこんばんは、サラダ坊主です。

 本日は沢木耕太郎さんの「若き実力者たち」というノンフィクションについて書こうと思います。最初に読んだのが自分が幾つの時だったか、もう精確には思い出せないのですが、とにかく夢中になってページを捲った記憶が今も鮮烈に残っています。手元にある文庫本の奥付を確かめると、第一刷が発行されたのは1979年2月25日、著者25歳の時の処女作であるとのことです。

 尾崎将司唐十郎河野洋平秋田明大安達瞳子畑正憲中原誠黒田征太郎山田洋次堀江謙一市川海老蔵小沢征爾の十二人の「若き実力者たち」の肖像を、軽妙で臨場感に満ちた文体で綴った「人物紀行」である本作品は、対象に据えられた人々の半生の苦闘を実に瑞々しく鮮烈に浮かび上がらせて、その人の業績や個性に特段の関心を懐いていなくとも、半ば強制的に惹きつけられてしまうような稀有の吸引力を漲らせた傑作です。

 登場する人々は皆、異質なジャンルに属していて、当時、その道で輝かしく華やかな名声を握り締めつつあった顔触れです。例えば私はゴルフにも政治にも華道にも将棋にも人並み以上の関心など持たずに暮らしていたのに、この本を読むときは、その見知らぬ「異郷」へ吸い込まれ、眼も心も奪われ、攫われていくような感覚を味わいました。それは沢木さんの文章が単純な意味で巧みで、描写に優れているからではなく、つまり上手に描かれた肖像画のように読者の眼前に拓けていくからではなくて、それらの描写や説明の総体が結果として鋭利な「直観的批評」に結実しているからだろうと思います。充分に対象となった人物の息遣いを伝え、その半生における何気ない挿話を詳さに拾い上げ、必要に応じて簡明な説明も加えながら、その人物の「核心にあるもの」を手際良く炙り出していく「眼力の凄み」に、恐らく最初に繙読したときの私の精神は震撼させられたのでしょう。

 こういう言い方が適切なのか分かりませんが、沢木さんという作家は多分「人物を読む」ことに関して比類無い適性に恵まれているのではないかと思います。単に文章が上手だとか、気の利いたエピソードを掘り起こすのが得意だとかいったレベルの腕前では、この本に収められたような「鮮烈な肖像画」を描き上げることは不可能です。そうやって掘り起こされ、提示され、巧みに縫い合わされた情報の断片が悉く、その人物の「核心」を指し示す矢印のように編集され、再構成されているからこそ、そこに宝石の如く結晶した「批評」が宿り、読者の眉間を刺し貫いて驚かせる訳です。

 例えば、先日下記のエントリーでも触れた映画監督の山田洋次氏に関する一文など、少しも観念的な理屈など捏ね回していないというのに、氏の映画監督としての本質を鋭利に照明してみせているのではないかと思います。

 

 

saladboze.hatenablog.com

 

 個性がないことを武器にして作品をつくってきたが、気がついてみると日本でも有数の個性的な作家になっていたというのは、実に皮肉なことであった。

《山田監督は、私の〝無個性の個性〟を上手にひき出して下さった》

 と倍賞千恵子がいう時、その〝無個性の個性〟という言葉は、山田洋次にこそ捧げるべきかもしれない。

 彼は不意に文楽の話をはじめる。文楽人形の面を彫る人にとっては、娘の面を彫ることが最も難しいという。なぜなら、娘の面はボンヤリ彫らなくてはならないからだ。娘の面は個性的なマスクであってはならない。そして、その難しさとは――。

《人形師はいうんだな、個性的に彫ることはむしろやさしい……》

 それからさらにボソッといった。

《個性的に彫ると、結局魂が入らないのだ》

 と。 

  人物の来歴や過去に直面した問題、それを突破するまでのプロセスなどについて、あくまでも簡明な素描を積み重ねた挙句の果てに、こういう一言には要約し難い「描写」を織り込むことで、一気呵成に相手の「胸襟」へ踏み込むような文章の匕首めいた鋭さは、なかなか拝見する機会の得られない達意の一撃であると言えるでしょう。ここには巨大な伝記作家の才能が息衝いており、その関心は常に生み出された「作品」や「実績」よりも、その背後に控えている「人物」へ揺らぐことなく直向きに注がれているのです。

 批評も分析もぼくの任ではなかった。ただ、その人物が抱かざるをえなかった情熱の旋律に耳を傾け、その軌跡を足早に紀行することがわずかにできたにすぎなかった。酒を飲みながら、あるいは車窓を通り過ぎていく風景を見ながら、時折、彼らの躰の奥底から吐息のような呟きの洩れるのを聴くことがあった。そのような時、彼らの多くは自らの「宿命」について語っていたものだった。

 「批評も分析もぼくの任ではなかった」というのは象徴的な独白です。批評や分析は常に論理的な言語に課せられた任務ですが、沢木さんが目指しているのは「画家のように書くこと」ではないかと私は思います。画家は「言葉にならないもの」を色彩や線描の構成を通じて、或る具体的な形象として(たとえそれが「抽象画」であったとしても)キャンバスに定着させます。それと同型の情熱と才能を以て、沢木さんは人々の背負い込んだ独特な「宿命」を浮き上がらせ、読者の眼前に提示しているのです。

 古い本ですが、今でも文春文庫から発行されている筈です。是非御一読ください。きっとその「肖像画」の鮮烈さに、皆さん舌を巻くと思いますよ。

 今夜は以上です。船橋からサラダ坊主がお届けしました!

 

若き実力者たち (文春文庫)

若き実力者たち (文春文庫)