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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第三章 追跡の始まり 1

 キグナシアは、アレス盆地に築かれた古都であり、建国戦争以前は、キグナシア公国の首府として栄華を極めた。太祖アルヴァ・グリイスの時代に、緑邦帝国はキグナシアに侵攻し、星璞公(せいはくこう)フェノゼヴェ・キグナスを降伏させ、その領地を併呑した。

 獣車場に降り立った二人は、蒼穹に屹立する無数の塔を仰ぎ見た。「陵塔(りょうとう)」と称される石造の塔は、キグナス公家の墳墓であり、当主が死ぬ度に新しく建設される。市域の中心に位置するアレス・ダル広場には、キグナス公家の始祖たる瓊源公(けいげんこう)デュロフェ・キグナスの巨大な陵塔が聳えており、そこを基点として放射状に延びる街路は、他の陵塔に通じている。市域の南端には貴瑪公(きばこう)インフェザー、北端に燭霊公(しょくれいこう)カセルフ、東端に炯璃公(けいりこう)シルヴァン、西端に智燦公(ちさんこう)ペレルヴェの陵塔。何れも、キグナシア公国の興隆に大きく寄与した君主たちの墓である。これら五つの重要な陵塔は、頂上に時鐘を掲げており、所定の時刻を迎えると、墓守が鐘を撞く。丁度、正午を告げる瓊源公の時鐘が、キグナシアの街並に響き渡り、獣車場の拡張工事に従事していた人夫たちが手を止めて、汗を拭いながら、透き通るような青空を仰いだ。

「駅に向かう前に鉄道局に立ち寄る。知り合いがいるんだ」

「知り合い?」

「昔の戦友さ。殉国隊の軍長だった男だよ」

 獣車場を離れ、政府の庁舎が集中するティルダ地区を目指す。昼時を迎えた街路は、食事へ向かう人々で混み合っていた。目映い陽射しが、くっきりとした影を形作る。湿気の溜まり易い盆地に、西の沙漠地帯から吹き寄せる熱風が流れ込む為、辺りは釜茹でのような酷暑だ。往来を進むうち、視界の涯に、宝珠のように丸く盛り上がった駅舎の屋根が映じ始めた。

「親父とも知り合いってことか」

 然して働き者とも思えない、酒浸りの樵であったマルヴェが、こんな繁華な街並に知己を持っているというのは、奇異な話に聞こえた。アーガセスでは見たことのない、いや、想像したことすらないような複層の建物が、堂々たる威厳を伴って聳え立つ官庁街を、糊の利いた官袍(庁務官が纏う制服の総称。広義には、軍服も含まれる)を纏った男女が、恐らくは昼餉の為にのんびりと行き交っている。

パレミダが足を停めたのは、三階建ての古びた石組みの庁舎の前であった。石塀の銘板に「運務庁陸運院キグナシア鉄道局・軍務庁陸戦院キグナシア軍用鉄道管理隊共用庁舎」という金文字が刻まれている。門衛の老爺に声を掛けると、パレミダは臆することなく門を潜り、分厚い木の扉を押し開けた。往来の熱気とは対蹠的な、冷やりとした空気が肌を舐める。暑気払いの為に、氷質呪鉱を用いた送風機を稼働させているのであろう。受付には、内勤の女性が座っていた。襟許に軍務庁の徽章が輝いている。退屈しているのか、涼しげな目許に生気はない。

「デスタシオン隊務主任に面会したいんですが、取り次いでもらえますか」

「何か身分を証明するものはありますか」

 受付嬢は恐ろしく無愛想な口調で訊ねた。警務庁発行の巡察免許証を提示すると、女は無言で記載内容を確認し、大袈裟な溜息の後、睨むように目線を擡げた。

「御用件は何でしょう。隊務主任は多忙ですので、総てを取り次ぐ訳には参りません」

「誰にでも話せるような内容じゃない」

「失礼ですが、来意が確認出来ない場合、取り次ぎは致しかねます」

 受付嬢の頑迷な態度に、パレミダは苛立った。

「此処に来る人間は皆、君に洗い浚い用件を喋ってからじゃないと、隊務主任に面会出来ないのか? 一介の受付嬢には話せないような内容であっても?」

「皆様に御協力頂いております」

「嫌な女だな」

「有難う御座います」

「褒めてない」

 キグナシアは、嘗て東部地方に覇を唱えたクヴォール帝国の時代から栄える古都であり、同じ工業都市と雖も、先進的なヴェロヌスとは比較にならない保守的な風土である。地元で生まれ育ったキグニム人たちは、異郷への関心が薄く、余所者には冷淡に接することが珍しくない。

「君じゃ話にならない。上役を呼んでくれ」

「私は規則を遵守しているだけです。上官も同様の対応をさせて頂くかと思います」

「それを判断するのは君の仕事じゃない。早く上官を呼んでくれ。こっちは忙しいんだ」

「忙しいのは御互い様ですわ」

「揚げ足を取る隙があったら、さっさと上官を呼んで来い!」

 遂に堪えかねて激発したパレミダの大声に、館内の人々が驚いて振り返った。それでも首を縦に振らない強情な受付嬢に業を煮やしていると、揉め事を嗅ぎつけた男の職員が、二人の間に割って入った。

「どうしたんだ、ファジェイナ。眉間が皺くちゃだぞ」

「この人をどうにかして下さい。無理難題を通そうと、大声で私を威嚇するんです」

「ふざけるな、濡れ衣だ。こんな融通の利かない女を、誰が受付に配置したんだ」

「あたしだって好きで受付を遣ってる訳じゃありません。病欠した担当者の代わりに急遽」

「止めなさい、ファジェイナ」

 男は柳眉を逆立てる女を押し留めて、パレミダに向き直った。

「部下が失礼を致しました。私はキグナシア軍用鉄道管理隊運転部長のハイルダーです。御用件を御伺いします」

「デスタシオン隊務主任に用がある。至急取り次いでくれ」

「緊急の御用件ということでしょうか」

 ハイルダーは銀縁の眼鏡越しにパレミダの風体を観察した。ファジェイナほど露骨ではないが、素性を怪しんでいることに変わりはない。

「全く用心深い連中だな」

 パレミダは溜息を吐いて、覚悟を決めた。

「俺は嘗て帝国義勇軍殉国隊の軍長を務めたパレミダという者だ。同じく殉国隊の軍長であったデスタシオンに用がある。国家の浮沈が懸かった重大な案件だ。さっさと取り次がないと、後悔することになるぜ」

 

 遡ること二十年前、国論を二つに引き裂き、帝土を喊声と砲声の渦巻く燎原に塗り替えた雷鳴戦争が終結した日のことを、デスタシオンは今でもはっきりと思い出せる。

 茹だるような夏の一日、サルヴァーニュ王宮の正門に面したグリイス広場の処刑台で、暴君と罵られ、畏怖された男の首が斬り落とされたとき、帝都は地響きのような凱歌に包まれた。雷声帝アイルレイズの戴冠から二十年に亘って猛威を揮った虐政は、漸く終幕を迎えたのだ。その歓喜と興奮の記憶は、どれほど月日が流れても色褪せることなく、この眼裏に染みついている。

「帝都治安本部が動き出している。黒衣隊に、ジェリハスとマルヴェが連れ去られた」

 ハイルダーに導かれて主任室へ姿を見せたパレミダの報せは、デスタシオンの意表を衝いた。長らく顔を合わせる機会すらなかった古い戦友の登場は、それ自体が不吉な予感に縁取られていたが、黒衣隊の暗躍によって殉国隊の重鎮であった二人が拉致されたとは、想像以上に気の滅入る筋書きだ。

「ガルノシュ・グリイスは、帝国義勇軍の残滓を一掃する気だ」

 苦渋の滲む戦友の声に、痛ましい嘆息を強いられる。パレミダは、殉国隊の参謀長であったジェリハスが創設した政治結社「帝政監査委員会」の幹部として戦後も帝都に残り、戦争の悲劇を再来させない為に奔走してきた。その努力が、考え得る限り最悪の形で裏切られつつあるのだ。忸怩たる思いは避け難いであろう。

 此処数年来、不穏な予兆なら随所に表れていた。春影帝の歿後、雷鳴戦争を閣派の勝利に導いた立役者であるアルファゲルとメレスヴェルが、何れも政治の表舞台から退場させられた。雷声帝の遺児ガルノシュ・グリイスが政務庁掌補の職権を濫用し、国政に彼是と差出口を叩いた結果であるという。アブワーズの軍務庁掌就任も、人事院への過剰な容喙が齎した果報であると専らの噂だ。春影帝の崩御に伴う恩赦が布告されたとは雖も、陛派の重鎮としてアメル島の監獄に繋がれていた戦犯が斯様な顕職に返り咲くとは、如何にも不自然な措置である。

「連中は手段を選ばない積りだ。あんたも警戒した方がいい」

「私はマルヴェやジェリハスほど有名じゃない。今や、単なる鉄道屋に過ぎんよ」

「その油断が命取りになるかも知れない。それくらい、事態は切迫しているんだ」

 恫喝するような口振りで言い放つパレミダの瞳に、意地の悪い光は滲んでいない。悠長な冗談を弄べるほど、生温い危機ではないということを、その真摯な眼差しは言葉よりも雄弁に物語っていた。

「メレスヴェルの病死も、他殺だったのではないかという疑いが出ている」

「本当か」

「嘘を吐くなら、もっと縁起の良い筋書きに仕上げるさ」

 三年前、帝都治安本部長の要職にあった閣派の英雄メレスヴェルは、急性の心臓病に斃れて帰らぬ人となった。閣派の高官たちは、終戦以来ずっと春影帝政権の要として公安に関わる業務を取り仕切ってきた心労が、敬愛する主君の死を契機として一層亢進し、遂には肉体を破壊したのではないかと囁き合い、市井の民衆は戦後復興の勇ましい偶像が倒壊したことに悲嘆してグリイス広場へ押し寄せ、夜を徹して挽歌を唄い、最大限の弔意を示した。あの荘厳な葬儀さえも、陛派の仕組んだ罠の上で演じられた茶番だったというのか。

「錬兵校の同窓だったクェルドという男が今、帝都警事局の検屍部長を務めている。絶対に他言するなという条件付きで聞かされた話だ」

 パレミダは周囲を憚るように声を潜めて切り出した。

「病死を不審に思ったメレスヴェルの遺族が、警事局へ検屍の上申書を出したらしい」

「不穏な結果が出たのか」

「毛髪や臓器から、夥しい量の毒物が検出されたそうだ。直ぐに警務本庁へ報告書を回したが、音沙汰なし。陛派の横槍で握り潰されたんだろう」

 そこまで腐敗が深刻化しているとは意想外であった。メレスヴェルの死因を巡って様々な揣摩臆測が飛び交っているのは何度も耳にしたが、どれも明確な根拠を欠いていて、鵜呑みに出来る水準には達していなかった。無論、それは想定の甘さを弁護する理由にはならない。怪死の噂を翼の生えた妄想に類するものと斥けて何食わぬ顔を決め込んでいた己の迂闊は、二十年も続いた平穏な日々の副作用と言えなくもなかった。

「信じたくないが、否定するには余りにも魅惑的な仮説だ。殉国隊の残党狩りが始まった今となっては、猶更信憑性の高い妄想だと思わないか」

 吐き捨てるパレミダの瞳には、腐りかけた希望が澱んでいた。絶望に染まる一歩手前の、熟れ過ぎて今にも枝を離れそうな希望の果実。

「二人の身柄は、帝都に移送されつつあると俺は睨んでいる」

「心当たりがあるのか」

「単なる主観的な仮説さ。だが、黒狗どもは二人の命を奪わずに連れ去った。殉国隊の英雄を隠すとしたら、悪名高い『ノウバスの檻』が最適だろう」

 黒衣隊の所管する査問所を「ノウバスの檻」と称するのは、戦時中以来の閣派の慣習である。それまで帝都全域の公安を担う小規模な部署に過ぎなかった帝都治安本部を、雷声帝直隷の特務機関に変貌させたノウバスへの敵意を籠めて、当時の義勇兵たちが命名したのだ。

「奴らが鉄路で動いたなら、キグナシアを経由する可能性が高い。軍用鉄道管理官のあんたなら、何か知っているかと思って来たのさ」

 デスタシオンは卓上の灰皿を見据えて考え込んだ。

「現時点では、軍用鉄道を黒衣隊の人間が利用したという報告は入っていない」

「報告されていないだけじゃないのか」

「軍用鉄道を稼動させておきながら、隊務主任への報告を怠るというのは厳罰の対象だ」

 軍用鉄道の運行記録は、国法によって厳密な保全が義務付けられており、無断運行は禁籍処分(庁務官資格の永久的剥奪)の対象となる重罪である。黒衣隊の恫喝に屈した揚句、軍法訴訟院へ突き出されるなど、そんな割に合わない取引に応じる愚か者がいるとは考え難い。

「キグナシアを通らずに帝都へ向かう路線はあるのか」

「アーガセスならば、林務庁の管轄する森林鉄道を利用したのかも知れん」

「森林鉄道?」

「材木の運搬を目的として敷設された軽便鉄道だ。アーガセス山系は国内でも有数の林産地帯だからな」

「軍人が森林鉄道を使えるのか」

「規則には、特例が付き物だ」

 荒事に慣れていない林務官を脅して軽便鉄道を拝借するくらいなら、黒衣隊士の手口として特段に奇異なものではない。

「軍務庁は、帝国の治安維持を名目として、様々な特権を庁掌合議会に請求することが出来る。『防帝特権』という特例だ。『帝国の平穏なる統治が、決定的に妨害されつつあると客観的に判断され得る状況下に於いて、帝室の安寧及び国家の秩序の保全を企図し、尚且つその企図の妥当性を今上陛下の御聖臨なさる庁掌合議会の裁定によって認可された場合には、特別に指定された庁務官及び庁務官によって構成される庁務機関の行動に対して、今上陛下の勅令としての形式に則り、防帝特権の行使が承認される』。防帝特権の請求が通っているのなら、林務庁が黒衣隊に鉄路を供用しない理由はない。アーガセス山系を西に抜け、リーダネンから軍用鉄道に乗り換える算段かも知れんな」

 アーガセスから帝都へ獣車で移動するのは、時間と労力を考えれば効率が悪い。況してや捕虜は重傷を負っている。長時間の移動中に捕虜を衰弱死させるような失態を犯せば、査問を望む帝都治安本部の重役たちは苛烈な問責に踏み切るであろう。故に鉄路での移動が最も現実的であるとの結論に達したのだが、足跡を消す為に森林鉄道を用いる可能性にまでは考えが及ばなかった。

「森林鉄道の呪動機は、軍用鉄道とは比較にならないほど出力の低い安物だ。キグナシアから直行すれば、二人が処刑台へ追い立てられる前に帝都へ辿り着けるだろう」

「列車を手配してくれるのか」

「戦友の危機を黙って見過ごす訳にはいかんさ」

 それが少しでも己の惰弱の償いになるのなら、協力を惜しむ理由はない。デスタシオンは運行管理簿を開いて、頁に指先を滑らせた。

「生憎、直ぐに出せる列車はないが、整備中の列車を貸してやることは出来る」

「整備は何時に終わる」

「早くて、夕方の四時だな」

パレミダは壁の時計を見た。

「一刻の猶予もないと、整備士に伝えてくれ」