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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第三章 追跡の始まり 3

創作「刃皇紀」

「此処が、私の研究室だ」

 呪工学部棟の一階、歩廊の最も奥まった場所にある扉に、リケイムの名を記した銘板が掲げられている。扉の上部に刻まれた鉄鎚とアレスワシ(キグナシア地方の固有種である鷲の名)の紋章は、この大学がキグナス公家の肝煎りで建設された施設であることを示している。

 扉を開け放った途端、パレミダが首を傾げて深い溜息を吐いた。

「あんたには、綺麗好きの助手が一人もいないのか」

 脇から顔を突っ込んで室内を覗き込んだファジルは、パレミダとは対蹠的に嘆声を漏らした。中央に巨大な方形の作業台を配した研究室は、夥しい数の実験用の器具や模型で埋め尽くされ、壁面に沿って天井まで屹立する書棚には分厚い学術書や記録用の帳面がぎっしりと詰め込まれている。種類や形状に応じて整理されている形跡はなく、入り切らなかった書物は床や椅子の上に無造作に積み上げられている。

「皆、私の薫陶を受けて整理整頓に固執する愚を犯さぬようにしておるのだ」

 誇らしげに嘯くリケイムの顔には、何の屈託も見出せない。

「ほら、ファジルの顔を見てみろ。きらきらと眼を輝かせておるだろう? 学問というのは、清潔で秩序立った環境からは生まれぬものだ。雑然たる混沌の渦中から時折析出される一粒の宝珠の燦めき、それが知性であり、創造というものだ」

 リケイムの堂々たる詭弁に反駁する気力すら削がれた様子のパレミダを尻目に、ファジルは傲然と聳え立つ書棚の威容に眼を奪われて立ち尽くした。樵と狩人ばかりのアーガセスで、此れほど沢山の書物に見える機会はない。学問を志す若者は、ヴィル・アーガセスの私塾へ通うか、ブラングートの修学校(文務庁の運営する学校。青少年の教育を目的とする)へ入寮するのが通例で、村の中で書物に触れる為には、村長に頼み込んで黴臭い書庫の扉を開けてもらう以外に術はない。その書庫にしても、大半は鳥獣や植物の図鑑、郷土史の類で占められており、革張りの高価な学術書など一冊もなかった。

「貴重な御高説は、又の機会に聞かせてもらおう。それより、マルヴェとジェリハスがどうなったか、知りたくないのか」

「おお、忘れておった。それで、二人は何故連れ去られたのだ?」

「本当に心配してるのかよ」

 呪工学の泰斗として名高いリケイムとの因縁は、二十余年前のスヴァリカン要塞にまで遡る。鉱産を所管する帝国鉱務庁の高官の家に生まれ、分野を問わず優秀な技術者の育成を図って設立された名門の国立綜合技官大学へ進んだリケイムは当時、工務庁の主管するラループ産業研究所で呪動機の開発に携わっていた。生来、俗事に疎く血腥い話を忌み嫌う性格であった彼は、雷声帝の号令で始まった新型兵器の開発に主幹として関わるように命じられ、嫌気が差して上長に退職願を突きつけると、あっさりと放浪の旅に出た。

 軈て帝都で政変が起こり、政情が益々混迷の度合いを深めていく中、路銀の尽きた彼は西部地方の中心都市クラウリーノで、帝国義勇軍の技師募集の貼り紙と運命的な邂逅を果たした。砲戦呪動車の整備や要塞の修繕など、事実上の雑用係に等しい勤め口であったものの、雷声帝の虐政に抵抗するセファド・グリイスの方針が気に入り、彼はスヴァリカン要塞へ馳せ参じて義勇軍に加盟し、そこで殉国隊の面々とも知り合うことになった。

(相変わらず一筋縄ではいかない男だ)

 溜息を繰り返しつつも、彼はリケイムのことが嫌いではなかった。常に飄然と出没し、被弾して動かなくなった啌気砲や、杜撰な修繕の為にいきなり火を噴いて弾け飛んだ啌気燈など、あらゆる故障を瞬く間に復旧させる確かな手腕を評価していただけではない。その根底に、高度な技術を軒並み軍事に転用しようとする雷声帝への純粋な憤怒が燃えていることを、長い付き合いを通じて思い知らされたのが最大の要因であった。

「技術というのは、崇高な目的の為に使ってはならんのだ」

 或る日、砲撃で損壊した要塞の防壁を液化岩で塗り固めて補修しながら、リケイムは例によって出し抜けに語り始めた。

「技術は、子供の遊びの延長でなければならん。崇高な目的の為に使い始めれば、必ず人間は矩を踰えてしまう。技術はその本性からして、限界を克服し、超越するものだからな。聖戦などと言い訳を貼り付ければ、どんな越権も許されてしまう。一旦それが罷り通れば、人の悪意と破壊には、際限がなくなる」

 最初は屁理屈の多い親父だと密かに蔑む気持ちもあったが、戦後、計り知れないほど多くの人命の犠牲の上に築かれた平和を享受するようになって以来、リケイムへの敬意は着実に重みを増した。余り増長させたくないので、本人の前では可能な限り讃辞は惜しんでいるが。

「ガルノシュの影響が強まっておるという話には、私も心当たりがない訳ではないぞ」

 帝都における政情の変化、アーガセスで起きた惨劇の顛末に就いて一通り語って聞かせると、リケイムは瞳を爛々と輝かせて身を乗り出した。

「庁掌合議会で、ペレルヴェ大学を文務庁教育院の管轄に組み入れるべきだという意見が出ておるそうだ」

 智燦公が私財を投じて設立したペレルヴェ大学は今も、キグナス公家から多額の資金援助を享けている。その代償として経営陣は毎年、運営の方針と状況に関する分厚い報告書を提出するよう命じられており、両者の紐帯は極めて緊密であった。

「合議会は何が不満なんだ」

「ペレルヴェ大学の閉鎖性に、政務庁が懸念を表しておると聞いた。貴重な学術的知見の数々を外部に公開しないのは、国益に反すると」

「それはガルノシュの意見か」

「政務庁掌補の意向に沿わぬ議題を、彼らが取り上げると思うか」

 滾り立つ憤懣に声を荒らげて、リケイムは助手が運んできた冷たいヴァルフム茶の器を引っ手繰るように受け取り、髭が濡れるのも構わず乱暴に飲み乾した。

 

「何故、ガルノシュはペレルヴェの閉鎖性に眼をつけたんだ」

「決まっている。私の研究が目当てなのだ。どいつもこいつも、戦争の道具ばかり欲しがって、醜いことこの上ない」

 リケイムは雑然たる作業台を引っ掻き回して、奇妙な模型を二人に見せた。獣車のような形状だが、側面から突き出した翼のような部品に見覚えはない。扁平な車体の尾部からは、細長い円筒が幾つも伸びている。

「翼車だ」

「翼車?」

「空を飛ぶ獣車だ。目下、私の生涯を懸けた研究課題だ」

 リケイムは模型の腹を指先で摘んで、鳥のように宙を滑らせた。

「数年前から、ペレルヴェ大学で開発を進めている。どうだね、画期的だと思わんか」

「オニフクロウに引っ張らせるのか?」

 眉を顰めて揶揄するパレミダの顔を横目で睨みつけ、リケイムは憤然と鼻息を荒くした。

「馬鹿を言え。此れは啌気の力で大空を飛翔するのだ。特製の呪動機を積んで、優雅に舞い上がる。鉄道のように線路を敷設する必要もない。史上最も『自由』な乗り物だ」

 鉄道に乗ったことすらないファジルの眼に、それは余りにも奇想天外な着想として映じた。筐体に頑丈な翼を生やしたからと言って、直ちに獣車が空を飛べるようになるとは信じられない。

「啌気ってなんですか?」

 高ぶる好奇心に背中を押されて訊ねたファジルの顔を、リケイムは驚嘆の眼差しで見凝めた。

「何てこった、パレミダ。お前は息子に啌気の仕組みすら学ばせておらんのか。それでペレルヴェ大学の門戸を叩こうなど、笑止千万」

「同じことを何度も言わせるなよ。ファジルは俺の子供じゃない。親の責任を問うなら、マルヴェに言ってくれ」

 改めて己の無知を思い知らされ、ファジルは腹が立った。親の務めを抛棄して、来る日も来る日も樵の仕事と酒盛りに明け暮れるばかりの盆暗の所為で、俺は何も知らない子供のまま、大きくなってしまったのだ。

「マルヴェか。彼奴は酒と女と呪刀術にしか興味のない究極の俗人だからな。息子に啌気の仕組みを学ばせておらんとしても、不思議ではない」

 無礼な得心の仕方で一頻り頷いた後、リケイムはファジルの肩を掴んで大声で言った。

「宜しい! 盆暗の旧友に代わって、この私が呪工学の基礎を講じて進ぜよう。光栄に思いたまえ」

 ファジルの返事も待たず、リケイムは部屋の隅から長方形の黒板を引き摺り出して来た。パレミダに手伝わせて三脚の画架に押し上げると、白墨を握り締めて声高に授業を始める。

「先ず基本的なことから説明してやろう」

 リケイムは硬い音を響かせて黒板へ大きく「呪気」と書き記した。

「『呪気』とは何か分かるかね」

「分かりません」

「分からんか。父親はあれほど卓越した呪刀士であったというのに」

 大袈裟に溜息を吐いてみせるリケイムの顔を、ファジルは控えめに睨み据えた。専ら林業と狩猟で生計を立てているアーガセスの村に、呪刀士を稼業とする者は一人もいない。祖母のカルシャから寝物語に聞かされた英雄譚には度々、呪刀を手挟んだ武者が登場したが、呪刀の原理まで詳細に解き明かしてもらった記憶はない。

「この世界には『呪鉱』と呼ばれる摩訶不思議な鉱石が存在しておる。呪鉱は種類によって様々な性質を備えておるが、それは呪鉱に宿った『呪気』の組成に応じて定められる」

 白墨が踊るように飛び跳ねると、黒板に「念気」という文字が現れた。

「呪気と対を成すのが、人間の躰に宿った『念気』だ。いわば、生命そのものだな。人間が単なる肉の塊でなく、様々な感情や思念を懐いて動き回るのは総て、念気の働きによるものだ」

 歪んだ円で囲われた二つの文字を、一本の線条が水平に結んだ。

「呪気と念気が感応すると、呪気が含んでいる特殊な力が賦活されて、『呪象』と呼ばれる現象を惹起する。焔が生じたり、水が湧き出したり、稲妻が走ったり、種類によって様々だ。呪気と念気が結び付くことは『呪合』と称する。呪刀士の連中は皆、この呪合を自由自在に操る訓練を積んでおる」

 難解な用語の頻出に頭を痛めながらも、ファジルは熱心に聞き入った。呪刀の仕組みを学ぶことも、今まで知らなかった世界の扉を開け放つ為の大事な手続きだと思えたからだ。

「呪合は必ずしも念気によってのみ励起されるとは限らん。『念鉱』を用いる方法もある」

 白墨が「念気」の下に「啌気」という文字を書き入れた。

「念鉱とは、念気を帯びた鉱石のことだ。但し念鉱が帯びる念気は、人体の念気と区別して『啌気』と称する決まりになっておる」

 リケイムは空の茶器を摘んで揺さ振り、助手に中身を注ぎ足すよう目顔で命じた。

「啌気を用いれば、特別な修錬を積み重ねることもなく、誰でも呪象の力を活用することが出来る。此れが総ての呪工学の基礎的な原理だ」

 白墨を置いて粉っぽい指先を長袍の腰で拭うと、リケイムは作業台に置かれた翼車の模型を再び摘み上げた。

「鉱務庁主管ウィスプル鉱山精錬所の技師であったフォトバーンが、呪気や啌気を遮断する阻性物質という素材を利用して、呪合を制御する装置を作り上げた。所謂『呪動機』の発明だ。閉塞器と称する函に呪鉱と念鉱を入れ、遮蔽板で仕切っておく。呪合を起こしたいときは、遮蔽板を持ち上げて呪気と啌気を感応させる。至極単純な原理だが、フォトバーン式呪動機の誕生は、この国の、いや世界の技術史を根底から塗り替えた」

 天井を仰ぎ、翼車の模型を高々と掲げるリケイムの瞳が、陶酔するように輝いた。

「だが、その画期的な発明さえ、戦争に役立てることしか考えない連中がおる訳だ。最新鋭の呪動機を積んだ私の翼車を、政務庁は軍事に転用しようと画策しておるのだろう」

「その技術を吐き出させる為に、因縁をつけたということか」

「ペレルヴェ大学の自治独立は、公族権規定法によって保護されておる。だが、ガルノシュの権勢は、法律さえも捻じ曲げてしまえるほどに強まりつつあるのだ。キグナス公家の抵抗も、何処まで通じるか知れたものではない」

 想像以上の速度で、ガルノシュの蠱毒は帝国を蝕んでいるらしい。雷鳴戦争でセファド・グリイスを支援し、帝国義勇軍の勝利に貢献したキグナス公家への風当たりは今後、益々強まっていくに違いない。

「何とかしてみせるさ。殉国隊の栄光は、未だ滅んじゃいない」

「そう願いたいものだな。私の翼車は戦場ではなく、平和な街並を眺める為にあるのだ」

 荒縄のような髪を乱暴に掻き揚げながら、リケイムは片目を吊り上げて道化師のように笑ってみせた。