サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第三章 追跡の始まり 4

 キグナシア市内を南北に縦断するインフェザー大路は、貴瑪公インフェザー・キグナスの時代に整備された幹道である。貴瑪公は猛将として知られ、麾下の騎兵隊は敗北の二字と無縁であった。捷報の度、人々は大路に集い、歓呼を以て凱旋する勇士の戦列を出迎えた。今も大路の南端には貴瑪公の眠る陵塔が聳え、キグナシアの繁栄と安寧を見守っている。

「列車の時刻まで、未だ時間がある。ちょっと付き合えよ」

 そう言ってパレミダはファジルを、インフェザー大路に面した小さな店へ導いた。軒先に掲げられた木彫の看板には「ハルディア兵装店」の文字が刻まれ、刀剣を模った紋章が飾られている。

 古来、東部地方は呪田の豊富な地域で、クヴォール帝国の時代から呪工業が目覚ましい発達を遂げてきた。帝政期にはゴーダル人の王城として栄え、長らく政治と経済の中心地であったヴォルト・アクシアとは異なり、尚武の気風を重んじるキグニム人が築き上げた古都キグナシアには、精密な呪工技術を活かした良質の呪刀を取り扱う店が数多い。特に凱旋する王家の将軍を幾度も迎え入れ、「覇王の道」の異称を有するインフェザー大路には、古くからキグナシア公軍(キグナス公家の私兵部隊)に自慢の逸品を納めてきた老舗の兵装店が今も軒を連ねている。

「この店の親父とは、古い付き合いなんだ」

 黒ずんだ樫の扉を開けると、埃っぽい空気が鼻を衝いた。薄暗い店内に渡された架台は刀剣や楯や鎧で埋め尽くされ、床の片隅には小振りの啌気砲(呪合火器)まで展示されている。

「いらっしゃい」

 顔を上げた中年の店主は、黒い眼帯で双眸を覆い、古びた軍帽を被った異様な風体であった。杖に縋って帳場を出る足取りは辿々しく、どうやら盲人であるらしい。

「久し振りだな、ハルディア」

 パレミダが声を掛けると、男は徐に立ち止まって口の端を歪めた。

「その声は、パレミダか」

「覚えていてくれたか」

「終戦以来、聴覚は研ぎ澄まされる一方でね。扉が開く前から、あんたの靴音まで聞こえていたよ」

 ハルディアは床板を見凝めるように俯いて耳を欹て、静かに言った。

「若い坊やが隣にいるね。友達にしちゃ、年が離れてるな」

「こいつはマルヴェの息子、名はファジルだ」

「マルヴェの息子!」

 俄かに手近な棚板を叩いて奇矯な大声を上げる男に、ファジルは驚いて身を竦ませた。

「彼奴にも、こんな立派な息子がいるのか。坊や、齢は幾つだ」

「十九」

 警戒心を緩められぬまま、ファジルが素気なく答えると、ハルディアは大袈裟に項垂れて溜息を吐いた。

「そうか。もう戦争が終わって二十年も経つ。彼奴にこんな大きな息子がいたって不思議じゃない。時間の神様は、融通が利かねえからな」

「見えないのに、分かるのか」

 眼帯で覆われた瞳がどのような状態なのか知る術はないが、光を失っていることは確からしい。それなのに、どうやって「立派な息子」だと見抜いたのか。

「分かるさ、見えなくたって、色んなことが。心臓の脈打つ音、筋肉の撓む音、関節の擦れる音、耳を澄ませりゃ皆聞こえて来る。眼球二つ、抉られたからといって、真っ暗闇という訳じゃねえ」

 低い声で呟くと、ハルディアは杖を握り直して顎を上げた。

「何の用事かね。どうせ目出度い話じゃないんだろう」

「相変わらず勘が冴えてるな」

「こんなもん、勘も糞もねえだろ。帝都の立派な巡察士様が、何でマルヴェの餓鬼を連れてキグナシアへ顔を出す? 物見遊山じゃあるまいし、どうせ碌でもねえ用事に違いないと、睨むのが当然だろう」

 振り上げた杖の尖端をファジルの鼻面に突き付け、ハルディアは唇を歪めて不気味に笑った。

「兄ちゃん、俺が怖いか」

 咄嗟に問われて気の利いた返事を思いつけずに黙っていると、ハルディアは石突を音高く床に叩きつけて鼻を鳴らした。

「薄気味悪い野郎だなと、思ってるのが聞こえるよ。黒い眼帯を両眼に巻いて、光は見えねえのに地獄耳とくりゃあ、おっかねえのも道理だな」

 熟練の役者の如く、滑らかな口跡と大仰な立ち回りで嗄れ声を張り上げるハルディアの姿は、祖母のカルシャが夜更かしを戒める為に度々語って聞かせた月神の話を想い起こさせた。日没と共に目覚めて山奥の洞穴から這い出し、眠らずに徘徊する村落の悪童を攫って喰らうという月神も確か、太陽と仲が悪くて眼が見えないのではなかったか。

「だが、この盲いた目玉は俺の勲章なのさ」

 眼帯越しに、錐を揉み込むような眼差しを突き付けられているような気がして、ファジルは総身に滲む冷汗を拭うことさえ出来なかった。

「俺は昔、キグナシア公軍の兵士だった」

 ハルディアは杖を軍刀の如く握り直して正眼に構え、疾風のように振り抜いてみせた。思いのほか強烈な斬撃に空気が唸り、棚板に並んだ刀剣や武具が歯咬みするような音を立てて顫えた。

「雷声帝の軍隊がアレス盆地を襲ったとき、俺は栄誉あるカセルフ陸兵隊の一員として、野蛮な連中を迎え撃った。戦闘が始まって三日目の晩に、闇に沈んだドラットレー防塁の塹壕で砲撃を喰らった。頭を丸ごと粉微塵にされなかったのが不思議なくらいだ。まあ、幸運だったんだな。だが、潰れた両眼は元には戻らなかった。以来、ずっと眼帯を巻いて暮らしてる」

 達者な昔語りに気圧され、相槌を打つことすら忘れてファジルは息を呑んだ。麻で編んだ黒い眼帯の向こうに穿たれた深い闇を覗き込む勇気は出ない。よく見れば頬骨から顎にかけて、稲妻に似た褐色の古傷が縦に走っている。砲火を浴びても猶生き残り、退役した傷痍軍人として兵装店を営んでいる男の底知れぬ絶望を物語るように、それは明瞭な輪郭を描いていた。

「マルヴェは、生きてるのかい」

 再び杖頭を掴んで背筋を丸めると、ハルディアは打って変わって静謐な口調で訊ねた。

「生きていると信じて、俺たちは動いている」

「誰が手を下した?」

「帝都治安本部黒衣隊だ」

「横柄な黒狗の仕業か」

 ハルディアは腹立たしげに鼻を鳴らし、眼帯に覆われた顔を天井へ向けた。

「それで、この貧相な兵装店に何を仕入れに来たのかね。呪刀なら、使い慣れた奴が幾らでもあるだろう」

「下取りを頼みたいんだ」

 パレミダに促されて、ファジルは腰帯に挟み込んだ呪刀を鞘ごと抜いて差し出した。ジェリハスが黒衣隊士の亡骸から剥ぎ取ったものである。漆黒の鞘には、黄金色の狼を模った帝都治安本部の紋章が刻まれている。害獣に追い縋る獰猛な狼の勇姿に、皇帝直隷の公安組織としての矜持を重ね合わせているのだが、結果として敵対する閣派の義勇兵に「黒狗」の蔑称を発明させてしまった曰くつきの図案だ。

「黒衣隊の得物か」

 ハルディアは鞘を掴んで隅々に指先を這い回らせ、小鼻を膨らまして犬のように匂いを嗅いだ。

「帝都治安本部御用達の毒質呪刀。相変わらず趣味の悪い連中だ」

「買い取れるか」

「毒質呪刀は売買が厳しく制限されてる。買い取ったって、こんな街中の兵装店じゃ売り物にならねえ」

「天下御免の特級呪商士様が何を仰るんだ。誇り高きカセルフ陸兵隊の殊勲者に、公家が余計な差出口を叩くとは思えないがね」

 人体への有害性が高い毒質呪鉱石は、特級呪刀士、特級呪工士、特級呪商士の何れかの資格を有さない限り、所持するだけで厳罰に処される。帝国神務庁の免状を有する呪業士(呪刀士、呪工士、呪商士の総称)は概ね官公庁や估団(営利を目的として運営される組織)に雇用され、装備の支給を受けるのが通例であり、個人の名義で市井の兵装店に呪刀の取引を申し込むことはない。毒質呪刀を店頭に陳列しておいても、抜き打ちで巡邏に訪れる神務庁管呪院の呪業監督官に摘発され、巨額の罰金を徴収されるのが落ちだ。

「此れと引き換えに、軽量で呪象点の低い呪刀が欲しい」

「俺の不利益は度外視という訳かい」

「黒衣隊の毒質呪刀に恋焦がれてる金持ちの蒐集家と、何の所縁もないと言い張るのか? ハルディア兵装店の名声は、表通りよりも路地裏の方がよく聞こえると言うぜ」

 犯罪の捜査を生業とするパレミダの手慣れた脅し文句に、ハルディアは大袈裟な溜息を吐いて降参した。

「巡察士と関わり合いになるのも、考え物だな。こんな死に損ないの盲人から、枯れ果てた尻尾まで引き抜こうってのか」

「悪い話じゃないだろう。巧く立ち回れば、帝都で流行りの呪工義眼を購えるぐらいの儲けにはなるんじゃないか」

 帝国医務庁の主導で開発が進められている呪工義眼は、晴晶鉱と称する光質呪鉱を用いて盲人の視力を回復させる画期的な発明品であり、主として失明した傷痍軍人の装用を想定している。現段階では呪合術の心得がなければ効果を得られないが、念鉱石と組み合わせて啌性化(啌気で動くようにすること)する為の研究も既に始まっており、盲人たちの希望の燈火となりつつあった。

「俺はああいうのは好かん。宿命は従容と甘受するのが人間の節度ってもんだろう」

「例えばの話さ。別にその金で女を買ったって構わない」

「うるさい奴だな。俺の淫売嫌いは知ってるだろ」

 ぶつぶつと不満を呟きながらも、ハルディアは黒衣隊の呪刀を帳場に追い遣り、狭い店内を埋め尽くす陳列棚の物色を始めた。

「呪質の希望は何かあるのかい」

「何でも構わない。初心者向けの奴を頼む」

「初心者には何を握らせたって難しいもんだが」

「完全なる素人だ。呪合術の基礎さえ知らない」

「そいつはひでえ。何も知らねえ新米の為に、手頃な刀を誂えろって言うのかい」

「目利きのあんたには、お安い御用だろ」

 無理な注文を頼み込むときだけ露骨に阿ってみせるのが癪に障るよと厭味を漏らしつつ、ハルディアは架台の間をゆっくりと歩き回り、軈て鞘に羽撃くアオワシを模った細身の風質呪刀の前で足を止めた。

「此れなんかどうだい。呪象点は一六〇ペクティム、それなりに威力はあるが、風質だから大怪我はしねえだろう」

 風質呪刀は一般に軽量で扱い易く、呪刀術の稽古には頻繁に用いられる。炎質や雷質のように、扱いを誤った途端に甚大な傷痍を蒙る虞も小さい。

「風質は威力が弱い。余り悠長なことは言ってられない旅路なんだ。黒衣隊士からも身を護れるものじゃないと駄目だ」

「無茶を言うなよ。素人が毒質呪刀と互角に渡り合える訳がねえだろ」

「無茶は承知の上だ。そういう状況なんだから仕方ない」

 斧や鎌しか扱ったことのない山出しの少年に、黒衣隊士の襲撃を斥けろと命じるのは理不尽に決まっている。然し此れから向かう帝都アルヴァ・グリイスは国政の中枢であり、あらゆる謀略と暗闘が鬩ぎ合う死地である。基礎の鍛錬には適していても、武装した殺戮の専門家たちを相手取るには、風質呪刀では分が悪過ぎる。

「じゃあ、此れならどうだ」

 鼻を鳴らして踵を返したハルディアは、帳場の裏手の小部屋へ姿を消した。暫く経って戻ってきたその脇には、大振りの木箱が窮屈そうに抱えられていた。

「光質で、呪象点は二〇〇ペクティム前後だが、ヴェロヌス産の白夜鉱を使った本格派さ。素人には荷が重いだろうが、黒衣隊士と一戦交えるくらいの威力はある」

 蓋を開けると、艶やかな漆黒の鞘に覆われた長尺の呪刀が姿を現した。ヴェロナ半島の山間部に棲息するクロガネタカを模った独特の鐔は、キグナシアと並び称される工業都市ヴェロヌスの象徴である。彼の地で採掘される特産の白夜鉱は極めて収束性の高い光線を発することで知られ、その特性を活かした呪刀はヴェロヌス公軍の制式装備に選ばれるほど強烈な威力を誇る。

「白夜鉱で二〇〇ペクティム? 信じられないな」

 パレミダは黒塗りの鞘を慎重に掴んで鼻先へ持ち上げた。徐に鯉口を切り、刃を斜めに滑らせてみる。呪象点とは、呪象を惹起するのに必要な力を数値で示したものであり、高ければ高いほど呪刀の扱いは困難になる。白夜鉱の場合、平均的な呪象点は四〇〇ペクティム前後であるから、この呪刀はかなり優秀な仕上がりだと言える。

「レイワックスという腕利きの職人が作ったのさ。本当は売り物じゃない。友人の形見だ」

「形見?」

 波頭のような刃文に吸い寄せられていた眼差しをハルディアの顔に転じて、パレミダは眉根を寄せた。

「誰の形見なんだ」

「カセルフ陸兵隊の同期生だ。名は別にいいだろ。もう死んで、随分経つ」

 キグナシア公軍隷下の陸兵隊は、呪刀術に秀でた精強な戦士だけに門戸を開いている。ハルディア自身、晴眼であった頃は度々、公家から勲章を下賜されるほどの活躍を示し、戦場で光を失って退役を余儀無くされたときには、巨額の寄付金が忽ち集まったという。

「この刀は、その男の守り神だった。どんなに苛烈な戦場でも、この呪刀と共にある限り、彼奴は骨を折ることさえなかった」

 ハルディアは杖を持ち上げ、ファジルの肩を石突で軽く叩いた。

「兄ちゃん、あんたは未だ若い。戦場で討ち死になんて、馬鹿馬鹿しいよ。生き延びなきゃ、何にもならねえんだ。たとえ、俺みたいに目玉が潰れちまったとしても、棺の中で乾涸びるよりは遥かにマシさ」

 生き延びなきゃ、何にもならねえんだ。当たり前の事実に、眼が眩むような思いを誘われる。焼け落ちる生家の光景、夜空を焦がす紅の焔。連れ去られた父親の背中を視界に捉えるまで、無事に生き残らなければならない。それは若しかしたら、途方もなく困難な目標なのかも知れないけれど。

「この呪刀をあんたに預けよう。親父を助け出したら、返しに来るんだ。いいかい、返しに来るんだよ。その為には、生き延びることだ」

 手渡された呪刀のずっしりとした手応えに慄きながら、ファジルは黙って何度も頷いてみせた。