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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第三章 追跡の始まり 5

創作「刃皇紀」

「俺が貰ってよかったのかな」

 ティルダ地区の軍用鉄道管理隊庁舎へ引き返す途次、ファジルは腰に帯びた呪刀の重さを持て余すように呟いた。

「貰ったんじゃない。借りてるだけだ。友人の形見だと言ってただろう」

「そうだけどさ。大事なものなのに、本当に俺でいいのか不安になるよ」

 黒衣隊が、目的の為には手荒い手段も辞さない危険な組織であることは、アーガセスの一件で痛いほど思い知らされている。しかも、本職の兵士として苛酷な戦場を生き延びた経験を持つジェリハスでさえ、敗れ去ってしまうほどの手練が雁首を揃えているのだ。山仕事に必要な鉈や斧ばかり扱って、呪刀の正しい構え方すら心得ていない自分が、血塗られた猛者の跋扈する魔都で黒衣隊の襲撃を躱し続けるのは不可能に近い。

「死んでしまうかも知れないって言いたいのか。大事な遺品を返せなくなったら、申し訳ないと」

「だって、そうだろう。俺は呪刀術の初歩すら身に着いていない、単なる樵の倅だ。生き延びて返しに来いなんて、無謀な約束だと思わないか」

「無謀かも知れないが、ハルディアの好意を断る必要はないさ。大体、彼奴だって君が百戦錬磨の呪刀士相手に戦っても勝ち目がないことぐらい、分かった上で預けてるんだ」

「だったら猶更、困るよ。何であんな大事なものを俺に委ねるのさ」

 そのときは冷静な対処が思い浮かばずに受け取ってしまったが、改めて考えてみれば大事な遺品を抱えて枉死する可能性は極めて高いのだ。今なら未だ間に合う、返しに行こうかとも思ったが、パレミダはそんな必要はないと一方的に言い張るばかりであった。

「何か考えがあってのことだ。君の境遇に同情して、何か助けてやりたいと純粋に願ったのかも知れない。態々戻って突き返す方が失礼というものさ」

 パレミダの強硬な主張を跳ね返せるほど弁が立つ訳でもないファジルは、佩刀の柄に指を触れながら黙り込んだ。赤の他人に同情して、戦友の形見を貸し出すなんて理窟に合わない話ではないか。マルヴェと顔見知りなのだとしても、それだけで大切な遺品を預ける理由にはならないであろう。

「彼是と思い悩むくらいなら、さっさと気持ちを切り替えて呪刀術の稽古に打ち込んだ方が賢明だ」

「簡単に言うなよ。こんな状況なのに」

「こんな状況だからさ。故郷の村で長閑に一生を終える積りなら、呪刀術の稽古なんて無用の長物だったろうね」

 覚悟が定まらないなら故郷へ帰れと暗黙裡に通告されているような気がして、ファジルは唇を固く引き結んだ。実情がどうであれ、他人から腰抜け呼ばわりされるのも、尻の青い子供扱いされるのも気分の好いものではない。

「親父は、凄腕の呪刀遣いだったんだろう」

 此れまでの道中に得た情報を繋ぎ合わせると、二十年前のマルヴェは相当な手練として雷名を轟かせていたらしい。アーガセスでは薪割りさえも面倒がり、伐採した材木を運ぶときは新米の樵を呼び出して居丈高に手伝わせていた父親が、ジェリハスのように焔を吐く刀を巧みに操って立ち開かる敵手たちを次々に葬っていたとは、未だに信じ難い話である。

「独学らしいが、義勇軍でも屈指の腕前だった。そうじゃなきゃ、殉国隊の副長に推されたりしないさ」

「独学?」

 想定していなかった言葉に、ファジルは眼を丸くして往来の真ん中に立ち尽くした。通りかかった獣車の馭者に、キグナシア訛りのグリイス語で道を空けろと怒鳴られ、慌てて路傍へ身を寄せる。

「たった一人で、使えるようになるもんなのか、呪刀ってのは」

「彼奴は人から指図されるのが大嫌いな男だ。師匠の教えを逐一忠実に守り抜いて鍛錬を積むなんて、殊勝な真似が出来る筈はないさ。君も息子なら分かるだろう」

 パレミダの言い分は尤もであった。気に入らない相手には、問答無用で直ぐに喧嘩を仕掛ける血の気の多い父親の横暴は、小さい頃から吐き気がするほど見慣れている。それなりに腕の良い樵である筈なのに、同業者の互助会にも加わらず、村の若衆を誑かして半ば腕尽くで舎弟にしていたのも、誰かに仕えれば直ちに衝突せざるを得ない狷介な気性が禍した結果であったに違いない。

「親父は何も教えてくれなかった。樵の仕事を教えてくれたのも、俺を一人前に育てる為というより、面倒だから押し付けただけって感じだったし」

 山仕事に限らず、炊事や洗濯などの家事も、母のテリーカが亡くなってからは息子に覚え込ませて、自分は食卓に根を生やして浴びるほど酒を呑んでいるだけであったマルヴェが、態々呪刀術の稽古など思い立つ訳もない。結果として樵や狩人の真似事は躰に染み込んだが、呪刀に火を噴かせる方法は一度も習わずに今日まで来てしまった。

「天賦の才という奴だろうな。生まれつき呪刀術の素質があったから、我流で磨き抜くだけでも恰好がついたのさ」

「あんたもそうなのか、パレミダ」

 不意に呪刀を渡されて、秘められた力を引き出せと命じられても、当惑して立ち竦むのが健全な反応というものであろう。誰の指導も受けずに自力で一流の呪刀士へ昇り詰められるだけの才覚が、受け継いだ血潮に宿っているとは信じられなかった。

「俺は修呪館の卒業生だ」

 パレミダは何食わぬ顔で耳慣れぬ言葉を吐いた。

「修呪館?」

「知らないのか。呪刀士を育成する学校さ」

 帝国神務庁管呪院が運営する修呪館は帝国北西部、アイネイシア高原の南東に位置する樹林に囲まれた全寮制の学舎であり、呪業士の養成を目的としている。軍務科、警務科、神務科、工務科、商務科などの部門があり、特級、高級、上級、中級、下級、初級、無級の七つに等級が分かれている。半期ごとの昇試(昇級試験)に合格すれば等級が上がり、最短ならば三年で特級へ達するが、上級から先へ進むのは至難の業であり、中途で修業を卒える者も多い。その場合、等級に基づいて資格証票が発行されるが、初級以下の退学者には如何なる免状も与えられない。

「俺は特級まで進むのに四年かかった。けれど、帝国義勇軍には修呪館の免状を持たない呪刀士が珍しくなくて、馬鹿らしくなったのを覚えているよ」

 秋霜帝ゴーヴァ・グリイスの時代に開校した修呪館の歴史は、未だ百年に満たない。春影帝が呪業士への統制を強めるべく修呪館の免状を必携とするまでは、マルヴェのような我流の呪刀士は寧ろ多数派であった。修呪館に学ばずとも、在野の呪刀士に弟子入りしたり軍科大学の門を叩いたり、方法は幾らでも転がっていたからだ。

「そんなに心配するな。天才じゃなきゃ呪刀士になれない訳じゃない。俺が修呪館で学んだことの総てを、君に注ぎ込んでやるよ」

 恩着せがましい物言いに辟易するのは、贅沢というものであろうか。父親の安否が不透明な今、落ち着いて呪刀術の訓練に励めるほどの精神的余裕を維持するのは、容易な努力ではない。

「この呪刀は、扱いが難しいんだろう。素人には荷が重いって、ハルディアが言ってたじゃないか」

「確かに素人向きじゃないが、威力の割には呪象点が低い。要は、呪象効率が高いので比較的扱い易いということだ」

「全然分かんないよ。俺が素人だってことを直ぐに忘れるの、止めてもらえないか」

「悪い、そうだったな」

 英雄の息子が、英雄の素質に恵まれているとは限らない。余計な先入観で蹠を底上げされた揚句、期待外れだと罵られては堪らなかった。

「呪気や念気は、眼に見えないくらい小さな『呪子』や『念子』の集まりだ。一つの呪子に対して、一定数の念子が呪合したときに、所謂『呪象』が励起される」

「リケイムの授業の続きを聞かせてくれるのか」

「茶化すなよ。呪刀術の基本だから真面目に聞いて損はないさ。呪象を発生させるのに必要な念子の数を『呪象点』といって、ペクティムという単位で表記する。例えば呪象点が二〇〇ペクティムなら、一つの呪子に最低二〇〇個の念子が組み合わさらないと、呪象は発生しない。つまり、呪象点の低い呪刀は、念気が弱くても呪象を励起出来るってことだ」

「分かったような、分からないような」

「大事なのは、呪象点と呪象強度の関係性を知っておくということさ。威力が高いもの、専門的に言えば呪象強度が高いものは、一般に呪象点も高い。威力が高い分、必要な対価も増えてしまうということだ」

「要は、美味しいものほど値段が張るのと同じだな? アーガセスウサギを食べたきゃ高い金を払わなきゃならないし、ペンタースウサギで我慢するなら銅銭しかなくても腹一杯食えるってことだろ」

 腑に落ちた様子で瞳を輝かせるファジルに、パレミダは肩を竦めてみせた。

「兎の譬えが分かり易いなら、それでもいい。銅銭しか手持ちがないのにアーガセスウサギを買えた幸運な少年が、君だということさ」

「分かり易いな。リケイムよりも訓伯に向いてるんじゃないか」

「御世辞の積りかも知れないが、あんな変わり者と比較されること自体、既に侮辱だと思うね、俺は」

「随分な言種じゃないか」

「腐れ縁というのは、愛想のないものだよ」

 取り澄ました顔でパレミダが嘯いたそのとき、夕刻四時の訪れを報せる智燦公ペレルヴェの鐘声が、賑やかな往来に殷々と響き渡った。