サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

崇高な児童文学 上橋菜穂子「精霊の守り人」

 小学生の頃だったろうか。

 私の母親は生協に加入していて、週に一回、決まった曜日に商品の分配が団地の一角で行われる習慣だった。読書の好きな長男坊のために、母はたまに生協を通じて本を買ってくれた。何度もそういう経験はあったように思うが、具体的にどういう本を生協で買ってもらったのか、明瞭な記憶は余り残っていない。

 その中で明瞭に記憶している数少ない作品の一つが、偕成社から厚手のハードカバーで刊行されていた上橋菜穂子の「精霊の守り人」だった。今のように世間の話題になる遥か昔で、当時としては地味だが優秀な児童文学の佳品、という具合の位置づけだったのではないかと思う。無論、これは現在の私が当時を顧みてそのように感じるというだけの話で、実際にその頃の出版業界や読書家の人々の間で、この作品がいかなる待遇を受け、いかなる評判やレッテルを与えられていたのかは知る由もない。しかし、この「地味だが優秀な児童文学の佳品」という定義は強ち的外れなものではないと思う。新潮文庫に収録され、大人の読者の鑑賞にも堪え得る傑作ファンタジーとして持て囃されるようになった現状の方が何だか摩訶不思議なのであって、本当はこの作品は本を読むことにささやかな快楽を見出し始めた子供たちのためにこそ綴られた名作なのではないだろうか。それは、この作品が大人の鑑賞に堪え得ない幼稚な仕上がりだ、という意味ではない。優れた児童文学が、大人にとっても重要な感興を齎し得るものであることは論を俟たないだろう。

 凄腕の短槍使いで、用心棒として生計を立てるバルサと、ヨゴ皇国の帝の嫡子として生まれながら、皇室に疎んじられているチャグムの冒険を描いたこの作品は、決して小難しい言い回しを用いずに、あくまでも平明な文体で綴られている。だから、児童文学なのだと決めつけたい訳ではない。ここには確かに政治的な謀略の気配が漂っているが、その謀略にしても、例えば先日の記事で取り上げた「メタルギアソリッド」シリーズのような硬質で酷薄なものではないし、その謀略の理路が大人でなければ咀嚼し難いような複雑な構成を備えている訳でもない。謀略を描くことは、この小説の主眼ではないし、古来の言い伝えの謎を解き明かすという古き良き素朴なミステリーの緊迫感が、どちらかと言えば本筋であると言えるだろう。

 ファンタジーという呼称で分類される作品には様々な様式と形態が有り得る。それらを安易に一括りにする訳にはいかない。だが、ハードな謀略よりも、設定された異世界の空気や質感を明瞭に浮かび上がらせることにこそ、細心の注意を払ったと思しき「精霊の守り人」を、ファンタジー文学の高度な達成のように誉めそやすのは何だか的外れであるような気がする。確かに「精霊の守り人」は傑作だが、それはファンタジーと称される分野の最高度の達成ではなく、大人の鑑賞にも堪え得る普遍的な名作として持ち上げると、却ってその本来的な魅力の在処が掴み辛くなるのではないかと思う。

 これはあくまでもファンタジーというジャンルの入り口であり、導入に相応しい作品として受け取られるべきで、大人の鑑賞にも堪え得るという惹句(を見かけたような気がするのだが、記憶違いだろうか)は、この作品がファンタジーとして抜群の強度を誇っているという意味ではなく、ファンタジーというジャンルへの関心をそもそも持ち合わせていない、或いはかつて人並みに持っていたけれど、知らぬ間に世俗の生活に追い立てられるうちに忘れてしまったような大人たちが、再びそういう世界へ足を踏み入れるための入り口として優れている、という意味で解釈するのが妥当だろう。

 ファンタジーが「異世界」というものの構築を目指すジャンルとして定義されるならば、その裾野は実に幅広く、場合によっては醜悪な異世界を描き出したものだって数多く流通しているだろう。この「ファンタジー」という言葉の定義について厳密に考え始めると訳が分からなくなるので止しておくが、それらは時に露骨なほどの非現実性を有していたり、私たちが暮らしている実際の世界を支配する原理とは全く異質な法則に基づいて運営されていたりする「異世界」の幻想を含んでいる。

 「精霊の守り人」には確かに若干の政治的謀略も登場するが、それは物語の遠景として控えめに採用されているだけで、一番の眼目は、想像上の異世界の中に様々な非日常的風俗を織り込み、「ここではないどこか」の手応えをリアルに読者の五感へ伝達することなのではないだろうか。そして、ここには所謂ファンタジーに必要な様々な要素が基礎的な洗練を伴って分かり易く平明に織り込まれている。封殺された古代の真実、為政者による歴史の改竄、異民族の習俗、様々な心理的葛藤。舞台装置にしても、物語の運び方にしても、丁寧に彫琢された語り口にしても、ファンタジーとしての洗練は紛れもない。だから、入り口としては完璧だ。その意味で私は、この作品が「児童文学」の系譜に連なるものであることを、改めて強調したいと考えたのだ。

 繰り返すが、これは断じて誹謗中傷ではない。小学生の頃、偶然買い与えられた「精霊の守り人」を夢中になって読破した遠い日の記憶に基づいて言うのだが、この作品は紛れもない傑作である。しかし、長ずるに連れて物足りなさを覚えるようになってきたのも、確かな事実なのだ。

 

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)