サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「小説」という束縛よりも根源的な領域 夏目漱石「吾輩は猫である」

 私が初めて夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んだのは小学生の時で、当時講談社から出ていた青い鳥文庫に収録されていた子供向けのバージョンが、その相手であった。とはいっても、別に内容が原典と異なっていた訳ではなく、子供でも読んで意味を理解出来るように難しい漢字を仮名に開いたり、分かり易い注釈を文中に織り込んだりするような編輯上の工夫が施されたものであった。小学生が読むには随分と長いし、中身も決して子供向けのものではないのだが、当時の私は何故か夢中になって耽溺した。理由は単純明快で、実に面白かったからである。その面白さというのは決して芸術的な感興のようなものに喚起された面白さではない。単に私は、この小説をいわば「コメディー」のようなものとして愉しんだのだ。

 国語の教科書に必ずその名と事績が記され、またかつては千円札にその肖像画が用いられた夏目漱石に関して、その頃の私がどの程度の知識を有していたかは定かではないが、とにかく難しい理窟は抜きにして、私は「吾輩は猫である」の随所に漂っているユーモアの魅力に心を掴まれたのである。幾分古めかしい措辞が散見するのは当然だが、それでも漱石の文章は多少の振り仮名や注釈さえ付け加えれば、それだけで小学生でも読みこなせるくらいに明快で普遍的な伝達力を備えている。冷静に考えてみれば、それはとても偉大で異様なことだ。どんなに面白いギャグマンガでも、どんなにユニークな芸人であっても、百年後の人々を笑わせるのは容易なことではない。笑いというのはいつでも文脈というものに強く規定されるし、その文脈というのは歴史的な変遷に応じて刻々と書き換えられていくものだからだ。にもかかわらず、漱石のユーモアの魅力が、百年後の小学生の頬さえも緩めさせてしまうというのは、文学というものの底知れぬ威力の完璧な証左であると言えるだろう。

 1905年(明治38年)に発表され、大きな評判を呼んだこの小説は、所謂「物語的な小説」とは全く異質な構成と原理に導かれて著述されている。自由自在、融通無碍な語り口に、例えば落語のような口承文芸の影響を認めるのは容易だが、そのような平凡な指摘だけでは「吾輩は猫である」の魅力の源泉を解き明かしたことにはならない。何よりも、この作品を創造する上で重要な原動力となったのは、言語に対する漱石の比類無い知識の分厚さである。教養とも知性とも呼び得る、その偉大な文学的才能は、漢籍と英文学に関する該博な教養を礎として花開いている。「吾輩は猫である」は優れた「小説」なのではない。そもそも、これを「小説」という肩書の下に扱うことが適切であるのかどうかも分からない。確かに筋書きらしいものはあるし、様々な描写もあるし、幾つもの豊富な挿話は緩やかな連帯のようなもので繋がっている。しかし、これは典型的な小説の機軸からは随分とかけ離れているように見える。これは何かを写実的に描写しようとしたものではない。フィクションであることは間違いないが、大半の材料を日常的な経験や生活から汲み出していることも確かだ。或いは、限りなく随筆に近いと言えなくもない。架空の物語を営々と紡ぎ出すために、漱石は執筆を思い立った訳ではないだろう。もっと言えば、彼にとっては綴られた内容がフィクションであるかどうかというようなことは些末な問題に過ぎなかったのではないだろうか。

 佐藤亜紀氏の「小説のストラテジー」において、小説の本質はあくまでも「記述」であり、「物語」は「記述」を成立させるために付帯的に存在するものでしかない、という見解が示されていることを敷衍するならば(この要約が妥当なものかどうかは分からない)、漱石の「吾輩は猫である」におけるような書き方はまさに、そのような「記述の欲望」が只管に具現化された結果であると言える。こういう物語を書きたい、こういう人物を描きたい、という明確な物語的欲望に先立って、作者の「記述への欲望」は爆発している。このように書かなければならないという規範のようなものさえ、作者の欲望に箍を嵌めることは出来ない。その縦横無尽な語り口は、文学というものが「小説」という様式の特権性によって支配される以前の時代の残響のように、現在の私の眼には映じている。

 評論家の柄谷行人氏が「言葉と悲劇」という講演録の中で、夏目漱石の文業が極めて「横断的」であることについて触れているのを昔読んだことがある。それは彼が「文」という意識の下に書いていたからだ、というような指摘がそこにはあり、当時の私は蒙を啓かれたような気がした。日本語の小説というものが社会的に確立された時代において、職業としての小説家を志すことと、そんなものが全く存在しない世界で、主には英文学を参照することで、江戸の戯作の伝統や漢籍の教養などを組み合わせながら、日本語の小説というものを実際に構築していくのでは、書き手としての感覚や思想、信条は大きく異なるに決まっている。彼にとって「小説」というのは自明の様式でも作法でもなく、全く新しい表現の様式であったに違いない。幾ら英文学に慣れ親しんでいたとしても、それは「近代日本文学」の可能性を直ちに約束するものではないし、英語で綴られた英語的な表現様式を日本語へ移し替えるのが、それほど容易な事業でないことは明白である。

 その巨大な転換のようなものに身を挺しながら、作者は躊躇いがちに新たな一歩を踏み出し、結果として日本の歴史を代表する「文豪」となった。全く、この国で夏目漱石ほど「文豪」という形容が似合う作家は他にいない。彼は実に様々な「小説」を書く一方で、漢詩を作ったり英文学を講じたりしていた。その多様な活動の総体を「小説家」という狭苦しい呼称で括ってしまうのは正しくないし、そもそも彼を「小説家」と看做すのは矮小化以外の何物でもないだろう。漱石の作品は百年後の今でも読み継がれているし、その文章は極めて強力なイメージを私たちの意識に流し込んでくる。その異常なほど強靭な表現の浸透力は、彼が単なる「小説家」を超越した存在であったことの反映に他ならない。「吾輩は猫である」は単なる風刺文学でも文明批評でもない。あらゆる要素を包含しながら、奔流の如く紡がれていく「言葉の熱量」が最も本質的な「偉大さ」であり「功績」なのだ。

 

吾輩は猫である (新潮文庫)

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