サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

自由自在に語ること 坂口安吾「私の小説」

 私は中学生の頃、退屈な夏休みの最中に思い立って本屋へ出かけた。松戸駅の駅ビルに入っている本屋で、たまたま角川文庫から出ていた「堕落論」を買って帰った。「堕落論」以外にも彼の代表的な文章が幾つも収められた手堅い編輯の一冊で、その一冊に偶然出会ったことが、その後の私の貧しい読書遍歴に例外的な彩りを添えた。

 坂口安吾という作家の名は、恐らく私の生家にあった古い新潮社版の日本文学全集で見知ったのが初めてであったように記憶している。薄い紙に二段組みで細かく活字が刷られたその文学全集で、確か坂口安吾太宰治織田作之助と共に三人で狭苦しそうに一冊へ押し込められていたのではなかったか。彼らが所謂「無頼派」という名称で括られていたことも後に学んだ。そんなレッテルには何の意味もないが、彼らが世代的に、似通った社会的環境の中で作家としての青春を謳歌したことは確かな事実だろう。三人とも、戦後の焼け爛れた荒廃の最中に、薬物注射などにも手を出しながら、書くことに異様な情熱を燃やし続けて死んでいった人々だ。別に薬物注射が偉いなどと強弁したい訳ではない。敗戦で一夜にして世の中の仕組みが引っ繰り返り、国家の主権を奪われてアメリカの占領下になった当時の世相の著しい変転が、彼らの生存の様態に何の影響も与えない訳がない。言い換えれば、戦後七十年を経過した現代の日本で、彼らのようなタイプの作家が活躍することはとても難しいだろうというだけの話だ。

 私は坂口安吾を敬愛しているが、読んできたのは専ら随筆や評論の類ばかりで、小説に関しては殆ど無知である。これから時間を見つけて挑戦していきたいと考えているが、少なくとも現時点で私が坂口安吾の文業について語れることがあるとしたら、それは概ね批評的エッセイに関することに限られている。そのような偏向が咎められるべきことだとは思っていない。そもそも、坂口安吾という作家の業績は「小説家」という職業的なカテゴライズに縛られるような狭隘なものではない。彼はとにかく一流の「作家」であり「文学者」であって、その書き物は小説とかエッセイとか、そういう便宜的な区分には囚われない闊達な横断性を有している。そして、その自在な横断性こそ、私が坂口安吾という作家に惹きつけられ、魅了される所以の重要な一つなのだ。

 この作家には、随筆的な文章の中にも数多くの名品がある。敗戦直後の日本で拍手喝采を浴びたという有名な「堕落論」を筆頭に、「日本文化私観」や「教祖の文学」「不良少年とキリスト」など、枚挙に遑がない。それらについても何れは記事を書きたいと考えているが、今日は敢えてもっとマイナーな文章を取り上げたいと思う。作家としての坂口安吾の方針や信条が明快に語られた「私の小説」という短文である。

 私の手元にある講談社文芸文庫版の「教祖の文学 / 不良少年とキリスト」の巻頭に収録されたこのエッセイは、昭和22年の「新大阪」という夕刊紙に掲載されたものであるらしい。高尚な文学雑誌などではなく、市井の庶民の日常と踵を接した夕刊紙という媒体である所為か(私はこの「新大阪」という夕刊紙がどのような刊行物なのか調べもせずに決めつけて言っている)、自由自在で闊達、砕けた言葉遣いもふんだんに織り込まれた気楽な文章である。だが、ここには坂口安吾という作家の苛烈な思想的骨格がきちんと露頭している。坂口安吾の文章は、どのような媒体に向けて、どのような主題について著述されたものであっても、常に一貫した個性的な風合いを保っているのだ。その点でも、彼は極めて「誠実な文学者」であったと言わざるを得ない。

  正直なところ、私は人の評判を全然気にかけていない。情痴作家、エロ作家、なんとでも言うがいいのである。読む方の勝手だ。こう読め、ああ読めと、一々指図のできるものではないのだ。

 文学というものはそういうもので、読む人によって、どういう解釈もできる。私の小説が情痴小説だと思うのは先方の勝手だけれど、然し、これだけは知らねばならぬ。つまり一つの小説に無数の解釈が成立つのだから、一つの解釈だけが真実ではないということだ。私が情痴作家だという。ところが、案外、そう読んだ読者の方が情痴読者かも知れぬ。読者は私を情痴作者だというし、私は読者を情痴読者だという。別に法廷へ持ちだすまでのことはない。裁判官はちゃんといる。歴史だ。我々はつまらぬことをいう必要はない。証拠書類は全部出してあるのだから。曰く、小説。作家にとって小説は全てであり、全てを語りつくしており、それに補足して弁明すべき何物も有る筈はない。有り得ない。文学は全てのものだ。

 このように書き綴る作者の揺るぎない自信と、明朗な精神の健やかさを、私は十代の頃から愛してきた。細かいことに思い悩み、幾ら考えたって埒の明かない問題を延々と問い詰め続けて、答えが出ない限り自分の人生はおしまいだと短気を起こすような青春の疾病に人並みに悩まされていた頃、坂口安吾の文章に横溢する自由闊達な情熱は、私の孤独な耳に天啓のように響いた。

 

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  思えば、十代の頃の私はとにかく寝ても覚めても「自由」というものに憧れていた。柄にもなく禅宗に興味を持って鈴木大拙の本を読んだり、白隠禅師に憧れて読めもしない「夜船閑話」を県立図書館から借りてきたりしたのも、そこに「絶対的な自由と安心」が確立されていて、そこへ至るための秘密の暗号が記されていると半ば本気で信じ込んだからであった。そうやって足掻いている当時の私の眼に、例えば「堕落論」や「青春論」の磊落な煽動は抗し難い魅力を備えているように見えた。今でも、それが錯覚ではなかったと信じている。大人になり、当時の生々しい懊悩から随分と遠ざかってしまった今でも、生きている限り悩みの種は尽きないし、「自由」への憧憬は形を変えて生き延び続けているからだ。

 自由は地獄の門をくぐる。不安、懊悩、悲痛、慟哭に立たされているものである。すべて自らの責任に於てなされるものだからである。人が真実大いなる限定を、大いなる不自由を見出すのも、自由の中に於てである。自由は必ず地獄の中をさまよい、遂に天国へ到り得ぬ悲しい魂に充たされている。

 大学をたった一年足らずで済崩しに中退し、自制心も理性もかなぐり捨てて付き合っていた女性を妊娠させ、訳も分からぬうちに勤人の端くれとして世間の荒波へ漕ぎ出すこととなった二十歳前後の私は、自由というものの本質的な「恐ろしさ」に打ち拉がれていたと言える。何もかも「自らの責任に於て」引き受けるということの峻厳な圧力に、魂を刳り貫かれてしまったのだ。どこにも逃げ場などない、ということを悟る為に、私は「地獄の門」を潜ったのかも知れない。十代の少年が憧れるような「生易しい自由」など、この世界には存在しない。それを学んだことで、漸く私は大人への階段を一歩ずつ、恐る恐る踏み出していく勇気を掴むことが出来たのであった。