サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「偏愛」こそ「至上の愛」である 澁澤龍彦「偏愛的作家論」

 先日の記事で、学生時代に初めて読んだ作家について書いた。

saladboze.hatenablog.com

  そのときの回想が残響のように眠っていた記憶を揺り起したのか、久々に思い出した一冊がある。江藤淳と同じく、暇を持て余した大学生の頃に何度も執拗に読み返した、澁澤龍彦の「偏愛的作家論」(河出文庫)である。

 社会に出て、来る日も来る日も額に汗して働く勤人になってみると、どうしても生活の大半を労働に割かねばならないので、真昼間から涼しい喫茶店の片隅で読書に時を費やすという風な贅沢は望んでも容易に得られるものではなくなってしまった。それに私は二十歳から二十五歳までの五年半と、二十七歳から現在に至るまでの二年数箇月は所帯持ちであるので、休みの日でも完全に個人的な時間というのを確保することは困難である。別にそれが嫌だという訳ではない。仕事をしなければそもそも生きていくことは出来ない訳だし、所帯を構えたのも自分自身の意志で選んだことなのだから、自由な時間がなくたって文句を言う筋合いはない。寧ろ、見捨てられたような孤独な時間というのは、人生の過渡期である大学生くらいの時期であれば甘美な追憶にもなろうが、それなりの日月を閲した後では痛ましい寂寥の源泉でしかない。

 だが、暇であるということ、無為の時間を厖大に抱えていて、尚且つ年若いということは、今になって振り返れば貴重な経験だったと言えなくもない。大学の授業を怠けて、新宿の街並みを大した目的も持たずに徘徊していた愚かな「若者」の時代、私は確かに熱心な読書家であった。それは通勤の行き帰りに眠気に蝕まれた頭を小突き回して文庫本のページを捲るのとは異質な、とてもパセティックな時間だ。それはきっと、私が自分の人生というものを見出せずにいたことの証左であったに違いない。自分がどうやって生きていけばいいのか、そこに明確な答えを見出すことが出来なかった十代後半から二十歳過ぎまでの季節、いや、その無明の状態は今でも持続していると言えば言えなくもないのだが、そういう底知れない不安と絶望、何よりも焦躁が、読書に対する私の情熱を下支えしていた。どこかに明確な結論が転がっていないか、自分の求める答えが誰かの本の片隅に走り書きされていないか、そうやって悶えるように活字を拾うことが、青春の迷妄に閉ざされた当時の私にとってはどうしても必要な営為であったのだ。

 未だに生々しい体感として記憶しているのは、新宿から山手線で日暮里まで引き返し、松戸方面へ向かう常磐線の快速列車を待つ夕暮れのホームで、ベンチに腰掛けて、この「偏愛的作家論」を読んでいたことである。私はその日、17時から八百屋のレジ打ちのアルバイトが入っていた。勉強よりも労働の新鮮さに夢中になっていた当時の私は、大学の講義を受けるために椅子へ座って何十分も堪えているくらいなら、レジを打ってお客さんの見繕った野菜や果物をペラペラの袋へ詰め込む方が余程愉しいし勉強にもなると思い込んでいたのだ。その日は細かい雨が降っていて、到着した列車の戸袋の辺に立って本を読んでいる私の衣服にも、開いていたページにも、微細な雨粒が幾つも散っていた。風が強かったのだろう。そして私は今日もアルバイトへ行って時給800円の社会奉仕へ赴いていく。私は本当に若く、世間知らずで、思慮の足りない少年であった。今でも大して代り映えはしないのだが、少しはマシになっていると信じてみたい。

 前置きが長くなった。澁澤龍彦という作家の名が、どれだけ現代の日本人に膾炙しているのか知らないが、未読の方々は是非ともその著作に触れてみて欲しい。これほど魅力的な文章を書く作家を発見するのは、それほど簡単なことではないからだ。東大の仏文科を出て、サディズムの語源として知られる貴族マルキ・ド・サドの著作を翻訳して積極的に世間へ広めることから始まった彼の文業は、実に融通無碍で自由闊達な文人の風格を孕んでいる。言葉というもの、或いは文化というものに文字通りの「偏愛」を注いだ澁澤の秀逸な批評的エッセイを耽読することは、怠惰で無知な学生であった私にとって、享楽であると共に重要な「独学」の教本でもあったと言える。

「随筆の骨法は博く書をさがしてその抄をつくることにあった。美容術の秘訣、けだしここにきわまる。三日も本を読まなければ、なるほど士大夫失格だろう。人相もまた変らざることをえない」(『夷斎筆談』「面貌について」)と氏は書いている。石川氏が士大夫をもってみずから任じているのかどうかはしばらく措き、氏が戦争中に留学していたという江戸の風狂詩人から学んだ、少なくともこれは氏自身の美容術でもあるにちがいない。さればこそ、晩年の荷風の身辺に書物がほとんど見あたらなかったことを、氏は烈々たる語調で難ずることもできたのであった。この、本を読むということ、すなわち学問あるいは教養の下地があるということも、現下の日本の無学者揃いの文壇においては、まことに稀有に属する特質なのである。

  石川淳を賞賛するために綴られた「評伝的解説」の一節である。これは恐らく石川淳の文業やスタイルを通して澁澤自身の理想やスタイルを語っているものと思われる。幅広い書籍を耽読することを通じて形成される「教養」の分厚いベースが、その人間のレベルを決定する。そして、その基準は「偏愛」であるということ。この独特の修養の方法論は、私のように大学をドロップアウトして無学な労働者として長い人生の出立を無理やりにでも飾り立てなければならなかった人間には、慈雨のような啓示であった。無論、私自身を澁澤龍彦に擬そうと高慢にも考えている訳ではない。読書が好きだと言っても、万巻の書物を読破しようという烈々たる気概に燃える訳でもなく、気になって購入しても一ページすら読まずに放置してある本で狭苦しい賃貸住宅の一隅を占拠しているような怠惰な私の許を、そのような過分な栄光が訪れる訳がないのだから。

 「偏愛的作家論」と銘打たれた、このオマージュの集成は、澁澤龍彦の極めて個人的な嗜好に依拠して編輯されている。「偏愛的」というのは、これらの文章が普遍的な価値観に基づくものではなく、あくまでも「個人的」で「主観的」な思想や信条に則っていることの表明であろうが、恐らくはその「偏愛」こそが、この書物に収められた文章の魅力的な光輝を生み出しているのだ。「知識」と「偏愛」は互いに不可分の関係にあり、誰かを、或いは何かを愛することは常に、それについて詳細に知識を蓄え、「理解」することと絶対に切り離し得ない。それは相手が人でも書物でも変わることのない普遍的な摂理である。そのとき、知識を語ることは誰かを愛することに限りなく近似していく。「偏愛」の語句を冠するのは謙抑の表れかもしれないが、寧ろ私は「偏愛」こそ「至上の愛」であると言いたい。本当に好きだと思えるものだけが、その人の魂の中枢を構成する重要な糧となるのだから。そして、そのような「偏愛」に満ちた読書へ勤しむのに、二十歳前後の所謂「モラトリアム」の季節は最適な時代だと言い得るだろう。

 花田は「スカラベ・サクレ」というエッセイのなかで、林達夫の「異常な好意と尽力」(著者の後記)によって出版されたという中橋一夫の名著『道化の宿命』に拠りながら、「荷風・淳・安吾の系列は、わたしに、シェークスピアの芝居に登場する道化の三つの型――辛辣な道化(ビター・フール)、悪賢い道化(スライ・フール)、愚鈍な道化(ドライ・フール)を連想させる」と述べ、荷風を辛辣な道化に、淳を悪賢い道化、そして安吾を愚鈍な道化に、それぞれ当てはめているのである。しかも花田は、一般に見られる道化の進化のコースを逆転させて、「たとえば、荷風の『花火』におけるおもわせぶりなプロテストが、淳の『曾呂利咄』における手のこんだ諷刺に変り、最後に安吾の滑稽小説のたぐいにおける痴呆的な笑いと化した、とみればみれないこともないではないか」という、彼一流の弁証法的な、目のさめるような逆説を吐いているのだ。

  自分の偏愛するものについて語るとき、人の精神は活性化し、集積された知識は比類無い美しさを以て輝き始める。本書はその好個の事例である。そして、好きなものについて語る作者の口吻に触れながら、私たちは澁澤龍彦という人間の本質的な部分にも、少しずつ理解の触手を伸ばしていけるのだ。言葉を以て何かについて熱心に語ること、それは古来、人間が「言葉」というものに捧げ続けてきた熱烈で敬虔な「祈り」のようなものなのである。

 

偏愛的作家論―澁澤龍彦コレクション 河出文庫

偏愛的作家論―澁澤龍彦コレクション 河出文庫