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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「プレステ」の時代と、私の追憶 1 「moon」(1997年)

 私が小学生低学年だった頃、テレビゲームの世界は任天堂スーファミスーパーファミコン)の全盛期だった。ドラゴンクエストファイナルファンタジークロノトリガーといった国産RPGが爆発的なヒットを記録し、私たち小学生は夢中になって、電子的な数列で構成された眩惑的なファンタジーの世界に耽溺した。

 小学校の高学年から中学にかけて、今度はソニーのプレステ(プレイステーション)が下剋上を成し遂げ、業界の覇権を掌握した。アーク・ザ・ラッドというRPGが発売され、友人が夢中になって遊び込んでいるのを漫然と眺めていたのを記憶している。テレビCMも次々に放映され、様々な不朽の名作がプレステの人気を怒濤の勢いで押し上げていった。グランツーリスモクラッシュ・バンディクーロックマンDASH、ブレス・オブ・ファイアⅢ、スターオーシャン・セカンドストーリー、ゼノギアスファイナルファンタジーⅦ、幻想水滸伝Ⅱ、メタルギアソリッドなど、時が経つのを忘れて熱中した珠玉の名作は枚挙に遑がない。8ビットのファミコンから、驚異的な速度で32ビットのプレステへと進化する時代に、幼少期から思春期を過ごした私たちの世代は、まさに家庭用据え置き型ゲーム機の黄金期に生まれ育ったと言っても過言ではないだろう。

 時が経ち、家庭用ゲーム機の性能が上がり、ゲームそのもののクオリティや難易度が上昇するに連れて、所謂コンシューマーゲームの市場規模は凋落の季節へ差し掛かった。国内の家庭用ゲーム機の市場規模は、1997年の約7600億円をピークとして、2014年には約3700億円ほどにまで収縮している。国産RPGの王道として知られる「ファイナルファンタジー」シリーズにおいても、例えば戦闘システムの複雑さ、マップの複雑さ、シナリオの複雑さは年々強まっているように感じる。一方、スマートフォンのアプリとして配信される携帯ゲームや、インターネットを媒介としたオンラインゲームなどの認知度は、コンシューマーゲームの凋落と反比例するように存在感を高めつつある。据え置き機にしても、幅広い世代に愛されて一定の需要を確保しているのは任天堂の「Wii」のような体感型の新しいハードウェアである。古き良きプレステの時代は過ぎ去り、今時の子供達にしても据え置き型のハードより、携帯出来るDSやPSPのようなツールの方が好みのように見える。

 前置きが長くなったが、ゲーマーを名乗るような経験値も技能もない素人の私が、わざわざ己の無知を露呈するようなゲーム業界の栄枯盛衰の総括を試みても恐らくは無益であろうから、もっと個人的な話へ移行することにする。小学生高学年から高校生ぐらいにかけての時期、私は人並みにゲームを愛する少年であった。所謂「やりこみ」への情熱は中途半端なものであったが、自分なりにゲームという娯楽を愛していたことは事実である。余りテレビゲームというものに理解を示さない両親の下に生まれた御蔭で、ゲームへの目覚めは周りより遅かったが、その分、ゲーム機を買ってもらってからは反動のように熱中した。最初はゲームの「文法」とでも称すべき暗黙の不文律が理解出来ず、初めて買ってもらったRPG「ドラゴンクエストⅥ」では、冒険の出発点であるライフコッドの村からシエーナの町へ辿り着くことさえ出来ず、あっという間に忌まわしき「ぶちスライム」に撲殺されて教会へ追い返される屈辱の日々を過ごしたものだ。

 さて、家庭用ゲームの国内市場規模が有史以来の最高潮に達していた1997年、ラブデリックという会社の製作した「moon」という風変わりなソフトが、アスキーから発売された。発売されて直ぐにプレイしたのかどうか記憶にないが、当時の「ファミ通」でも結構話題になっていたような気がする。とにかく、私は何らかの因縁に導かれて「moon」という風変わりなソフトを購入し、ゲーム機を起動させ、そして瞬く間にその奇抜で斬新な異世界へ呑み込まれていったのであった。

 今でもネットを渉猟すると熱心なファンの書き込みが散見するので、やはり歴史に名を残す傑作という私の個人的な感想は偏狭なものではないらしい。このゲームは、例えば「ドラゴンクエスト」のような古典的RPGの筋書きを諷刺するようなロジックに則って作られている。プレイヤーはゲームの世界に吸い込まれた少年に自らを擬して、架空の世界へ参入するのだが、その架空の世界は「ゲームの中の世界」として構築されている。文学の世界などで頻繁に用いられる「メタフィクション」の論理を、古典的な「剣と魔法のRPG」の領域へ持ち込んだ本作は、実に独特なシステム設計と幾らか怪奇的なグラフィックのセンスで、私たちを全く異質な「ゲーム的経験」に連れ去るのである。主人公は勇者が殺したモンスターの魂を捕まえ、再生に導くことで「ラブ」を得る。その「ラブ」を集めることで、主人公のライフゲージは強化され、行動範囲が広くなっていく。私は寡聞にして、こういう形式の「RPG」を「moon」以外に知らない。仮に似たような構成のRPGが存在したとしても、この「moon」が偉大なる先駆者であり開拓者である事実は揺るがないだろう。

 勇者にとって「モンスター」が殺害すべき障害物であるということは、RPGの世界においては基本的な常識であり、システムの成立する前提条件である。「モンスター」を殺害して経験値を蓄え、「強さ」のレベルアップを図るのは、RPGというジャンルの本質的な要素であり、根幹なのだ。それを逆手に取って、遭遇したモンスターを殺すのではなく、発見した死骸から推理を働かせて「ソウルキャッチ」を行ない、モンスターを復活させることによって「愛」のレベルアップを図るという「moon」のシステムが、所謂「RPG」というジャンルへの天邪鬼な皮肉に基づいて意図的に設計されていることは論を俟たない。こうした機軸の転換は、例えば「メタルギアソリッド」が「敵を倒すこと」ではなく「敵に発見されないこと」を「勝利」の要件として定義したことにも匹敵する、革命的な発想であると言える。

 また、一般のRPGにおいては、ダンジョンや街などでアイテムを入手することが「当然の権利」として是認されている。民家の戸棚から金や武器を勝手に持ち出すのは普通のことである。しかし、それを「普通のこと」ではなく「罪悪」と看做す批評的な視線が、このゲームの根底には伏流している。プレイヤーは様々な出来事を通じて、つまり様々なキャラクターとの関わりを通じて「ラブ」を得ることが出来る。無論、一般のRPGでも、人助けに類するイベントを通じて何らかの見返りを獲得することは珍しくないが、それが「ラブ」というような抽象的なパラメータとして表示されることはない。「ラブ」を集めても、プレイヤーの「腕力」が強化されることはない。単に活動時間が延びて、活動範囲が拡大するというだけの話である。しかも、そうやって新たに確保された「活動時間」も悉く「ラブ」の入手に充てられるのだ。

 「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」といった国産RPGの代表格と目されるソフトウェアが、「敵を倒して強くなる」という「成長の物語」を捨て去ることは恐らく難しい。何故なら、それこそが「RPG」というジャンルを構成する本質的な要件として機能しているからだ。「moon」が、そのような物語の類型に「叛逆」を試みたなどと、大袈裟に褒め称える積りはない。だが、ラブデリックの開発陣が提示してみせた「批評的な問い」が、凝り固まった常道と伝統を排し、RPGというジャンルに「新しい可能性」を齎したことは幾ら称賛されても足りないほどに偉大な功績だと私は思う。ゲーム内でMDを購入して、そこに収録された音源を流しながらプレイを進められたり、様々な言語を合成して作った奇妙な音声を「異界の言葉」として登場人物たちに喋らせたり、そういう斬新な工夫も相俟って、「moon」という作品は比類無い独自性を達成している。無論、この作品が切り拓いた地平を踏襲するようなソフトウェアが新たに登場すべきだと、声高に訴えている訳でもない。独自性の形は多種多様であり、他ならぬ「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」にしても、そこに他では味わうことの出来ない独自性が屹立していることは明白な事実である。だが、それにしても「moon」の異形性は傑出していたと言うべきだろう。その忘れ難い異形性の記憶が現に今も、ネット上に氾濫する「愛の告白」の数々を奏でているのだから。