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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「千葉」(「常磐線」と「総武線」の異質性をめぐって)

サラダ坊主風土記

 私は元々、大阪の出身である。だが、父親の転勤の都合で、中学三年生の春に千葉県松戸市へ引っ越し、それから概ね十六年間、ずっと千葉県内で暮らしている。三十年間の人生のうち、千葉県での生活の方がより多くの割合を占めるようになった訳だ。

 大阪へ帰る予定はない。両親も千葉に骨を埋める積りであるし、父方の祖父母の墓も既に高い金を払って松戸市内の霊園へ移し替えてある。私自身、幕張に家を建てている最中で、無事に完成した暁にはそこが終の栖となるであろう。余程の大金持ちでもない限り、持ち家を購入するということは自分の「死に場所」を定めることと同義である。これから三十五年間の債務奴隷生活を経て、私はやがて東松戸の小さな霊園に築かれた墓へ、恐らくは私よりも先に冥界へ旅立つであろう父母の背中を追って、妻と共に納められる筈である。

 千葉県に所縁のない人には何のイメージも湧かない退屈な記事となることを許して頂きたい。中学を卒業して、私立高校へ通い始めた私は、通学のために毎日、JR常磐線緩行線を利用して南柏へ通った。常磐線は、昨年の春に上野東京ラインが開通する以前は、上野駅を起点として千葉県・茨城県を経由し、遠く仙台方面まで疾走する長距離列車であり、松戸市柏市我孫子市、流山市、野田市の辺に暮らす人々にとっては日常の足として馴染み深い路線である。つくばエクスプレスの開業によって混雑は若干緩和されたとも言うが、それでも朝夕の通勤時間帯の殺伐たる押し合い圧し合いは相変わらず持続している。

 中学三年生から二十代後半まで、ずっと松戸市内に拠点を置いて暮らしてきた私にとって、常磐線沿線の領域は慣れ親しんだ界隈であったが、逆に言えば、私にとって「千葉県」とは殆ど常磐線沿線の限られた地域のみを指す言葉であった。東日本大震災が発生した2011年の年明けに会社から異動辞令が下り、茨城県つくば市の店舗から千葉県市川市の店舗へ異動するまで、私は「総武線」というもう一つの大動脈によって支配されている世界に関して愚かしいほどに無知であったのだ。

 千葉県民以外の方々には「常磐線」や「総武線」がどのような地域を走る路線なのか、余りイメージが掴めないと思うので補足しておこう。既に述べた通り「常磐線」は、上野駅を起点として(*現在は品川までの直通列車も運行されている)日暮里、千住を経由し、江戸川を渡って松戸市へ入る。その後、更に北上を続けて柏市我孫子市を通過し、利根川を渡って茨城県へ入る。茨城以北に関しては千葉県外の話なので説明を省かせて頂くが、これが「常磐線」の大雑把な概略である。

 一方の「総武線」は、東京駅の地下ホームを起点として馬喰町、錦糸町、小岩を経由し、常磐線同様に江戸川を渡って千葉県市川市へ入る。その後、千葉県内最多の乗降客数を誇る西船橋駅船橋駅を通過し、津田沼、稲毛を経て、房総半島の玄関口である千葉駅へ到着する。そこからは佐倉や茂原や成田へ向かう列車、木更津や富津や館山へ向かう列車、銚子や東金や鴨川へ向かう列車など、様々な方面へ枝分かれしており、未だに常磐線沿線での暮らしの方が長い私のような素人には、到底把握し難い複雑な運行系統を保持している。

 この二つの路線は、共に東京都心から出発して千葉県北西部の領域へ向かって伸びていく電車だが、両者のアクセスは必ずしも良くない。大袈裟に言えば、この二つの「沿線地帯」は互いに異質な「文化圏」として存在しているようにすら感じられるのだ。その第一の理由は、これら二つの大動脈を相互に結びつける路線の「薄弱さ」である。

 常磐線の界隈から総武線方面へ抜ける場合、一般的に利用される経路は三つ存在する。東武アーバンパークライン(大多数の千葉県民にとっては今も「野田線」という呼称の方が耳に馴染み易いに違いない)に乗って柏駅から船橋駅へ抜けるルートと、JRの新松戸駅から武蔵野線に乗って西船橋駅へ抜けるルート、そして新京成電鉄松戸駅から新津田沼駅及び京成津田沼駅へ抜けるルートだ。これらのルートの難点は「快速」という概念が存在しないということである。武蔵野線に関しては、京葉線へ乗り入れてからは「快速」という概念が意味を持ち始めるし、野田線においても「快速」の運行が開始される予定であるらしいが、基本的には、常磐線と総武線を結びつけるこれらの区間は総て「各駅停車」即ち「鈍行」の独壇場である。松戸から津田沼までは約40分、柏から船橋までは約30分。武蔵野線はもう少し早いが、西船橋駅には総武線快速が停まらないし、そもそも武蔵野線京葉線は「そよ風で止まる」と揶揄されるほど強風に脆いので、悪天候の時には頼りにならない(JRとは対蹠的に、野田線京成電鉄は荒天にも全く挫けない心意気で、千葉県民の敬愛と信頼を集めている)。

 こうした要因が陰に陽に作用するのか、例えば松戸市に暮らしていた当時の私にとって「千葉市」や「船橋市」は「異郷」以外の何物でもなかった。そもそも、どうやって船橋まで行けばいいのか、西船橋船橋の関係性はどうなっているのか、といった初歩的な知識すら、市川赴任以前の私にとっては「謎」だったのである。松戸から車で千葉市のポートタワーを訪れた時など、余りの遠さに意識を失いかける有様であった(無論、これは誇張である)。市川ぐらいの距離なら、京成の路線バスが頻繁に往来しているし、互いに江戸川沿岸の誼もあって何となく親しいような気もするが、それは埼玉県の三郷市に対して覚える親密さと絶対値において大して変わらない。

 この「地理的距離」は必然的に「心理的距離」にも反映している。無論、これは私の個人的な感覚なので千葉県民全体に適用範囲を拡大することは出来ないが、下らない妄言の連なりだと思って寛大に聞き流してもらいたい。「常磐線」と「総武線」の間には、極めて根深い「心理的距離」が横たわっている。それは両者のアクセスの不便さに由来する一方で、別の要因にも左右されている。端的に言えば、それは両者の「背負っているもの」の違いに基づいている。「総武線」が「房総半島」を背負っているとすれば、「常磐線」が背負っているのは何か。私たち千葉県民にとっては言うまでもない。それは「茨城県南部」である。

 ここには「池袋が埼玉県南部を背負っている」或いは「新宿が多摩地方を背負っている」のと同様の構図が介在している。総武線は千葉駅という巨大なターミナルを通じて、房総半島全域の人々を都心へ運び込む役割を担っている。そこに息衝いているのは恐らく「海辺」の精神であり気風である。市川・船橋・幕張・稲毛・検見川・千葉、そして内房・外房の何れも、悉く「海辺」の街である。私が「総武線」に対して抱く明朗で開放的なイメージは、その「海辺の民」の息吹の表れではないだろうか。

 一方の「常磐線」は、松戸・柏・我孫子・取手・牛久・土浦・高萩の何れも、霞ケ浦に近づくことはあっても、基本的には「内陸」を走る列車である。無論、水戸駅ぐらいまで行けば、そこから先は海沿いを走ることになる訳だが、それは「茨城県民にとっての常磐線の姿」であって「千葉県民にとっての常磐線の姿」とは本質的に異なるものであることに留意してもらいたい。四方を海に囲まれた総武線・内房線外房線の連携と比較したとき、常磐線つくばエクスプレス関東鉄道常総線の「内陸性」の著しさは歴然としている。この「風土」の異質性が、常磐線と総武線との間に深々と刻み込まれた「断絶」の基礎的な原因なのではないかと、私は考えるのである。

 そろそろ気力が尽きてきた。続きはまた後日書くことにする。そのときには「常磐線」と「総武線」という二つの大動脈に挟まれながら、独特の存在感を示す「北総線」の「丘陵性」についても触れることになるだろう。