サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 二十四 税関総局の鉄壁

「流石にハイジェリー商会の重役は一筋縄ではいかない難物でしたね。我々も改めて、今後の方針を考え直さなければならないようだ」

 柔らかな午前の光が繊細に泡立っている港の明るい石畳を、私たちは複雑な心境で連れ立って歩いていた。同業者の誼を買い被って、当然然るべき協力を得られるものと思い込んでいた己の甘えを恥じる一方、あそこまで露骨に敵意を剥き出さずとも良さそうなものだと詰りたくなる気持ちもあり、私の貧相な頭脳はすっかり混迷の泥濘へ嵌まり込んでしまっていた。無論、ハイジェリー商会の助力を得られずとも、ダドリアへの通関手続きを進めることは不可能ではない。ヘルガンタ税関総局へ赴いて必要な書類を整え、然るべき検査を受けて正規の手順で出国と通関の手続きを済ませればよい。だが、ラクヴェル商館長の脅迫的な言辞を踏まえると、事態の円滑な進捗を望むのは困難であるように思われた。

「ヘルガンタ税関総局は当然のことながら、ビアムルテ州の統治権を握っているヴェンドラ州侯家の監督下にあります。ラクヴェルの脅し文句を一から十まで鵜呑みにする必要はないにしても、州侯家の高圧的な容喙は計算に含めておかなければならないでしょう」

 バエットの陰気な想定に、私は深刻な絶望の溜息を禁じ得なかった。フェレーン皇国という国家は、その管掌する土地の面積が広く、そこに暮らす人々の習俗や思想信条も様々であることから、歴史的に中央集権よりも地方分権の政治的気風が根強く、主要な行政単位である「州」の統治は、高貴な血統を有する名家の世襲に委ねられている。所謂「州侯家」と呼ばれる人々だが、彼らに対して皇都の王室が下賜している権限の大きさは生半可なものではない。ヘルガンタ税関総局の設立は断じて、ビアムルテ州を統べるヴェンドラ州侯家の私益に資することが目的ではないが、今日ではそのような誤解が罷り通る余地は充分に整備されている。税関総局の仕えるべき相手が国家であり皇国の臣民であり、何より皇都テレス・フェリンカに住まう王室であるということは大義名分として通用しているが、職員にしても遥か彼方の雲上人の見たこともない高貴な御尊顔を思い浮かべるより、地元の顔役の御機嫌を伺った方が何かと都合が良く、利益も大きいに決まっている。ヴェンドラ州侯家の重役たちが用心深い質であるならば、少なくともハイジェリー商会のヘルガンタ商館長があれほど強硬な姿勢を示す限りは、事態の難渋は避け難いように思われた。

「余り足踏みばかりしていても時間の無駄だ。積荷の重要性を考えれば、さっさと任務を遂げるに越したことはない」

 バエットの言い分に一も二もなく従って、私たちは早速ヘルガンタ税関総局の古色蒼然たる庁舎へ進路を定めた。だが、バエットの不吉な見通しは残念ながら正鵠を射ており、通関士の免許を有するポルジャー君も鼻白むほどに冷淡な剣幕で、税関の局員は私たちの身分証に蔑むような敵意に満ちた眼差しを注ぎ込んだ。

「コスター商会の通関は、差し止めの対象に認定されております」

 窓口で一行を出迎えた若い女は、藍色の制帽を脱ごうともせず、書類に視線を滑らせながらあっさりと言い切った。

「ヴェンドラ州侯家より、危険物資輸送審査への合格が通関要件であるとの通達が出ております」

「だったら、さっさと審査してもらいましょう」

 反論は無意味だと弁えているのか、バエットは女の言葉尻を捕まえるように居丈高な態度で身を乗り出して急かした。

「生憎、審査機関は繁忙期で、十日ほど御待ち頂く必要があります」

「冗談じゃないね。此れほどの船舶航行数を誇る港町の税関で、審査機関がそんな呑気な仕事振りを決め込まれては困るよ」

「申し訳ありませんが、此れが現実ですので」

「割り込ませてくれないのか」

「急いでいるのは、どの船も同じことです」

「危険物資輸送審査の通告が来ているということは、我々の積荷が何であるかはヴェンドラ卿も御存知である訳だ。それでも立ち往生を命じるのかね」

「州侯家の御意向に、私が容喙する理由は御座いません」

「肝の据わった女だ」

 こういう不逞の輩を冷然と遣り過ごす仕事には慣れているのだろう。ヴェンドラ州侯家の政治的な思惑に従って、本来あるべき業務の形態に様々な工夫と手心を加えるのは、皇国の西の玄関口であるヘルガンタ税関総局の職員にとっては基礎的な心構えであり、技法であるということなのだ。その不誠実な方針を口汚く罵ってみても、活路が拓ける見込みは乏しかった。

「下らない時間を過ごすのは御互いの利益にならないな」

 吐き捨てるようなバエットの挑発的言辞を、制帽を目深に被った若い女は涼しげな表情でやんわりと払い除けた。

「生憎ですが、そのようですね」

「君はダドリアの窮状に関して何も知らないんだろう」

「知っていようといまいと、私たちヘルガンタ税関総局は定められた使命に奉仕するだけです」

 飽く迄も自らの狷介な姿勢を崩そうとしない女の白い顔に、バエットは憎々しげな眼差しを鉛でも鋳込むように執拗に注ぎ続けた。