サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

近未来・スチームパンク・異なるものを結び合わせること

 所謂「SF」というジャンルに関する私の知識は極めて貧相な代物である。ウェルズ、ブラッドベリハインラインアシモフ、クラーク、ヴォネガットといった御歴々の輝かしい名声だけは聞き齧ったことがあるが、その実作に触れた経験は殆ど皆無と言って差し支えない。そもそも数学も化学も物理も大の苦手な典型的文系である私にとって、重厚な本格派のSFが取り扱うような科学的知識は何ら魅惑的なものではないのだ。現代の最先端の科学的知見を、豊饒な想像力に基づいてフィクショナルに敷衍してみせるような芸当に、私の理解力が及ぶことはない。

 SFというジャンルは此れまで、現代の科学が到達している水準を更に敷衍することで想像的に確保される様々なイメージを、物語の鋳型に溶かし込むことで豊かな収穫を得てきた。そのようなイメージの科学的な興奮に対する熱烈な感受性は私の与り知らぬ属性であるが、兎も角それは原理的に「未来」と呼ばれるイメージとの間に緊密な親和性を有するのが一般的な傾向である。

 そのような「未来」のイメージに関わるフィクションとして、SFというジャンルの性質を極めて幅広く捉えるならば、例えば「銀河英雄伝説」のような作品も一種のSFということになるのだろうが、狭義のSFを愛好する読者にとっては、あの作品は未来の宇宙世界へ舞台を挿げ替えただけの「空想歴史小説」に過ぎないと受け止められるのではなかろうか。SFの本質が「サイエンス」に関わるのだとすれば、「銀河英雄伝説」に登場する諸々の未来的=科学的なガジェットの数々では余りに物足りないと思われても止むを得ない。

 私は「サイエンス」に余り興味がないので、そういうガジェットの物足りなさは気にならない。寧ろ延々と尤もらしい科学的な講釈を聞かされるよりは、人間同士の葛藤やら苦悩やらに付き合わされる方が好みである。無論、環境が異なれば人間の考えや感情が異なるのは当然で、想定された未来に置かれた登場人物たちが、現代に暮らす私たちとは異質な存在の様態を示すのならば、それだけでもSFという表現の様式には意義があるだろう。「銀河英雄伝説」にしても、人々の葛藤自体は何ら未来的ではないが、彼らの具体的な苦悩の内実に、開拓された宇宙における政治的な抗争という舞台設定が重要な影響を及ぼしていることは明白な事実である。

 例えばスチームパンクと呼ばれるジャンルは、ヴィクトリア朝のイギリス、蒸気機関の恩恵を享けて目覚ましい発展を遂げつつあった往古のイギリスを世界観の枢軸として採用しているが、それによって想像的に構築された世界の諸条件が、人間の精神に関与する度合いは決して小さくない。蒸気機関を用いた高度な妄想的テクノロジーが実用化したと仮定されている世界において、人々は普遍的な苦悩と共に、その社会的環境に規定された地方的な懊悩も併せ持っているだろう。その想定される人間の様態を描き出すことは、私たちの人間に対する認識と想像力を、現代的な風物から引き剥がす革命的な効果を齎す。

 異質なもの同士を互いに組み合わせることで獲得された新たなイメージは、私たちの根本的な人間性に新たな角度から照明を当てる役割を担うことになる。SFに限らず、異世界を舞台にしたファンタジーや歴史小説なども含め、それらの作品が私たちの住まう卑近な現実を物語の背景として選択しないのは、卑近な現実を描くことでは見出し得ない人間性の異質な側面に主要な関心を寄せている為であろう。コンビニでパンを買い、満員電車に揺られて職場や学校へ通い、銀行や郵便局で細々とした雑事を済ませる私たちの凡庸な現実だけを手掛かりに、人間というこの劇的で奇怪な生き物の正体を精細に捉え尽くすことは不可能である。何故なら私たちの所属する現実は所詮、歴史的に形成された束の間の「過渡期」でしかないからだ。過渡期の現実が私たちに強要する種々の制約を以て、それを人間に課せられた普遍的な宿命であると思い込むのは視野狭窄以外の何物でもない。JRや私鉄が数分間隔で次々とプラットホームへ滑り込んで来るのも、毎日テレビで天気予報が流れているのも、道路がアスファルトで舗装されているのも、月々決まった金額の給与が銀行口座へ振り込まれるのも、断じて絶対的な現実ではない。それは或る限られた時空にのみ成立し得る特異な現象であり、それだけを根拠に人間の実相を解き明かした気分になるのは幸福な愚者の特権である。

 異質なものを組み合わせるという芸術的な手続きが掛け替えのない重要性を帯びるのは、まさしく上記の理由に基づいた結果である。それは通常ならば結び付くことのない事象同士を仮想的に結合することであり、私たちの所属する眼の前の現実とは異なる「現実の可能的な様態」を想像することである。近未来というイメージが導入され、蒸気機関の高度な発達というフィクションが採用されるのも、総ては人間に就いての新奇な認識を作り上げる為の手続きに他ならないのだ。