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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「ツバメたちの黄昏」 三十一 アルガフェラ氏の談話

 背丈が余り高くなく、髭や体毛が濃く密生していて、がっしりと逞しい骨格を有するのは、昔ながらのビアール人たちの肉体的な特徴であり、私たちの眼前で偉そうに紙巻の莨を燃やし続ける密航屋メージェン・アルガフェラ氏の風貌も、その古き良き伝統に真直ぐに列なるものであると言えた。我が親愛なる祖国フェレーンの軍門に降る以前は、この地にはビアール人たちの築き上げた小規模な都市国家が幾つも点在して互いに覇を競っていたのだが、ヴェンドラ州侯家が交易の要衝であった中部の都市バラダビアを陥落させて自らの本陣に定めると、有力なビアール人への苛烈な弾圧が始まった。土地の没収、社会的地位の剥奪、伝統的な文化や仕来りへの容赦ない侮辱。異族への偏見はファンカス人の入植者たちの精神に強靭な根っこを張り巡らせ、先住民にとっては不愉快極まりない堅固な階級社会が建設された。

「今更恨み言を並べたって始まらねえのは百も承知よお」

 憤然たる口調で荒々しく語尾を吊り上げるメージェンの野卑な面貌には、抑え込まれ煮詰められた屈辱への沈鬱な反発が、水底の澱のように薄らと透けて見えた。

「だが、こうやって官憲の眼を盗んで闇の稼業に血道を上げなきゃなんねえのも、元を糺しゃあファンカス人の横暴の所為だ。その罪を忘れて口さがねえことを宣う連中には、さっさと神罰を下してもらいてえもんだぜ」

「ヴェンドラ州侯家の鼻を明かしたいのか」

「勘違いするなよ。俺が気に入らねえのはヴェンドラ家の人間だけじゃねえ。フェレーンの貴人どもは軒並み打ん殴ってやりてえのさ」

 バエットの誘い水にも釣り込まれた様子はなく、メージェンは延々と皇国支配層への根深い憤懣を吐き出し、紡ぎ出し続けた。此れでは何時まで経っても本題に入れないじゃないかと密かに危惧を募らせていると、腕組みをして葉巻を燻らせていたバエットが冷ややかな口調で横槍を入れた。

「俺たちはソタルミア家の御命令の下に動いている。それも気に食わないのか」

「ああ、気に食わねえさ」

「ダドリアの王党派が敗北すれば、この地にも混乱の災禍は及ぶだろう。それを危惧する積りは?」

「共和主義者どもが勝利すれば、フェレーンの王制も動揺するだろう。少しは風通しが良くなるってもんじゃねえか」

「甘い考えだ。王室の支配が崩れれば、州侯家の軍閥化が進むだけだ。無法な独裁を試みる者も現れるだろう」

「だったら戦えばいい。誰もが大人しく頭を下げると思ったら大間違いだ」

 熱り立つメージェンの粗暴な風貌には、追い詰められ虐げられてきた民族の深刻な呪詛が血色の悪さとなって露骨に刻み込まれていた。ファルペイア州生まれの田舎者であるとはいえ、一応は皇国の臣民の大多数を占めるファンカス人の血を引く私のような人間にとっては、メージェンの滾らせている差別と迫害への敵意という陰惨な情念は縁遠いものであるとしか言いようがない。彼の劇しい憎しみの矛先が向けられる対象に、無害な凡人である自分が含まれていると考えるのも、何だか白々しい経験であった。実感が湧かないというか、自分の生涯における無数の失策が、眼の前で居丈高に紙巻を吹かしながら政治への不満を並べ立てる髭面の男の不幸と結び付いているという考えに、どうしても己の魂を同意させることが出来なかったのである。私は私自身の凡庸な生活を遽しく遣り過ごしてきただけで、他人の不幸の責任を引き受ける余裕など微塵も残っていない。寧ろ今現在も、過去には一度も想像したことのないような窮状へ追い込まれて、右往左往するばかりの日々を送っている最中なのだ。

「王室の支配が失われたとき、ヴェンドラ州侯家の権力は益々強められるに決まっている。その意味をもう少し冷静に考えてみた方がいい」

 脅すように暗い声音を振り絞ってバエットが囁きかけてみても、メージェンの尊大で暴力的な態度は革まらなかった。先祖代々、あらゆる側面から彼らの血族を脅やかし痛めつけてきたファンカス人による支配体制への集合的な憎悪は、彼の内なる魂との間に断じて取り外すことの出来ない緊密な繋がりを有しているのだ。

「俺は、ダドリアの平穏なんかにゃ興味はねえ。寧ろ、もっと火の手を煽り立ててやろうと思ってる。お前たちの悪企みに手を貸してやろうと重い腰を持ち上げてんのは、お前らの運び込む武器弾薬が丁度いい具合に、あの国の山火事へ油を注いでくれるだろうと見込んでるからだ」

 或る意味ではダドリアの純情な共和主義者たちよりも遥かに剣呑な思想の片鱗を臆することなく口の端に上せながら、メージェンは不愉快極まりない笑みを浮かべて私たちの顔を偉そうに睥睨した。私は己の魂が深刻な動揺に囚われるのを押し留めることが出来なかった。余りにも自分が政治的に純朴であり過ぎたこと、それを生々しく思い知るのは気分の好い経験ではない。均質な世界、均質な枠組み、慣れ親しんだ固陋な伝統との癒着。それらの恥ずべき特質は、故郷のトレダ村から飛び出したくらいでは到底書き替えることも塗り替えることも不可能であるような、根深い人間的要素であったのだ。悪魔のように卑屈で猥雑な笑みを滲ませて気焔を上げるメージェンの顔を見凝めながら、私は此れからの道程がより一層困難を増していくであろうことを、暗鬱な心境で咬み締めた。