サラダ坊主日記

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「抽象的なもの」への嫌悪 丸山眞男「日本の思想」に関する読書メモ 2

 引き続き、丸山眞男の「日本の思想」(岩波新書)を読み進めている。新書という体裁だが、文体は割合に硬派で、しかも読者が幅広い教養を備えていることを前提として綴られているので、精確に読解することは容易ではない。だが、歯応えのある文章に懸命に縋りついていけば、随所で眼の覚めるような表現に逢着することの出来る優れた書物であることは疑いを容れない。

 ただこの場合いちじるしく目立つのは、宣長が、道とか自然とか性とかいうカテゴリーの一切の抽象化、規範化をからごころとして斥け、あらゆる言あげを排して感覚的事実そのままに即こうとしたことで、そのために彼の批判はイデオロギー暴露ではありえても、一定の原理的立場からするイデオロギー批判には本来なりえなかった。儒者が、その教えの現実的妥当性を吟味しないという規範信仰の盲点を衝いたのは正しいが、そのあげく、一切の論理化=抽象化をしりぞけ、規範的思考が日本に存在しなかったのは「教え」の必要がないほど事実がよかった証拠だといって、現実と規範との緊張関係の意味自体を否認した。そのために、そこからでて来るものは一方では生まれついたままの感性の尊重と、他方では既成の支配体制への受動的追随となり、結局こうした二重の意味での「ありのままなる」現実肯定でしかなかった。

 このような実感信仰、つまり様々な抽象的観念を論理的に組み合わせて壮大な伽藍を築き上げ、その伽藍の威力に基づいて現実を制御しようとする人工的な努力に対する軽視は、端的には「反知性主義」とでも称すべき精神的思潮であろう。抽象的な観念や理論的な構築物に対する根深い不信は、私たちの国家的風土の根源的な趨向であり、感覚的なものからの離脱は、私たちの精神に重大な不安を及ぼす場合が珍しくない。このような抽象的理念に対する深刻で慢性的な不信感の醸成される所以は、何処に存在するのだろうか。

 先ず重要な点は、論理的な体系、論理化=抽象化の体系が私たち日本人にとって、歴史的に「舶来品」として定義されてきた事実に存するだろう。これは厳密な史学的実証も何も踏まえていない個人的な妄説に過ぎないが、例えば奈良・平安の古には、国家の役人たちは公的な文書を総て漢文で記していたという。それは漢文が、当時世界的に高度な水準の文明を誇っていた中国から齎された為に、その語彙や文法において、極めて抽象度の高い種々の観念を包摂しており、それが文字を持たなかった古代の日本社会において、高度な知的活動の実現に不可欠の役割を担ったからではないかと考えられる。無論、中国から移入されたのは漢字・漢文だけではなく、それに付随する様々な技術、しかも極東の辺境に過ぎない日本人の有する文化とは比較にならないほど先進的な技術の数々が同時に齎されたに違いない。そのような高度な文化を有する国家の内部で流通する言語が、古代の日本人には言い表すことの出来ない世界を表象する力を有していたことは確実であろう。つまり、私たちの祖先にとって抽象的な観念は、異国から海を渡って届けられた外来の観念として、いわば余所者として受け止められたのである。

 本居宣長の用いる「漢意(からごころ)」という思想的用語は、日本人にとって抽象的=観念的体系が持ち合わせている意味合いを巧みに表現したものである。それは日本人にとっては紛れもない異物であり、日本古来の風土や社会に馴染まない異郷の考え方なのである。無論、直ちに漢意の総てが排斥されるべきだと、大仰な反発を示すのは詮無いことである。私たちの国家の発達は実際には、異国からの漢意の輸入によって成し遂げられてきたのであり、漢意を導入してそれを日本の現実と擦り合わせ、実際的な都合に基づいて換骨奪胎することが、私たちの先祖累代の文明的作法なのである。

 しかし、それは私たちが異国の漢意を体系的に受容したという意味ではないし、常態化した換骨奪胎の慣習が、異国の原理に対する日本的な原理の樹立に寄与したという訳でもない。私たちの祖先は、朝鮮半島からの渡来人や遣隋使・遣唐使などの文化交流の手段を通じて、異国の技術や文物を習得することに関しては異様な情熱と明敏を発揮したが、それを壮大且つ歴史的な体系として学び取ったとは言い難いのである。寧ろ私たちの「辺境民」(©内田樹)としての特性ゆえに、私たちは異郷において歴史的な段階を踏んで徐々に発展してきた諸々の文明的成果を、一括で輸入するという方式を強いられてきた。その為に私たちは事物や概念の前後を弁えずに、総てを十把一絡げに受け止めてしまい、それらの輸入された文物の綜合的な体系性を理解する機会にも才能にも恵まれないまま、数多の星霜を遣り過ごす羽目に陥ったのだ。そうした歴史的条件は、私たちの精神に原理的=俯瞰的な機能の発達を促すことなく、寧ろ停滞させた。どんな異形の習俗も嚥下する代わりに、それらの習俗の本質的な意義や歴史的な経緯といった問題を一向に顧慮しないという、開放的でありながら不誠実で独善的な私たちの民族的習慣が、こうして形成されてしまったのである。

 周知のように、宣長は日本の儒仏以前の「固有信仰」の思考と感覚を学問的に復元しようとしたのであるが、もともとそこでは、人格神の形にせよ、理とか形相とかいった非人格的な形にせよ、究極の絶対者というものは存在しない。和辻哲郎が分析しているように、日本神話においては祭られる神は同時に祭る神であるという性格をどこまで遡っても具えており、祭祀の究極の対象は漂々とした時空の彼方に見失われる。この「信仰」にはあらゆる普遍宗教に共通する開祖も経典も存しない。したがって「神道」というものは昔はなかったという徂徠の言を宣長はそのまま承認し(『鈴屋答問録』)、むしろそこに居直ってあらゆるイデオロギー(教義)の拒否を導き出したわけである。

 絶対的な超越者という観念を持たず、垂直的な体系性を備えることもなかった日本の伝統的な信仰としての「神道」は、何らかの固有の意味内容によって「日本的伝統」の栄誉を冠せられる訳ではない。寧ろ「神道」は様々な舶来品の思想と容易く融合し、習合し得るという「思想的雑居性」において、その柔軟なカメレオン的変態性において、日本的伝統の根幹を形作っているのだ。つまり神道的な精神が特徴的であるのは、それがあらゆる原理的な作用を排除する奇妙なニヒリズムを絶えず保持しているからなのである。従って神道的な精神は、あらゆる外来の異質な思想を自らの懐中に受け容れて抱擁するが、その異質な思想の骨格を成している体系的な原理に対しては病的な反発と抵抗を示す。何もかも骨抜きにして、柔らかな身と皮だけを咀嚼するのが、明確な実体を持たない神道的原理の本質的な様態である。キリスト教儒学が排撃されるのは、それらが紛れもない壮大な宇宙論の構造を内包しているからであり、その宇宙論的な骨格さえ破壊してしまえば、その他の断片を呑み込むことは神道的原理にとっては全く困難な営為ではない。

 神道的な原理が上述したような雑食の性質を有するのは恐らく、私たちの国家が歴史的に「異国の文物」を摂取することで大規模な発展を遂げてきたからであり、そうしなければいかなる発達も有り得ないような地政学的条件に呪縛され続けてきたからである。堅牢且つ頑強な観念の秩序を構築することは、そのような社会的「摂取」の過程を滞らせ、妨害することに帰結する。だが、貪婪に食べ過ぎた胃袋が機能的な上限値を飛び越えて嘔吐に傾くように、日本社会は時折、異国の文物に塗れた己を浄化しようとする強烈な衝動に駆り立てられる場合がある。宣長による「漢意」の排斥という思想はまさしく、儒学に象徴される中国的な観念論に対する「吐き気」であるに違いない。だが、そのような「純化」への衝動は結局のところ、存在しない理想郷への切迫した憧憬に過ぎないのではないだろうか。「固有の文化を持たないこと」こそ、私たちの暮らす「日本」という風土の伝統的な特質ではないのか。例えば幕末に吹き荒れた「尊王攘夷」の過激な精神性は、固有の文化を持たないにも拘らず、固有の文化へ帰還しようとする半ば幻想的な欲望に支えられていた為に、あれほどの極端な暴騰へ繋がったのではないだろうか。存在しないものを存在すると信じることは、穏当な理知の働きではない。信仰は常に、劇しい情動に基づいた飛躍の側面を有するものである。

 

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)