サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

作品をつくるということ

 暫くブログの更新を怠っていた。昨年の夏頃から「小説家になろう」に投稿している「刃皇紀」(http://ncode.syosetu.com/n8478cu/)という小説の続きに、久々に力を注いでいた為である。

 この小説を最初に書き起こしたのは2006年の夏のこと、今から丁度十年前で、私は未だ二十歳の青二才であった。ただ長いファンタジーを書きたいという想いだけで闇雲に稿を起こし、案の定直ぐに行き詰ったことを覚えている。何度も書くことを投げ出してきたが、何故か気づけばまたワードのファイルを開いて、彼是と愚にもつかない妄想を捻り出してきた。延々と描き続けて、確か昨年の春頃に初稿が仕上がった。原稿用紙に換算すれば4000枚を超える。それを推敲し始め、余りの道程の遠さに眩暈を覚えて再び投げ出したりもしたが、ウェブサイトへ投稿するに当たって再び入念な書き直しを始めた。それからもう直ぐ一年が経つところだ。既にアップしている分だけで34万字くらいのボリュームに達しているが、これからどれだけ枚数が膨れ上がるのか想像もつかない。読者登録の数は哀しいほど伸びず、アクセスも超低空飛行を続けているが、それでも何故か見限ることが出来ないのは、誰にも見せずに個人的に書き続けてきた9年間と同様だ。小説を書くということ、物語を書くということは、とても個人的な行為で、客観性のない妄想の遊戯である。私の頭の中で作り出された単なる妄想が、文字だけの領域に砂上の楼閣の如く構築されていく。一体何が楽しいのか? だが、私はこの物語に対する愛着を捨て去れない。誰にも読まれなくとも、登場人物の命運に対して無関心ではいられないのだ。

 作品をつくるということは、ブログを書くこととは微妙に異なる。ブログは作品ではなく、或る種のコミュニケーションである。「小説家になろう」にアップされている小説の多くも、作品というよりコミュニケーションに近い。作品は孤独な個人の産屋で形作られるが、ブログは明確なメッセージであり、他者と通じる為の手段だ。小説も同様だと思うだろうか? だが、孤独な個人の産屋に引き籠る覚悟がなければ、小説などという鈍重な工作物を築き上げる趣味に、貴重な時間を費やすことは決して出来ないだろう。