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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「枚方」

 私は昭和六十年に大阪府枚方市で生まれた。枚方市というのは、大阪や京都へ出勤する京阪沿線の重要なベッドタウンである。という風なことは無論、小さい頃は知らなかった。だが、改めて思い返せば、私の住んでいた京阪本線樟葉駅の界隈は、数多くの団地を擁し、住宅地が延々と広がっていて、確かにベッドタウンの名に相応しい風景の連なる土地柄であった。

 樟葉駅の西側には淀川が流れ、幅の広い河川敷があって、ゴルフコースのようなものもあったように記憶している。私は樟葉駅から京都方面へ向かった先の、高野道と呼ばれる高台にあった枚方ハイツで幼少期を過ごし、幾つの時か忘れたが、やがて東山団地というところへ転居した。

 中学三年生で千葉県松戸市へ越すまでの間、枚方の風景は私にとって馴染み深いものであった筈だ。けれど今では、関西訛りも薄れ、当時の空気は思い出せない。勤め先の本社が神戸にあり、研修などの都合で関西へ赴く機会があるときに、幾度か寄り道をして懐かしい樟葉の街並みへ足を踏み入れたことがある。駅前は再開発が進んで、シネコンを併設した、いかにも現代的なショッピングモールに様変わりしていたが、道路の造りや、大規模なマンションというのは昔と同じまま残っている。様々な種類の店舗も、建物が居抜きであっても中身は一変しているところが殆どであったが、例外的に、開業医の建物は墓標の如くそのままであった。

 転居してから十数年が経ち、筆不精な私は手紙の遣り取りも直ぐに怠るようになり、結果として幼少期からの友人たちとは疎遠になってしまって、今では互いにどこで何をしているのかさえ確かめる術がない。

 或る夏の日に、神戸での研修を終えた私は、暗色のスーツを着たまま、たった一人で久々に樟葉駅に降り立った。革靴に背広、とても歩き回るのに適しているとは言い難い恰好であったが、構わず私は日暮れの近い樟葉の街衢を彷徨した。昔住んでいた団地の辺りまで足を延ばし、子供の頃、遊び回っていた界隈を散策する。まるで時間が停まっているかのように、宅地の辺りの風景は何一つ変わっていなかった。しかし、景色は変わっていなくても、そこに息衝いていた様々な関係性は取り返しのつかない変容を強いられている。幼稚園から中学にかけて親しくしていた友人の家の前を通りかかった。表札も門構えも昔のままだ。何も変わっていない。しかし今となっては、この家の呼び鈴を私の指が鳴らすことはない。風景が何も変わっていないのに、その風景との親疎が大幅に変わっているというのは、名状し難い不吉な経験であった。

 ネクタイを解いて、都飯店という子供の頃によく親に連れられて行った中華料理屋へ入って、好きだったチャーハンを頼んだ。昔と変わらず美味かった。私は平べったい安物の灰皿を借りて、カウンターで煙草を吸った。自分が随分と老けてしまったような気がした。