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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第五章 帝都へ 1

 市域西部のエルディンス地区に位置するキグナシア駅は、東部地方有数の鉄路の要衝である。リーダネンを経由して帝都地方へ向かう列車、東のヴォルト・アクシア方面へ向かう列車、南のイシュマールやカリスタへ向かう列車が乗り入れる合流地点であり、取り扱う旅客の数も貨物の量も国内屈指の水準である。

 ハイルダーの案内でファジルとパレミダは、宝珠のような丸屋根を持つ巨大な駅舎に足を踏み入れた。正面に旅客鉄道の乗降場があり、定刻を待つ列車の姿が見える。切符の窓口には、様々な身形の人々で長蛇の列が出来ていた。

(こんなに沢山の人間を一気に運べるのか、列車って奴は)

アーガセスの山奥にも、伐採した材木を西のリーダネンへ運搬する為の軽便鉄道が通っていたが、眼前の乗降場に佇んで発車の警笛に備える巨体は、それとは比較にならない迫力だ。分厚い鋼板を貼り合わせたような厳めしい車両の窓から、既に乗り込んだ旅客の顔が覗いている。出立の予感に興奮して躁いでいる者、渋面を作って寝入っている者、真剣な表情で何事かを話し合っている者など、その表情は様々である。

「驚いてるな。此処は東部地方最大級の停車場だ。東西南北、総ての方位から列車が人と貨物を運んで乗り入れて来るのさ」

「列車に乗るのは初めてなんだ」

「いい経験になるさ。キグナシアは世界で初めて鉄道が実用化され、開通した土地なんだ」

 グリイス暦三五一年三月、帝国運務庁は洞照帝ルゼーチェリ・グリイスの裁可を受けて、キグナシアに国内第一号となる鉄道局を開設し、同年六月にはキグナシア駅とヴォルト・アクシア駅を結ぶクヴォール本線の営業を開始した。当初は専ら貨物の輸送に従事していたが、軈て旅客営業にも手を広げるようになり、現在は帝国の流通を支える大動脈の一つとして機能している。

「だが、俺たちが乗り込むのは生憎、あの列車じゃないんだ」

「あの列車じゃない? じゃあ、その向こうに見える奴か」

 乗降場の入口に向かって垂直に並んだ複数の線路は皆、紫紺色に塗装された重厚な車両に埋め尽くされ、鉄道局の係員たちが車体と同じ色の制帽を被り、乗客の案内や検札に追い立てられていた。

「違う。特別な車両を誂えてもらったのさ。戦友の誼でね」

 パレミダは意味深な笑いを浮かべて足許の石畳を指差し、靴底で軽く叩いてみせた。

「地面?」

「地下だよ、地下」

「地下?」

「そうだ。軍用鉄道の線路は原則として、地下の隧道に敷設されてるのさ」

 クヴォール地方の工業力と技術力を背景に国策として推し進められた鉄道の開発は元来、旅客の輸送を想定したものではない。運務庁による鉄道局の設置に先立って軍務庁が創設したキグナシア軍用鉄道管理隊が、兵站業務の合理化を目的として運務庁や工務庁と共に特別庁議会を発足させたのが、帝国鉄道の厳密な意味での発祥なのである。

 開通当時、軍務庁と運務庁は線路を共有していたが、商用貨物の取扱量の増加と軍需物資の運搬における機密管理の難しさから、貨物線との分離を要求する声が高まり、星羅帝ガローダ・グリイスの英断で新たに軍用軌道の敷設事業が開始された。それに伴って、重要な補給線である軌道を不慮の攻撃から防衛する為に地下隧道の掘削が認可され、現在では全国に配備された軍用鉄道管理隊の凡そ八割が、地底に敷設された専用の軌道を保有している。

「地面の下に洞穴を作って、そこにあんな化け物みたいな車両を突っ込んで走らせてるのか? 信じられないな、震動で地盤が崩れて生き埋めになったりしないのか」

「その点に就いては御安心を。軍用軌道は、敵襲に対処する為に破格の予算と類例のない精度で建設されています。隧道の構造計算にも、抜かりはありませんよ」

 ハイルダーが銀縁の眼鏡を持ち上げて誇らしげに請け合ってみせる。勿論、彼が自信に満ちた表情で安全だと言い切れるのは、軍用鉄道管理官としての揺るぎなき矜りを信じているからだ。此れから初めて鉄道車両に乗り込もうというファジルにとっては、そんな安請け合いは何の慰めにもならなかった。

「パレミダ。本当に大丈夫なんだろうな?」

「そんなに心配することはないさ。軍用軌道が崩れて生き埋めになったなんて話は聞いたことがない」

「ありますよ、過去には」

 涼しい顔で割って入り、突拍子もないことを言い出すハイルダーを、ファジルは唖然として見凝めた。

「ありますよって、そんな簡単に」

「随分昔の話ですよ。エレドール沙漠の地下に築いた隧道が崩れて、走行中の車両が埋まったことがありました。乗員二二名が残らず死亡。皆、表向きは名誉の殉職ということで表彰されましたがね」

「沙漠で生き埋めになって名誉の殉職って、それ嬉しいのか?」

「嬉しいも何も、本人たちは死んでますからね。ま、軍人ですから、死ぬのも給料のうちということで」

 平然と言い放つハイルダーに、ファジルは肩を落として絶望の溜息を漏らした。

「俺は軍人じゃないんだ」

「そんなに嘆くな。こいつだって、自分は生きてるから、そんなことが気楽に言えるだけさ」

 小声で慰めるパレミダを暗い顔で見遣り、もう一度溜息を吐く。軍人ではなくとも、今の自分が置かれている境遇は、暢気な樵の倅ではない。黒衣隊に攫われた父親を助け出す為に、不慣れな呪刀を握り締めて帝都へ向かっているのだ。軍人と同じように、死ぬ覚悟は固めておかねばならないであろう。

(そんな覚悟、直ぐに固まる訳がないよな)

 昊読師の祖母カルシャは、地上の出来事は総て天空を巡る星々の思惑に従うと口癖のように語っていた。人間の営みも、星々の眼を盗むことは出来ないのだと。それが真実なら、何故こんな苛酷な未来を、予め教えておいてくれなかったのであろう。

「さあ、時間が勿体ない。早く乗降場へ参りましょう」

ハイルダーは構内の雑踏を横切り、切符売り場の傍らに控える警衛に片手で挨拶して、厳めしい門扉の前に二人を案内した。扉の上部に刻まれた両刃の剣と王冠の図案は、帝国軍務庁の紋章である。

「此処が入口です。行きましょう」

 巨大な両開きの鉄扉の向こうでは、地下へ伸びる幅の広い階段が一行の訪れを待ち受けていた。壁に沿って並ぶ啌気燈の光が、ぼんやりと足許を照らしている。薄闇の彼方から、呪動機の騒音と思しき震動が肌に伝わって来る。

「キグナシア軍用鉄道地下乗降場は、国内最古の軍用軌道基地です」

 階段を歩く間も、キグナシアの栄光を褒め称えるハイルダーの饒舌は息切れを知らなかった。

「雷鳴戦争のときも、この鉄路は義勇軍に属する兵士たちを大勢運びました。無論、官軍の兵士も同じくらい沢山運びましたがね」

「俺も乗った覚えがあるよ。インヴォルグが陥ちてから」

「インヴォルグって何だ?」

 アーガセスの村を発って以来、耳慣れぬ言葉に接する機会は格段に増えた。最初は世間知らずの田舎者と嗤われるのが苦痛であったが、今は開き直って、知らないことは何でも積極的に訊ねるように心掛けている。この広大な世界で生き延びる為には、知識は幾らあっても困らないからだ。

「正式名称はインヴォルグ中継基地。エレドール沙漠管理軍の本拠地です。沙漠の真ん中に聳え立つ堂々たる要塞ですよ」

 パレミダに投げ掛けた積りの質問に、ハイルダーが釣餌に喰らいつく獰猛な鮫の如く反応する。

「パシニア大陸でも最大級の面積を誇る沙漠地帯という立地を活かして、様々な軍事演習を実施しています。無人の曠野ですから、幾ら啌気砲をぶっ放しても無辜の市民を傷つける心配がないのです」

「だが、沙漠を通る隊商がいるだろう」

 鋭い声で切り返すパレミダの双眸には、批判的な光が宿っていた。

「勿論、配慮はしていますよ。事前通告は徹底されていますし、そもそも軍事演習区域には、隊商も立ち入らない決まりになっている筈です」

「過去には死者も出ている。隊商は軍人じゃない。演習の巻き添えを喰らって息絶えても、誰も名誉の戦死だなんて褒め称えないじゃないか」

「私は軍用鉄道管理隊の人間ですから、エレドール沙漠管理軍の方針に就いて御叱りを受けても、答えかねます」

「急に逃げ腰だな。軍人の矜りは何処へ消えた?」

「勿論、この胸の奥に赤々と燃えていますよ。ほら、着きました。キグナシア軍用鉄道乗降場へようこそ!」

 開け放たれた鉄扉の先に、広大な頭端式の乗降場が姿を現した。地下だというのに天井は頗る高く、一面に掲げられた啌気燈は数え切れないほど多い。呪動機の騒音が満ちる構内は軍服を纏った整備士たちで混み合っており、地上の旅客用とは異質な威容を備えた濡羽色の車両が、視界の端から端までずらりと鎮座していた。

「どうです。圧倒されるでしょう」

 その場に立ち尽くして魅入られたように言葉も出ないファジルの顔を横目で見遣り、ハイルダーは満足そうに頷いた。

「どの車両も、歴戦の古強者ですよ。中には、雷鳴戦争の時代から動いている現役車両も幾つか混じっています」

 雷鳴戦争、その単語をこの道中で何度耳にしたであろうか。誰も彼も、二十年前に終結した筈の戦乱の残響に引き摺り回されて、齷齪と生きているように見える。マルヴェが連れ去られたのも、雷鳴戦争の遺恨の為だ。

「親父は、生きているかな」

 不意に口から漏れた呟きを、呪動機の騒音にも遮られずにパレミダが耳聡く聞き咎めた。

「急にどうした。怖くなったのか」

「違う。そんなんじゃない」

 怖いのは、ずっと前から変わらない。焼け落ちる生家と、血腥い乱闘を目の当たりにした瞬間から、この骨張った胸の内はずっと、凍えるような恐懼に支配されているのだ。

「何だか、信じられないんだ。親父が連れ去られたことも、あの呑んだくれが二十年前、義勇軍の英雄として活躍していたってことも、まるで夢みたいな話だ。本当に俺は、あの親父の息子なんだろうか」

「そんなことまで疑い始めたら切りがないだろう。落ち着けよ」

「落ち着いてる。落ち着いてるけど」

「いや、落ち着いてないね。いいか、ファジル。知らない側面があったとしても、マルヴェは間違いなく君の父親だ。少しばかり、過去の経歴が他の人間と違っているというだけさ。怯える必要はないんだ」

 真剣な眼差しで語りかけるパレミダの優しさに感謝しながらも、ファジルは割り切れない思いを捨てられずにいた。改めて考えてみれば、なんて突拍子もない、奇怪な運命なのであろう。凡庸な樵だと信じて疑わなかった父親が、二十年前の戦争の英雄だって? 神様の悪戯好きも、度を越えると恨めしい感情しか募らない。

「御覧下さい。御二人の為に、隊務主任が特別に手配して下さった高性能車両です。名を『ウルムグラン号』といいます。ザーク語で『嵐の化身』という意味です」

 二人の会話を遮ってハイルダーが指差した列車は、浜辺に打ち上げられた鯨のように、迷彩で覆われた巨体を線路の上に横たえていた。荒々しい吐息にも似た呪動機の排気が、殷々と鼓膜を聾する。アーガセスの山間を走る森林鉄道の錆びついた旧式の機関車とは異なり、磨き抜かれた車体の表面は、油を引いたように艶めいている。

「ウルムグラン号は爆質呪鉱を使用した最新鋭の呪動機を三基も搭載しています。速力は抜群ですよ」

「凄い音だな」

「呪動機の最終確認を行なっているんです」

 構内に響き渡る劇しい騒音は、発車に向けて呪動機が益々呪合率を高めつつあることの表れであった。機関車の基部に屈み込んで工具を操っていた整備士が、額の汗を袖で拭いながら立ち上がり、ハイルダーに目礼して遠ざかっていく。

「約束の時刻を過ぎてしまいましたね。出発しましょう」

 流線形の機関車の後背には、無骨な外観の客車が連結していた。頑丈な鋼板で鎧われた車体の側面に、恐らく啌気砲を搭載する為であろう。方形の銃眼が幾つも切られている。

「速度を増す為に、機関車一両と兵車一両の特別編成にして軽量化を図っています。普段なら、十両以上の兵車や貨車を牽引して走るんですがね」

 運転士のマレイシャルが開け放った縦長の扉から、一行は客車へ乗り込んだ。背後で鉄扉が音を立てて閉まり、係員が施錠弁の円い把手を念入りに締め上げた。

「余り居心地は良くありませんが、軍用品というのは愛想がないものと相場が決まっています。暫く辛抱して下さいね」

 蒼白い啌気燈に照らされた車内には、壁に沿って頑丈な横板が渡され、椅子の役目を担っていた。旅客用の長距離列車とは異なり、優雅な革張りの座席は望めそうにない。

「軍用品だからこそ、もっと寛げるように作ったらどうなんだ。兵隊の休養にも配慮すべきじゃないのか」

「生憎、そんなお金はありません。終戦以来、国防費の削減は春影帝陵下の一貫した方針でしたから」

 パレミダの厭味を歯牙にもかけず、ハイルダーは平然と言い放って横板へ腰を据えた。

「さあ、別れを惜しみましょうか。さらば、栄光の古都キグナシア。いざ往かん、千年の王城アルヴァ・グリイスへ!」

「芝居の見過ぎだ」

 パレミダの冷淡な呟きと舌打ちを掻き消して、呪動機の騒音が一際劇しさを増した。軈て地鳴りのような震動が背骨を貫き、ウルムグラン号は重い車体を引き摺って、暗い隧道の彼方へ向けて野獣の如く走り出した。