サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第五章 帝都へ 2

 軍用特別急行列車「ウルムグラン号」は、東部地方の基幹都市であるキグナシアを発ってから、一度も太陽の光を浴びずに闇に閉ざされた線路を轟音と共に走り続けた。不慮の軍事的攻撃から車両と兵員を守る為に、地下へ敷設することが原則とされている軍用軌道の中でも、帝都アルヴァ・グリイスへ通じる路線は、有事に際して王族や政府の高官の避難路に充てられる為、一際厳重な警戒態勢が布かれている。インヴォルグ中継基地を経由して終点の帝国中央駅へ至るまでの間、列車が地上を走る区間は存在しない。

「何も見えなくて、つまらないな」

 線路の継ぎ目を車輪が踏む度に揺れ動く車窓を覗きながら、ファジルは素気なく呟いた。暗い壁面に時折啌気燈の紅い光が瞬く以外、何の変化もない単調な風景が続き、倦怠は降り積もる雪の如く彼の胸底へ沈殿していった。

「地上を走ると、何処から攻撃を受けるか分からない。獣車と違って、こいつは進路を変えられないからな。安全の為だ」

 ガーシュを銜えて黙然と考え事に耽っていたパレミダが、懶げに口を開いた。

「本当に隧道が崩れる心配はないんだろうな」

「ハイルダーの脅しに屈する積りか? この軌道は、帝都アルヴァ・グリイスとキグナシアを結ぶ重要な路線だ。仮に落盤事故を起こせば、庁掌連中の首が軒並み刎ねられることになる。安普請はしないさ」

 運転部長の職責を負うハイルダーは軍用鉄道管理隊の重役であり、キグナシアを出発して直ぐに機関車の運転室へ姿を消してしまった。客車の硬い横板に腰掛けて過ごす時間は退屈で、物識りの話し相手を一人欠いたのは本来痛手の筈であったが、二人は寧ろ清々しい気分で寛いでいた。根っからの軍人であるハイルダーとの会話は、根本的に総て帝国軍務庁の揺るぎなき威信の浮揚を目的としているので、長い時間を同じ一つの空間で分かち合うのは正直、苦痛であったのだ。

 小さな円窓に額を押し当て、途切れることのない暗闇に眼を晒していると、次第に時間の感覚が麻痺していった。今、どの辺りを走っているのだろう。隧道の壁面に設置された標識から、此処がエレドール沙漠の地下であることは間違いないとパレミダは結論付けていたが、何れにせよ単調な眺望に変わりはなく、折角の情報も降り積もった倦怠を吹き散らす手頃な契機とはなり得なかった。沙漠の地下を走る? 沙漠を実際にこの眼で見たこともないのに、その地下に刳り貫かれた隧道を軍用の列車に乗って移動していると言われても、それがどのような状態なのか理解するのは酷く難しい。

「幾ら眺めていたって景色は変わらないさ。それより仮眠を取った方がいいだろう」

「こんな硬い板の上で眠るのか?」

 椅子とは名ばかりの横板に腰掛けているだけで、尻の骨が擦れて痛くなってくる。不慣れな列車の振動に抱かれながら、無事に寝付けるか心許ない。

「眠らなきゃ疲れが抜けない。長い旅路になるんだ。折角、安全な場所にいるんだから、心を休めなきゃ駄目だ」

 パレミダは車掌を呼び、乳白色の褪せた毛布を二枚借りた。一たび軍令が下されれば、昼夜を問わず交替で運転室へ閉じ籠もり、鋼鉄の巨体を駆り立てねばならない乗務員たちの為に準備された仮眠用の寝具である。

「裸の横板に寝転がるよりはマシだろう」

 広げた毛布に躰を包んで椅子へ横たわると、パレミダは自分の肘を枕に代えて眼を閉じた。見様見真似で向かいの席へ寝そべったファジルは、総身に満ちる規則的な列車の律動に心地良い眠気を誘われた。

「インヴォルグに着いたら、ハイルダーが起こしてくれるだろう。それまで確り眠って疲れを和らげるんだ」

 そう言い残して、忽ち静かな寝息を立て始めたパレミダの切り替えの素早さに驚く遑もなく、ファジルの瞼にも鉛のような重圧が忍び寄った。特に抗う理由もなかったので、彼はそのまま睡魔の懐に抱かれて、底知れぬ奈落のような夢の世界へ沈み込んでいった。

 

 薄闇が凝っていた。冷え切った石段が蹠に触れる度、心臓が釘を打たれたように騒めき、飛び跳ねる。禁じられた空間へ自分が足を踏み入れたのだということは朧げに理解出来たが、此処が一体どういう場所なのかを知る手懸りは、生憎持ち合わせていない。

 仄暗い階段の先に、罅割れた石の床が見える。壁は暗がりに溶け込み、ぼんやりと霞んでいる。誰かの話し声が、鼓膜に触れた。落ち着いた、聡明な口調。輪郭のはっきりとした、明晰な発音。言葉の意味までは掴めない。だが、重要な話をしていることだけは、自ずと分かった。

 石段が尽きたところで、彼は壁際に身を潜めた。間近に迫った話し声は、壮年の男性のものと思しい。一方、問い返す声は、やけに幼く舌足らずに聞こえた。だが、強情だ。芯の通った傲慢な物言い。少年には不似合いな劇しい憤怒が、生々しく伝わってくる。

「何故、殺さぬ。御聖父は、既に亡くなられたのであろう」

 格調高い口跡と声の若さが不釣り合いで、耳を傾けていると落ち着かない気分になった。咎めるように強く響き渡った叫びの後で、成熟した男の辛抱強い説諭が冷たい石壁に跳ね返る。

「殺して何になるのだ。お前のような、幼子を」

 穏やかだが、その裏面に潜む苦悩が透けて見える声だ。何か深刻な問題を抱え込んでいるのであろう。答える少年の声は対蹠的に、刺々しいほど純粋な情熱に支えられていた。

「どうせ役に立たぬと言うのか。飼い犬のように、餌付けをして、鎖で繋いでおく積りか」

「貴殿の存在が帝国にとって重要な意味を有することは、皇に言われずとも心得ている筈だ」

「黙れ、逆賊の頭目め。捕虜を飼い殺すとは悪趣味だ。さっさと始末するがいい」

 余りの剣幕に下世話な興味を唆されて、彼は壁際からそっと顔を突き出した。貴人らしい高価な礼袍を纏い、闇に向き合って言葉を紡ぎ続ける壮年の男の横顔が、燈光を浴びて白々と浮かび上がる。眼を凝らすと、痩せた少年の指先が頑丈な柵を掴んでいるのが見えた。沈んだ鉄黒色の鋼の棒が、石畳の床を断ち割るように垂直に並んでいる。

「皇は、終わりにしたいのだ。醜い争い、同じ血の下に生まれながら」

「御聖父に無断で、皇などと僭称するな!」

 憎しみに穢れた怒声が、寒々しい檻を揺さ振るように響き渡った。思わず頬を打たれたように首を竦め、物蔭へ退いて息を殺す。鋼の柵が耳障りな音を立てて軋み、少年の荒々しい涙声が廊下に反響した。

「御聖父を殺めた国賊の情けなど、断じて享けぬ!」

 泣き崩れながら吐き捨てられた言葉に、男の声は飽く迄も沈着に報いた。

「どうしても許せぬのなら、何時の日か、皇を弑するがいい。長じた後も、解けぬ恨みならば、敢えて忘却を強いる気もない」

 冷え切った捨科白に、少年の泣き声は衰えた。深い溜息と共に、硬い床を踏み締めて踵を返す長靴の音が聞こえ、彼は樹林を渡る山猫のような俊敏さで、背後の石段を慌てて駆け上がった。

 

 眼を覚ましたのは、総身を揺さ振った転轍の衝撃の為であった。一瞬、意識が記憶と巧く繋がらず、自分の居場所を思い出せずに当惑する。力任せに上体を引き起こし、深く息を吸って瞼を開く。まただ。あの晩に見た処刑台の夢と、地続きの世界。剥いだ毛布が床へ滑り落ちるのも構わず、湧き上がる不安を鎮めようと懐中のガーシュへ手を伸ばす。最初の煙を吸い込むと、頭の芯が刃物で抉られたように鋭く痛んだ。一体、あれは誰の見ている夢なのだろう。自分の過去を遡ってみても、礼袍を纏った男と、牢屋に繋がれた少年の取り合わせに心当たりは一つもない。

「パレミダ、起きてくれ。不吉な夢を見たんだ」

 子供のように助けを求めて縋りつく哀れなファジルの手を、パレミダは寝返りを打ちながら弾き返した。手の甲を叩かれた痛みに思わず顔を顰め、反射的に殴り返しそうになるが、たとえ寝入っていても彼が嘗て殉国隊の軍長を務めた歴戦の勇士であることは既に弁えている。無闇に襲い掛かれば睡魔に絡みつかれた寝惚け眼の拳が、手加減を知らない反撃を繰り出して来るかも知れない。此処は看過するのが最善の選択であろう。

 パレミダに奇怪な夢の話を聞いてもらうことを諦め、円い車窓を覗き込むと、景色は知らぬ間に変貌を遂げていた。土煙を巻き上げながら暗い隧道を走行していた列車は今、仄明るい巨大な空洞を横切りつつあった。行く手に光る紅い啌気燈の真下に「第一引込線」の標識が見える。どうやら、噂のインヴォルグ中継基地とやらに到着したらしい。

「パレミダ、要塞に着いたぞ。起きてくれよ」

「その牛肉は、俺の為に彼奴が切り分けてくれた」

「牛肉? おい、寝言なんか呟いてる場合じゃないだろう」

 強情に覚醒を拒むパレミダから毛布を取り上げようと悪戦苦闘しているそのとき、連結部の扉が音を立てて開き、軍帽を被ったハイルダーが姿を現した。

「目覚めましたか。丁度、列車が基地に入るところです」

「地下なのに広いんだな、此処は」

「長年続けられてきた難工事の成果ですよ。地上の要塞は砲火を免かれませんが、地下の設備へ直接弾頭を撃ち込むのは簡単なことではありません。根の深い植物ほど、枯れさせるのは難しいでしょう?」

 標識で示された引込線の入口は、視界に映じる限り八つもある。此れほどの体積を持つ空間を炎熱地獄の地下に拵え、尚且つ崩落を防ぐ措置を施すのは並大抵の工事ではない。白獅帝タミュワン・グリイスの時代に着工したインヴォルグ中継基地は、長い歳月を閲するうちに度重なる増築と改築を経て膨れ上がり、今では地上一六階、地下五階の壮大な威容を濛々たる砂塵の渦巻く曠野に屹立させている。第一次の竣工は東雲帝ウルベータの在位中であるから、その時点で要塞の建設工事は百年の星霜を要したことになる。

 引込線の標識を潜って隧道に入ると、車窓の彼方に息苦しい暗闇が戻った。夢の残映が、古びた芝居絵のように頭蓋骨の内側で幾度も翻る。殺せ、殺せと言い募る少年の荒んだ声。その惨たらしい要求を戒める貴人の説諭。昊読師の祖母に告げたら、どんな見立てを持ち出すであろうか。肺病に掠れたカルシャのか細い嗄れ声が、耳鳴りのように鼓膜を打つ。ファジル、懼れてはいけないよ。夢見たことは、良い報せでも悪い報せでも、懼れちゃならない。それが神様の御告げなら、受け容れるしかないんだよ。

軈て視界の涯が、不意討ちのように白く明るんだ。途切れた隧道の先に、再び巨大な空洞が姿を現す。星屑のように夥しい数の灯りが焚かれた乗降場の線路へ、ウルムグラン号は迷彩を施した濡羽色の巨体を揺すりながら、ゆっくりと進入を開始した。

(夢に怯えるのは、昊読師の専売特許だ。樵の倅には関係のない話さ)

 過熱した呪動機を鎮める冷却機の甲高い唸りが、窓越しに警笛の如く響き渡った。待ち構えていた係員が鉄扉の閂を外し、固く締め上げられた施錠弁の環状把手を力強く回し始める。整備士たちは鈍色の工具を光らせて車輪や呪動機に遽しく群がり、車両の点検を始めた。

「着きましたよ。ようこそ、インヴォルグへ!」

 誇らしげに歓待の科白を口にするハイルダーを、深い眠りから目覚めたばかりのパレミダが冷ややかに睨み据えた。

「此処は、お前の家じゃないんだ。主人を気取るのは止せよ」

「インヴォルグは軍務庁の所管する施設であり、私は軍務官です。何の問題があります?」

「居候の分際で厨を漁るようなことを言うんじゃない」

 苦々しげに吐き捨てるパレミダの横顔を、ファジルは気付かれぬように一瞥した。二十年前の戦争では帝国義勇軍の一員であったというのに、ハイルダーへの風当たりの強さには並々ならぬ敵意が宿っている。若しかして、軍人が嫌いなのであろうか。

「腹が減ったら、居候でも厨ぐらい漁ります。貴方だって、昔の誼で軍用列車を借り受けている居候じゃないですか」

「俺は居候じゃない。彼奴の戦友だ」

「同じことですよ。血の繋がらない他人には違いない」

 どっちだっていいじゃないかと思いながら、乗降場の油臭い空気を思うさま肺に吸い込むと、ファジルは睫毛に涙を光らせて一頻り噎せ返った。