サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第五章 帝都へ 5

「呪波弾?」

 耳慣れぬ単語に当惑するヘイゼルに、マスティーヴァは険しい顔で頷いてみせた。

「本庁の兵器開発局にいたマドン帥刀官の発明らしい。咬み砕いて言えば、次世代型の呪合弾だな」

 呪合弾とは、帝国軍務庁陸戦院兵器開発局長のマドン帥刀官が創案した最新鋭の啌気砲弾頭である。呪象の力を借りて弾頭を発射する啌気砲は、グリイス暦五〇六年に帝国工務庁の技官であったケルセラードが実用化した「工務庁零番啌気砲」を皮切りに改良が重ねられ、現在では戦争の必需品として重要な地位を占めているが、装填される弾頭の主力は長らく剛体弾(極めて頑強な素材を用いた物質弾)から進歩しなかった。

 その停滞の歴史に楔を打ち込んだのが、ヴェロヌス理科大学のセマンダール訓伯である。彼が発明した「呪結弾」は、板状に加工した呪鉱と念鉱を組み合わせることで弾頭そのものに呪合の原理を内包させており、所謂「呪質弾」の魁として後進に多大な影響を与えた。

 マドンの着想は、セマンダールの理論を更に推し進め、強力に発展させたものであった。気化呪鉱と気化念鉱を放射して呪合させることで、広範囲に呪象攻撃を及ぼす呪合弾の威力は、戦争の最前線に革命的な変化を齎した。物質弾を帯呪させることで破壊力の増大を図る呪結弾の論理とは異なり、呪合弾は弾頭そのものの物理的な威力を根本的に抛棄している。呪結弾から呪合弾への進化は、啌気砲の射程を大幅に拡張する結果となり、戦場における砲兵の地位を飛躍的に高めた。

「呪波弾は、親合性呪鉱を用いることで、標的となる人間の念気に直接作用し、強制的に呪象を励起する。此れがどれほど恐ろしい効果を齎すか、想像はつくな?」

 親合性呪鉱は、呪象強度に比して呪象点が低く、少ない念気で多くの効果を期待出来る稀少な呪鉱石だ。然し幾ら呪合が容易であったとしても、呪合術の心得がない人間に一方的に働きかけて呪象を励起するのは現実的ではない。少なくとも、それほど極端な親合性を発揮する呪鉱石に、敵兵を殺傷し得るほどの破壊的な威力が備わっているとは信じられない。

「そんな都合のいい呪鉱石がある訳がないだろう」

「ある。発見されたのだ」

 首を振って一蹴しようとするヘイゼルに、演習局長の鋭利な眼光が食い下がった。

「南部地方のモファスで、大規模な親合性呪鉱の鉱脈が発見された。軍務庁や工務庁の御偉方は興奮し切っている。マドンの無謀な思いつきを実現する為の材料が、手に入るかも知れないのだから」

「それがパーメンスの視察の目的か?」

「他に考えられんだろう。マドンは今、帝都治安本部で蒼衣隊長を務めている。己の夢想に固執する余り、上官相手に無理難題を押し通して、モファスの財宝を横取りされないように気を揉んでいるのさ」

 マドンの名を知らぬ者は、軍務庁では潜りと呼ばれるに違いない。兵器開発局長として数々の輝かしい功績を挙げ、戦場の風景を塗り替えた男。呪合弾の導入によって古き良き呪刀士の白兵戦は主役の座を降り、個人の技術よりも機械の性能が勝敗を決する時代になりつつある。二十年前の戦争では未だ、啌気砲の応酬よりも呪刀士の血腥い武勲の方が巷間の耳目を攫い、熱狂する民衆の語り種となったものだが、今では軍刀だけで血路を切り拓こうと考える勇猛な将兵は単なる命知らずの愚者でしかない。戦前はリーダネンの軍事局で輜重の管理に従事し、戦後は専ら軍用鉄道の運営に携わってきたヘイゼルには、必ずしも身近な変貌であるとは言い難いが、如何なる戦闘も啌気砲弾頭の威力次第で帰趨が決する世界というのは、生粋の軍人にとっては血の騒がぬ話であろう。

「帝都治安本部は、モファスの親合性呪鉱を用いて呪波弾の実用化に乗り出す方針だ」

「何故、帝都治安本部が兵器開発を嚮導するのだ。彼らの任務は、王城の安寧を保つことではないのか」

「そんなものは今どき、世迷言だ。貴官も帝都の政情に就いて何も知らぬ訳ではなかろう。キグナシアの軍用鉄道管理隊から極秘の荷物を預かる辺り、なかなか剣呑な橋を渡っているように見えるな」

「昔の誼だ。深読みされる筋合いはない」

「筋合い? 奇妙なことを言う奴だ。自分の配属先に掲揚された旗の色ぐらい、毎朝確かめておいた方が賢明だと思うがね」

 意味深な含み笑いを口の端に浮かべるマスティーヴァの不快な口吻に、ヘイゼルは眉を顰めた。紛れもないインヴォルグの重鎮である演習局長の父親が、嘗て陛派の兵士であったことは誰でも知っている。いや、父親の派閥が問題になるのはマスティーヴァだけの宿命ではない。戦後二十年が経った今でも、雷鳴戦争で分断された国家の古傷は未だに彌縫されていない。内乱の余燼を最小限に留めるべく、春影帝セファド・グリイスが布告した戦犯縁者赦免令は、敗者への迫害と憎悪を国法によって律するものであったが、人間の感情が無味乾燥な条文の命令に一から十まで頷き続ける筈もなかった。誰もが政治的な信条の来歴を問い、偏見に歪められた眼差しを捨てることの出来ない国。その病根が深いことを、ヘイゼルは改めて痛感せざるを得なかった。

「貴官は、黒狗の方針に賛成なのか」

 互いに古参のエレドール沙漠管理官であり、日の浅い付き合いではない。陛派の残徒が聞けば直ちに牙を剥くに違いない「黒狗」という蔑称を、ヘイゼルは無表情に用いた。

「今の段階で、はっきりとした方針を定めるのは気忙しい話ではないか?」

 何が愉快なのか、卑しい笑いを絶やさぬマスティーヴァの顔を、ヘイゼルは静かに睨み据えた。

「勝てば官軍だと言いたいのか」

「それを二十年前、学んだのではなかったか。忘れた訳ではあるまい」

「何時までも黴の生えた因縁に固執すれば、国を滅ぼすことになりかねん」

「随分と達観した物言いだ。俺には真似出来んよ、ヘイゼル」

 珍しく名を呼ばれて、胸の奥が騒めくのをヘイゼルは感じた。自分自身、過去の因果を総て断ち切れる自信はない。帝都で政変が起き、セファド・グリイスが実兄に叛旗を翻して西部国境のスヴァリカン要塞へ落ち延びたとき、リーダネンの凡庸な軍事官に過ぎなかった彼は、今後の身の振り方に思い悩んだ挙句、世相と境遇に押し流されるように陛派の兵卒として戦地へ赴いた。敗色が濃厚となり、軍務本庁の悲愴な号令で急拵えの帝都防衛兵団に召集されると、押し寄せる帝国義勇軍の気焔に呑まれて死ぬのが怖くなり、最終的に投降を選んだ。雷声帝に命を捧げる理由がどうしても思い浮かばなかったことも原因の一つであったが、最大の契機は生きることへの恋々たる執着であった。負けると分かり切った戦争に未だ先行きの長い生涯を委ねて息絶えるのは、どう考えても馬鹿げた選択にしか見えなかった。臆病者と謗られるのは承知で敵の軍門に屈した彼を、義勇軍は罰することも辱めることもせずに捕虜として迎え入れ、軈て春影帝が戴冠すると軍務庁への復籍を承認した。第二の人生の始まり、それがあの戦争の灰色の記憶と無関係に紡がれているなどと、見え透いた強弁を揮う積りはないが、あの束の間の寛容を信じて遺恨を水に流すことから始めなければ、国家の分裂という大病は再び蔓延するに違いない。

「俺も自信がある訳ではないんだ、マスティーヴァ。だが、帝都治安本部の剣呑な野心に付き合うのは、気が退ける」

「職責を考えれば、そうも言ってられんさ」

 故郷ビズール島の名産品である高級ガーシュ「ファレンティーノ」を燻らせながら、演習局長は苦り切った表情で吐き捨てた。

「ガルノシュ・グリイスの真新しい懐刀が鎮座するこの要塞で、帝都治安本部の依頼を粗笨に扱うことは出来ん」

 ガーシュの穂先を天井へ向けて、マスティーヴァは肩を竦めた。

「眼を着けられたら、無事ではいられないぞ。秘密の荷物はさっさと送り返すなり、帝都へ速達で届けるなりしろ。お前の露命が尽きたら、俺も寝覚めが悪い」

「忠告、有難く受け取っておくよ」

「生き延びねば、意味がないのだ。そうだろう、ヘイゼル」

 軍服の裾に落ちたガーシュの灰を乱暴に払いながら、演習局長は気遣わしげな眼差しを残して立ち上がり、扉の向こうへ消えていった。