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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第八章 古びた呪刀 1

 ヴェロヌス警事局の巡視艇が骨董品の呪鉱船を見つけたのは、午後三時十六分であった。不審に思い、追跡を始めると、呪鉱船は瞬く間に速度を上げた。呪動機を全開にして距離を縮めに掛かった巡視艇の乗組員たちは、不審船の甲板に堂々と佇立する帯刀した男の姿を望遠鏡越しに捉え、見事に剃り上げられた頭部を確かめて一斉に騒めいた。

(あれは確か、捜査統括局から指名手配の局長令が回って来てた奴じゃないか?)

 ヴェロヌス警事局海上警備部に所属する巡視長のガリークは、思わぬ獲物との遭遇に竦み上がり、緊張に頬を火照らせた。凄腕の呪刀士として知られるアスタークを叩き伏せた犯人は、嘗て帝国義勇軍殉国隊の軍長を務めた男だという。錬守校で呪刀術の基礎は学んだものの、修呪館で研鑽を積んだ訳でもないガリークには荷の重い相手だ。手柄を立てる好機と雖も、野心より恐懼が先に立つのを抑えることは困難であった。

(だが、アスターク殺しの犯人を見逃したことが上にバレたら、大変なことになる)

 数年前にアブワーズが警務庁掌に返り咲いて以来、罪人の検挙率は右肩上がりで、その傾向は現職のサジフに代替わりした今も衰えることなく続いている。巡視の回数も増える一方で、現場には鬱屈した空気が漂っていた。罪人の捕縛は警務官の使命に違いない。然し、検挙の件数が前年の実績を下回る度に局長の罵声が飛ぶというのは、常軌を逸しているのではないか。罪人の数は、少なくて済むに越したことはない筈だ。

(仕事だから仕方ない。そう割り切るべきなんだろうな)

 ガリークは部下に命じて、警報器を作動させた。船舶航行停止命令を意味する警笛が、潮騒を遮って海原に甲高く響き渡る。

(どうせ逃げるなら、命懸けで逃げてくれ)

 密かな祈りを内心で繰り返し呟くものの、両者の間隔は着実に縮まりつつあった。年式すら定かでない旧型の呪鉱船と、ヴェロナ半島東岸に位置する船大工の聖地ラグノーツで製造された最新鋭の巡視艇とでは、呪動機の出力が余りに違い過ぎる。

「どうやら、見逃してくれる積りはないみたいだな」

 甲板に堂々と直立したまま、カゲイロンは舷側が触れそうなほどの至近を疾走する巡視艇を睨みつけて顔を顰めた。

「俺たちの骸を持ち帰れば、栄転は必定だからな」

 答えるエトルースの鋭利な眼光も、巡視艇の甲板に雁首を揃えて口々に威嚇の怒号を喚き立てる警務官たちに注がれていた。コントラ湾は海路の要衝であり、航行する船舶の数も非常に多い。誰にも見咎められずに、如何にも不審な古色蒼然たる呪鉱船を操ってヴェロヌスまでの船路を乗り切れるとは固より考えていなかったが、警邏中の巡視艇と見事に鉢合わせるとは随分不運な星回りである。

「殉国隊の首を奪って栄転か。夏光帝陛下が、御納得なさるのかね」

「そこまで話が通る見込みはないさ。勝手にアブワーズが配置表を書き換えるんだろ」

「偉くなったな、彼奴も。腸が煮え繰り返るぜ」

 嘗てヴェロヌスは、帝国義勇軍に賛同する閣派勢力の牙城として雷名を轟かせた土地柄である。今も当時の公主であるジルヴェル・ヴェロナは健在で、そう簡単にガルノシュの走狗の跳梁を許すとは思えないが、警務本庁から回って来た人相書きを黙って握り潰せるほどの権限はあるまい。東方警務院の捜査統括局長を斬殺した「朝敵」の身柄を拘束するのは警事局の使命であり、その正当な庁務執行を妨げれば、流石のジルヴェルも公族権濫用の汚名を着せられることになる。

「返り討ちにするしかねえってことだな」

 腰の佩刀を抜き放ちながら、カゲイロンは不敵な笑みを浮かべた。

「アスターク以上の手練が、あの巡視艇に何人乗り組んでるか愉しみだぜ」

 そのとき、船室へ通じる扉が勢い良く開き、呪刀を握り締めたサルファンが息を切らして駆け出して来た。血走った双眸を見開いて、蒼褪めた唇を強く咬み締めている。

「警務官は何処にいる」

 乱れた呼吸を整える余裕も持たずに問いを発したサルファンの顔に、エトルースは冷淡な一瞥を叩き込んだ。何を血迷ったのか知らないが、この火急の正念場に餓鬼の御守を買って出るほど、酔狂な趣味はない。

「おいおい、餓鬼の出番じゃねえぜ」

 気忙しげに追い払おうとするエトルースの肩を、カゲイロンの分厚い掌が掴んだ。

「お前、その呪刀は何処から仕入れてきたんだ」

 肩を荒々しく上下させて立ち尽くすサルファンの顔は、悲愴な決意を漲らせていた。小刻みに顫えるほど確りと握り締められた呪刀は随分と薹が立っている。

「船室で見つけたんだ」

「それで何をする積りだ」

「決まってるだろ。戦うんだ」

「此処は戦場じゃないし、俺たちは兵士じゃない。それがお前の主義じゃねえのか」

 決心の固さを鑢で擦って確かめるようにカゲイロンが訊ねる。その意地の悪い問い掛けに、サルファンは憤然と顔を上げて言い返した。

「今まではそうだった。だけど、俺はイスナを守らなきゃならない。彼女を守る為には、兵士になることも辞さない。そう決めたんだ」

「愛の力って奴かね」

 エトルースが茶化すように呟く。カゲイロンは改めてサルファンの双眸を見凝め、口の端を満足げに持ち上げた。誰かを守る為なら、兵士になることも辞さないとは、餓鬼の分際で一丁前の口を叩きやがる。

「麗しいじゃねえか。そういう美談は嫌いじゃねえぜ。足手纏いにならねえように、精々気合を入れろ」

 サルファンが真剣な眼差しで頷いたそのとき、エトルースが甲高い口笛を吹いた。

「見ろ、来るぞ」

 限界まで接近した巡視艇の船端に、抜刀した五人の警務官が横一列に並んで此方を睨み据えている。制帽の庇に遮られて表情は審らかではないが、その総身に滾り立つ明瞭な殺意から察するに、犯罪者への寛大な慈悲は毫も望めそうにない。命懸けでアスタークの仇を討つ算段のようだ。

「航行を停止せよ!」

 血相を変えて喚き立てながら、警務官たちが一斉に舷側を飛び越える。抜き放たれた白刃が陽光に燦然と煌き、船腹の下部が海面を削って白く泡立つ飛沫を撥ね上げる。降り立った警務官たちの眼光はどれも鋭く、野犬のような敵愾心を満面に湛えていた。

「ヴェロヌス警事局海上警備部壱号巡視分隊のガリークだ。船舶航行停止命令の黙殺は、海洋保安法に違反する行為である。速やかに航行を停止せよ」

 一歩前へ進み出て声を張り上げる警務官の恫喝を、カゲイロンは涼しい顔で受け止めた。

「こっちはヴェロヌスへの優雅な船旅の途中だ。巡視艇に呼び止められる筋合いはねえ」

「だったら、何故逃げ出した」

「逃げた訳じゃねえさ。警務官が嫌いなだけさ」

「言い逃れはさせんぞ」

 迫り上がる恐懼を必死に抑え込み、胃の腑へ沈めながら、ガリークは泡を飛ばして語気を強めた。実際に至近の距離で対峙すると、男の肉体が放つ存在感は矢張り圧倒的だ。膝が笑い出しそうになるのを辛うじて堪え、歯を食い縛って視線を逸らさぬように力を籠める。

「東方警務院から、捜査統括局長の名義で手配書が回っている。記載された人相書きと、お前の風貌が合致している」

 ガリークの部下が、人相書きを広げて高々と掲げてみせる。強い潮風に煽られて揺れ動く書面に描かれているのは、凶悪な眼つきをした禿頭の男だ。紛れもなくカゲイロンの人相書きだが、聊か禍々しく誇張されているように見えるのは、捜査統括局の憎悪の反映であろうか。

「捜査統括局長の名義だと? アスタークの亡霊が自分の仇を探し回っているってのか」

 せせら笑うように言い放つカゲイロンの顔を、ガリークは忌々しげに睨み据えた。

「官憲を侮るのもいい加減にしろ。曲がりなりにも救国の英雄と謳われた殉国隊の残党が何故、警務院の重役を手に掛けたのだ」

「細かく説明してやらなきゃ、経緯を察することも出来ねえのか」

 抜身の白刃を足許の床に突き立て、カゲイロンは大袈裟に呆れ返ってみせた。

「殉国隊の残党が何故、東方警務院の捜査統括局長を殺らなきゃならなかったのか、足りねえ頭を必死に回して想像してみるんだな」

「貴様、侮辱は許さん」

 相手が如何に大物であろうと、彼我の実力の差が歴然たるものであろうと、警務官の矜持に懸けて、咎人の傲岸な罵言に膝を屈する訳にはいかない。顫える指先に精一杯力を籠めて、軍刀の柄を強く握り締める。

「ヴェロヌス警事局の威信に懸けて、貴様を捕縛する」

 唸り声に似た巡視長の号令に、部下の警務官たちが扇の如く広がって陣列を組む。次第に傾き始めた日輪の光が、彼らの強張った頬を淡い橙色に染めていく。

「警務官上がりの俺が言うのも何だがな」

腰を沈めて段平を構えながら、カゲイロンは猶も不敵な態度を崩さなかった。

「数に物を言わせる戦い方しか知らねえなんざ、全く下品な連中だぜ」

「刀を捨てて、大人しく縄に掛かれ!」

 ガリークが有りっ丈の勇気を振り絞って威嚇の叫び声を上げる。然し居並ぶ警務官たちは軍刀を構えたまま、突撃の契機を計りかねて巡視長の横顔に臆病な一瞥を投げている。この期に及んで惰弱な退却など有り得ないが、手練で知られたアスタークの命を奪った剣客の技倆に足が竦むのは止むを得まい。

「悪いが、俺たちは幾つになっても餓鬼のまんまさ。大人しくなんて御免だぜ」

 猶も挑発を重ねようとするカゲイロンの悪趣味に痺れを切らして、エトルースが左足を僅かに後ろへ退いた。

「先に行くぞ」

 低い声で呟いた瞬間、解き放たれた発条のようにエトルースの下肢が弾けた。忽ち、右端にいた警務官の腕が血飛沫と共に空中へ弧を描く。絶叫が迸り、顔面を蒼白に染めた警務官は天を仰いで腰砕けに倒れ込んだ。

(速い!)

 思わず、サルファンは眼を疑った。恐らく警務官たちも同様の驚愕を味わっているに違いない。日灼けした船乗りにしか見えないエトルースだが、眼にも留まらぬ瞬速の斬撃は、アスタークを捻じ伏せたカゲイロンにも劣らぬ技倆を明白に証している。

「後から悔やんでも手遅れだぞ!」

 無惨に血を吐いて平伏す部下の姿に劇しく動揺しながら、懸命に捻り出した怒号は我ながら子供じみて、哀しいほど迫力を欠いていた。矢張り相手は単なる罪人などではなく、苛烈な内乱を生き抜いた「戦場の申し子」なのだ。春影帝の取り戻した社会の安寧に溺れ、長閑なコントラ湾を警邏するだけの日々を送ってきたガリークが、景気の良い啖呵など切れる筈もない。

「後悔は主義じゃない」

 振り抜いた刀を翻し、一撃で首を落としてから、エトルースは冷淡に言い捨てた。舷側まで転がった生首は、双眸を見開いたまま動かない。慄然たる光景に、辛うじて惨禍を免かれた警務官たちは反撃を躊躇った。

(どうする)

 乱れる感情を必死に抑え、頭を回転させる。巡視長として、部下たちの身の安全を図らねばならない。然し敵前逃亡すれば軍法によって裁かれ、厳罰は免かれない。板挟みの窮状に、ガリークは今にも気が狂いそうであった。

(無理に斃すことはない。自由を奪いさえすればいいだろう)

 冷徹な斬撃を浴びて息絶えた部下の生首が、光の消えた瞳を開いたまま此方を向いていた。正面から勝負を挑んでも、犬死は眼に見えている。敗北が必至なら、いっそ目標を切り下げよう。捕縛は軍隊にでも任せて、自分たちは足留めに徹するのだ。

「セディート」

 ガリークは、局内随一の俊足を自慢の種にしている部下を呼び寄せ、小声で命じた。

「操舵室を襲え。いいな、船を停めるんだ」

 上官の意図を理解したセディートは、無言で頷いた。

「我々が相手の注意を惹きつける。その隙に走れ」

 言い含めると、ガリークは野獣のように雄叫びを上げ、白刃を握り締めて駆け出した。二人の部下がそれに続く。何れも、血走った瞳に絶望の片鱗を湛えていた。

「自暴自棄になるのが早過ぎやしねえか」

 嘲笑うカゲイロンの言葉も、ガリークの耳には届かなかった。職務怠慢を理由に帝都治安本部の査問所へ抛り込まれるくらいなら、殉職を選ぶ方が余程安逸だ。

「悔い改めよ! 罪を恥じて、皇帝陛下の名の下に跪くなら、極刑は」

 最後まで言い終える前に、ガリークの意識は闇に溶けた。カゲイロンの段平が一閃して、彼の眉間を粉々に砕いたのだ。

「恥を知らぬ走狗の分際で、皇帝陛下の名代を気取るな」

 突慳貪に言い捨てながら、エトルースが呪刀を水平に振り回した。遠心力の加わった白刃は、鈍い音を立てて別の警務官の膝頭を叩き潰した。

(とても敵わない)

 瞬く間に屠られていく警務官の骸を、サルファンは黙って見凝めることしか出来ずにいた。加勢を試みようにも、割って入る隙が見当たらない。そもそも二人は、サルファンの助太刀など求めていない。此れじゃ、足手纏いにすらなれないじゃないか。

(俺も闘わなきゃ駄目だ)

 挫けそうになる心を、強引に奮い立たせる。カゲイロンもエトルースも、赤児の頃から凄腕の剣客であった訳ではない。無力を恥じて安全圏に退いているようでは、何年経ってもイスナを守る力は身に着かない。

(何か役に立てることはないか)

 そのとき、巡らせた眼差しが、操舵室へ駆け寄る警務官の背中を捉えた。反射的に、老婆の斜に構えた顔が脳裡を過る。血腥い斬り合いに慣れていなくとも、その警務官の目論見は瞬時に察することが出来た。

「待て!」

 気付けば、夢中で走り出していた。背を屈めて甲板を駆け抜ける警務官の脚は恐ろしく機敏だ。浴びせられた警告にも一切振り向かず、操舵室との距離を瞬く間に縮めていく。

(俺に出来ることを遣るだけだ)

 このまま、単なる役立たずで終わる訳にはいかない。たとえ僅かな進歩に過ぎなくても、断崖絶壁に爪痕も残さずに立ち竦むなんて御免だ。

「待てと言ってるだろ!」

 肚の底から絞り出した怒号に、いきなり大音量の警笛が覆い被さった。走りながら視線を滑らせると、背後の海面に黒々とした巨大な艦影が浮かんでいるのが見えた。