サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「松戸」

 中学三年生の春に大阪から引っ越して以来、十年以上も私は松戸に住んでいた。最初は胡録台というところで、父親の勤め先の社宅であった。その次は、結婚して江戸川に程近い古ヶ崎という地域へ移り住み、離婚すると松戸駅の近くに四万円の安アパートを借りて三箇月ほど暮らした。余りに物哀しくて陰気な日々に堪えかね、東松戸へ移っていた実家のマンションへ逃げ込んだ。それから今の妻と同棲するに当たって津田沼へ越すまでの間、私はずっと松戸市民だったのである。

 余談だが、物件を探しに津田沼へ足を運んだ時、津田沼と松戸は、駅前の風景が似ていると感じた。所謂ペデストリアンデッキがあり、その下に立派なバスロータリーがあり、ビルが並んでいるという風景、その位置関係が似ていると感じたのだ。だが、今になって冷静に考えてみれば、そういう風景は、それなりの規模を有する駅の界隈ならばどこでも同じかもしれない。例えば柏も。だが、船橋や千葉は異なる。市川も異なる。やはり松戸と津田沼は似ているのだ。新京成線の両端であるという共通項もある。両端と言っても、厳密には新京成線の端っこは新津田沼、若しくは京成津田沼であり、私が今似ていると申し上げているのは総武線津田沼駅の眺望なので、微妙に食い違っているのだが。

 松戸は、何とも雑然とした街である。私は昔、仕事帰りに松戸駅から古ヶ崎へ向かって夜道をとぼとぼと歩いていた。すると、ガラスの全面に黒いスモークフィルムを貼りつけた乗用車が向かいからやってきて、私の前でいきなりUターンし、物凄い勢いで走り去っていった。何事かと思っていたら、直ぐ傍から警察官が「確保!」だか何だか喚きながら突如として出現し、逃げて行った怪しい乗用車を追いかけて、パトカーが物凄い速度で夜の路地を駆け抜けていった。私は唖然として、治安の悪い街だなと思った。

 前妻は交通に関する運のない人で、私との五年半の結婚生活の間に、幾度か交通事故で警察を呼んでいる。一度は、前妻がドラッグストアの敷地から流山街道へ出ようとしたところ、直進車が思い切り横っ面へ突っ込むという不利なパターンであった。相手は工務店に勤めるいかつい風貌の男で、社長の奥さんの車を借りて乗っていた為に無保険扱いとなり、自腹を切りたくないものだから、そっちが全面的に悪いと言い張って随分揉めた。向こうの社長が知り合いの弁護士に頼んでとことん争うと言い出したので、保険屋に相談したら、別にこっちも弁護士抱えてるんだから、やるならやりましょう、10:0でこっちが悪いなんて無茶な話が通る訳がないと怒り出した。保険屋というのは頼もしい人たちなのだと、私はそのとき初めて知った。

 松戸駅の西口に公園があり、地下は駐輪場になっている。私は一時期、その地下駐輪場に通勤用の自転車を止めていたので、西口公園の風景は見慣れていた。公園にはベンチがあり、その頭上に藤棚のようなものがあって、そこはホームレスの方々の集会所の様相を呈していた。近くのフェンスには彼らの洗濯物が干してあり、ベンチの上では昼日中から、くわえ煙草で将棋を指しておられるのである。

 東松戸の実家は、河原塚という少し高台になった辺に建っているマンションで、定年を迎えて社宅を追い出された父母が現金で買ったものである。現金でマンションを買うというのが、どれほど異常な行為であるか、幕張に三十五年ローンで家を建てたばかりの私は痛いほど思い知っている。実家の向かいには八柱霊園の巨大な敷地が広がっており、私の父親は昔、暇潰しに霊園の中を散策していた。まるで亡霊のようだと、かつて母は私に語った。