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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第九章 闇守の裔 3

創作「刃皇紀」

 呪刀を握り締める指先が、憎しみに顫えた。殺された父親の、飛び散った鮮血と手足。ペンブロード家の経営する娼館で受けた性的技巧の教育。奴隷として送り込まれた軍務官の邸宅。果てしなく長い夜の反復。血流が劇しい音を立てて逆巻き、今にも血管が破れそうだ。

「綺麗になったな。あの頃も、充分に愛らしかったが」

 黒い長袍を纏ったコートフェイドの躰は、陸冥宮の陰気な暗闇に紛れて亡霊のように見えた。その口許に滲む陰険な笑い方に、時間の彼方へ封じ込めた筈の記憶が揺さ振られる。最初から忘れることなど出来ないのは分かっていたが、それでも極力無意識の水底へ沈めておかなければ、屈辱と憎悪に息が詰まってしまう。そう思って歯を食い縛り、生きてきたというのに、怨敵の唐突な登場に理性の留め金は容易く緩んだ。

「喧嘩を売りに来た訳?」

「飛んでもない。今更、君に喧嘩を売って何の得がある?」

 白く長い指先でガーシュを摘み、コートフェイドは悠然と煙を吐き散らした。

「注進があってね。殉国隊のラシルドとフェロシュを、ダルモート通りの入口で見掛けたと。無論、イシュマールでの騒ぎは既に耳に入っている」

「相変わらず、情報が早いわね」

「情報は我々の生命線だ。知らない訳じゃあるまい。君もヴィオルの娘なのだから」

 アラルファンのヴィオルは、地下隧道に暮らす闇守の子孫であり、地上へ壮麗な邸宅を構えるようになった今でも、地下に潜伏して情報の収集に専念する「影蜘蛛」(かげぐも)と称する手駒を飼い馴らしている。市内で起きた出来事は総て、影蜘蛛の眼と口を通じてヴィオルの幹部へ報告される決まりであり、その優れた調査力は例えば、庁務官の汚職の証拠を掴んで脅迫の材料にするといった政治的工作にも活用される。

「家頭の御令嬢がイストリッターの連中に拉致される現場にも居合わせたそうじゃないか」

「偶々ね。特に興味はないわ」

「随分と酷薄な言い分だな。あの娘も、君と同じように高級な妾として育て上げられた。その境遇に何の憐憫も寄せないと言うのかね」

「あんたに差出口を叩かれる筋合いはないわ。あたしの感情は、あたし自身のものよ。他人の介入は受け付けない」

 憎しみが躰の中で泡立ち、煮え滾る感情が五体を痺れさせる。黄駿戦争で数々の武勲を挙げた「闇守十人衆」の系譜に連なるソルトビル家に生まれ、家頭の娘として殺しの技術を仕込まれたフェロシュは、ペンブロード家との熾烈な抗争が始まった当時、未だ十二歳の少女に過ぎなかった。呪刀術の才能に恵まれ、年齢に不釣り合いな格闘の技倆を備えていたとは雖も、鍛え抜かれた闇守の男たちに囚われては抗いようもない。アラルファンの秩序を擾乱した罪を看過してもらう為に、幼女を愛玩することに一方ならぬ情熱を燃やしていた軍務庁の幹部へ貢物として売り飛ばされた彼女は、帝都アルヴァ・グリイスの豪奢な屋敷に監禁され、昼夜を問わず性的な奉仕を強いられた。

「余り頑迷な態度を取るべきではないと思うがね。君たちを捕縛して警事局へ突き出すのは容易なことだ」

「遣れるものなら遣ってみればいいわ」

「フェロシュ。俺たちは腕利きの呪刀士を探している」

 短くなったガーシュを地面に落として靴底で踏み躙りながら、コートフェイドはゆっくりと咬み締めるような口調で告げた。

「我々の家頭であるグラムホールの養女ティリアが、イストリッター家の人間に連れ去られた。ムジークという手練の呪刀士の仕業だ。こいつが滅法、腕が立つ」

「さっさと殺して奪い返せばいいじゃない」

「そうもいかないのさ。表立って抗争などすれば、帝都の御偉方が流石に黙っちゃいない」

 ペンブロード家とイストリッター家は、闇守十人衆の血を受け継ぐ生粋のヴィオルの中でも、最も格式の高い名流であり、抱えている郎党の頭数も図抜けている。万一、両者が大規模な抗争に踏み切れば、アラルファンは火の海と化すであろう。正面衝突は極力回避しておきたいという計算が働くのも当然である。

「ティリアは、家頭が北部の農村から五〇〇万エナクで買い取ってきた娘だ。当時は未だ、十歳ぐらいだったかな」

 唇を強く咬んで、フェロシュはコートフェイドの双眸を睨み据えた。女を家畜と同格に扱うヴィオルの悪しき伝統は、二十余年が経っても全く改められていないらしい。

「手塩に掛けて磨き抜いた甲斐あって、ティリアは文句なしの美人に成長した。家頭直々に『調教』を取り仕切り、高価な白粉やら紅やらで綺麗に装って、帝都やヴォルト・アクシアから取り寄せた最高級の衣裳を纏わせた。売り物にするには、惜しいくらいの出来栄えだ」

「闇守の矜りを忘れて女衒に成り下がったことを、何故そんな風に自慢げに語れるのかしら」

「おいおい、君の親父だって女衒で稼いだ金を食い扶持に充てていたんだぜ。俺たちだけを悪者扱いするのは御門違いだ」

 道化師のような歪んだ笑みを口許に浮かべ、冷え切った瞳を真直ぐに差し向けてくるコートフェイドに、フェロシュは二十余年前の怨恨を甦らせて舌打ちした。滅亡したアライシャー公家への忠節を忘れず、地下の暗闇に潜んで帝国軍への熾烈な逆襲を貫徹した闇守の矜持と威信は、とっくの昔に失墜した。最早彼らに正々堂々たる白昼の表通りの生活を求めても受け容れ難いであろう。往年の勢威を笠に着て立派な邸宅を建てるのは勝手だが、せめて地上へ蔓延るのなら社会的な良識というものに誠実な関心を寄せるべきではないのか。

「ムジークは、イストリッターが三年ほど前に雇い入れた流れ者の呪刀士だ。ジルクラフ公国東部のキシルスカ出身で、元々は氷河地帯に暮らす狩猟民の血筋らしい」

「その男一人に振り回されてる訳? 天下のペンブロード家の男どもが、束になっても敵わないとでも言うの?」

 冷ややかに言い放つフェロシュの顔を、コートフェイドは無表情に見据えて答えた。

「確かに束になって押し潰せば、仕留めることは可能かも知れない。だが俺は、さっきも言った通り、大規模な抗争を望ましく思っていない」

「政府に尻尾を掴まれたくないのね」

 アラルファンの実権を掌握しているのは、アラール公国時代の闇守の末裔であるヴィオルの家頭たちである。彼らは行政局や軍事局、警事局との間に強靭な紐帯を持ち、暴力と金銭を使い分けて司直による断罪を徹底的に免かれている。帝都アルヴァ・グリイスに鎮座する政権の首班たちが、そのような現状を好ましく思っている筈はない。況してや謀叛に向けて自ら雌伏を解きつつあるガルノシュ一派は、筋金入りの異族嫌いである。アラルファンに蟠踞する頑迷な反帝主義者の一掃を企図して、ヴィオルの内紛を惹起する為の火種を血眼になって探し求めているに違いない。

「ペンブロードとイストリッターが仲違いすれば、大規模な擾乱は避けられない。他の家頭たちも甘い汁を吸う為に、何れへ味方するか算段を始めるだろう。抗争後の覇権を考えれば、どちらも引き下がる訳にはいかない。限界まで殺し合わない限り、対立は終息しなくなる」

「随分と抗争を懼れているのね。平和主義なんて、貴方には似合わないわ」

「俺たちが滅びれば、アライシャー公家とアラール人の伝統は途絶する。民族の歴史が、息を引き取ってしまうのだ。アラルファンの破滅を危惧するのは当然だろう」

 淡々と語る口調とは裏腹に、コートフェイドの眼差しは真摯な光を湛えていた。その気魄に不覚にも釣り込まれてしまい、フェロシュは口を噤んで考え込んだ。無論、ヴィオルなど滅び去ってしまえばいいという感情と信条に揺らぎはない。五百年以上の歳月を閲するうちに、闇守は当初の清廉な気概と節度を失い、非合法な商売で糊口を凌ぐ無頼漢の集団へ堕落してしまった。その病弊は根深く、アラルファンの威信は下降の一途を辿っている。帝国政府の支配を恢復し、健全な秩序を行き届かせることは、この街の名誉を挽回する上で不可欠の手続きだ。それを思えば、ヴィオルの滅亡とアラール人の滅亡を短絡させるコートフェイドの思惟に賛同することなど有り得ない。

 然し、懸念すべき材料は他にもある。最終的な勝敗は今後の闘争の趨勢によるとは雖も、二十年の沈黙を破って帝冠を窺いつつあるガルノシュの一派は、日増しに勢力を強めている。彼らにとってアラルファンのヴィオルは、恐ろしく目障りな反帝主義者の組織に他ならず、仮に瓦解が起これば双手を叩いて欣喜雀躍するであろう。加之、ヴィオル自体は血塗られた暴徒の群れに過ぎないが、その血脈にアラール人の歴史と伝統が封じられていることも確かな事実である。コートフェイドの言う通り、ヴィオルの敗北は多かれ少なかれアラール人の敗北に波及し、黄駿帝以来辛うじて堅持されてきた民族の自治を破局へ導くこととなるであろう。

「フェロシュ。そして殉国隊長のラシルド。君たちの力を借りて、ムジークをさっさと始末してしまいたい。彼奴の息の根さえ止めてしまえば、後は話し合いで片付けられる。抗争への発展を防がねば、アラルファンはグリシオン人の毒牙に引き裂かれるだろう」

「勝手な言い分よ」

 理性よりも先に、感情が言葉を紡ぎ出していた。見開いた瞳には、随分久しく忘れ去っていた涙の雫さえ浮かびかけた。アラール人の矜り、それは確かに守り抜かねばならない歴史的な資産である。然し、民族的な使命感よりも深々とこの胸を刺し貫く哀切な執念に、眼を塞ぐことは出来ない。二十余年前、ペンブロード家の手で一族は鏖殺され、商品価値のある若い女だけが助命され、様々な立場の人間に供物として捧げられた。その屈辱を幾ら忘れ去ろうとしても、この躰が覚えている。穢され、歪められ、玩ばれた痛みが、鍛え抜かれた四肢の隅々に消え残っている。

「あんたたちの犯した罪は、今もあたしの躰に刻まれているわ」

 悲痛な糾弾の言葉に、コートフェイドは眉一つ動かさず沈黙を守った。その仮面のように冷たく強張った面差しに、フェロシュは決して交差することのない二つの線描の存在を改めて痛感させられた。無論、譲れないものがあるのは御互い様だ。彼には彼の、そして自分には自分なりの論理と正義がある。何もかも議論と交渉だけで片付けられると看做すのは、不遜な謬見に過ぎない。

「申し開きをしようとは思わない。罪は罪だ。それは永久に償われることのない罪だ」

 息詰まるような沈黙を潜り抜けた後で、コートフェイドは静かに言い放った。

「だが、折り重なる罪の上でも、俺たちは瓦礫に蹠を損なわれながら、それでもマシな未来を求めて歩くしかない。明日の深夜十二時、我々はイストリッター家の屋敷へ襲撃を仕掛ける。それまで、回答は保留してもらって構わん。気が向いたら、ペンブロード家の屋敷へ顔を出せ。道は覚えているだろう」

 踵を返して歩き出した背中に、フェロシュは凍えるような声音で報いた。

「マシな未来だなんて、面の皮の厚い男だわ」