サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第十章 重ならない掌 2

 ミランサ・リャーグの族長であるプルドムの屋敷は、軒の低い幌屋根の家並が目立つドレイナには珍しい複層の堅牢な建物で、太い門柱には紫の奔馬の紋様を染め抜いた幟が掲げられ、草原を渡る夕刻の涼風にゆったりと靡いていた。

「我々はドレイナ警事局から依頼されて、殺人事件の捜査に当たっている者だが、族長は御在宅か」

 出迎えた門番は胡散臭そうに二人を眺めた。差別と弾圧に慣れたドラン人は、旧弊な氏族社会の住人であることも手伝い、余所者に対する警戒心が強い。首の刺青を持たない禿頭の武人に、猜疑の眼差しを向けるのは予期された反応であった。

「警事局に問い合わせてもらって構わねえ。俺はカゲイロン。こっちはエトルースだ」

 ヴァルクリフから預かった特任庁務官の免許証を見せると、門番は渋々重い腰を上げて二人を屋敷へ通した。ドラン人の伝統的な民家は、円形の建物を連ねて構成される。地位が高く家産が豊かであるほど、円柱は大きくなり、棟の数も増えていく。天井を覆う幌屋根は、家畜の毛を縒り合わせた生地に泥や木炭を塗り込んだ「タラロッタ」と称する厚手の防水布で葺くのが、遊牧民であった父祖から受け継いできた古来の慣習である。

 族長のプルドムは分厚い羊毛の絨毯へ胡坐を組んで、横笛に似た木製の煙管でガーシュを燻らせながら、訪れた警事局の使い走りを蔑むような眼で睨み据えた。その野太い首筋には、一際大きな紫の奔馬の刺青が躍っている。

「例の事件のことで来たのかね」

「彼是と立ち入ったことを窺うのは心苦しいのですが、事件の解決の為に、是非とも族長の御協力を仰ぎたいのです」

 御世辞にも礼儀作法に明るいとは言い難いカゲイロンに代わって、エトルースが慇懃な口調で話の口火を切った。

「解決か。余所者には、この街の入り組んだ事情は推し量り難いだろう」

 プルドムは嘆息しながら、右手の壁面に飾られた長大な風棍と、六本の湾曲した刃を取り付けた車輪状の金具へ目線を移した。その金具は「雷円(らいえん)」と称し、威力の増強を図る目的で風棍(ふうこん)の尖端に装着されるもので、有事に限って使用が許される神聖な武具である。ドランの戦士たちは、雷円の据え付けられた風棍を特別に「嵐棍(らんこん)」と称し、それを帯びれば戦地へ出ても風神ハローザと雷神デルガムの霊験によって命を守られると信じている。

「我々ドラン人は、グリシオン人の父祖がタイリン平原を扼する以前から、この地で固有の文化と伝統に基づいて暮らしを営んできた。幾つかの氏族に分かれながらも、緩やかな連合を結んで、草原の平和を守り抜いてきたのだ。その歴史を知らぬ者に、此度の犯罪の底知れぬ恐ろしさは伝わらんだろう」

「底知れぬ恐ろしさですか」

「この数箇月、相次いで起こっている殺人の手口は総て同じだ。首の刺青を刃物で刺されて死んでいる。このことがドラン人にとって、どれほど屈辱的な意味合いを持っているか、君は知ってるかね」

「生憎、存じ上げません」

 嘘を吐いても始まらないので、エトルースは大人しく己の無知を白状した。プルドムは黙って煙管の灰を火壷(ひつぼ)の中へ払い落とし、長い時間を掛けてゆっくりとガーシュの煙を吐き出した。

「我々ドラン人は十五歳の誕生日を迎えると、親の手で首筋に刺青を彫り込まれる」

 元々、草原の戦場で枉死しても身許が知れるように、首筋へ鮮やかな色合いの布を巻いて出陣した古代の仕来りから派生したと伝えられる刺青の慣習は、ドランの子女が氏族の成員として認められた証であると共に、己の所属するリャーグへの忠誠を表す大事な徴でもある。

「父祖から受け継いだ大事な刺青を傷つけられるということは、ドランの民にとって最大の屈辱だ。ラルダドラドの連中も当然、それを分かった上で凶行に及んでいる」

「つまり、深刻な敵意の表れであると?」

「態々刺青を狙うのは、我々の肉体のみならず精神をも破壊しようという目論見だろう。血気盛んな若衆たちは、ラルダドラドへ戦争を仕掛ける積りでいる。屈辱に堪えかねているのだ」

「族長は、今回の殺人がラルダドラドの仕業だという意見に賛同しておられるのですか」

「他に考えられるかね? こんな嫌がらせを思いつくのは、同じドランの民に決まっている」

「然し彼らは戦後二十年間、衰退の一途を辿り、どん底まで追い詰められている筈でしょう。何故、今頃になって俄かに怨念を晴らそうと動き出したのか、奇妙だとは思われませんか」

「君は要するに、何が言いたいのかね」

 不快感を露わにしたプルドムの双眸を、エトルースは真剣な表情で見凝め返した。曲がりなりにも氏族の長者を務める人物が、ラルダドラドで生じている異変の背後に如何なる魔物が潜んでいるのか、想像の翼を一度も広げたことがないとは考え難い。ドレイナを跳梁する暴徒の素性に就いて何らかの見解が聞き出せれば、それを手懸りとして事件の闇にもう少し深く分け入ることが出来るかも知れない。

「族長は、ラルダドラドの目的をどのように解釈しておられますか」

「我々への復讐だろう。妬みと言い換えてもいい。ドレイナとラルダドラドの間には、未だに解決されていない反目の歴史がある。時勢を読み間違えて首を刎ねられたワーファドの死霊が、今もこの草原を闊歩しているということだろう」

「死霊が目覚める為には、誰かに棺の蓋を外してもらわねばなりません」

 思い切って高額な賭け銭を投じるように、エトルースは不穏な見立てを口に出した。危急存亡の秋に瀕した筈のラルダドラドが甦る為には、誰かの助力が必要だ。ガルノシュ・グリイスの介入が事実ならば、その片鱗をドレイナの族長たちが微塵も嗅ぎ取っていないとは思えない。

「墓守のいない棺の蓋がどうなろうと、我々の関知するところではない」

 プルドムは苛立たしげに煙管を火壷の縁へ叩きつけて、語気を荒らげた。

「肝心なのは、迷い出した死霊を冥宮の檻へ叩き込む為の方策を講じることだ。何れにせよ、このまま殺しが止まなければ、首長のボルワンも流石に黙っておらんだろう」

 

「決まっているだろう。民族の矜りを失い、雷声帝の走狗に堕した、ラルダドラドの死に損ないどもが手を下したのだ」

 ファイサ・リャーグの族長ボルワンは、ドレイナの氏族社会の頂点に君臨する首長(ドラン人の首長は「草原の親兵」の首魁として、グリイス王家から「中原統刀官(ちゅうげんとうとうかん)」の称号を下賜されている)としての威厳をかなぐり捨て、陶製の酒杯を床板に叩きつけながら獣のように吼え立てた。六日前の白昼に駅前の広場で長男のジュラルを斬殺された怒りが、今も総身を駆け巡り続けているのだ。此れまでの事件と同じく未だに犯人検挙の目処が立たず、目撃者の証言すら掴めていない現状が、その憤怒に拍車を掛けていた。

「ジュラルは、当代随一の風棍遣いだった。若い頃の私に似て男前だと評判で、街中の若い女が群がるもんだから、本人は随分とうんざりしておったよ」

 豪快な呷り方とは裏腹に余り酒は強くないらしく、頬を朱に染めたボルワンの瞳は濁った光を湛えて荒んで見えた。

「自慢の跡取りを殺された無念が、お前たちに分かるか? 同じリャーグから二代続けて、栄えある中原統刀官を輩出したとなれば、他の族長連中にも益々デカい顔が出来る。隠居した後も優雅な暮らしが約束されるだろう。首長は、この街じゃ殿上人みたいなものだからな」

「それほど優れた武人であったにも拘らず、喉を切られて殺されたということは、下手人は相当な手練ということですか」

 エトルースの問い掛けに、ボルワンは獰猛な眼つきで歯を剥き出した。

「息子は油断しておったのさ。平穏なドレイナの街中で白昼堂々、刺青を抉り取られるなんて死に様を誰が想像出来る? ジュラルは何よりも卑怯な振舞いを嫌う男だった。廉潔な心根の持ち主だったんだ。ドラン人の崇高な魂が、彼奴の胸では常に燃え盛っていた。いきなり通りすがりに急所を狙うような卑怯者のことなど、考えもしなかったのさ」

 呪草を服用しただけの素人が、手練の風棍遣いの命を擦れ違いざまに奪える訳がない。徹底的に鍛え抜かれた本職の暗殺者でなければ為し得ない難事だ。ガルノシュの密命を享けたと思しき黒衣隊の刺客がイシュマールへ姿を現したことを鑑みれば、ラルダドラドの住人を復讐へ駆り立てる飼い主の役回りを、帝都治安本部の人間が引き受けている可能性もある。

「こんな悪意に満ちた手段で無辜の同胞を殺めるのは、ラルダドラドの屑ども以外に考えられん。連中はドレイナを追い出され、砂煙の舞う僻地へ閉じ込められたことを逆恨みしているんだ。雷声帝に阿り、金や食糧をたんまり貰って喜んでいたくせに、時世が革まって没落すると、我々ドレイナの民の生活が羨ましくて堪らなくなったのさ。だが、それは自業自得というものだ。ワーファドは自ら雷声帝に臣従する道を選び、愚かにも外れ籤を引いた。その遣る瀬ない怒りを我々にぶつけるのは筋違いだろう」

 興奮するボルワンの言い分に黙って耳を傾けながら、エトルースは苦い思いを禁じ得なかった。恐らくワーファドも雷声帝の虐政に賛同していた訳ではない。あの時代、セファド・グリイスが帝国の覇権を掌握する保証は何処にもなかった。全土から集まった素人の兵隊を束ねて、武断的なアイルレイズが鍛え上げた精強な官軍に刃向かうなど、狂気の沙汰に他ならなかったのだ。民族の延命に資すると信じて、雷声帝の開いた傘の下で雨宿りを試みたワーファドの判断を、一方的に糾弾するのは酷な仕打ちであろう。

 だが、ボルワンの耳にこうした正論が聞き届けられる見込みは皆無であった。相手の事情を忖度するには、息子を殺された怒りと哀しみが深過ぎる。その荒々しい感情を鎮めるのに博愛主義的な理窟を持ち出せば、却って不信と激高を購いかねない。

「首長は、ラルダドラドへの報復を考えておられますか」

 エトルースの直截な問いに、流石のボルワンも鼻白んだ様子で顔を背けた。

「そんなことを余所者に教えてやる義理はないぞ」

「ヴァルクリフ警事局長は、今回の事件がドラン人同士の内紛に発展することを非常に危惧しておられます。帝都の足許で発生した抗争に、官憲が寛大な方針を以て臨む可能性は極めて乏しいですから」

「あの腰抜けは何の手も打たんくせに、愚痴を漏らすことには熱心だな」

 露骨な冷笑を浮かべるボルワンの瞳には、ヴァルクリフへの侮蔑が色濃く滲んでいた。

「ドレイナの族長は皆、此れ以上の屈辱を大人しく受け容れる積りはない。警事局が国法に基づいて罪人を裁かんのなら、自分たちの手で血祭りに上げるだけだ」

「それがドレイナの命運を危険に晒すとしても、断行なさる御積りですか」

「愚かなことを言うな。我々ドレイナの民は既に、ラルダドラドの凶行という危険に晒されている。警事局は役に立たない。首長として、このまま無為に日月を閲する訳にはいかんのだ。近日中に、何らかの結論を出さねばならんだろう」

 辛抱強く沈黙と傾聴の姿勢を貫いていたカゲイロンの拳が硬く握り締められるのを、エトルースは横目で捉えた。ヴァルクリフの胸中を思えば、ボルワンの言い分は最悪の筋書きに等しい。憎悪の歯車が回り続ければ何れ、タイリン平原は火の海に変わるであろう。夏光帝政権は暴動の鎮定に乗り出し、国家の安寧を擾乱したドランの民に峻厳な処分を下さざるを得ない。それら一連の騒動の果実は総て、暗躍するガルノシュを利することになるのだ。

「堪えろ、カゲイロン」

 首長の耳に触れぬように声を潜めて、エトルースは囁いた。

「無駄な寄り道だとは、もう言わない。一刻も早く、下手人を捕えるぞ」