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サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 7

 帝領ゲルチェンは、パシニア大陸東岸から広大なセゾルニア洋を隔てて、セゾルニア大陸西部の沿海州に位置する緑邦帝国の属州である。元々は土着のコルメイル人が治めるゲルチェン王国の版図であったが、雷声帝の祖父に当たる秋霜帝ゴーヴァ・グリイスの時代に大規模な遠征が行なわれ、帝国の支配下に組み込まれた。秋霜帝は当時のゲルチェン王国元首であったシドヌス・アペリエに公族の地位を認めたが自治権の維持は許さず、現地に夥しい数の弁務官を派遣して帝東総督院を創設し、高圧的な施政を布いた。

 その方針を受け継いだ雷声帝アイルレイズは、固より版図の拡張に異様な情熱を燃やす野心的な皇帝であったから、祖父の獲得した海彼の属州をセゾルニア大陸侵略の足掛かりとして殊の外重視した。穏和な賢君として知られ、野蛮な外征よりも内治の充実を重んじた実父コルダウよりも、「軍服の皇帝」と渾名された祖父ゴーヴァへの敬愛が強かった彼にとって、秋霜帝の切り拓いた属州の有効な活用は往古、草原を疾駆する好戦的な騎馬民族の首領として名を挙げたグリイス王家の伝統に資する崇高な営為に思われたのだ。

 帝東総督院の創設と時期を同じくして発足した帝領ゲルチェン管理軍の綜紀兵官に、軍務庁海戦院用兵局長のボルゾックを充てたのも、優れた戦術的手腕と雷声帝への忠誠を併せ持つ腹心を派遣することで、セゾルニアの攻略という大事業を盤石たるものに仕立て上げようと企てた結果であった。荒れ狂うセゾルニア洋を渡って異郷へ赴任したボルゾックは、帝東総督院司のファゴンスと緊密に連携しながら、主君の期待に応えて強権的な施政を貫き通した。古来、侵略戦争によって版図の膨張を成し遂げてきたとは雖も、原則として異民族との宥和を政策の根底に据え続けてきた緑邦帝国の歴史を顧みるならば、ファゴンスとボルゾックが協調して選択した統治の様式は異端的なものであったと言えるであろう。先住民であるコルメイル人の自治権を認めなかった秋霜帝の遺訓を踏襲した彼らは、帝国本土から希望と野心に胸を膨らませて陸続と渡航してくるグリシオン人の入植者たちに過分な優遇を与えた。アペリエ家の旗幟の下に集い、ペデラーカス山脈の彼方に蟠踞する強大なセゾルノー連合王国との政治的拮抗を保ち続けてきたコルメイル人たちの矜持は、ボルゾックの悪意に満ちた弾圧に著しく損なわれ、生まれた傷の痛みは徐々に漆黒の憎悪を培っていった。

 それが時代の空気だったのだ、と言い捨てることは容易い。帝領ゲルチェンに限らず、雷声帝の高圧的な施政は帝国全土に「グリシオン人の絶対的優越」という危険な政治思想を撒き散らした。軍部を掌握し、言論の統制を図り、異民族による帝国の「純血」の毀損に堂々と反撃を試みた狂王アイルレイズの豪腕は、多くの反発を押し切って異民族の自治権に対する無慈悲な弾圧を繰り返した。そして蓄積された憤懣は徐々に内圧を高め、軍務庁掌補セファド・グリイスの謀叛によって極点へ達した。海の彼方の暴動に勇気付けられ、励まされたコルメイル人たちは徒党を組んで血の雨を降らせ、傲慢な独裁者への抵抗を激化させた。雷声帝の優秀な手駒の一人であったボルゾックは捕縛され、残虐な暴力を加えられて非業の死を遂げた。

「雷声帝に重用された軍人の息子にとって、戦後の社会は決して生き易いものじゃなかっただろう。ガルノシュの傀儡には打ってつけの人材だ」

 吐き捨てるように言いながら、サヴァイムは軍服の隠しを探って新しいガーシュを取り出した。その荒んだ横顔を静かに見下ろしながら、カゲイロンは眉を顰めて考え込んだ。マドンの来歴に関して詳細な調査を怠っていたのは迂闊であったが、その父親が陛派の軍属であろうとなかろうと、彼が雷声帝政権下で潤沢な予算を宛がわれながら精力的に兵器開発へ励んでいたことは周知の事実である。ガルノシュが自らの派閥に引き入れるべく画策した虞は固より小さくない。

「それだけじゃ、マドンが蒼衣隊長に任命された理由にはならねえだろ」

「それだけとは誰も言ってない。隊長は、いやマドンは、この一帯に自生する厖大な呪草に前々から眼を着けていたのさ。役職を革めたところで、彼奴の野心自体が涸渇する筈はない。要は自分の発明した呪合弾の生産量を増大させる為に、分離剤の原料である呪草の安定供給を図ってるんだ」

「何処までも悪趣味な男だな」

 エトルースが陰気な口調で呟いたそのとき、猛烈な轟音が響き渡って彼らの躰を傾がせた。渦巻く熱風が辺りの葉叢を薙ぎ払い、空気が唸り声を上げて脈打つように顫える。その不吉な轟きに混じって微かに聞こえる、警笛に似た鋭い飛来音を鼓膜が捉えた瞬間、カゲイロンは大声で警告の言葉を叫びながら、総身に筋肉を撓らせて大地を蹴立てた。

「走れ!」

 咄嗟に手近な窪地へ飛び込んで伏せた彼の背中に、大振りの土くれが霰の如く降り注いだ。濛々と舞い上がる微細な砂粒が視界を澱ませ、息を詰まらせる。砲撃であることは明白だ。襲撃を免かれた軍務官の生き残りが本隊への伝令を担ったのであろう。呪草の取締りに従事する蒼衣隊が、自らの管理下に置いた呪草地へ啌気砲を持ち込んでいるとは想定外だが、軍務本庁に顔の利くマドンの要望ならば非常識な特例も黙許されるのかも知れない。

「命拾いしたな」

 平屋と湖水を結ぶ幅の広い暗渠から這い出したエトルースが、傍へ駆け寄りながら荒い息を吐いて言った。その鋭利な眼差しは、斜面の頂へ注がれている。

「グイネルとサヴァイムは何処だ」

 眼裏に潜り込んだ砂塵の痛みに堪えかねて瞬きを繰り返しながら、カゲイロンは生き延びた相棒に問い掛けた。エトルースは表情を変えぬまま、新たに穿たれたばかりの窪地を指差して簡潔に答えた。

「間に合わなかった。残念だが」

 続く砲撃を警戒しながら視線を動かすと、着弾の痕跡を露わに示す抉り取られた大地の傍に、原形を微かに留めた人間の残骸が二つ、腥い黒煙を噴き上げながら頽れていた。飛び散った肉片の脂が熾火のように燃えて、濁った空気を押し流してくる。カゲイロンは唇を咬んで、野獣のような唸り声をその隙間から漏らした。

「彼奴か」

「それ以外に考えられないな」

 敢えて堂々と背筋を伸ばして立ち上がった二人の視線の先、平屋を隔てた斜面の頂に、軍服を纏った男の影が佇んでいた。その傍らには、台車に積載された一門の啌気砲が残虐な召使のように侍り、無言で虚空を睨み据えている。

「任務を放擲し、虜囚の辱めを受けながら、のうのうと雑談に興じるとは不届きな男だ。兵隊の風上にも置けん外道だな」

 陰鬱な響きを帯びた男の嘲笑的な声音が、湖岸へ吹き下ろす風に乗って聞こえてきた。その人影を真直ぐに相手を睨み据えて、カゲイロンは声を荒らげた。

「お前が蒼衣隊長のマドンか!」

「答えずとも自明であろう」

 熱を孕んだ丸太のような砲身に革手袋を嵌めた掌を宛がいながら、男は冷然と言い捨てた。

「帝国軍務庁の管理する呪草地へ無断で立ち入り、人夫を数多殺傷するとは、謀叛にも等しい大罪だ。この啌気砲が、問答無用で天罰を下すだろう」

「ラルダドラドを廃人の村に仕立て上げた罪は、一体誰が裁くんだ?」

「ふん。お喋りな小童が白状したのか」

 片手で照準桿を巧みに操り、砲口を二人に向けて構えながら、マドンは悠然と口髭を捻った。

「少なくとも貴様らに評定を委ねる理由はなかろう。私は国家の命令に従って、この地へ赴任したのだ」

「ガルノシュ・グリイスの傀儡って評判は本当らしいな」

「傀儡? 馬鹿げた言種だ。我々は互いの利益の為に、共闘の約束を結んでいるに過ぎん。政務庁掌補の下僕に成り下がった覚えはない」

「本人がどんな風に粋がってみせても、周りは傀儡だと思い込んでるさ」

「それならば勝手に思い込んでおればいい。私は私の歩むべき道を突き進むのみだ」

「結構だ。こっちも同じように、自分の目的を果たすべく好き勝手に遣らせてもらうぜ」

 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら、カゲイロンは総身の筋肉に意識を行き渡らせた。たった一門限りの鈍重な啌気砲に後れを取る気遣いはないが、当代屈指の有能な技官であるマドンが手許に揃えた弾頭の素性を掴めぬうちに迂闊な動きを示す訳にはいかない。じりじりと照りつける晩夏の酷烈な陽射しを浴びて、輪郭のはっきりとした黒い影を斜面の草地へ投じながら、威儀を正して佇立を続けるマドンの表情は仮面のように強張っていて、そこから相手の邪悪な腹積りの内訳を読み取るのは至難の業であった。

「好き勝手、か。愚か者の遠吠えに鷹揚に頷いてやるほど、私は優しくもないし、暇でもない」

 色褪せた代赭色の革手袋に包まれた指先で、胸許の隠しからガーシュを摘み出したマドンは、炎質呪鉱を用いた携帯式の小さな着火器で紙巻の穂先を悠然と炙った。

「だが、素性の知れぬ鼠の戯言に然したる関心もないとはいえ、呪草地の監督責任を背負っている以上は、貴様らの動向に何の掣肘も加えぬ訳にはいかん。大人しく裁きを受ける気があるなら、申し開きくらいは聞いてやらんこともないぞ」

「申し開きだと? それはこっちの科白だ。帝都治安本部蒼衣隊長マドン帥刀官よ、お前はこの呪草地で何を企んでいる? ラルダドラドの惨めな住人たちを刺客に仕立てて、ドレイナに内紛を巻き起こすのが狙いか」

「それは私の描いた図面ではない。ドレイナとラルダドラドの確執など、私にとっては退屈な児戯のようなものだ」

 傍らの砲身に掌を添えて慈しむように撫で回しながら、マドンは冷ややかに断言した。

「私の願いは、より良い兵器、より逞しく精強な兵器、より高性能な兵器をこの手で造り出すことだけだ。ガルノシュやアブワーズが嘗ての栄光に拘って、往年の権威を取り返そうと躍起になるのは勝手だが、私は私の利益の為に連中の陣営へ間借りしているに過ぎん。この呪草地の管理を希望したのは、呪合弾の原料として大量の呪草が必要だからだ」

「呪草さえ手に入れば、他のことは如何だって構わねえってのか」

「無学な貴様らには計り知れぬだろう。優れた兵器を作り上げることの神秘的な悦楽というものは」

「別に知りたくもねえさ」

 長広舌を揮おうとするマドンの侮蔑的な口吻を遮って、カゲイロンは一歩前へ踏み出した。佩刀の柄に掛けた指先へ、張り詰めた怒りが自然と満ちていく。曲がりなりにも自分の部下である人間を、躊躇いもせずに啌気砲で撃ち殺しておきながら、平然と持論を語り出すマドンの無慈悲な神経に、カゲイロンの忍耐は限界を迎えつつあった。己の目的を達成する為ならば、追い詰められた貧民の集落を薬漬けの暗殺者の塒に作り変えることも辞さぬ厚顔無恥の男に、此れ以上の弁明の時間を認める訳にはいかない。

「殺意に顫えているな」

 吸い終えたガーシュを足許に抛り、再び照準桿へ指を絡めながら、マドンは悪趣味な笑顔を浮かべて愉しむように言った。

「殺したければ殺すがいい。時代遅れの呪刀士風情に、この砲火が破れるか、試してみるのも一興だ」

「破ってやるさ。単なる兵器屋に引けを取る気は更々ねえぜ!」

 肚の底から迸ったカゲイロンの怒号を皮切りに、保たれていた危うい均衡は一挙に崩れ去り、停滞していた時間が動き出した。