サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「刃皇紀」 第十二章 引き裂かれた人々 8

 咆哮と共に、地を這う蛇のような俊敏さで駆け出した二人を、滑らかに動き回る砲身が追い掛ける。マドンの唇に不吉な嘲笑が弧を描き、その指先が発射桿を力強く押し込むと、轟音が広がって砲口が火を噴いた。弾頭は爆発的な速度で虚空を劈き、呪草の生い茂る斜面に食い入って土くれを抉り取り、高々と舞い上げた。

 呪合火器は、呪気と念気の結合によって生じる呪象を利用した火器の総称で、一般的には啌気砲と呼ばれている。砲芯と称する部位に呪鉱を、砲背と称する部位に念鉱を装填し、遮蔽板の開閉によって砲撃を制御するのが、最も素朴な啌気砲を制御する原理である。グリイス暦四九〇年、帝国軍務庁の技官であったアストリアが最初の理論的な素描を試み、後に工務庁の技官ケルセラードによって試作機の開発が行なわれて以来、既に百年以上の星霜を閲した啌気砲の歴史は、日進月歩の目覚ましさで飛躍的な進化と多様化を遂げつつある。

「蠅のように逃げ回るのが得意な連中だ。閣派の要人に養われた間者の類か?」

 一瞬も手を緩めず、立て続けに砲弾を発射して敵手の接近を牽制しながら、マドンは持ち前の沈着な理性を保ったまま、密かに呟いた。ラルドー湖畔の見捨てられた廃村に関心を示す人間は限られている。暴利を貪ることに飢え切ったヴィオルたちは既に排除してあり、今更舞い戻って手出しを試みるとは考え難い。ドレイナの族長たちが忌まわしい刺客を駆逐する為に雇い入れた対抗馬という見立ても奇矯ではないが、それにしては頭数が貧弱に過ぎる。何れにせよ、帝都の華やかな宮廷を舞台に、堂々たる重臣の貫禄を周囲に見せつけながら、腹黒く悪辣な陰謀を狡猾に張り巡らせているガルノシュ・グリイスの燃え上がる野望には、全く賛同する意思を持たない連中らしい。

「目障りな。此れならどうだ?」

 半ば無意識に滑らせた指先が、足許に置かれた金属製の弾薬匣から、不恰好に尖端の膨れた弾頭を掴み出した。広範囲に跨る敵手を効率的に一掃する為の工夫が施された、所謂「散開弾」である。着弾した瞬間、膨れ上がった尖端が破裂して、内部から夥しい数の金属片が飛び出し、複数の標的を同時に薙ぎ倒す仕組みになっている。

 発射桿を押し込むと、耳障りな高音が鳴り響いて、猛烈な速度で弾頭が虚空を斬り裂いた。逃げ惑いながらも着実に距離を詰めようと試みる二人の男たちの行く手に立ち開かった鈍色の散開弾は、破裂した頭の中身を豪勢に撒き散らす。舞い上がる砂塵に紛れて鋭く磨かれた金属の破片が飛散し、そのうちの一つが突貫するエトルースの脛の肉へ猛烈な勢いで食い入った。総身を貫く激痛にエトルースは俊敏な動作を妨げられ、追撃を免かれるべく横様に跳び退りながら、脛の傷口へ突き立った金属片を引き抜こうと試みるが、高温に焼け爛れた散開弾の邪悪な牙は肉へ貼り付き、血腥い湯気と臭気を立ち昇らせるばかりで容易に剥がれてくれない。

「動きを止めるな! 餌食になるぞ」

 甲高い哄笑を轟かせて、鞭を揮うように猶も発射桿を押し込み続けるマドンの醜怪な相貌へ敵意に満ちた視線を投じつつ、カゲイロンは屈み込むエトルースの躰を片腕で鞄のように担ぎ上げ、容赦を知らぬ弾幕から相棒を助け出した。飛び交う金属片が大地を削って鋭利な爪痕を刻み、生い茂った呪草の葉叢を水に濡れた紙細工のように易々と蹴散らし、駆逐していく。

「少しは思い知ったか。時代遅れの呪刀士風情には、刺激の強い見世物だろう。生身の躰で啌気砲に立ち向かえば、どんな精強な勇士でも忽ち冥土へ旅立つことになる」

 肩を聳やかして露骨な嘲笑を響かせるマドンの忌々しい声音が、鼓膜を不快に撫で回し、揺さ振っていく。舞い上がる土煙を知らぬ間に吸ったのか、苛立って吐き捨てた唾液は砂が混じって黄色く濁って見えた。

「白兵戦なら、たった五秒でその薄汚れた首を刈り取ってやるところだ」

「白兵戦など、馬鹿馬鹿しいことを言うな。呪刀で斬り合うなど、蒙昧な旧弊に過ぎん。此れからは火戦の時代だ。高性能の啌気砲をどれだけ数多く、効率的に配備するか。それだけが戦場の命運を決するのだ」

 元来、論争を好む質なのであろう。カゲイロンの挑発と放言に刺激されたように、マドンは発射桿から指を解いて、居丈高に掌を天空へ向けて突き上げた。

「個人の技倆に左右される泥臭い白兵戦など、非合理の極みではないか。啌気砲は、一定の訓練さえ積めば才能など問わずに誰でも扱える。どんなに凡庸な軍人でも、足の萎えた退役の老兵であろうとも、容易く敵を薙ぎ払い、鏖殺することが出来る。此れほど合理的な戦争の技術が他に考えられるか? 黴の生えた呪刀に固執するなど、愚か者の病的な美学に過ぎん」

「有難い御高説、痛み入るぜ」

 噴き出す汗を上衣の袖で乱暴に拭いながら、カゲイロンは獰猛な眼差しを斜面の頂に佇立するマドンの尊大な鼻面へ注ぎ続けた。呪刀士という兵科を旧時代の遺物と看做す冷笑的な見解は昨今、マドンに限らず軍務庁の高官たちでさえ、公の場で口に出すようになりつつある。一昔前ならば、雷鳴戦争の重要な立役者の過半が呪刀士であることに敬意を表して、そのような侮蔑的態度は控えめに軍服の隠しへ蔵っておくのが望ましい振舞いであると信じられていた。国土を二分する大規模な動乱が漸く終息し、灰燼に帰した街並の復興が遽しく進められ、誰もが戦禍の痕跡を拭い去ることに躍起であったこの二十年間、異国との交戦が一度もなかった為に、改めて呪刀士と砲兵との力量と有用性を厳密に比較する必要が生じなかったことも、歴戦の英雄たちに対する讃嘆の記憶を風化から免かれさせる要因として働いた。だが時折、間歇泉のように巻き起こる暴力的な事変の鎮圧に際して、啌気砲を積み込んだ頑丈な呪動車の威力と利便性が実感として確かめられる度に、古色蒼然たる白兵戦を厭う感情は軍部の中で強まっていった。そもそも、四年間の大戦で夥しい死者を計上した国軍は慢性的な人手不足に苦しんでおり、乏しい兵員を効果的に運用する為には啌気砲や呪動車といった工学的技術の積極的な導入が不可欠であった。自らの野心にばかり固執して組織の論理を蔑ろにするマドンが、風向きの変わった戦後社会においても長く兵器開発局長の要職を保ち続けた背景には、優秀な技術屋の力に頼らねばならない国軍の荒廃した内情が大きく関わっていたのである。

「おい、カゲイロン」

 そのとき、背中に獅噛みついたエトルースが喘ぐように口を開いた。

「何だよ」

「異臭を感じないか」

「異臭?」

 訝りながらも落ち着いて辺りの空気を吸い込むと、確かに独特の臭気が鼻を衝いた。覚えのない臭いではない。

「此れは、呪鉱か?」

 啌気砲は通常、閉塞器で鉱石を密封している。呪気や啌気の漏出が意図せぬ呪合を招き、大惨事を惹起する虞があるからだ。幾ら砲撃を重ねたとはいえ、此れほど濃密な呪鉱の臭気が漂うのは異常である。

「御名答だ」

 二人の遣り取りを耳聡く聞き咎めて、マドンが満足げに笑みを浮かべた。

「骨董品の呪刀士どもは、啌気砲の仕組みに疎いだろうから教えてやろう。啌気砲は、単なる砲弾の発射機ではない。何発も弾を無駄にしてやったのは、照準が狂ったからではないのだ」

 台座の縁に凭れて、新しく銜えたガーシュに悠然と火を点けながら、マドンは追い詰められた二人の暴徒を冷ややかに見下ろして言った。

「先刻の問いに答えてやろう。如何にも私は、帝都治安本部蒼衣隊長のマドン帥刀官だ。来歴は、其処に転がっている薄汚い屍から聴いただろう。長い間、呪工士資格を有する軍務官として兵器開発局で働いてきた。主に携わったのは、新しい呪合火器の開発だ。自画自賛は趣味ではないが、私の才能は卓越していた。目覚ましい業績を挙げて、史上最年少の兵器開発局長に任じられた。戦争が終わり、陛派軍人として新政府から訴追を受けたとき、私は兵器開発に関する資料を提供して恭順の意思を示し、辛くも実刑を免れた。無論、総てを明け渡した訳ではなかったがね」

 滔々と語り始めたマドンの双眸は、増上慢を通り越して若干の狂気を帯びているように見えた。雷鳴戦争に勝利した春影帝は、戦犯を裁く為に亡国法廷を設置し、重罪人を死刑や流刑に処して陛派勢力の一掃を図った。但し改悛を誓った人間には可能な限り、寛大な対応を心掛けるようにとの通達を出し、戦後復興に際して陛閣両派の疎隔が深刻化せぬように気を配った。その慈悲に満ちた方針が、結果としてマドンのような忌まわしい悪党を取り逃がす土壌を形成してしまったのだ。今更悔やんでも詮無いことだが、ガルノシュの助命といい、二十年前の温情は矢張り迂闊であったと結論せざるを得ない。

「単なる兵器屋に砲手の役目が務まるとは思えねえな」

 苦境に立たされても威嚇と虚勢を忘れることのないカゲイロンの獰猛な挑発に、マドンは顔色一つ変えず、暢気に紫煙を吐き出した。

「兵器屋を侮って、此れからの時代に兵隊の仕事が務まると思うかね。恐るべき短慮だ」

「安全な場所で発射桿を握ってりゃ、戦争に勝てるとでも言うのか」

「その為に私は、新しい兵器の着想を次々と練り上げ、実用化してきた。それが兵器屋の本懐というものだ」

 眉間に深い皺を刻んで、短くなった紙巻を抛ると、マドンは革手袋の緩みを丁寧に直した。

「クルガ液というものを御存知かな? まあ、無学な呪刀士風情が知る筈もないが、餞別代わりに教えてやろう。呪草に含まれている油脂を抽出し、精製して製造される液体のことだ。開戦の数年前に、工務庁主管ラループ産業研究所のクルガという男が実験的に精製したので、この名が付いた。クルガは元々、呪鉱の精錬技術の研究者だった。具体的には、より呪子濃度の高い呪鉱を生産する方法を考えていた。彼は研究の対象を呪鉱から呪草に切り替え、呪草に熱と圧力を加えて濃縮することで、極めて濃度の高い呪子の塊を製造することに成功した。此れを呪炭と呼ぶ」

「学校の教師を気取るのは止せ。此処はお前の研究室じゃねえんだ」

 苛立たしげに吐き捨てるカゲイロンの逞しい後背に縋ったまま、エトルースは顔を上げて眉根を寄せた。餞別? 一体、どういう意味だ?

「クルガ液は、呪炭製造の過程で発見された偶然の産物だ。結性子を散性子に変化させる分離剤としての効果を有している」

 カゲイロンの叩きつけるような罵声に気勢を削がれた様子もなく、マドンは独善的な演説を続行した。

「クルガは優秀な技術者だったが、惜しむらくは先見の明に欠けていた。分離剤を然るべき方法で用いれば、呪鉱を気化させることが可能になる。その画期的な意義に着目し、具体的な成果へ結び付けることに成功したのは古今東西、この私一人だ」

「誰もお前の講義なんかに興味はねえ。黙って墓標の下に埋もれてろ!」

 堪忍袋の緒を断ち切って、カゲイロンは呪刀の柄に手を掛けた。手負いのエトルースも脛の疼痛を堪え、歯を食い縛って自力で立ち上がった。

「生憎、生徒は教師を選べないものだ」

 走り出す二人の敵手を睨み据えたまま、マドンは足許の弾薬匣から黒光りする砲弾を取り出して、啌気砲の背面に手早く押し込んだ。

「先刻ばらまいた砲弾には、分離剤を用いて散性化させた炎質呪鉱が眼一杯詰め込まれている。呪鉱の臭いを感じるのは、厖大な量の呪子の群れが、貴様らを取り囲んで死と絶望の輪舞を演じているからだ」

 折角の講義に耳を傾ける意思など微塵も表さず、斜面を駆け上がってくる二人の敵手に向けて、マドンは照準桿を操り、精確に狙いを定めた。

「呪合弾の威力、自らの命を以て痛感するがいい」

 発射桿を思い切り押し込んだ瞬間、鼓膜を劈くような轟音が響き渡り、呪草地の斜面は猛烈な劫火に呑み尽くされた。