サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「幕張」

 私は今、千葉県千葉市花見川区幕張町の住人となっているが、一昔前までは幕張という土地に何の縁もないものと思い込んでいた。今の妻が幕張育ちで、その所縁でこの土地へ終の栖を築くことを決断した訳だが、それ以前の私は、千葉市という土地へ足を踏み入れた経験さえ、数えるばかりの乏しさであったのだ。大阪で生まれ育ち、父親の仕事の都合で千葉県へ越して以来、ずっと住まいは県境の内側に限られているが、それでも千葉市というのは疎遠な土地であった。常磐線新京成電鉄が駆け巡る松戸市民としてずっと過ごしてきた為に、総武沿線の事情には頗る暗かったのである。

 だが、人間の運命というのは不思議なもので、過去と未来との間には奇妙な伏線が知らぬ間に張り巡らされていることもある。今の妻との結婚に向けて、両家の親同士の顔合わせの為に会食の場を設けることになり、海浜幕張駅に程近いホテルが舞台に選ばれた。海浜幕張駅の改札で私の両親と待ち合わせて、ホテルに赴くと、母親が驚いた。

 小学校三年生の頃だったろうか。夏休みの家族旅行で、父母、私、弟の四人は大阪府枚方市から京阪電車淀屋橋へ行き、地下鉄に乗り換えて新大阪駅まで行き、東京行きの新幹線に乗った。目的地は、かの有名な東京ディズニーランドである。宿泊費や交通費など四人分を合計すると20万ほどかかったという、この大々的な家族旅行の根城は、海浜幕張駅から程近いホテルであった。当時の私は小学生で、関東の地理には滅法暗かったから、それが京葉線海浜幕張駅であるという認識は特に有していなかった。

 要するに、私が小学生の頃、ディズニーランドで遊び呆ける為に親が予約を入れた幕張のホテルで、二十年後の私は結婚の為の両家顔合わせの会食を開くことになった訳である。傍から聞いていると、だから何なんだという話だが、一日中、浦安市内の夢の国で夢中で遊んで疲れ果てた小さな体に、着替えの詰まったリュックサックを背負った小学生の私にとって、そのホテルが二十年後、両家顔合わせの会食の場となるということは、全く想像することの出来ない不可視の運命であった。今でも、駅舎を出て暗い夜の闇に浮かび上がるホテルの煌びやかな外観を眺めたときの記憶は、この眼裏に生々しく消え残っている。だが、私は母親に指摘されるまで、顔合わせの会場に選んだホテルと、二十年前の夏休みに宿泊したホテルが同じものであるということに、全く気付いていなかったのである。

 日々、同じようなリズムで行住坐臥を繰り返していると、単調な日常が永遠に続いていくような気分に陥るものだ。しかし、単調な日常が永遠に続いていくというのは、根拠を欠いた惰性的な錯覚に過ぎない。夏休みの日焼けした少年と、離婚歴のある坊主頭の男との間に、等号を描くのは容易ではないが、現実の方は何食わぬ顔で両者を無造作に結びつけてしまう。この不可解な偶発性が恐らくは、私たちの信じる「希望」という奴の萌芽なのである。