サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「プレステ」の時代と、私の追憶 2 「アストロノーカ」(1998年)

 当時エニックスから発売された「アストロノーカ」を知ったのは、確か「ファミ通」がきっかけであったように記憶している。或いは「スターオーシャンセカンドストーリー」に附属していた体験版が購入の契機であったかも知れない。何れにせよ、このゲームは傑作である。豊かな遊び心が画面の隅々、システムの隅々にまで行き渡っている。そもそも、宇宙で野菜や果実を育てる「宇宙農家」という着想を、ここまで念入りにゲームとして成立させてみせたクリエーターの奇怪な執着心が快いし、面白い。

 宇宙農家という奇抜なコンセプトだけでは、この作品の傑出した魅力は生成されなかっただろう。重要なのは、そのコンセプトを徹底的に掘り下げ、枝葉末節の要素を限界まで瑞々しく繁茂させた点に存する。作物の交配にしても、バブーと呼ばれる害獣との格闘にしても、「農業」という分野を構成する多彩な要素をそれぞれに膨張させ、宇宙農家というコンセプトに則って突き詰めていく執着心が、その生真面目な遊び心が、アストロノーカの画期的な世界を生み出しているのである。

 野菜を育てるということ、しかも交配によって品質の改良(改悪も可能であるのが更に奥深い。一般的には敬遠され、市場価格も下がってしまう品質の悪い野菜を対象としたコンクールも、ゲーム中には存在するのである)や新種の開発が可能であること、この要素だけでも充分にプレーヤーのアドレナリンは沸騰させられるだろう。横着な私は、バブーとの出口の見えない戦いに倦んで、徐々にゲームから遠ざかってしまったが、害獣の撃退にも頭脳的なボードゲームの要素を取り入れることで、この作品は「野菜の栽培・交配」というメインの枠組みだけに依拠しない、多角的で新鮮な遊戯性を維持している。

 荒唐無稽な発想に、徹底的な細部を与えていくこと、これはあらゆる創造的行為に関わる普遍的な哲理の一つであろう。無論、宇宙野菜を育てることは、私たちの人生に次々と巻き起こる厄介な諸問題を解決していくことと、完全に切り離された営為である。大きくて重たいシマイモを育てることが、私たちの実存的な煩悶を癒やすことも有り得ない。だが、このアストロノーカという作品は、優れたゲームソフトに共通する美質、つまりプレイすることから遥かに遠ざかった後でも猶、当時の鮮明な記憶を私たちの脳裡へ喚起し続けるという優れた特性を歴然と備えている。私は瑞々しい「光速パイン」や糖度の高い「ドームメロン」を育て上げる為に種蒔きと収穫と交配を繰り返したティーンエイジの記憶を、今後も末永く保ち続けるに違いない。

アストロノーカ

アストロノーカ