サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主風土記 「金沢」

 昨年の春に妻と金沢へ旅行に出かけた。私は以前から金沢という土地に憧れを懐いていて、北陸新幹線の開業から間も無い頃に、例の「かがやき」という列車に乗り込んで東京を発ったのである。一応は新婚旅行という名目もあった。飛行機が怖くて堪らない私にとって、海外や北海道、沖縄といった土地はなかなか手の届かない場所である。無論、そんな私の臆病な態度に妻は不満を懐いている。

 加賀百万石の城下町として栄えた金沢は、小振りな京都といった感じの街並みで、観光するには手頃なサイズであった。香林坊という金沢市街の中心部にホテルを取り、二泊三日の日程で私たち夫婦は市内を見物して歩いた。

 香林坊という地名の由来は知らないが、いかにも風情に濫れた名前である。こういう風変わりな地名と知り合いになるのは旅の醍醐味の一つであろう。近くには大和という地元の老舗の百貨店があり、ホテルの向かいの路面には高級なブティック(ブティックという言葉は既に死語と化して久しいのだろうが、ブランド品の店と書くと何だか味気ないので敢えてブティックと書く。ブティックは最早、寂れた商店街を想起させるような単語かも知れない)が並んでいる。縮刷版の銀座のような風景だ。

 ひがし茶屋街や長町の武家屋敷、金沢城、21世紀美術館、兼六園近江町市場といった定番の観光スポットも巡ったが、最も忘れ難い思い出となったのは、何と言っても「忍者寺」であった。正式には「妙立寺」と称する日蓮宗の寺院で、香林坊からは犀川を渡った先にある。敷地は左程広くもないが、元々は徳川幕府の厳しい監視を受けていた前田家が出城として用いていたもので、寺内には忍者屋敷のような奇妙な仕掛けが幾つも施してある。若い女性のガイドがいかにも手慣れた様子で寺内を案内して色々な仕掛けの目的や背景を教えてくれるのだが、これが頗る面白い。

 私たちは知らず知らず進歩主義的な史観に慣れ親しんでいるから、古い時代の人間は現代の人間よりも遅れた考えや発想しか持っていないと素朴に信じてしまう傾向が強い。しかし、環境や時代といった外在的な諸条件を取り除いて、個人の頭の中身だけを覗き込んでみれば、江戸時代の日本人と現代に暮らす私たちとの間に、それほど大きな精神的隔たりがあるとも思えない。彼らは彼らなりに、与えられた条件の内部で様々に創意工夫を凝らして日々を生き抜いていたのである。寺院を出城として用いて、内部に様々な仕掛けを施すというのは、いかにも歴史的な背景を感じさせて愉しい。歴史のロマンや息吹といった言葉は、それだけを取り上げるといかにも陳腐で無味乾燥なクリシェのように響くが、実際に旧跡へ足を踏み入れて由来を聞いてみると、単なる古びた寺院の建物にも数百年前の人間の気配が消え残っているように感じられる。