サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「サラダ坊主日記」開設一周年記念の辞

 この「サラダ坊主日記」というブログを開設して、遂に一年の月日が経過した。どうでもいいようなことではあるが、何事も節目を重んじるのは人として大切な心掛である。

 昨年の8月25日に最初の記事を投稿してから、丁度一年後の今日までに累計で300件余りの記事が積み重なった。塵も積もれば山となるという古人の俚諺の通りである。

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 継続は力なりと人は言う。無論、ただ続けただけで何かが変わると信じ込むのは早計であり、或る意味では怠惰な考え方でもあろう。続けさえすれば、それで成長出来るのだと、無邪気な展望を掲げてみせたところで現実はそんなに生温くないし、優しくもない。

 何の為に続けるのか、という理由は、その都度コロコロと変わっていくし、一年続けたからと言って、それが堅実な未来を約束する訳でも、一年間も不屈の意志を貫き通したという証になる訳でもない。結局は偶然の累積によって辛うじて休止を免かれただけの話で、しかも明日には気持が変わって金輪際擱筆という仕儀に相成るかも分からない。そういう行く末は生ける誰にも天上の神々にも天井裏の鼠にも分からない、不可解な命運なのだ。だから、何かが続いたことを殊更に自信の礎石として珍重しても、儚い自己正当化に過ぎないのだと、自戒しておきたい。

 だが、そういう小難しい理窟はさておき、一年間の節目を迎えて、彼是と振り返ってみたくもなる。そうやって自分が踏みしめた道程の揺るぎなさを殊更に有難がり、年寄り臭く抹香臭く懐かしんでみたいなどと、頼りない欲望が胸の奥底に萌したりもするのだ。下らない悪趣味だと頭では心得ていても、欲望の齎す疼痛には逆らい難い部分もある。

 けれども、未だ過去を振り返るには、対象となる過去そのものが余りに貧弱であるとも言えよう。たった300件余りの記事、駄文ばかりを恥も知らず飽きもせずに延々とネットの大海へ工業廃水の如く垂れ流し続け、それで振り返ってみたところで索漠たる虚しさが舌の上に残るばかりだ。とりあえず、一年は辛うじて保ったというところで、後は余命が何処まで続くかということだけだ。身勝手に書き続ける以外に、術はない。