サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

社会と直接つながる生き方はできないだろうか?

 前回の記事に通じる内容を書く。 

saladboze.hatenablog.com

 大学を卒業し、企業などの法人に就職して、与えられた役割を全うすることで生活の保障を得る。こうした仕組みは、私たちの暮らす社会においては極めて強固で堅牢な「型枠」として存在し、機能している。殆どの人間が、何らかの既存の「組織」に所属することで、「社会」若しくは「世界」との繋がりを確保している。言い換えれば、生きることそのものが、何らかの「組織」に交わることと切り離し難いものになっている。リストラされて自殺したり、離婚して自殺したり、或いは会社から脱け出せずに過労死したり、学校から脱け出せずに自殺したりするのも、生きることと所属することの間に、明快な境界線を引けぬままに日頃、生きているからではないだろうか。

 例えば私自身、離婚を経験したときには、自分が何の為に生きているのか分からなくなり、深刻な葛藤に陥った。自分で想定していた以上に私は、その家族の中で「父親」として「夫」として振舞うことと「生きること」そのものを融合させていたのだろう。だから、その役割を失ったとき、私は「生きること」そのものの動機や方向性を見失って途方に暮れてしまったのだ。

 そこから脱却する為に、当時の私が選び取った手段は「働くこと」だった。今も昔も小売業の店長である私は、家族を失った虚無感を埋め合わせる為に、店長として働くことを「生きること」の根本的な動機へ結び付けたのだ。その頃は、毎日朝から晩まで、所謂「通し」のシフトで働いていた。毎月、残業代は十万円を超えていた。別に金が欲しかった訳ではない。離婚して実家に戻った私に、大した金の使い道はなかったからだ。恐らく私は働くこと、労働を通じて成果を上げること、それによって所属する組織から評価されることを、自分のアイデンティティに選んだのである。そうやって、砕け散った自分のレゾンデートルの再構築を図ったのだ。

 けれど、労働だけでは自分の内なる虚無感を補填し続けることは出来なかった。本当の自分が望んでいる訳でもないことを「生き甲斐」に定めて、無理やり己を叱咤激励したところで、何れは矛盾が表面化するようになる。

 十代の頃、私は結婚に何の関心も展望も持っていなかった。意見すらなかったと言っていい。そもそも不器用な性格の私には、結婚など全く現実的な問題とは思えなかった。けれど、付き合っていた女性の妊娠を契機に二十歳で遽しく所帯を構え、五年半で離婚した後も「結婚」という制度に懲りることもなく、今の妻と再婚して娘を儲けた自分の「個人史」を顧みると、己の本心が「結婚」に幸福を求めていたという事実が、客観的に立証され得ると思う。だが、私は「結婚」だけで充足し得る男でもなく、もっと「自由」になりたいという感情を常に抱え込んでいる。家庭から自由になりたいという意味ではない。雁字搦めの社会的な規範から解き放たれたいという意味だ。しかしそれは社会と関わりたくないという意味でもない。自分らしく生きたい、という青臭い言葉が脳裏を掠める。そんな科白は、十年前に投げ捨てた筈だった。自分らしくなんて戯言を暢気に並べている暇があったら、家族を養う為に千円でも二千円でも余分に稼げるよう頑張らねばならない。そういう境遇に置かれたとき、私は自分らしく生きるなんて馬鹿げていると、自分自身に呪いをかけたのだ。それでも小説家になりたいという夢だけはずっと諦められなかったが、最近は、それが自分の本当の願いなのか疑わしくなっている。小説家になるという夢想に縋ることで、私は「自分らしさ」を求める抑圧された欲望に、若干の「慰藉」を与えていたのではないだろうか。

 そうやって誤魔化し続けながら、それでも今の会社で働くことは間違いなく、私が生きることの支柱として存在し続けてきた。そのことへの感謝を忘れようとは思わない。けれど、今の会社で働くことによって失われたものもあるだろう。恨み言を言いたいのではない。寧ろ私が、自分の本心と誠実に向き合うことを避けてきた結果なのだ。とりあえず表層的な歓びで気持ちを誤魔化すことで、私は「世界を変えたい」という願望を封じてきた。

 けれど、十年経って、そこそこの評価も得られるようになった今の私は却って、自分の限界を知ったような気がする。十年間辛抱を重ね、自分なりの拙い努力を繰り返して、周囲の人々にも助けられながら働き続けてきた結果、私は自分の本質的な適性が「小売業」にはない、ということを、実感しつつあるような気がするのだ。

 勿論、何の経験も技能もない、若さだけが取り柄の無職の立場で拾ってもらった会社で、自分の適性や情熱の在処を真摯に検討することはなかった。重要なのは「何とかこなせる」ことであり、そこに「情熱や才能」を投入するのは二の次だった。それが却って奏功したのか、曲がりなりにも地道な昇格を成し遂げることが出来た。だが、ここから更に険しい道程を登攀していく為には、情熱も適性も足りない。いや、何より「情熱」が湧かないことが最大の支障なのだ。

 言い分はある。特に向いている訳でもない、少なくとも自分では向いていると思わない仕事に十年間の努力を捧げ、それなりの評価を得られるところまで辿り着いたのだから、そろそろ「新天地」に関心を持っても許されるのではないか、という想いがあるのだ。重要なのは恐らく、仕事の形態や様式ではない。そんなものは、時代と共に変遷する表層的な問題でしかない。結局、どんな仕事を選ぶにせよ、大切なのは「どういう想いを、社会に提供するのか」という命題こそ、真剣に問われるべき最大の主題ではないのか。

 そうなったとき、「小売業の店長」などという大雑把な総括では、これまでの勤人としての経験を、きちんと棚卸したことにはならないだろう。一概に「店長」というラベルで括ってみたところで、一端の社会人の「労働」の内訳が、それほど簡明なものである訳がないし、その都度の感情や思考の痕跡だって残っている。そもそも、同じ店長という役職であっても、それぞれの信条や価値観、最も注力するポイントなどは異なっている。単に店長経験があります、というような皮相な言葉で、転職を志しても埒が明かない。自分は何を大切にして、何に価値があると信じて、今の職場で働いてきたのだろう? 何も大切にし得るものがない環境で、大して忍耐強い訳でもない人間が、十年間も働き続けることは出来ない筈だ。自分に適性があるとは思えない業種だとしても、何かしら自分の「琴線」に触れるものがあったのではないか?

 思い返すと、私が職場で最も「充足」を感じられる瞬間というのはやはり、共に働く社員やアルバイトと「心が通い合う」ときだと思う。私が赴任する以前から長期に亘って働いているベテランのアルバイトにしても、私自身が店長として採用した真っ新な素人のアルバイトにしても、彼らと心を通じ合わせ、共に働くことが「愉しい」と思える瞬間を作り出せたときに、私の心は大きな歓びと充足を感じてきた。転職を考え始めた今でも、現在の店舗の同僚たちと「通じ合う」ことへの関心は衰微していない。

 売上や収益予算を達成することも、確かに一つの充足には違いない。だが、私にとって揺るがぬ信条の一つは、「その日の売上金額は忘れ去られても、その日一緒に愉しく働いた想い出は消えずに残り続ける」というものである。予算を達成したかどうかなんて、スタッフはあっという間に忘れてしまう。けれど、こういう場面でこうしたね、とか、あのとき誰々さんがこんなことを言ったね、という風な想い出は、そう簡単には風化しないものだ。「共に働く喜び」に比べれば、会社の掲げる様々な指標を達成することなど、些事に過ぎない。無論、こういう青臭い考え方は、今の会社では通用しない。これから出世を考えるならば猶更「共に働く喜び」に心を砕くよりも「労働時間の削減」や「生産性の向上」に強烈な執着を示さねばならない。「懐かしい風景」よりも「人件費率が何パーセント下がったか」ということに重要性を見出す合理主義者でなければならない。だが、正直に言って、私は人件費率なんかどうだっていいと思っているのだ。そんなことより、共に働く歓びを作り出し、維持することの方が遥かに有益で、社会的な意義も大きいと信じている。だが、会社はそんな青臭い理窟を容認しない。管理する人間にとって、共に働く歓びというのは、単なる幻想、或いは主観的な感想に過ぎず、そんなものは管理の対象外であると信じている。無論、彼らも従業員満足(ES)という概念を蔑ろにしている訳ではないが、結局、それが収益の改善に結び付かないのであれば、どうだっていいことだと考えているのだ。これから生産年齢人口の減少に伴って、安価な労働力の確保は難しくなっていくだろう。会社は、定着率を高めて労働力の不足を防ぐ為の手段として「ES」という概念を捉えている。そのこと自体を、咎める積りはない。だが、本来「労働力不足の解消」と「労働者の歓び」と、何れが本質的な問題であると捉えられるべきなのか、立ち止まって考えてみる必要はあると私は思う。

 会社の存続、その為の収益確保、それによって雇用を守ること、こうした理窟の「列なり」は、一見すると尤もらしいが、こうした理窟を迂闊に鵜呑みにしてはならない。結局、会社は存続する為に雇用を斬り捨てることも辞さない「非情さ」を備えている機構なのだ。世の中には、こういう尤もらしい理窟が氾濫していて、私たちの「本音」を直ぐに縛り上げてしまう。

 いや、鬱々たる愚痴ばかり書いても仕方ない。要するに私は、そういう「管理社会」の繰り出す正論に承服し難いものを感じるのだ。自分自身のまま、いや、今の卑小な自分に固執するという意味ではないが、もっと自分自身の「本音」に立脚して、余計な問屋を省いて、直に社会と渡り合えるようになりたい、その為の力を培いたい、と思う。しかし、今の自分のままでは、掘り当てた「本音」だけで直ちに飯を食えるようにはなれない。妻子を養う金を工面する義務もある。一足飛びに理想へ辿り着くことは困難だ。だからこそ、私はこうして言葉を刻みつけておく。直ぐに自分の「本音」を見失ってしまう慢性的な脆弱さから、この瞬間の情熱を庇護する為に、私はこうして「想い」を書き綴っておくのだ。